20-5

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都の設計が完了してから2週間後に、設定変更の実施が予定されていた。本社に新しいアプリケーションを導入し、北米、ヨーロッパのいくつか拠点で業務用のアプリケーションを切り替え、アクセスや動作確認を実施するというものだ。都たちにとっては、プレフィックス追加の工事でしかないが、この設定変更の機会を使って、都の修正設計のコンフィグ変更も実施することで、上野がお客と合意を取っていた。
実際に設計を全てのルーターに反映させるのに、1台ずつ実施するのでは、ルーティングがおかしくなる時間帯が出てしまう恐れがある。それを最小限に抑えるため、ルーティングに影響がないよう、設定変更をステップ分けし、9台のルーターをステップ毎に少しずつ変更して行く手順をとることになった。ステップは7つ。机上でシミュレートしてみても、大体全部で1時間半くらいかかってしまう。ルーティングが正しく設計通りになっているかを確認する、疎通確認と通過経路確認のマクロを回すのと、結果を確認するのに30分は欲しいから、都たちの作業枠としては2時間どうしても必要だ。本来のプレフィックス追加だけであれば、対象は本社の2台のルーターだけで、15分程度で終わってしまう作業だ。それでも、本来は短時間の工事が長時間になるとしても、お客が上野の提案に同意してくれたのは、お客も、故障時に不安定なるような状態は早めに解消したいということだろう。そう考えると、修正設計を固めるのに一ヶ月半もかかってしまったのは、本来であれば会社の偉い人が頭を下げに行かなくてはいけない事態なのかもしれない。しかし、統合PMの上野への、お客の信頼は厚く、そういう事態にはならずに済んでいる。
事前に作ったコンフィグはきちんと時間を取って上野とレビューをした。通信経路が異なるプレフィックス毎に、疎通確認と通過経路確認を取得するマクロを、設定変更の事前と事後で回して、結果に差異がなければ、工事は上手く行ったという判断になる。ステップ毎に各ルーターの想定コンフィグは作成してあるので、都がステップ毎に9台のルーターをどんどんコンフィグをして行き、都がコンフィグを終わったルーターから、上野が隣で差分確認をして行く。そんな手順でやっていくことになった。よく考えると、前回の工事の時は、コンフィグのレビューはやっていないに等しかった。上野も忙しかったし、都もコンフィグができたのは工事前日の夕方だった。これで行きます、とメールの添付ファイルで上野に送って、確認してもらうだけだったし、上野もきちんと確認する時間もなかっただろう。
お客通信へ影響がないように、スッテプを分けて少しずつ設定変更を実施していくが、設定変更をきちんと反映させるため、何度かOSPFのプロセスを再起動するから、どうしても少し影響があるかもしれない、それは了承しておいて欲しい、ということを上野は事前にお客とネゴしておいてくれた。
工事は平日午後の14時半からで、18時でお客試験も含め完了予定になっていた。ただの設定変更なので、公には線表はなく、上野からお客へのメールで時間割が簡単に書かれているだけだ。前日、都は緊張していたから眠れるかな、と心配だったが、きちんと眠れて、朝も起きるのがめんどくさいと、いつも通りだった。午前中はあまり他の仕事が手につかなかった。工事までにもう何度も見直したコンフィグを、これ以上見ると見慣れすぎて、却って大事なところを見落としてしまいそうだから、ここ2、3日は敢えて見ないようにしていた。
工事開始の15分ほど前に、上野はノートPCを持って、都の席の隣に来て、都の島に設えてある固定電話を、都と上野の前、ちょうど島の中央を通っているケーブルを格納する溝を塞いでいる蓋の上あたりに引っ張っていた。
今回はオフィスから工事をするので、都は直接作業用PCなどをお客のLANへ接続することができない。また、この上野たちの部署のビルには、都が本来所属している部署のオフィスのように、網内の保守ルーターへ接続できる専用端末もない。しかし、都がこちらへ常駐することになった、上野と同じ部署の社員がPMを務める、特殊体制をとるプロジェクトでは、PMもこのビルにいながら、客宅ルーターなどにアクセスできる必要があるため、通常端末が繋がる社内LANから特別なバックドアを使って、国際網の保守ルーターへアクセスが出来る。この部署ではそのバックドアのために数人分の社員の認証アカウントを保有しており、都は異動になった社員のアカウントを借りて使っていて、このビルにいても、グローバルMPLSの客宅ルーターの工事が出来たし、LAN配下のSI機器にも到達性とクレデンシャルさえあれば、アクセスが可能だから、このビルのオフィスにいながら遠隔で設定変更やトラブルシューティングも出来る。
上野のプロジェクトも、国際網の保守ルーターから、国内拠点を含め、全てのルーター、コアスイッチなどにはアクセスできるよう疎通は通してある。そのため同じやり方で、遠隔から工事は可能だった。前回の工事も、都はこのオフィスから遠隔でも良かったのだが、大きい構成変更だった故、念の為東京データーセンターで予期せぬ物理作業が必要になった時に対応できるよう、上野の依頼で東京データーセンターへ入っていた。
「さーて、じゃあ、準備はいい?」
「おっけーです。」
工事開始時間になると、上野はそう声を掛けてきたので、都は了を返した。緊張は強くなってくる。
都は各ルーターのコンフィグを、シート毎に分けたスプレッドシートを開き、ターミナルウィンドウも、設定変更必要なルーター、全9台分開いてログインし、ログの取得も始めてある。ルーターの遠隔ログインのタイムアウトは、全ルーターで一時的に無制限にしてもあるので、変更のステップ1で9台終わるのに時間がかかっても、ステップ2で1台目へ戻った時に、ターミナルウィンドウからのログインがタイムアウトしてしまわないようにしてある。そのため、隠しステップとして、ステップ8があり、全工程が終わった後に、9台のルーターの遠隔ログインのタイムアウト時間を元に戻す、という内容になっている。
スプレッドシートには、ステップ毎に列を作り、ステップ毎に変更していく部分のセルを色づけし、変更コンフィグは赤文字にしておく。当該ステップで削除するコンフィグ部分のセルは空セルでグレーアウトしておき、想定コンフィグ列の次の列から続く、ステップ毎に投入するスクリプト列に、当該コンフィグを削除するコマンドをグレーにしたセルと同じ行へ入れておく。ステップ毎のスクリプト列を単純に流し込めば良いように、スクリプト列で少し順序は入れ替えたり、階層構造のコンフィグモードへ入ったり出たりするコマンドを追記したりしてある。
このようにコンフィグのスプレッドシートを作成すると、列が多すぎて、一覧性が悪いのだが、とにかく極力通信に影響を与えないように変更して行くには、1台ずつ一気にやっていくのではなく、全台まんべんなく、少しずつ変更して行くしかないし、どのステップでどういうようになるのか、またステップ毎でどうコンフィグが変わるのか、比較したい時には、結局同じシート上にある方が便利だ。
上野は固定電話をスピーカーモードにして、電話会議の番号をかけ、会議IDやパスワードを投入していった。北アメリカやヨーロッパの拠点のお客が入ってくるということで、上野は英語で挨拶していた。上野は現地法人に何年も出向していたことがあるので、英語は全く問題なかった。上野が英語で挨拶をすると、何人かから、Hello、Maki-san、と日本企業の海外現地法人の人がよくやる、日本風の「さん」付けで挨拶を返してくる。ほぼ全員上野とは初対面ではないような挨拶の仕方だ。いろんな人が一度に、元気か、とか、どうしている、とか聞くので、全員で一度に言うから、みんなの音声が輻輳していて聞き取れない、と上野が英語で返すと、笑いが起きていた。このお客案件は、海外のお客と日本のお客との電話会議に、上野が参加することも多いと聞いているから、このお客の海外支店のIT担当者とも既知の間柄、ということだろう。
電話会議の向こうに、一人だけ日本語訛りの人がいるので、それが日本のお客のようだ。上野は、当然と言えばそうだが、日本のお客の姓名にさん付けで呼んでいる。海外のお客たちも、日本のお客を呼ぶ時は、姓名にさん付けで呼んでいる。日系企業の海外現地法人の、現地採用の外国籍の社員が、日本人をどう呼ぶか、姓名で呼ぶか名前で呼ぶかは、社風にもよるようだが、どちらの方が親しみやすく感じるか、などで決めているようだ。その国の言語でどちらの方が発音しやすいか、というのもあるだろう。日本のお客が、海外のお客が全員揃っているか確認している。一人だけまだ電話会議に入ってきていない、というので、少し待ってくれと、英語で上野に話して、上野は了を英語で返していた。
都はいよいよ実施するとなると、すごく緊張してきて、手が震えてくる。都は工事のたびに緊張するので、ちょっとくらい手が震えていても何とかなるのだが、呼吸も荒くなってきそうで、一旦静かに深呼吸した。
遅れてきた一人は、都でもわかるくらいに、ヨーロッパの国のネイティブな発音の英語で、遅れてきたことを詫びながら入ってきた。日本のお客や、他のお客などと挨拶をした後、最後に上野が声をかけた。そうすると、Oh、Maki-san、と声のトーンを一つ上げて、元気か、などと聞いてくる。上野はお客の中でも、どこか人気者というか、誰にでも好かれ信頼されているような、そんな空気があった。これは頼もしかったし、逆に、そんな上野にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかない、というプレッシャーも勝手に感じるようになってきた。そんな上野がグローバル規模で統合PMをやっていて、このお客に対峙しているからこそ、都は特に急かされることも過度なプレッシャーをかけられることもなく、検証と設計に集中させてもらえたのだ。
日本のお客が、全員揃ったのでそろそろ始めたい、とまず言って、海外のお客には、それぞれ新しいシステムを使うための、お客機器や端末などの設定変更を始めるように言い、上野には、各ルーターの設定変更を始めてくれと、言った。各人了解を返して、工事がスタートとなった。
「じゃー、始めちゃってー。」
「あははは。りょーかいでーす。」
上野はスピーカーになっている固定電話のマイクをミュートにしてから、相当に軽薄な感じで言った。都は緊張していることもあり、それが余計に可笑しく、声を出して笑ってしまってから、了を返した。
各ルーター、ステップ1から設定を変更していく。都は、ステップ1の、どこのルーターを始める、と口頭で言ってから、作業を始め、完了すると、そのルーターが終わったことを口頭で言う。それから次のルーターへ移り、同様に口頭でどのステップのどのルーターの変更を始めると、口頭で言う。上野は都の報告に逐一了を返してくれる。各ステップで1台のルーターの設定変更が終わる度、上野も自分の端末から各ルーターへログインしているので、運用中のコンフィグを取得し、ステップ毎の想定コンフィグと差分を確認して、差分がなければ、OKである旨を都に報告、差分があれば、都に一旦作業を止めさせ、二人で何で差分が出たか確認して、コンフィグを変えると出てしまう仕様による差分か、都が何かミスったかを確認する。
ステップ1の9台が終わると、ステップ2に移る旨言って、上野の了解をもらってから、都はステップ2の1台目のルーターの設定変更に取り掛かる。順調にステップ3まで進み、3台目を変更している途中で、電話会議の向こうから、こっちは終わった、と言う声が聞こえてくるようになった。日本のお客には事前に、都たちの設定変更に2時間ほどかかるということを了承してもらっているし、日本のお客からは、キャリアの設定変更に2時間ほどかかるということは、各国のお客たちに伝播してもらっているはずだ。
ステップ3の設定変更が終わり、ステップ4の設定変更に入ると、電話会議の向こうから、キャリアの工事はまだ終わらないのか、とか、もうアプリケーションテストに入っていいか、などと複数の声が上がるようになった。日本のお客は、先に知らせてある通り、少し時間がかかる、待機するようにとしゃべってくれているが、それでももう疎通は取れるし、始めても良いだろう、という声も上がっているし、それに賛同する声もある。それはそうだろう。ヨーロッパは早朝、北アメリカは深夜だ。早く終わらせたいのは当然だ。
日本のお客が電話会議で、他の国のお客に、まだ待ってくれと言っているにも関わらず、いや、やってしまおう、とか、そんなに時間かからないはずだとか、反論がさらに上がっている。都は、緊張していることもあり、また、そもそも自分の設計、コンフィグミスで長時間にわたる設定変更が必要になっているので、責められているように感じ、焦りと緊張とで工事に集中できなくなってくる。できれば、電話会議のボリュームを下げるか、受話器を取って上野だけが聞いていてもらうかして欲しかった。
早くやってしまおうという議論が盛んになってきたので、さすがに都は耐えられなくなり、上野にスピーカーのボリュームを下げてくれるよう頼もうと思ったところで、上野がマイクに向かって、少し強めに言った。
「こっちは作業中だから、静かにしてくれ、集中できない。」
今となっては、正確に上野が何と英語で言ったかを思い出すことはできないが、それこそ、黙れうるさい、こっちは作業中だ、くらいの勢いだったことを都は覚えていて、その後、電話会議の向こうがシーン、と音が聞こえるくらい、正確には静かなホワイトノイズだけが聞こえるだけに鎮まった。少し間があってから、日本のお客が、北陸データーセンターを追加したことで、設計が複雑になってしまい、変更ポイントが多い。予定した時間は待ってくれ、と追加で説明してくれていた。電話会議の向こうからは、了解した旨、返事がぽろぽろと上がっていた。都は一回深呼吸をしてから、ステップ4の設定変更から再開した。
無事全ステップの設定変更を完了した。だいたい1時間15分で終わった。予定より少し早い。都は上野と事前に分担してあった、疎通確認と通過経路確認のマクロを回し始め、回ったものから、ログで到達性に問題がないこととと、通過経路を確認し、ルーティングが意図通りになっているか確認していった。途中、上野に、これってこれであってるんだっっけ、と聞かれ、どこかおかしいところが出たのかとびっくりしたりしたが、単に上野が確認したくて聞いただけだった。
結果、疎通も、通過経路も、全てOKだった。
「ふわーーーー。」
都は、電話会議のマイクがミュートになっているのをいいことに、声を出しながら大きなため息を漏らし、ずるずると椅子をずり落ちていった。上野はそんな都をみて笑って、お疲れさま、と声を掛けてから、固定電話のミュートを解除し、待たせて申し訳なかった、こっちの設定変更は全部完了、疎通もルーティングも問題ない、アプリケーションテストに入ってください、と英語で伝えていた。いろんな人から、了解した旨返ってきた。
お客のアプリケーションテスはかなりあっさり終わってしまい、参加者の全員のOKが返ってくるまでに15分もかからなかった。最後は日本お客が締めて、この工事に終わりになった。各国のお客たちは、日本のお客と上野に別れの挨拶を言って、電話会議がから抜けていくが、そのうちの一人が、今度またこっちへ来たら何処かへ行こうか何かをしようかと上野に言って、上野が何かそれに冗談を返したら、電話会議に残っていた人たちで笑いが起きていた。都は英語の日常会話がほとんど言ってくらい聞き取れないので、何が可笑しくてどうしてみんなが笑っているのかよく理解できなかったけれど、何か楽しげな空気だけで笑ってしまった。
「はい、お疲れー。」
上野が電話をオンフックすると、そう都に言った。
「おつかれさまでしたぁーーーー。」
都は少し大仰にそう返して、倒れるように前かがみになり、額を机についてしまった。冗長試験をやっていないから、本当にこれで検証通り、どこの冗長ポイントの断にも復旧にも耐えうる、という実証はないのだが、設定変更のステップが全て終わった後、余計なプロセスの再起動はしていない。これで堅牢なルーティングになったはずだ、という自信めいたものがあると同時に、どこかやっぱりおかしいんじゃないかという不安が拭えないでもいた。しかしこの一ヶ月半、寝っ転がってぼんやりしているのが好きな都が、毎日3時半まで起きて、一生懸命検証して作り上げた設計を、こうして問題なく実装出来たのだ。ひとまず安堵しても良いだろう。ここから何か問題が起こっても、おそらくは作った資料や検証過程での経験から、それほど原因を探るのには時間は要らないはずだ。
上野が自席へ戻ってからずっと、都は検証しながら作った資料を細かく手直しをしていた。都の私用のスマートフォンが、SMSの通知で振動したことで、スマートフォンの画面を見て、20時になっていることを知った。上野から、上野のマネージャーと一緒にちょっと飲みに行かないか、というお誘いだった。上野のマネージャーは、都が上野からふらっと工事を振られてから、苦労しているのを知ってはいたが、都の稼働を見る権限を持っているのは、別ビルの別部署の末谷なので、何も言うことはできないけれど、あまり無理しないように、と時々声をかけてもらっていた。今日の設定変更が、どういう意味合いを持つのかは十二分にわかっていたはずだから、都の労を労って、ということらしい。都は、お酒もほとんど飲めないし、飲み会のあの騒がしい雰囲気や、多くの人が楽しそうに集まる雰囲気が苦手なので、ほぼ断っているのだが、三人でということでもあるし、誘いを受けた。
このビルの1階と2階には、広間は食堂、夜は飲み屋になっている店が数軒入っている。その中のヨーロッパ料理を出す店に行った。週中の平日ということもあり、それほど混んでもおらず、テーブル席の一つに通され、片側に都が座り、上野の課長と上野が向かい側に座った。ビールコップ半分でも二日酔いになる都だが、この店は豊富なビールの種類があり、都はお酒に詳しくもないので良く分からなかったけれど、店員から甘いビールだと紹介されたものにちょっと心を惹かれて、それを頼んだ。確かに甘い味がして美味しく、都はそれを二杯も飲んでしまった。話のほとんどは今日の工事の話ではなく、上野と上野の上長との、社員同士の、他の社員の話や、部としての方向性の話、組織としてどうなの、とかいう話に終始していて、派遣社員の都は、ただ相槌を打ったり、黙って話を聞いたり、笑うところで笑ったりするだけだったが、都はそれでもリラックスして過ごすことができた。こういう会話が出来るのが正社員として生きている人たちで、こういう会話の意味することすらよく理解できない都は、やはりどこかで、道を外れてしまったのだろうと、いつもなら思うところだが、今日はあまり何も考えず受け流せていた。
たったビール二杯でも都にとっては飲みすぎだ。それが祟って、当然のことながら翌日はばっちり二日酔いで、午前中会社を休んだ。午後から出社して、もしかしたら昨日の工事で何か問題が起きているかもと、昼の時間を使って移動しているビジネスパーソンでそれなりに混んでいる電車の中で気を揉んだ。自分の席について、時間のかかる通常端末の起動が終わり、すぐにメールチェックをして関連メールを探したが、何もなかった。上野から個人的に連絡もなかった。
あの設定変更から一年以上経つ。あれから、特にこの設計そのものに関する問題や、冗長に関わる部分での回線故障など起きておらず、ルーティング上は何の問題も起きず運用されている。何度かプレフィックス追加の設定変更工事などに駆り出されたが、問題もなく全て無事終わっていた。この北陸データーセンターの仮回線を、本番回線へ切り替える時が、初めてこの設計の冗長設計が正しかったのかどうかを実際に確認出来るわけだ。そう考えると緊張もするし、逆に、自分のやったことの正しさを証明してやる、というような、どこか挑戦的な気持ちも湧いてくる。
「みやちゃん、このホテルとかよくないですかー。」
あの11月の、急遽宿泊になった現場作業員業務以来、別に「付き合っている」というわけではないのだが、ただのものすごく親しい先輩後輩という間柄、よりは進んでしまった関係ではあったが、岸谷は時折都の部屋へ泊まりに来ていた。週末ではない日もやってきたりするので、翌日は一緒に出勤したりもする。都が他人を自分の部屋へ自然と入れる気になったのは、一人暮らしを始めて10年以上経って初めてのことで、とても不思議な感じがした。初めて岸谷が都の部屋に来た時、敷きっぱなしの敷布団の上に何匹も乗ったり寝たりしているペンギンのぬいぐるみたちを見て、可愛い、可愛いを連発して、布団に上がってもいいですかあ、と断ってから一つ一つ愛でていて、何だか恥ずかしかったのを覚えている。
岸谷は、会社では都のことを間宮さんと相変わらず呼んでいたが、都の部屋に泊まりに来るようになってから、二人きりになると、みやちゃん、と呼ぶようになった。そう呼びたいからいいですか、とわざわざ聞いてきた。都は呼び捨てでも良いよ、と言おうと思ったが、さすがに一回り前後も上の人間を呼び捨てで呼ぶのは嫌かも、と思って、承知だけ返した。
「どれー。」
都は台所仕事を中断して、敷布団の上で、背中を壁に預けて伸ばした脚をテーブルがわりに、都から借りたノートPCを開いている岸谷の隣にしゃがんで、岸谷の肩口に頭をくっつけて、岸谷が見ていた都のノートPCの画面を覗き込んだ。
上野は、都が金曜前泊できるような時間帯に工事を設定してくれたので、翌日も泊まって、日曜は北陸観光をしようと思い、岸谷を誘ってみた。岸谷に週末工事がなければ、と思っていたが、ちょうど岸谷も、土曜日に別プロジェクトの工事だと言う。しかしお昼には終わるというので、終わり次第、北陸へ向かうとはしゃいでいた。土曜都と一緒に泊まる温泉付き旅館を岸谷は探していたが、さすが土日なのと、冬は雪景色の美しさで有名な観光地があるので、良さげな旅館は全部埋まっていた。都はビジネスホテルで良いよ、この日は安く済ませて、年が明けて春先になったら、ちょっと良い温泉旅館に二人で行こうよ、と言うと、そうします!、と元気に返事をして、ビジネスホテルを探し始めていて、良さそうなものを見つけたようだ。
「なんだー、ここあたし金曜日泊まってるよー。」
それは11月のCJ案件の本社LAN切り替えの時に、中部地方で利用したビジネスホテルと同じチェーンのホテルだった。都は、以前も北陸のここを利用したことあって、近くにある店などから使い勝手の良い印象があったので予約したのだが、土曜の空き部屋まだあったのか、とも思った。結構駅から近いから埋まっていてもおかしくなかった。
二人で別々に、しかも別の日に取るのに、同じホテルを選んでいることに大笑いしてしまった。じゃあ、取っちゃいますね、今度はほんとにツインですよと、前回はまだこんな関係になる前だったし、仕事で突然泊まることになったのだから、シングルを2部屋取ったことに引っ掛けながら、言って、岸谷は予約を進め始めた。岸谷の楽しそうな横顔を見ていると、急に都は岸谷が可愛らしく見えて、思わずその頬に口付けてしまった。あれほどボディタッチが多い女子が苦手だったのに、今は自分から岸谷にべたべたすることもあって、勝手なものだと、都は自分で呆れてしまう。岸谷はお返し、という意味だろう、都の方へ首を向けて、都と唇を重ねると、またすぐウェブの予約画面の入力に戻った。
この本番回線への切り替え自身が、北陸データーセンターの国際網側WANエッジルーターの、WANの断、復旧試験を兼ねる。順調であれば2時間程度で終わる作業だが、お客はメンテナンスウィンドウをもう1時間余計に取って、北陸データーセンターの、国内共有L2網のWANの断試験だけを追加させてくれるという。これも上手く行けば、あの一日10時間の検証を一ヶ月半続けて完成させた設計の妥当性を証明できる。都は、とてもやる気になってもいたが、万が一検証と違う結果が出たらどうしようという不安もあった。この工事が無事終わらなければ、翌日の岸谷との北陸観光も楽しめないだろうし、そのまま岸谷を一人にして、都はまた北陸データセンターへ行かないといけないかもしれない。こういう恐れについては、都は事前に岸谷には言っていた。
「大丈夫ですよー。だってー、みやちゃんですよー。」
岸谷の方がなぜか自信ありげなので、都は大笑いしてしまった。岸谷の工事だって、無事終わる保証はないのだが、岸谷はどこまでも前向きで、彼女のこういうところは見習った方が良いんだろう。都はそう素直に思わざるを得なかった。