section 4-3

2024-09-03

section 4 「ルール変更」

 三

 この日は体育の授業もあって、天気が悪いことが想定されていたので、プールではなく最初から体育館でバスケットボールだとなっていた。明日香は前の授業が終わるとすぐに、体育教官室へ行って、今日はこういう理由で裸足でやります、ということを明日香のクラスと隣のクラスの女子の体育を担当する教科担任に報告しに行った。潤子はついてきてくれた。

 「なんだ大沢、またされるようになっちゃったのか?」

 くわえ煙草のまま、一年時の担任、末原が口を挟んできた。あまり生徒の出来事に関心がない、と言う印象が明日香にはあったので意外だったが、なんで末原が知っているのか不思議だった。末原にこの件で相談したことなどなかった。

 「ごめん、明日香。あたし一回末原先生に相談したことがあって…。」

 潤子が手を合わせて明日香に申し訳なさそうな顔をしながら言った。真面目な潤子ならありそうだし、自分が潤子の立場だったらそうもしただろうから、潤子には気にしないでくれと言うことと、心配してくれてありがとうと言うことだけ伝えた。

 「その時に澤井がな、大沢は子供の喧嘩なのに、子供が大人に言いつけたみたいなことにはしたくないと言っている、と言ったからな、お前には黙っていたんだが…。」

 末原はそこまで言うと、たばこを口から離して、煙をゆっくりと吐いた。

 「お前強いのと真っ直ぐなのとで、なんか自分一人で抱え込もうとするみたいだが、あんまり困った時は先生を頼れよ。澤井のことは良く頼ってるみたいだが。」

 末原は苦笑いしながら、そう言った。確かに、一年時の通信簿の通信欄にそう書かれていて、父母も姉も結構よく見ているねこの先生と笑っていたのを思い出した。

 「潤子は親友なんで。ね。」

 明日香はそう言うと、潤子を見た。

 「ね。」

 潤子も明日香の目を見て、相槌を打った。

 器械体操の授業の時などは、生徒たちはみな裸足になって授業を受けることもあるから、体育館を裸足で走ったりするのは違和感はなかったし、明日香はそもそも裸足でいるのが好きなのだ。パスやドリブル、シュート練習も問題はなかったのだが、ゲーム形式の演習では少し問題が出た。ボールをカットしたり、ディフェンスに囲まれた時など、ファウルやチャージングなどにならなくても、相手の上履きが明日香の裸足に接触してしまう時があり、それは結構痛かったが我慢した。さらに面倒臭かったのは、明日香が入れられたチームの、対戦相手チームには、明日香と同じクラスの例の不良少女三人組が全員揃っていたことだ。

 明日香がゴール下でボールをもらったりすると、その三人に囲まれて、上手く審判役の教科担任から見えないようなやり方で、裸足の足を蹴られたり踏まれたりした。もちろん見つかってファウルを取られたりもしていたが、お構いなしだった。フリースローは意外に決まらないものだし、逆に明日香が5秒ルールオーバーを取られることもあった。それらは明日香を苛つかせた。

 七分交代で、他のチーム同士のゲームと入れ替えるという運用だった。七、八人のチームを六つ作るから、七分のゲームを二回やることになる。ホイッスルが鳴って、明日香たちの組は一旦コート脇へ出て、休憩となるが、ゲームが終わると、足の痛いのが気になった。明日香の裸足はあっちこっち赤くなっているばかりか、血が滲んでいるところもある。

 「明日香、ちょっといい?」

 明日香が体育館の壁を背にしゃがみ込んで、顔の汗を体操着の袖で拭っていると、声をかけた主は、明日香の隣にしゃがみ込みながら、彼女も自分の顔の汗を体操着の袖で拭っていた。明日香と同じチームに入った、隣のクラスの女子で、バスケットボール部部員の倉嶋沙耶だ。ショートカットで背が高く、いかにも運動神経が良さそう、というタイプで、明日香は体育の時間、彼女と組になることが多く、さっぱりした性格なのは明日香には印象が良かった。仲も良かったから、昼休み男子に混じってやるバスケットボールにも時々参加してくれた。

 「あの子たち何?なんか明日香ばっかり狙ってたけど。」

 倉嶋は相手と目が合わないように、それとなく彼女たちのたむろしている方に顔を少し向けた。それだけで明日香に意図は伝わった。

 「あー。あたしさあ、ほら、人気者だから!」

 そう冗談を言うと、倉嶋は笑っていた。

 「次さあ、あたし出来るだけ明日香からボールもらえる位置にいるようにするから、囲まれたら、なんとかあたしにつないで。できるでしょ?」

 明日香たちはもう一ゲーム残っている。倉嶋はさっぱりとした性格なだけではなく、曲がった事は嫌いな子だった。だからスポーツとして、絶対にこのゲームに負けない、というバスケットボール部部員としての矜持に火がついてしまったらしい。ゲーム全体を見渡せる能力があるので、明日香があの三人組に執拗に狙われていたのはきちんと見えていたらしかった。

 「できるでしょ、って…。さーや、あたし素人だよ?」

 明日香は苦笑いするしかなかった。つまりディフェンスに囲まれてしまったら、5秒以内に倉嶋へボールを渡せというのだが、そんなのは至難の技だ。しかし倉嶋は明日香なら出来る、と言うのである。明日香の運動神経の良さはそこそこ知られてはいたが、バスケットボール部部員ほどバスケットが出来るわけはないし、細かい戦術も理解出来ていない。それでも明日香の敏捷性を持ってすれば、チャンスは作れるはずだ。

 「とは言っても…。まあでもこのままやられっぱなしなのもなんかむかつくし、オッケー。やってみるよ。」

 「さすが明日香!絶対勝とうね!」

 明日香の安請け合いに倉嶋は運動部部員らしい言い方で明日香を励ました。明日香もやる気になってきてしまったから、単純なものだった。

 明日香たちの組の後半戦が始まった。最初のボールトスで、明日香のチームの陣地へボールは飛んで行ったが、バックコート陣の子が上手くカットして、すぐに倉嶋へパスを送った。倉嶋はバスケットボール部員と言うこともあり、マークが必ずついていたのだが、ボールトスに勝ったことで、攻撃へ向き過ぎたのだろう、その時倉嶋のマークは外れていた。

 倉嶋はドリブルをしながらゆっくりとセンターラインを跨ぎ相手陣地へ進んで行った。明日香は意図を察して、倉嶋がいるサイドラインと反対側のサイドライン沿いをダッシュで走り、スリーポイントラインへ突っ込んで行った。もちろん、あの三人組もついてきた。フリースローラインの外側で振り返ると、三人組の頭越しに倉嶋のパスが飛んできた。明日香は飛び上がってキャッチし、ピボットを左に決めて着地した時には、三人組に囲まれていたから、ピボットが外れないよう、回転して避けた。ルールがあるから、この三人の誰かを吹っ飛ばして切り抜けるわけにはいかないけれど、敏捷さではこの三人が束になったところで、明日香に敵う訳はなかった。三回転目くらいから、また裸足の足を上履きで踏まれるようになったが、明日香は明日香のために勝とうとやる気になっている倉嶋の意気を無駄にしたくなかった。

 倉嶋がマークを振り切って明日香とは反対側のスリーポイントラインの外でフリーになった瞬間、所詮素人三人組の包囲網だ、明日香だってバスケットボールは素人だが、喧嘩は割と玄人だから、相手の隙を探すのはそれなりに出来る。明日香が、明日香の近くに明日香からボールをもらおうと来ていた、スリーポイントライン内にいるフロントコート陣の味方チームの子へ、一旦ボールをコートへバウンドさせてパスを送る振りをしたら、美しい鷲鼻の女子は引っ掛かってくれた。即座に明日香は逆方向へ、サイドラインを通り越してしまうくらいの勢いで横に飛びながら、放物線を描くように、ボールを放り投げた。相手チームは、明日香がスリーポイントラインの中の子にパスを出すと踏んだらしく、そっちへダッシュした子が多かったから、まだフリーでいた倉嶋は、明日香から飛んできたパスを難なく掴んで、スリーポイントシュートを決めて見せた。

 コートの外から見ていた他の組み合わせの子たちや、明日香のチームの子たちから、倉嶋の素早く正確なスリーポイントシュートに喝采が起こる。すぐに相手チームがエンドラインからスローインを始めてしまうから、明日香は倉嶋に駆け寄ってハイタッチしたかったけど、こちらも相手の反撃に備えないといけない。例の三人組も、まるで「正々堂々」と立ち向かうかのように、ダッシュで明日香たちの陣地へ向かう。それはどこか爽やかで、もしかしたらこの子たちとも理解し合えることもあるんじゃないか、そんな風に一瞬思ってしまった自分に明日香は嫌な思いがした。しかし、この三人組のうち二人、美しい鷲鼻の女子と、「白い魔女」は、この学校でもっとも部員が多く、それだけ厳しい部活、テニス部の部員でもあった。

 「さーや、さっすがぁ!」

 明日香は両手でピースサインを見せながら倉嶋に声をかけた。倉嶋は、当然、と言うくらいの自慢げな微笑みで、片手でピースサインを返してくれた。