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「んじゃ、ちょっと待っててねー。」
上野はそう軽い調子で電話会議に残してから、お客のところへ断の許可をもらいに行ったようで、またしばらく沈黙が流れる。都は、いよいよかと緊張してくる。しばらくすると、上野は電話会議に戻ってきた。
「おっけーだっつーからさー。じゃあ、やっちゃってー。」
軽薄と言って良いくらいの調子で言うので、都は思わず声を出して笑ってしまった。検証では上手く行ったし、修正の設計を実装した時も問題は何も出なかった。それにそれから一年以上運用で問題も出ていない。だから何も心配ない、と思ってくれているのか、それとも都が緊張しているだろうと思って、気を遣って軽妙にしてくれているのか。どちらにせよ、都にはありがたかった。
「じゃあ、植松くん、ちょっとあたしの方で先に、客宅ルーターの方で既存回線のインターフェイス閉じて、切り替わりの確認をするね。それ終わったら声かけるから、メルさんにプロバイダエッジルーター側を切り替えるよう言ってきてもらえる?」
「了解しましたー。」
都の説明に植松は了を返した。事前の線表通りなので、特に改めて理解する必要もないだろう。
都は、国際網側で疎通確認の送信元・宛先となっている拠点のルーターと、国内網側で疎通確認の送信元・宛先となっている拠点のルーターにログインするため、新しいターミナルウィンドウを開き、どちらのターミナルウィンドウでもログ取得を開始してから、お互いへ向かって、疎通確認と、通過経路確認を取った。疎通は問題なく、通過経路は今は北陸データーセンターを通っている。北陸データーセンターの国際網側WANエッジルーターの、既存WAN回線が接続されているインターフェイスを閉塞すれば、不達が続き、1分以内に到達性が回復、その後通過経路を確認すれば、国内網、国際網間の通信は、東京データーセンター回り、となっているはずだ。
一年半前の、北陸データーセンター導入前に、つまり都がこのプロジェクトに巻き込まれる前、当時本社データーセンターへ接続していた国際網側WAN回線の計画メンテナンス工事の際に、ルートがきちんと切り替わらない問題が起き、原因不明として終わってしまったトラブルがあったとのことだから、それも都の修正設計によって、きちんと解消できているかということが証明されることになる。本社データーセンター時代の国際網側のWANエッジルーターには、都がどう考えても昔は必要だったのかもしれないが、今は明らかに不要で、それが何かの際に悪さをすることが考えられるコンフィグがいくつか残っていた。それらは北陸データセンターへ移行した際に全て消し込み済みだ。
北陸データーセンターの国際網側のWANエッジルーターへログインしているターミナルウィンドウで、ログ取得をしていることを一度確認してから、国際網側の一拠点、国内網側の一拠点、それぞれへログインしているターミナルウィンドウで相互に向かって、回数を一万回で、pingを打ち始める。都は一度大きく深呼吸した。
「じゃあ、既存回線をシャットしまーす。」
「了解でーす。お願いしまーす。」
「おっけー。しめちゃってー。」
都が既存WAN回線のインターフェイスの閉塞を電話会議に向かって宣言すると、植松と上野から、それぞれらしい返事が返ってきた。都は、いつものように、リターンキーを数回叩いて、ホストネームだけの行を数行作ってから、時刻表示、インターフェイスの説明文一覧のコマンドを叩き、既存のWAN回線が接続されているインターフェイスを確認する。コンフィグの当該インターフェイス部分だけを表示するコマンドを叩いて、IPアドレスや、アウトバウンド方向に入っている、出て行くトラフィックが、回線帯域以上にならないように絞る設定が入っていることで、WANインターフェイスだということ念のため確認してから、コンフィグモード、さらにそのインターフェイスをコンフィグするモードへ入り、ホスト名とそのモード名とが連続して表示されているだけの行を、リターンキーを数回叩いて、数行表示させてから、閉塞するコマンドを打ち込み、一呼吸置いてから、リターンキーを叩いた。直ぐに、インターフェイスが管理者権限で閉塞されたこと、プロトコルが落ちたこと、さらにはBGPが落ちたことを知らせるログが次々と出てくる。
都は、国際網の一拠点と、国内網の一拠点へログインしているターミナルウィンドウをそれぞれクリックして、見えるようにすると、エクスラメーションマークの連続が止まり、ピリオドが少しず増えていくのが見えた。これが1分程度で戻らなかったら、問題だ。どうしよう、などとは考えず、ただ真っ白になった頭で、作業用PCの小さなディスプレイを見つめた。もし、何かトラブルが起こったら、今は何も考えられないだろう。
冗長の切り替わりは、シンプルな構成・設計でもちょっと緊張するのに、今回のは戻らなかったら、あの20時間のデーターセンターでの戦い、それから一ヶ月半の長きに渡る検証作業、修正設計の実装は、全て無駄たったことになる。都は手が震えてくる。良く考えると、だんだんこのサーバールームの空調で体が冷えてきてもいる。コートを羽織ろうと、バッグの上に畳んで載せておいたコートを広げ、袖を通した。前はひとまず締めないでおいて、これでも寒くなるようだったら、締めることにしよう。都は2つのターミナルウィンドウに、どんどん増えていくピリオドを見つめながら、そんなことをしていた。つまり、心の何処かに余裕はあったのかもしれない。
45秒くらい経った後、ピリオドの連続は突然、エクスラメーションマークの連続へと戻った。それは国際網の一拠点も国内網の一拠点もほぼ同時だった。都はその連続が止まってしまったり、五発止まった、五発続いた、の繰り返しにならないかを確認するために、しばらくエクスラメーションマークの連続を見守った。30回以上続いていても安定している。都はどちらのターミナルウィンドウでもpingを止めた。事前確認で使った、通過経路確認のコマンドを矢印キーで呼び出し、叩く。結果、きちんとどちらからの発信でも、東京データーセンター回りで、余計なノードは通らずに着信していた。都は大きくため息を着いてから、電話会議に向かって、状況を報告した。
「無事切り替わりましたー。」
都は途中声がひっくり返ってしまった。
「やったね、みやちゃん!」
上野はちょっと笑いながら、それでも都が声がひっくり返ってしまう意味を良くわかって、都を労ってくれた。都は、やりましたー、よかったー、と言うと、上野は笑っていた。
「えーっと、じゃあ、植松くん、メルさんにプロバイダエッジルーターの方、新回線の方へ切り替えてくれるよう、言ってきてくれる?客宅ルーターの方はあたしが切り替えておくから。」
「了解しましたー。」
植松が都の依頼に了を返してから、都はまず、ルーティングの確認に使う国際網の一拠点と、国内網の一拠点のターミナルウィンドウをクリックして、どちらのターミナルウィンドウでも、時刻表示のコマンドを叩いてから、矢印キーで、互いへの通過経路確認のコマンドを呼び出してリターンキーを叩き、今は東京データーセンター周りでお互いへ到達していることを確認してから、お互いへの一万発pingを再び開始する。どちらのターミナルウィンドウでもエクスラメーションマークが連続していることを目視してから、客宅ルーター、北陸データーセンターの国際網WANエッジルーターの、新規回線のコンフィグを、テスト用のVRFから、グローバルルーティングテーブルへ変更するスクリプトを流し込む。このスクリプトには、旧回線用のインターフェイスのコンフィグや、BGPなど、関連コンフィグを消し込み、旧回線に紐づいているコンフィグを新規回線へ紐付け直すものも入っているから、都の方は、これで切り替えは完了となってしまうのだが、プロバイダエッジルーターへの到達性をトラッキングに使っているので、プロバイダエッジルーターの切り替えが終わる前に、到達性だけ戻ってしまうと、ルーティングがおかしくなる恐れがあるので、このスクリプトの中で、一旦新規回線用のインターフェイスを閉塞する。そのため、スクリプトを流し込むと、新規回線の接続されたインターフェイスが管理者権限で閉塞されたことや、プロトコルが落ちたこと、そしてテスト用のVRFのBGPが落ちたことなどが続けざまにターミナルウィンドウへ出力されてくる。
スクリプトを流し込む前に、再度スタートさせていた、国際網の一拠点と、国内網の一拠点間の相互pingのターミナルウィンドウを確認する。両ターミナルウィンドウともエクスクラメーションマークの連続がターミナルウィンドウを占領していて、欠けは一つもない。回数を一万回にしてあるので、メルの作業が終わり、都がインターフェイスを開放したタイミングで、打ち切ってしまう可能性があるので、一旦止める。そしてここで、この北陸データーセンター、本社データーセンター、東京データーセンターで冗長化している、国内網、国際網などの経路を確認すべきルートについて、複数のホストから、それぞれ確認必要なルートの宛先に対しての、疎通確認と通過経路確認のマクロを回し始める。北陸データーセンターの国際網側WANが断になった時に、全てのルーティングが想定通りの通過経路になっていること、もちろん全て疎通できること、それらを確認するためだ。
たくさんのターミナルウィンドウを開いていて、この小さな作業用PCのディスプレイでは全部見えるわけではないが、不達は起きていないように見える。マクロが回りきり、ログを確認し始めると、電話会議に植松が戻ってきて、メルの作業が終わった、メルが客宅ルーターへ疎通が取れない、BGPが上がらないから、都がまだ作業中かと聞いている、と言う。都は、今このお客のネットワーク全体の冗長が効いているかどうか確認しているから、それが終わった後、インターフェイス上げるから、ちょっと待ってて、とメルに伝えてくれるよう電話会議に向かって言った。植松は、了解しましたー、と呑気な感じだが、きちんと線表に書いた作業は追っかけられていることを感じさせる調子で了を返してきた。
緊張しながら、というより文字通りどきどきしながら、通過経路確認のログを一つずつ見ていった。結果、全部設計通りになっている。迂回すべきルートは迂回し、そのままであるべきルートはそのままだ。都は思わず、左手で握りこぶしを作った。
「冗長は大丈夫でしたー。よかったー。」
都がそう電話会議に言うと、上野は笑っていた。都は、国際網の一拠点と、国内網の一拠点の相互pingを回数一万回で、それぞれから再度スタートさせた。
「じゃあ、一回閉めた新規回線のインターフェイス開けまーす。」
客宅ルーターのターミナルウィンドウでホストネームだけの行を数行作るためにリターンキーを数回叩きながら、都は電話会議にインターフェイスの開放を宣言した。
「お願いしまーす。」
「うぇーい。」
緊張感のあまりない植松の返事と、全く緊張感のない上野の返事が聞こえてきた時には、都は新規回線が接続されているインターフェイスのコンフィグモードに入り、開放するコマンドを打ち込んでいた。
「じゃあ、開けまーす。」
都はそう言ってから、リターンキーを叩いた。新規回線が接続されているインターフェイスが開放されたこと、プロトコルが上がったこと、そしてBGPが上がったことを知らせるログがどんどん出てくる。都はコンフィグモードから抜けて、変更したコンフィグをルーターのNVRMに保存した。国内網の一拠点と、国際網の一拠点で、お互いに向けて打ち続けているpingに欠けはない。都は、客宅ルーターの運用中のコンフィグを表示させ、テキストファイルにコピーし、既に用意してあった、想定コンフィグのテキストファイルと、ファイル比較ツールにかけて、違いを確認する。想定コンフィグの空行や、実際にコンフィグすると、微妙に表示の順序が変わるコンフィグなどを除いて、違いはなかった。運用中のコンフィグを取得する時、実際の到達性が復旧してから、少し遅れて戻るようになっている、トラッキングが上がったログも出ていたし、もうルーティングは元の正常な経路に戻っているはずだ。国内網の一拠点と、国際網の一拠点で、お互いに向けて打ち続けているpingを止めて、お互いに向けて通過経路確認のコマンドを叩く。すると、きちんと北陸データーセンターの新しい回線を通って、双方へ辿り着いていた。
「経路元に戻りましたー。」
都はため息交じりに言った。戻ってなかったらどうしようと少し心配していたからだ。
「いえーい。」
上野は軽い感じで喝采をくれた。
「じゃあ、ちょっと事後ログとったり、他の経路に影響ないか確認したりしますので、少々お待ちくださーい。」
電話会議に向かって都は言うと、植松と上野から、はーい、と良い返事が聞こえてきて、都はちょっと笑ってしまった。
ルート確認のための送信元となる各ルーターで、確認必要なルートへの疎通と通過経路を確認するマクロを次々と回してから、都は客宅ルーターでBGPの状態や、インターフェイスの状態を手打ちのコマンドで確認してから、必要な事後ログを一気にとるマクロを回した。結果、どのルートも影響を受けておらず、設計通りの経路で、確認対象としている通過経路は想定通りだった。
「事後ログ取り終わりましたー。経路も全部問題ないでーす。」
そう都は電話会議に向かって言ったが、反応がない。耳に当てていたスマートフォンを見てみると、ミュートを解除していなかった。都はデーターセンターにいるので、喋っていない時にマイクをオンにしたままだと、聞いている二人には騒音が流れてしまうので、喋るときだけマイクをオンにし、それ以外はミュートにしておくのだが、たまにミュートを外し忘れて喋ってしまう時がある。都はミュートを解除して、もう一度同じことを言うと、ちゃんと二人から反応が返ってきた。
「じゃあ、上野さん、国内網側の断試験続けてやってしまいますので、お客さんに許可もらってきてもらえますか?」
本来これは国際網側の回線切り替えの工事だから、後はお客試験をして終了、なのだが、先日の修正設計の実装が、国内網側の冗長でもきちんと効いていることを、この工事のついで確認させてもらえるよう上野がお客と調整しておいてくれた。国際網側のPM、植松にとっては完全に責任区分範囲外なので、お客試験前にこれを実施することは、彼と、プロバイダエッジルーター担当のメルの待機時間を長くしてしまうことになるのだが、これは昨年のうちに都が事情を説明して、待機が長くなることをお願いしておいた。お客試験の、完全にお客の問題から、長時間の待機をさせられることが多いので、事情がわかっている待機であれば、納得して引き受けてもらうことは出来ないことではない。都がNIにもSIにも跨る案件のSEをやっていることは、都を知っている同僚であれば、皆知っていた。
電話会議に、ちょっと待っててねー、と気軽な調子の返事を残して、お客のところへ行った上野はすぐに帰って来て、国際網側のWAN回線を切り替えた時同様、やっちゃってー、と軽い調子で言っていた。都も、じゃ、やっちゃいまーす、と軽薄な感じで返した。都は植松に、しばらく待機でお願い、と声をかけた。植松は了を返してくれた。
北陸データーセンターの国内網側WANエッジルーターのWANインターフェイスを閉塞することで、北陸データーセンターの国内網側回線の断を擬似的に発生させる。ルートの切り替わりの確認には、国際網回線の切り替えと同様、国際網の一拠点と、国内網の一拠点との相互の疎通と通過経路確認を使う。北陸データーセンター自体は、国内網への回線は一つしかないが、これが断となった場合、北陸データーセンターと本社データーセンターのみを接続している、別キャリアのL2網を通して、国内網と通信が成立するような冗長設計がなされている。それは北陸データーセンターを通して接続している国際網拠点も同じだ。
この、都が上野から、北陸データーセンターへの移行プロジェクトの実際の工事日の三日前に知らされた、北陸データーセンターと本社データーセンターだけを結ぶ、別キャリアのL2網を、この二拠点間通信だけのバックアップとしてではなく、全体ネットワークとしてのバックアップとして使用したいと言うお客の要望は、工事日のたった一週間前に、上野の、テストどうやってやる?という気軽な問い合わせで、設計からコンフィグ作成、テスト方法考案、テストマクロ作成までやらなくてはならないことを知ったばかりの都には難問でしかなかった。まして、工事の後で知ることになった、OSPFの異プロセス間のルート比較はAD値でしか行われない、同一の場合は早い者勝ちになる、という大原則を知らずに設計していたのだから、当然のことながら工事は失敗し、あの20時間に渡るデーターセンターでのトラブルシューティングも、根本的解決に至らず、その後一ヶ月半の検証を経て、今の設計にたどりついたというところまで都を導くことになった、いわくつきのバックアップルートだ。これが上手く切り替わり、切り戻れば、本当に都の設計は問題がないと証明できる。
電話会議では、上野の軽い調子に合わせて、都も軽薄な調子で答えてはいるが、内心、口も聞きたくないくらい緊張していたし、手も震えていた。これでだめだったら、一体どうすれば良いんだ。またあの朝から次の夜明け近くまで毎日、検証を繰り返さないといけないのか。いや、あれだけやったんだ。だめだったとしても、今度は問題点をそれほど時間がかからずに炙り出せるはずだ。都の頭の中で、否定的な思考と肯定的な思考が、全二重通信のようにお互いを邪魔せず駆け巡っている。
国際網の一拠点と、国内網の一拠点からの、通過経路確認を一度事前にとり、今は通常の経路になっていることを確認すると、北陸データーセンターの国内網側WANエッジルーターへログインし、ログの取得を開始する。都は一旦二回ほど深呼吸をしてから、インターフェイスの説明文一覧を表示するコマンドを叩き、国内網側WANインターフェイスを確認する。現在時刻を表示させてから、コンフィグモード、WANインターフェイスのコンフィグモードへ入って行き、閉塞するコマンドを書いてから、電話会議に向かって、閉塞する旨宣言し、またここで一旦深呼吸してから、リターンキーを叩いた。
結局、検証でやった通り、検証で何度も見た通りに、上手くルートは迂回し、国内網と国際網の間の通信は、一旦本社データーセンターへ吸い込まれ、北陸データーセンターと本社データーセンターの専用L2網を通り、北陸データーセンターへ入って、国際網へ出る、戻りは逆をきちんと辿る。もちろん、本社データーセンターと北陸データーセンター間の通信は、そもそもこの経路がメインなので、この通信については影響を受けない。国内網から北陸データーセンターへの通信も本社経由になる。都は、確認すべき通過経路確認が全て想定通りになっていることを確認すると、声が出てしまうくらい大きくため息をついた。問題は、この擬似障害を戻した時だ。一年半前の夏、これを戻した時に、ループや想定外の経路になってしまったりと、大変なことになったのだ。電話会議に、断後の通信経路は全部OKだった旨伝えて、植松と上野の返事をもらってから、戻す旨宣言した。
そして復旧後、全ての通過経路確認のログを見終わり、全て設計通りの通常経路に戻っていることが確認できた時、都は思わず、やったぁ!と声を上げながら、左拳を握りしめて腕を胸前で振り抜いた。
「うまくいったー?」
都は電話会議をミュートするのを忘れていたらしく、都の歓声が電話会議に入ってしまったらしい。
「あ、ミュートにするの忘れてた!」
都は思わずそう言ってしまうと、上野と植松は笑っていた。
「じゃあ、お客にアプリテストやってー、って言ってくんねー。」
上野は、都から正確な結果報告を聞くことなく、そう言ってお客のところへ行ってしまったらしかった。都が自然にあんな大騒ぎするのだから聞くまでもない、ということだろう。都は恥ずかしいやら可笑しいやらで、誰も都の顔を見る位置にいないのにも関わらずどういう顔をしていいのかよくわからなかった。ファンの音の騒音で、奥のラックにいるこのデーターセンターへ常駐しているお客には、都の大騒ぎが聞こえるわけもなかった。
お客試験は30分くらいかけていたが、何も問題はなく、そのまま今日の工事は終了となった。都は、旧回線の終端装置と、客宅ルーターを接続しているLANケーブルを、最後に抜去した。すでにルーター側のインターフェイスは閉塞しているので、終端装置側もルーターも、LEDに変化はない。これを抜いておかないと、旧回線と終端装置を撤去に来た業者が、終端装置を撤去してくれない。終端装置のLANポートにケーブルを接続したり、抜去したりするのは、ユーザー側の責任区分範囲だからだ。稀に、廃止オーダーが出ていて、オーダー通り撤去業者が撤去に来たが、実はまだ使っていて、終端装置に接続されているLANケーブルを抜去してから光回線を切断したら、他の拠点、特に国際網と繋がっているお客などは、海外のお客が実はまだこの回線を日本本社や日本支社へのアクセスに使っていて、大騒ぎになったり、ちょっと炎上したりする、ということが本当にある。だから、回線撤去業者が頑なになるのもわからないでもない。一度、光ケーブルを切ってしまうと、再度スプライシングやら、光試験やらをやらないと開通できないし、それをやると、そもそもスケジュール通りきちんと動かなければいけないくらい、一日で何軒も敷設、撤去と回らないといけないのだから、回線作業員にはそんな想定外の問題など起こってもらっては困るのだ。
上野が総合PMを務めるこのお客であれば、お客に抜いておいて、と言っても抜いておいてくれるだろうが、万が一のこともあるので、客宅ルーターを設置する担当の人間、つまり都がやったほうが安全だし、責任区分範囲として正しい。
同じ部屋の、奥のラックの前に、机と椅子を出して作業をしていたお客の方へ行き、都が声をかけると、え、もう終わったの、とびっくりしていた。3時間以上やっていたので、そんな短かったわけでもない。この人は自分の仕事にそれだけ集中してたのだろう。確実に都が触っていたネットワークを使って何かしていたはずだから、それだけ彼の集中を削がなかったのは、自分の設計がきちんとしているからかな、とちょっと軽はずみなことを思ってしまいそうになった。
退館手続きをして、受付棟を出ると、真っ白な銀世界にデーターセンターという、最初は風変わりだと思ったが、もう慣れてしまった光景を見ながら、一人雪の積もる歩道に佇んで、呼んだタクシーを待った。
コートのポケットから私用のスマートフォンを出して、電話会議のためにスピーカーにしていたディスプレイに、何度か通知が来ていたのは見えていた、チャットアプリを開いた。もちろん、岸谷からだった。岸谷の工事は1時間半くらいで簡単に終わったらしく、これから、東京駅へダッシュします、と変な造形の人間がダッシュするスタンプと一緒に送られていたり、切符を買いましたとか、到着時間は何時くらいですと知らせたり、新幹線に乗ってまったりしている様子など、都が笑ってしまうような変なスタンプを織り交ぜながらメッセージが続いていて、周りに誰もいないことをいいことに、都は声を出して笑ってしまった。都がタイムリーに読めないのをわかっていても、こうやってたくさんメッセージをくれるのは嬉しかったし、楽しかった。
都は、こっちも今終わった、タクシー待っているところ、と書き送ると、すぐ既読になって、返事が来た。都の工事が終わったことをねぎらったり、喜んだりするスタンプを連続で送ってきた後、メッセージが一つきた。
みやちゃんのがんばりは証明できたでしょ?
そのあとに何故か自慢げなペンギンのスタンプが送られてきた。都は今日の工事のことを、昨年のクリスマスを一緒に過ごした時に話して、ここまで至った経緯を話した上で、上手く行かなかったどうしようと、とても心配していて、不安だという弱音を彼女に吐きまくった。岸谷は、いつもの通る声に、都にしかわからないような親密さを乗せて、爽快なくらい自信ありげに、みやちゃんがそれだけがんばったなら、絶対大丈夫です、間違いないです!と、根拠があるんだかないんだか全くわからないような気軽さと無責任さとで都を笑わせようともしてくれて、元気づけられたのを覚えている。それを岸谷も覚えていてくれたのだろう。
誰だって、人の弱音なんか聞きたくない。あんたも大変だろうが、あたしだって大変だ、と言いたくなるだろうに。苦労自慢や、不幸自慢みたいなものだ。自分の方がもっと大変だ。そんなところを自慢したところで、一体自身の何が安心するのだろうか。きっと世界を逆さまに見て、一番苦労していることが、一番不幸であることが、山の頂上にいるような気分になるからだろう。誰よりも自分自身が偉大なのだと、尊大な思いが見え隠れするから、嫌になるのだ。そして、そういう傲慢さが自分にもあるから、そういう人の弱音や苦労自慢を聞くのが、すごく嫌なのだろう。だから都もあまりしたくないし、しないように気をつけているのだが、岸谷には、時々正直に弱音を吐いてしまったり、こんなに大変だったと、苦労を聞いて欲しさありありで正直に話してしまう。そんな時、岸谷はいつも都の目を真っ直ぐ見つめて話を聞いてくれて、何かきちんと返してくれる。それは嬉しいのと同時に、自分より一回り前後も年下の、大学を卒業してまだ一年も経っていない女の子が、はるかに自分より人間が出て来ていることを目の当たりにして、自分への嫌悪感が増す時でもある。
兄と一緒に暮らしていた頃は、兄にはもっと真正直に弱音を吐いたり、愚痴を言ったり、気に入らないことを口悪く言ったりしていた。兄は本に目をやったままだったり、テレビを見たままだったりでも、相槌を打ってくれたり、ここで意見が欲しいと思ったところで、何か言ってくれたりしたものだった。時には意見が真逆にぶつかって、言い合いになったこともあったけれど、それは血の繋がった家族だから遠慮なく出来たのだろう。岸谷の聞いてますよ、という態度と比べてしまうと、兄のそれはまるで人の話を聞いていないようにも見えるものだが、結構きちんと聞いてくれていたし、ふとした時に、以前吐いた弱音に対して励ましてくれたり、フォローをしてくれたりもした。今考えると、いくら兄妹だからといって、ちょっと甘え過ぎたなあ、反省するべきかな、と思うところがないでもない。そう考えると、やっぱり兄嫁に兄を奪われてしまったのは、当然の帰結なのだと、また鬱屈した思いが、せっかくの上手く行った工事後の爽快感に水を差してしまう。
母によれば、父も一方的に喋る母の話を、聞いてるのか聞いていないのかわからないような相槌を打つだけなのだが、やっぱり、ここ、というところで、お前はそう言うけどなあ、と返してくれたりしたものだったというから、父息子って変なところ似るんだな、と可笑しくなって、淀んだ心を攪拌し、透明度を取り戻そうとしてみた。