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final section 「ジェイルブレイク」
一
あっという間の三年間だったとも言えるし、ものすごく長く感じた三年間だとも言えた。身長も少し伸びたし、体型もいわゆる「女子」らしい体型になった気がする。明日香はどうもブラジャーという下着が好きになれず、普段はしないことが多かったのだが、姉の今日佳から、もう普段もするようにしなさい、と注意されることが多くなった。どうもあの「女性」らしいデザインというか、特にあのレースのデザインが嫌いで、ある時姉になんでしないの、なんか理由あるの、と聞かれた時に、正直に理由を言うと、スポーツブラというのがあるから、それなら大丈夫じゃない、と言われ、すぐに姉がデパートへ連れて行ってくれた。品定めをした明日香もまあ、これならするか、という気になるデザインのものもあり、無事大人の女への階段を登ることが出来たような気がした。姉はせっかく女に生まれたのに下着楽しめないの勿体無いね、とか言われたが、潤子は明日香は何着てても可愛いよ、と「天使」のような笑顔で言う。
あまりにもいろんなことがあったし、振り返ると随分泣き虫な「女の子」だったなあ、と思ってしまう。小さい頃から男の子に混じって、遊ぶだけでなく喧嘩もしてきたので、素手対素手の喧嘩は強かったはずだが、実は人間としてはかなり弱い部類の人間だったということも痛感した。もし、澤井潤子という大親友となる女子生徒に出会うことがなく、潤子と毎日のように、それこそ学校だけではなく学校から帰っても一緒に過ごすことがなかったら、無事この三年間を乗り切ることが大沢明日香に出来たか、明日香は疑わしいと思っていた。入学して偶然同じクラスに編入され、すぐに仲良くなって、お互いを「親友」と呼び合うようになり、この中学校では一回きりのクラス替えでも運良く同じクラスに編入され、中学校三年間を同じクラスメイトとして過ごすことができた。潤子は明日香にとって「天使」だったし、これからも明日香の「天使」であり続けて欲しかった。潤子はおとなしく、物静かな女の子だが、実は芯がしっかりしていて、とても「強い」人だ。常に物事の表面ではなく、中身を見つめようとする。そしてそれが自然に出来てしまう。明日香にとって、潤子はとても尊敬すべき人でもあった。
高校は無事、潤子と同じ、かなり進学校として名高い公立高校へ合格できた。受験高校を選ぶ時期になって、明日香は姉の今日佳が通った中高一貫の私立校の高等学部へ行こうかという考えもあった。姉からとても良い学校で、過ごしやすいというのはよく聞いていたし。しかし、姉が中高大と私立に行ったこともあり、また、姉が大学院へ進むことはほぼ確実だったので、親に負担の少ない公立高校へ進むべきだろう、という思いに至った。中学生の自分にできる親孝行なんて、そのくらいしかなかった。もちろん、父も母も、明日香が行きたい高校へ行きなさい、と言ってくれてはいたが、最終的にはその行きたい高校が公立高校になった。
大学進学率の高い公立高校で、潤子の偏差値を基準に高校を選んでいくと、二つほど候補に残った。色々調べて、結局通学時間の短い方になったのは、近い方選んだのかよ、と二人で笑ってしまったが、そちらの方が設備が新しいものが多く充実してそうだから、というものだった。特に電算室と呼ばれる、これから普及するだろうと言われていたパーソナル・コンピューターの実習室があり、電算のカリキュラムが組まれているというのが、理系の得意な潤子、実は理系の方が成績が良かった明日香、どちらにとっても、魅力的だった。
しかし、この希望を担任に認めてもらうのが一苦労だった。最終的には生徒の希望通りの受験校へ内申書を書いてはくれるのだが、後で聞いた話だと、どうもこの学年は一人の高校浪人も出さない、という目標が三年生を担当する教員たちの間で立てられていたらしく、基本的に、自分の偏差値より十も低い高校を受験校として選ぶようまずは勧められる。潤子や桐谷でさえ、彼女たちの偏差値を持ってすれば、明日香たちが居住する都道府県内トップの偏差値の高校ですら余裕だと思われるのに、一回目は二人とも希望の高校受験を認められず、再考のため差し戻された。もちろん、その段階では未だちょっとその高校の偏差値には足りていなかった明日香は当然だった。
明日香は、ここ卒業したらお前らあたしたちの面倒見ないし関係ないじゃん、好きなところ受験させろよ、といつもの仲良し四人組の井戸端会議で不満を言っていたが、これには全員賛同だった。明日香はこの頃から、いや、本当は一年の時、女子トイレで原たちのグループに絡まれ始めた頃から、学年主任に生まれつきの茶髪を勘違いされ鉄拳制裁を食らった頃から、この鉄の校門と金網に囲まれた、「収容所」のような中学校を早く出たい、二年時から奇妙な「ルール」変更で学校へ来ると着替えなければいけないジャージを早く脱ぎたい、一日でも早くそうしたいと思うようになっていた。
二年時には、あの事件以降もずっと明日香たちの教室に空席のままあり、男子の新たな「菌移し」という通過儀礼の供物となっていた後藤の席だが、三年に進級し、教室が変わると、後藤の分の机と椅子は無くなっていた。そして、クラスの名簿からも彼の名前は消えていた。まるで転校でもしたかのように。高校受験という目の前の、十四歳、十五歳の少年少女が一番最初に乗り越えなければならない、人生の大きな節目への対応で個々人が忙しかったからだろうか、「菌移し」の代替策は、三年に進級した後は何も出てこなかった。誰もが等しく乗り越えなければならない節目に向かっているということが、一体感や共有意識を代わりに生み出していたのかもしれない。
後藤がどうしたのかは誰も正確には知らなかった。やはり少年鑑別所に入っている、という噂だ。そこで中学卒業と同等の資格を取得し、どこか誰も知らない土地で高校へ進学し、人生をやり直すことになるらしい。まだ十分やり直しの効く年齢のはずだ。あの「別に菌じゃないし」と十三四歳の男子の中で、たった一人、言うことのできた後藤が、確かに卑怯な方法で小林を傷つけたけれど、やり直すことなんかできない、あいつはただの人殺しだ、と男子の中だけでなく、女子の中でも言われているような考えには、どうしても明日香は同意できなかった。
しかし、もし小林が、あの傷がもとで死んでしまっていたら?明日香は同じように考えただろうか。自分と仲が良く、三年間、あの時点では一年半だったが、クラスメイトだった子を、たくさん球技をして遊んだ仲間を殺されたのだったら。明日香も多くのクラスメイトが言うように、あいつはただの人殺しだ、まともな人間になんかなれるわけない、と思ったんじゃないのか。明日香には、自分が正しいのか、間違っているのか、よくわからなかった。もしも、標的となったのが潤子だったら?明日香はその時、どんな行動を取った?どんな感情を彼に対して抱いた?考えれば考えるほど混乱というより、混沌の坩堝へと吸い込まれていくような、恐怖に近いものだけを感じてしまい、考えることをやめてしまう。






