section 7-3

section 7 「Love Your Neighbor」
三
期末試験は始まったのだが、小林の容態がかなり安定し、見舞いに行けるということで、代表者何人かで行こうという話になった。学級委員の川端と桐谷の二人は当然行くとして、あまり大人数で行っても良くないということから、人は絞ることになった。男子は小林と仲の良い、東川と、山下という生徒、女子は原と潤子が行くことになった。明日香は、事件のショックで一週間休んだこともあるので、行くのをやめさせよう、という話になった。
原が小林に好意を持っているのは、割と知られた話だったし、明日香が原の「不良少女」グループに絡まれる根本はそれだというのはわかってはいた。明日香と小林は一年時から仲が良かったが、それは別にお互いに男女を意識していたわけではないし、クラスの中でそれぞれ女子の中、男子の中で運動神経が一番良く、球技大会や体育祭で牽引役になったり、男子の遊びの球技に明日香が小学校の延長で遠慮なく混ざることから、仲が良くなっただけの話で、逆恨みも良いところだったが、小林に好意を寄せている女子からすれば、明日香は鼻持ちならない存在だったのかもしれない。ひょっとしたら、あの剃刀の一件の時、工事現場の警備員のようにトイレの入り口を塞いでいた木村にとっても、そうなのかもしれない。下の名で呼び合うほどの仲だった木村とは、あの日以来明日香は口を利いたことがない。
小林が刺された時、小林を介抱したのは、明日香、潤子、原の三人なので、明日香が行けないのであれば、女子は潤子と原だという話は自然な話だった。原は、校則違反の髪型にしたり丈の長いスカートを履いたりを良くしているが、女子の中で一番男子と話をする女子生徒の一人だったので、そういう意味でも自然だった。原はどうだか知らないが、明日香はあの女子トイレでの衝突、明日香の頬を剃刀で切られたことに特にわだかまりはなかった。喧嘩に「勝った」のは明日香だし、頬の傷もはまだ少し残っているけれど、一年時から上履き下履きに嫌がらせを受けていたこと、女子トイレで絡まれていたことは、明日香にはとても面倒くさく煩わしいことだったが、「怖い」ということはなかった。それは喧嘩慣れしている明日香が、対峙した相手の力量をある程度読めることから、相手としてはかなり力不足だと判断できていたこともあった。この長く続いた陰湿な敵対関係についても、明日香は原たちを恨んでいたり、何か仕返しをしようとか、そんな思いもなかった。ただもう二度とやめてくれ、面倒くさいし鬱陶しいから。それくらいだ。
原とはそれほど親しくなったわけでもないし、下の名前で呼び合うほどの仲にもならなかったが、ある程度原さん、大沢さんと、口を利くようになった。上川とはもともと気が合わないのだろう、口を利く機会はほぼゼロだった。
一番意外だったのが佐々田で、明日香がある日の休憩時間、珍しく一人でベランダでぼんやりと校庭を眺めていた時、大沢さん、とさん付けで声をかけられた。不良少女一団で絡まれた時も、ほとんど佐々田は声を出さないので、ものすごく意表を突かれ、びっくりすらしてしまった。
「今まで…ごめんなさい…。」
確かにそう言ったので、明日香は驚いたと同時に、向こうから歩み寄ってきてくれたことに嬉しさも感じた。
「ぜんぜん、気にしないで。もう何とも思ってないからだいじょーぶだよ。」
明日香は笑顔で返した。何に対して謝っているんだと、嫌らしく絡むこともできただろうが、他人に頭を下げるというのは、それだけで結構勇気のいることのはずだ。まして、こう世の中にというか、これだけ校則の厳しい、生活指導に煩い中学校の中で、それに少しでも歯向かって生きている子たちにとっては。明日香は、謝ってくれたことよりも、声をかけてくれたそのことに、むしろ明日香からありがとう、と言いたい気にすらなった。
ちょうどチャイムが鳴ったので、さ、教室入ろう、と佐々田の小さな肩を押しながら、二人でぞろぞろと教室に戻った。それからは、元々同じ班なので、当然と言えば当然なのだが、班単位の話し合いにも積極的に何か発言したり、明日香、桐谷、川端の雑談に参加して、笑顔も見せるようになった。完全に校則違反の目にかかる前髪、耳を隠し頬も隠す横髪に囲まれ、ドライヤーで少し立てている髪型だから、尚更小さく見える、小さな顔に浮かぶ笑顔は、そんな校則違反の髪型、服装とは似つかわしくないくらい、爽やかで透き通るようですらあった。
お見舞いの様子は潤子から後で聞いた。まず、東川の、おお、生きてたか、小林よ、という舞台の袖から出てきた大御所俳優のような大仰な一言で笑いを起こしてから、随分和やかなひと時だったようだ。小林はもうかなり元気で、今すぐにでも退院できそうなくらいだったらしい。潤子も原も、介抱してくれたことに、小林らしくないくらい、深くお礼を言われたそうだ。川端と桐谷からは、一応学校のスケジュールがこうなっている、とか、小林は退院したら夏休み中に一人で期末試験を受けないといけない、という実務的な話を伝えた。期末試験の件で小林は、えー、と言ってベッドに寝転がり、俺だけ期末試験なしにしてくんないかなー、と不満げに言って見舞いのみんなを笑わせていたという。
ほとんど、川端、東川、山下、そして小林のコントのような会話を笑って聞いているような見舞いだったそうだが、あまり長居をしてもいけない、ということで桐谷が適当な時間で切り上げさせていたという。病室から出る際に、今日は来てくれてありがとう、と小林は殊勝にみんなに言った後、潤子を呼び止めた。
「澤井。」
潤子は振り返った。
「大沢、どうしてる、元気か?」
「うん、いつも通り、毎日おてんばさんだよ。」
「ちょっとそれどーゆー意味ぃ?」
明日香は潤子が話すそのくだりの、潤子のその答え方に思わず突っ込んだ。潤子は大笑いしていた。
「俺、大沢にお礼を言えてないんだ。大沢がああやって止血してくれなかったら、俺かなりまずかったらしいんだ。とても感謝してること、伝えてもらえないか?」
小林は見たことがないくらい真面目な顔をしていたそうだ。
「うん、伝えておくね。」
その潤子の返した笑顔は本当に天使だったと、川端と桐谷から聞いて、明日香は笑ってしまったけれど、本当に潤子は天使だな、と明日香も思った。