section 4-1

2024-07-20

section 4 「ルール変更」

 一

 期末試験の試験範囲は、などと授業中に教科担任の教師が少しづつ言うようになった頃、校則には書かれていないが、大きなルール変更が明日香の学年ではあった。登校したら、上は体操着、もしくは体操着とジャージの上着、下はジャージのパンツに着替えること、というものだ。じゃあもう登校時もジャージか体操服でいいじゃないか、という生徒たちの反発もあったが、登下校時は必ず学生服、セーラー服を着用すること、という「ルール」も含まれていた。これは学年集会などで周知されたものではなく、各クラスの朝会で、今日からそうするようにという「御達し」のような形で周知・徹底が図られた。

 その朝会が終わって、一時限目が始まるまでに全員、下はジャージパンツ、上は体操服に着替えること、となり、せっかく登校した時に、教室の後ろにあるロッカーがわりの棚に指定スポーツバッグを片付けた生徒も多かったので、教室の後ろ側が混雑した。明日香の席は教室の一番後ろだから、とりあえずこの混雑が終わらないと着替えようがなかった。女子も男子も教室内で着替えないといけない。女子は器用にセーラー服を着たままで下着を晒すことなく体操着に着替え、ジャージの下はスカートの下に履いてからスカートを脱ぐ。さすがに女子の着替えを凝視するような、悪い意味で度胸のある男子はいないので、男女同じ教室で着替えさせられても問題ないのだが、明日香はそれでも着替え中になんとなく男子と目が合ってしまったりするのが恥ずかしい。なんで女子更衣室ないんだ。体育の授業の度に思ってしまう。男子は体操着の短パンを学生服の下に着て登校してしまっている生徒が多かったし、上半身裸になることも躊躇ないので、なんで女子ばっかりこんなに虐げられるんだと、明日香はいつも不満だった。

 「ほんと、何これ。めんどくさいねー。」

 着替え終わってセーラー服をたたみ始めた桐谷が、体育の時間いつもそうしているように、ジャージパンツの裾を何回か折ってまくっている明日香に声をかけた。

 「ねー。なんなの。セーラー服意味ないじゃん。」

 明日香は本当に不服そうに言った。

 そもそもこんなルール変更になった理由は、衣替えが進んで、女子生徒の中にセーラー服のフロント布を外して、胸の谷間を見せるような着方をしている子がおり、中には下着をわざとつけないでそうする子たちもいるとかで、男性教師が目のやり場に困るから、というどうでも良い理由だった。「早い」子はもうかなり色気づいているので、そうしたがる子がいるのは明日香も知っていた。確かに教壇に立つ男性にすれば、そんな着方をして自分の目覚め始めた「女」の部分を主張されれば、胸の谷間は気になるだろう。ふとしたことで目に入ってしまったり、時には胸そのものが見えてしまうこともあるかもしれない。また、女子生徒によっては、わざと見せて、男子教師の反応を楽しんでいる子もいる。それは女子生徒が本当に悪いのか、そんなところに目が行って困る教師の方が問題なのか。学年集会で、学年主任がいつものように忿怒の形相と、あの恐ろしいしゃがれ声でこのルール変更を命じないのは、そう思ってしまう男性教師の気持ちは良くわかるという、明日香たちには全く理解できない相互理解のようなものがあるからだろうか。

 「そんなのさあ、男の先生たちがエロいだけじゃないのー?」

 給食が終わった後の昼休み時間にも、明日香の席の近くに集まった潤子、桐谷、茅ヶ崎に、明日香は収まらない不満を吐いた。

 「まあ、男子ってそういうもんだから。」

 桐谷は苦笑いというより、ぷりぷり怒っている明日香が何となく微笑ましい、というような笑顔を浮かべてそう言った。教師の男性をも「男子」と一括りにしてしまう桐谷の表現は、明日香には斬新なものに感じられた。明日香にとっては「教師」という人間は、どこか別世界の人間のように思えていたから余計だ。

 「でもさ、明日香そう言うけどさ、夏、明日香普段タンクトップにショートパンツじゃない。あたしいっつもどきどきしてるよ、あっ!やん、見えちゃう!って。」

 潤子はあざとさ満点で恥ずかしがる調子を作って言うから、それが可笑しくて、言った潤子自身含め四人で笑ってしまう。明日香は大体が開放的な格好が好きなので、夏になるとそんな服装にしかならないのだが、姉の今日佳からも、そろそろ男の子の目線気にするようにしなさい、いくらあんたが喧嘩強くたって、変な男の人に陰湿な付きまとわれ方したらめんどくさいし、嫌な思いしかしないよ、と言われる。明日香は、今もそうだが、子供時代から謳歌してきた、男の子も女の子も関係ない、という振る舞いを見直すべき年頃に差し掛かってしまったのだと思うと、寂しい気持ちもしたし、なんで女子ばっかりこんな、と不公平感も覚える。

 まして体操着だと、セーラー服よりも体型は目立つ。良い風にも悪い風にも。背中には下着の線が浮き出てしまうし、ジャージパンツは女子らしい体の線を浮き上がらせてしまう。そういう女子に気を回したのか、ジャージの上を着ているのは構わないそうだが、この夏の時期に、風のない日なんか蒸し風呂のようになる教室で、長袖ジャージを体操着の上から着てろだなんて。暑さで茹ってしまいそうだ。

 そのルール変更があってから行われた全校集会の日、朝から雨が強く降り、湿度も温度も高く、体育館の外部へと抜ける鉄製の扉を全箇所開ければ、湿気が入り込んでくるだけで、全学年の全生徒が集まった体育館が涼しくなるわけもなく、明日香も頬を伝う汗を時々体操着の肩口で拭わないといけないくらいだったし、壇上で話す教頭だか校長だかも、手巾で額を拭いながらマイクに向かっていた。そんな按配だから、気持ちが悪くなって、整列から外れる生徒が結構いた。明日香の学年でも六七人いたようだ。集会の時は背の順で整列する。背丈が全く同じ明日香と潤子は、明日香の癖毛で跳ねている髪の分だけ高い、と言う冗談みたいな理由で、明日香の方が後ろだ。登壇者が変わるタイミングで、明日香は目の前の小さな肩を指でつついて、大丈夫?と声をかけたりした。潤子は汗をいっぱいかいた顔に笑顔を作って、ちょっときついけど大丈夫、と小さな声で返してくれた。潤子は髪留めの位置を直して、おでこを全部出していた。

 全校集会が終わると、二年生の学年主任である海老島が、二年だけその場に残れ、と怒鳴り、他の学年の生徒が体育館を退場するまで、この湿気と茹だるような暑さの中、起立整列したままで待っていなければならなかった。退館する生徒たちは全員が学生服かセーラー服だ。残れと言われた二年生全員は体操着の上にジャージの下。まるでこの鉄の校門と金網とで閉鎖された中学校という空間の、さらにその中に、何か施設のようなものが地下にでもあって、そこに収容された囚人のようですらある。

 他の学年の生徒や、校長、教頭を始めとした二年生とは関わりのない教師たちが全員退館して、体育館内が、外で降り続く強い雨音だけしかしなくなると、海老島は、たかが一時間もないと言うのに、具合悪くなるやつが多すぎる、だらしがない、気合いを入れろ、というどうでも良いような説教だった。明日香は、そんなくだらないことに時間使うなら、さっさと教室へ帰してくれと思った。だいたい、具合悪くなっちゃう子はどうしようもないだろう、暑さと湿気で気持ち悪くなっちゃってるんだから。どうしろっていうんだ。明日香は内心海老島の説教に怒りも反感も覚えたが、姉今日佳のように、論理立てた反論ができるわけもなく、ただ黙っているしかなかった。力勝負に持ち込んでも全く敵わないことは、一年の時に身を以て知っている。明日香は舌打ちしそうになったが、それも堪えるしかない。