07-16

2022-01-20

07-16

 「とにかく、このスタティックルートをインターフェイス付きのスタティックルートに変えてくれって、オフショアセンターのエンジニアに頼もうよ。」
 「そうですね、そうします。」
 谷山はそう言うと、自分の通常端末に前屈みになり、カードリーダーに自分のカードキーを当てて、通常端末のスクリーンロックを解除していた。
 「あたし隣の席の椅子座るから、谷山くん自分の椅子座んなよ。」
 前屈みのままメールを打ち始めようとした谷山を、都は椅子から立ち上がりながら止めて、椅子を谷山に返した。カーペットの感触が素足に伝わって、裸足になっているんだと都は思い出した。土足で歩くオフィスの床に裸足で立って汚いな、と言う感覚の方が今は強かった。
 「あ、すみません。」
 谷山はそう軽く礼を言ってから自分の椅子に座り、メールを打ち始めた。そのメールスレッドの過去メールで、海外オフショアセンターの担当者が添付してきた運用中のコンフィグの出力ファイルを開き、対象のスタティックルートをまずメール本文にコピー・アンド・ペーストし、次にLANインターフェイスの名前をコピーして、それをスタティックルートのサブネットマスクとネクストホップとの間に、左右どちらにも半角スペースを空けて貼り付けた。
 「えっと、再帰ルーティング、でしたっけ。」
 聞いたばかりのことを忘れてしまったことに自虐的な笑いを浮かべながら、谷山は都に聞いた。
 「うん。再帰ルーティング。リカーシブ・ルーティング、ね。」
 谷山は英語の方が意味がわかったらしく、ああ、はい、はい、と意を得たような返事をしていた。日本語の「再帰」は確かに意味がわかりにくい。もう退職してしまった元同僚が、再帰的、という日本語が一番嫌いです、何言ってるかわかんないんで、と言ってたのを都は可笑しく思い出した。谷山は本文に挨拶や簡単な依頼文を書き足してからメールを送信すると、すぐにPHSを手に取り、海外オフショアセンターの担当者に電話をかけた。
 電話の相手はすぐ出た。谷山は、スタティックルートに出口のインターフェイスが書かれていないことで再帰ルーティングになり、BGP広告が止まらないことを喋っている。岸谷のようなネイティブな感じはないが、日本語の電話での会話のようにスムーズに話が進んでいる。都は英語の聞き喋りは苦手で、たまに海外オフショアセンターの人間や、この会社の海外現地法人の人間と話さなければいけないことがあるが、スラスラと言葉も出てこないし、一文言い切るのに、途中で何回も言い直したりしないといけない。会話は電話のようなスムースさはなく、無線のように片方しか喋ることができない体になり、進むのが遅く、ぎこちない会話になってしまう。相手の言っていることが聞き取れないことも多く、何回も聞き直したり、多分こう言ったんだろうと判断して、回答するものの、相手が都に伝わっていないことを理解して、再度同じ質問をもらったりと、時間を浪費してしまう。
 グローバルな現場では、英語の発音がネイティブである必要は全くない。海外オフショアセンターが所在する国は、英語が母国語ではなく、彼らの英語もその土地の訛りがある。逆にネイティブすぎる発音の英語は、英語が母国語ではない国では聞き取りづらく扱われることすらある。ネイティブな発音が出来なくとも、海外オフショアセンター担当者の言い分を聞き取り、それが自分の思いの逆を行っているのであれば、相手を説得しうる主張が出来、相手とお互いの折り合う場所に落とし込めるまで議論出来る、そういう能力の方が重要だ。谷山はそれを持っていた。逆に発音はものすごいネイティブなのに、相手の言いなりにしかならないような調整しか出来ないのであれば、この現場のPMとしてはあまりよろしくない。
 ものすごい日本語訛りの英語でも、相手と議論し、プロジェクトを円滑に進める方向に相手を動かすことができれば、それはネイティブな発音の英語よりもはるかに価値がある。ネイティブな発音だけですごい、と素直に感心してしまうのは、都のように海外へ行ったことがなく、英会話が苦手な人間だけだろう。
谷山は、電話の向こうに感謝と電話を切る挨拶を言って電話を切った。
 「すぐにやってくれるそうです。問題点については認識したようでした。」
 「おー。よかった。」
 都は専用端末の、メインの客宅ルーターのターミナルウィンドウでリターンキーを数回叩き、ホストネームだけの行を数行作ってから、BGPの広告ルート情報を表示するコマンドを叩いた。最初に都が見たときと同じで、ルートは2つ出たままだ。これがこのルーターのループバックアドレスの1つだけになれば良い。都はホストネームだけの行を4、5行作っては、BGPの広告ルートを表示するコマンドを叩く、そして一息おいて、またホストネームだけの行を4、5行作り、というマクロのような動きを手動で繰り返した。どうせ海外オフショアセンターはすぐにはやらないだろうとも思ったのだが、谷山の電話での依頼がそんなに長い会話になっていなかったので、もしかしたら担当者が問題だということを認識してくれて、早急にやろうと思ってくれるかもしれない。それをちょっと期待してみた。
 手動マクロを1、2分繰り返したら飽きてきた。この挙動はマクロとしては簡単な動きなので、もうマクロを作ってしまおうと思った。都はマクロの書式をちゃんと理解もしていなければ覚えてもいないので、客宅ルーターのコンフィグを集積しておくデータベースを開いて、自分が担当しているお客のページを探し、そのページにある、テスト結果やマクロをアップロードしているフォルダから、適当なマクロファイルを引っ張り出し、その書式をコピーして、中身のコマンドだけ変えて作ることにした。特定のルートを30秒おきに確認し、確認した後は時刻表示をする、というマクロがあった。この特定のルートを確認するコマンドを、今見ている客宅ルーターのBGP広告を確認するコマンドに差し替えればいい。都は改変したファイルを谷山の専用端末のデスクトップに、ローマ字でタニヤマンと名前をつけて保存した。そして、メインルーターのターミナルウィンドウでタニヤマン・マクロを走らせ始めた。後は眺めているだけで良い。するとマクロの繰り返し部分が数回回ったところで、BGPの広告は止まった。
 「あ、止まった。」
 都は思わず声に出した。マクロを止めて、現在時刻を表示するコマンドを叩いてから、マクロで回していた、BGPで広告しているルートを表示するコマンドを矢印キーで呼び出し、叩いた。確かにLANネットワークの24ビットマスクのルートは広告されなくなった。都はメモリに保存されているコンフィグの、スタティックルートの部分だけを絞って表示するコマンドを叩いた。しかし、まだスタティックルートにはインターフェイスは書かれていない。広告されなくなったLANサブネットが、ルーティングテーブル上にあるかないか調べるコマンドを叩く。すると、出てきたのはBGPからもらっている、LANネットワークをも包含する大きなサブネットだった。つまり、正確にネットワークもサブネットマスクも一致するルートはなくなっているということだ。正確にネットワークもサブネットマスクも一致するローカルなルートがなければ、この客宅ルーターのコンフィグでは、当該ルートはBGP広告されない。海外オフショアセンターはコンフィグを直したのだろう。ただ、まだそのコンフィグを保存していないだけのようだ。
 工事中に何かトラブルが起こり、それを解消するためのコンフィグの変更を依頼することは、通常の案件だと珍しいことではない。しかし、海外オフショアセンターはすぐにやってくれないことは多い。早くても30分くらいかかったり、酷いと1時間くらいかかったりする。内容が大幅に変わるようなものは、シニアエンジニアとレビューが必要だと言ってみたり、複数の工事を並行して行っていて、別の案件でもトラブっているので、すぐに取りかかれない、などはっきりした理由のものもあるが、休憩に行ってしまっていたり、食事に行ってしまっていたりもする。
 しかし今回は谷山が依頼してから、5分程度でコンフィグは変更された。たまたま手が空いていたのか、それともやはり、海外オフショアセンターの担当者もこのトラブルには気がついていたが、日本からトラブっているという申告がないため、申告がないのであれば、この状態もお客にとっては、日本にとってはOKだという判断で、何もしなかったのかもしれない。メイン側の客宅ルーターのスタティックルートは、もともとされていたコンフィグで、今回の担当者の仕事ではないだろう。そして今回の設定変更のオーダーは、デフォルトゲートウェイの冗長プロトコルをLANインターフェイスに追加するだけ、というものだったはずだ。それ以外の点については東京からオーダーがなければ、考察・検討をしない。それはかかる稼働コストを考えれば正しいとも言える。デフォルトゲートウェイの冗長プロトコルをコンフィグし、バックアップの客宅ルーターとの間でそれが動作すれば、このオーダーの仕事は「問題なく」完了した、と言って良いのだ。事前に他の問題の有無について検討し、結果についての報告や、対応策の提示などを、オーダーなしで、つまり無償でやるのはおかしいということだ。
 確認しているうちに、谷山に電話がかかってきた。日本語で挨拶をしているので、相手は日本人らしい。お客か、お客のフロントに立っている営業かどちらかだろう。話ぶりからして営業のようだ。どうも、急に通信が復旧して、バックアップ経由で通信が出来るようになったが、何かしたか、と聞かれている。谷山は、既存では不要だった、スタティックルートへの出口インターフェイスの指定を追加して状況を回復した旨を説明している。
「…そうですね…。はい、本来であれば問題の起こらないコンフィグなのですが、バックアップ回線と冗長構成にすると…、まあ、問題になることがあるようです…。はい…。そうですね。」
 こういうトラブルの時、営業に構築側のミスとして強く責められるか、責められないかは、担当している営業のそもそもの他部署、他担当に対する姿勢や、当該プロジェクトの担当PMとの関係、LAN切り替えまでのプロジェクト進行でどんなトラブルがあったか、などによる。しかしこう言った、見落としがちな潜在的な問題をあぶり出すために冗長試験を実施する、という側面もあるのだから。もちろん、今回の場合、LANインターフェイスの閉塞試験中に、海外オフショアセンターが問題の発生を自発的に検知せず、対応策を取らなかったことと、東京のPMが事象の原因がわからず、同僚のSEから助言を得る必要があったということとで、解決に時間が少しかかった、という事実はある。もし、都がこの案件のSEとして最初から関わっていれば、おそらくメインのコンフィグを事前にチェックした時に再帰ルーティングになることを気付けただろうし、万が一ぼんやりとコンフィグを眺めるだけで事前にそれを見落としたとしても、この試験中に、切り替わらないルートがあるということで、あるいはその前に自分でBGPの広告ルートを確認することで、ようやく気づき、すぐに再帰ルーティングが起こらないようコンフィグを変えることが出来ただろう。気づきのタイミングによっては、何も問題がなかったように見せることも可能だったはずだ。
 「…なんか言われた?」
 電話を切った谷山に都は聞いた。
 「いえ、そうなんですね、くらいでした。お客さんの方で通信切り替わったの確認できたので、これからお客さん試験続けてもらうそうです。」
 谷山がこの営業と上手く関係を築けていたのだろうか、営業は事象の説明だけで引き下がってくれたようだ。炎上する前に問題を解消できた、ということもあったのかもしれない。ただ、全部上手く行き、体制解除となった翌日以降になって、ところであの時の問題は、と後日になって攻めに入る営業もいるので、あまり安心は出来ないかもしれない。潜在的な問題を炙り出せた良い試験になっている、と評価してほしいものだが、ノーミス、ノートラブルが最低限達成すべきものという姿勢の営業は少なくない。しかしそれはPMにさえ派遣社員を使い、根幹となるエンジニアリング業務を海外のオフショアセンターへ移行するという、この会社の基本方針とは相入れない。品質にはそれなりの投資が必要だし、ましてグローバルな現場では、日本的な、周到な準備をし、資料を山のように作り、石橋を十回以上叩かないと渡らないような仕事態度は、ただの時間と労力の浪費にしか映らない。やってみる、失敗したら、修正する、その繰り返しがグローバルスタンダードだ。グローバル展開の商材を扱っているのに、どうしてこの事情に理解がない営業が多いのか、都には疑問だった。ただ、日本の顧客と相見えているわけだから、日本的な完璧かつ執事のようにお客の面倒を見るようなサービスの提供を要求されてしまうのだろう。それを実直に達成し、そのことで顧客満足度を高め、さらなるビジネスの機会の拡張を真面目に狙っているだけかもしれない。
 「あ、ライトしてくれたかも。」
 都は手で、メモリの保存されたコンフィグのスタティックルートの部分だけ表示するコマンドを、10秒おきくらいに叩いていたのだが、ついにインターフェイスが指定されたネクストホップのスタティックルートに変わった。すると谷山にまた営業から電話がかかってきて2、3会話をしていた。LANインターフェイスを解放したら再度連絡すると谷山は言って、挨拶で締めて電話を切っていた。
 「お客試験OKだったそうです。すみません、こんな時間に助けてもらってしまって。ありがとうございます。」
 谷山は困惑しているのかと取り違えてしまうようなぎこちない笑顔で、会釈をしながら礼を言ったが、彼はいつもこんな感じだ。都はもうお役御免で良いらしい。
 「じゃあ、もーだいじょーぶかな。」
 そう言いながら都は椅子を立ち上がった。
 「ほんとすいませんでした。ありがとうございます。」
 立ち上がった都に谷山はもう一度礼を言った。
 「いいえ、とんでもない。解決して良かった。オフショアセンター、珍しくすぐ対応してくれたしね。」
 都は愛想良く返した。都の、オフショアセンターの対応は通常は時間がかかるものだという前提に、谷山は同意の意味で苦笑いをしていた。谷山はオフショアセンターに閉塞してあるLANインターフェイスの開放を依頼するため、電話をかけ始めた。その背中を見やりながら都は自席へ向かった。他人と、職場の同僚と、一緒に仕事をした後、自分が裸足でいることに都は居心地の悪さを感じた。素の自分でいる、社会規範を守るための仮面を引っ剥がした素顔を晒して公の場を歩いているような気恥ずかしさと、環境に適応出来ないような落ち着きのなさを感じる。しかし自分の席まで帰る導線上には誰もいないから、裸足でフリーアクセスフロアに敷かれたカーペットを歩くうちに、そのおさまりの悪い感覚は徐々に薄まって行った。自席へたどり着くと、まずはパンプスをつっかけてから椅子に腰掛け、パンプスに踵をしまいこんだ。
 都が作成中のネットワーク図のチェックを終えて、今日の段階での最終版を共有フォルダへアップロードし終わると、時刻は21時45分を回っていた。ちょっと前までは慌てることもなかったのだが、昨今の働き方改革の波を受けて、この現場でも22時以降の残業については、直属マネージャーへの報告、直属マネージャーからさらに上と、派遣社員の都には全く関係のないはずの組合への報告がいるらしい。シフト勤務をしていれば、この条件は適用されないのだが、都は今日は普通に定時の始業時間に出社していた。
 「間宮さん、帰れそう?」
 岸谷の上長であり、以前は都が終電近くまで残っていると、必ずオフィスに残っているのを見かけた高松課長が声をかけていた。今このフロアに残っているマネージャーは高松課長だけのようなので、22時以降の残業を把握してない残業者に声をかけているようだ。
 「はい大丈夫ですちょうど今終わりましたもう片して帰ります!」
 一気に早口で都が返すので、高松課長は笑っていた。都もつられて笑ってしまった。
 「あ、ほんと?じゃあ、すみません、よろしくお願いします。」
 22時前に退社することをお願いしないといけないなんて、おかしなことだと都は思うが、これが社員なら、ちゃんと帰れ、とか言われるのだろうから、やはり派遣社員だということで気を遣ってもらっているのだ。
 「はい、すみません、ありがとうございます。」
 都はつい、気を遣ってもらっていることに礼を言った。
 電子タイムカードを切ってから、通常端末と専用端末を落とし、PHSや無線マウスの電源を切って袖机にしまい、袖机の鍵を掛け、机の下からカバンを拾い上げて立ち上がる。机の上に伏せておいたスマートフォンを拾い上げて時間を確認すると21時50分を回っていた。間に合った、とその言葉を使うのがあまりふさわしくないような、時間期限に間に合ったことにちょっと安堵した。その安堵感は、残業期限を超えなかったことよりも、仕事が終わって帰ることが出来る、窮屈で堅苦しい職場という環境から抜け出せることが出来る、きっとそういう安堵なのだろう。明日は代休で休みだ、というのはオフィスから駅まで歩く道中でふと思い出した。