21-1

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この年のクリスマスは、日曜日だった。運良く土日工事がなかったので、岸谷はクリスマス一緒に過ごしましょうよう、と金曜の夜から都の部屋へ押しかけてきた。都の自宅から、歩くと45分程度のところにある、大きなショッピングモールへ二人で出かけて、ウィンドウショッピングがてら、都が姪にあげるクリスマスプレゼントを一緒に選んでもらったり、お互いにクリスマスプレゼントを贈りあったりした。岸谷は、都がプライベートでいつもしている、シルバーの馬蹄のペンダントをいつも可愛いと言っていたので、ゴールドのものを岸谷にプレゼントしたら、すごい喜んでくれた。すぐに岸谷は自分の首につけて、既に同じものをしていた都の手を引っ張って、玄関の収納の扉についている全身鏡に二人でくっついて映ると、お揃いですね!と、ぴょんぴょん跳ねながら浮かれるから、都はちょっとくすぐったかったけれど、嬉しかった。
都がよくアンクレットをしているのを岸谷は知っているから、すごく細いゴールドのチェーンで、オレンジ色の飾り石のついたアンクレットを、岸谷からプレゼントしてもらった。なんか細いアンクレットってえっちじゃないですかー、と岸谷が嬉しそうに言うので、都は、部屋着に丈の長いセーターを着ているだけなので、試しにつけてみると、ほんとだやらしい、と二人で品のない笑い声を上げて大笑いした。夏になったらつけてくださいね、と岸谷は笑顔で言ってくれたが、それよりも、クリスマスカードのメッセージが嬉しくて、都は少し泣いてしまった。都はとても弱く、誰かを支える強さなんて、あるはずもないのに、みやちゃんがいつもそばにいてくれたから、毎日仕事が楽しかったし、続けられました!とか書いてある。三十代半ばの派遣社員が、一体新卒正社員の何を支えられたというのだろう。会社員、というものは都にはよくわからないし、それに伴う苦労も知らない。それでも都が派遣社員として勤める現場では、派遣社員が現場の仕事を教えるという習慣があるので、たまたま岸谷が初めて新規顧客のグローバルネットワーク構築プロジェクトのPMをやるということで、都がSEとして適任だろうとアサインされて始まった付き合いだ。何かを教えることが出来たのだろうか。失敗して足を引っ張ったか、うまく教えられなかったことしか覚えていない。それでも、岸谷がこの仕事を嫌いになってしまわないように。それはずっと気をつけてきたつもりだ。もしそれが少しでも伝わったのであれば、良かったかなとは思うけど、こんなに感謝されるようなことは何もしていない。冗談ばっかりカードに書いたあたしがばかみたいじゃないの、と泣いたり笑ったり、都は忙しかった。岸谷は笑顔をいっぱい見せてくれて、都を抱きしめてくれた。
年末は結局1日だけ早く休みに入るだけになった。その理由も、最終営業日にオフィスで夕方から開かれる納会に参加しないといけないのが嫌だったからだ。オフィスで行われるから、仕事をしていたとしても巻き込まれてしまうし、お酒か、お酒が飲めないといえばノンアルコールかを誰かが持ってきてくれてしまって、宴会とちゃんとした会社の納会の混ざったような会に嫌が応にも参加させられる。岸谷は今年度の新卒新入社員なので、忘年会の幹事やら、この納会の準備やら、新卒がやらされる余計な仕事で11月くらいから忙しそうにしていた。時々都のところに来ては、その愚痴を言うので、都は笑ってしまった。都が岸谷の話を聞いて笑うと、岸谷もすっきりするらしく、元気になりました!とか言って、自席へ戻る。そんなことを何回もやっていた。CJ案件の海外拠点のLAN切り替え工事の、お客試験待機中なども、週末だったり、夜中だったりなので、周りに誰もいないのを良いことに、こんなことやれって言われるんですけど、あの人に言われるの納得いかないです、とか、結構悪い口をきいていて、二人で大笑いしたりした。確かに、そういう本来の業務以外の、社員の「仕事」は本当に面倒くさそうだ。人間関係だって、外様の派遣社員とは全く違うレベルで煩わしいだろう。岸谷は納会の準備や後片付けもあるから、最終営業日も出勤しないといけなくて、都がその日から年末年始休暇に入ってしまうのを残念がっていた。
年末年始は、海外支店にトレイニーとして出向している、岸谷の彼氏が一時帰国するということで、都は岸谷とは会う機会がなかった。都も年末は実家へ兄と二人だけで一緒に帰って、実家の大掃除を二人でした。久しぶりに家族三人だけの空間が嬉しいのだろう、すぐ何かと上機嫌で大掃除に参加しようとする、体の弱い母を二人で止めたりとかしながら、久しぶりに兄妹二人でわいわいと過ごした。木造の実家のフローリングは、冬はとても冷たくて、裸足でいるのはちょっとつらい。いくら裸足でいるのが好きな都でも床が冷たすぎて、靴下履こうかと思ったが、それでもがんばって裸足で廊下の窓拭きなんかをしていると、兄が、都は相変わらず裸足でいるの好きだね、と笑っていて、それがちょっと嬉しかった。年末の実家の大掃除は、父が亡くなってからは毎年兄と二人ですることになっていて、都にとっては一年で一番楽しみにしている日と言って良かった。兄嫁に盗られた兄を、1日だけ取り返せて、また都だけの兄に出来る。兄に何か用事を頼むのに声をかければ、兄が返事をしてくれて引く受けてくれる。そんな何気ないことでも嬉しくて仕方がない。昼ごはんと晩ごはんに、母と兄と三人んで囲む食卓も楽しいし、兄のために、母と台所に立つもの嬉しい。そうは言っても、結局大掃除で忙しくて、甘える気になったり甘える機会がなかったりで、最後には疲れてしまって、お疲れさまー、で一日終わってしまう。都は実家へ泊まって行くが、家庭のある兄はもちろん夜には兄の家へ帰ってしまうから、余計に二人で同居していた頃のように兄に甘える時間なんてなかった。
年越しは例年通り、実家で過ごした。母と二人で台所に並んでおせち料理を用意したりする。この母と一緒におせちを準備している時が、一番年末だな、と都が思う時だ。大晦日はこたつに入ってほとんど寝て過ごしてしまうのも、ここ毎年のことだった。元旦の朝、父の写真に向かって、今年も元気で過ごしてね、と冗談を言うと、写真の父が、お前何言ってんだと、生前、都がふざけると突っ込んでいたのと同じ口調で、返してくるような気がした。
1月2日には、毎年母を連れて行っているお寺へ初詣に連れて行く。一度このお寺への初詣をさぼった年があって、その年、母の病気が重くなった。翌年、体調が戻りきっていない母を連れて、そのお寺へ初詣に行ったら、その年母の病気は安定した。それからは毎年欠かしたことがない。父が亡くなった翌年から行くようになったお寺だが、その頃はまだ小さなお寺だったのに、毎年毎年少しつづ大きくなり、今はとんでもなく大きい駐車場を備えた、まるで一種のアミューズメントパークのようなお寺だ。色々な願い事に分けて、境内に祠がいくつも建てられたり、たくさんの石像を巡る周遊道が出来たり、お守りなどを販売する場所が大きくなったり、参道にイベントを宣伝する大型のディスプレイが置かれたり。どこか成金的なにおいがないこともないのだが、実際母の健康には効果があるので、やはりそうやって何か霊験あらたかな経験をした人が、大成功して、大きな寄進でもしたのだろうか。それとも寺社経営の才覚に秀でた人が、住職になったのか。静かなお寺などは、いるだけでなんとなく清々しい空気を感じたりするものだが、ここは祈祷の宣伝映像を流すティスプレイの音響などが騒がしくて、あまりそういった空気は感じない。しかし、祠の近くに行くと、不思議な空気を感じたりするから、それだけたくさんの人の願いが込められている、ということなのだろう。だからやはり、ここへお参りに来る人には、何かご利益があるのかもしれない。母の持病も、ここへ毎年ちゃんとお参りしていれば、ひどく悪化することがないのだから不思議だ。
例の北陸データーセンターの本番回線切り替えが控えているので、都はその準備もあるため4日から仕事へ行かないといけない。だから2日の夜に自分の部屋へ帰ることにした。3日には兄一家が来ると言っていたし、兄や姪に会いたい気持ちもあったが、三が日の一日くらいは自分の部屋で一人ゆっくりしたかったのと、兄嫁と顔をあわせなくてはいけないと考えると、新年早々苦痛なことは避けたいと、いつもそうやって嫌なことや辛いことから逃げてるから、そういう判断をするんじゃないのかと自問もしながら、そうした。兄嫁はもう二人目でお腹が大きくなってきただろうから、何かと兄一家の相手をする母の手伝いをするために、残った方が本当は良かったのだろうが、結局自分の気持ちを優先させてしまった。本当に勝手な人間だなと、都はまた自分を卑下する気持ちが強くなってくる。姪へのお年玉はメッセージカードと一緒に母に渡しておいた。3日の昼間、兄から姪がお礼を直接言いたいからと電話がかかってきて、姪と電話で話した。新年の挨拶と、お年玉ありがとうということをきちんと都に言うのが可愛らしかった。すごく会いたかった、都がいなくて寂しいと言ってもいた、電話を切ってから、姪に悪かったな、やっぱり姪に会っておくべきだったな、と思い始めると、兄嫁の顔が浮かんで、そう言った考えに靄をかけていく。
3日には、自宅から歩いて30分くらいで行ける、この辺りでは一番大きな神社へ初詣に行った。初詣をお寺と神社の2箇所にするなんて、なんとも日本人的だが、都はこの街に住むようになってから、毎年お参りに行っていて、ここの交通安全お守りを自分の車のワイパーレバーにぶら下げている。毎年昨年のものを返して、新しいものを買う。大きい事故にはあっていないので、これが霊験といえばそうなのかもしれないから、やめない方が良いだろうな、と思ってもいた。初詣客で賑わう神社だが、3日ともなると、酷い混雑とまでは行かなくて、ゆっくりと手を合わせることが出来た。都は神社で目を閉じて手を合わせ、何かを願うでもなく、ただそうしているのが好きだった。1、2分くらいだろうが、目をゆっくり開けると、何か周りの空気が一新されたような不思議な感覚がするのが好きなのだ。
4日は岸谷も出勤していて、あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします、と堅苦しく二人で二回ぐらい頭を下げながら挨拶してから、元気だった、とか、会いたかったですー、とかきゃあきゃあ騒いだ。チャットアプリでしょっちゅうメッセージを交わしていたし、チャットアプリの電話機能で長話をしたりと、そんなに久しぶり感はないのだが、やっぱり実際に会うと嬉しいものだ。岸谷はもともとボディタッチが多いのだが、都も自然と岸谷と両手を合わせて握り合ったり、ハグをしたりと、職場でも自然に出来た。仲の良い女子の同僚同士が、大げさに新年の再会を喜んでいるとしか映らなかったようで、都の席の近くの秋田は、岸谷のメンターを国内案件でいくつか務めていることもあって、何年振りに再会したんだ、と突っ込んできた。都と岸谷はハグしたまま笑った。久々に感じる岸谷のにおいと体温は、都をとても安心させてくれるものだった。もうしばらく抱き合っていたかったが、流石に職場では恥ずかしいので、お前は何事も大仰だと、秋田から岸谷が突っ込まれて、岸谷がそんなことないですー、と反論しているのに笑ってしまいながら、体を離した。
朝のメールチェックを終えてから、二人で上の階の自販機にコーヒーを買いに行った。階段を上りながら、彼氏と久々に過ごしたんでしょ、と都が聞くと、そうですねー、と岸谷は何も珍しいことでもないことのように言った。聞かれるの恥ずかしいのかな、とも思ったが、そう遠慮する仲でもなくなっていたので、楽しかった?と都は続けて聞いた。
「んー。でもー、あたし、今はみやちゃんに夢中かもー。」
岸谷は少しコケティッシュに言ってみせる。
「ばかじゃないの!」
都が岸谷の語尾にかぶり気味に突っ込むので、階段の踊り場で足を止めて、二人で大笑いしてしまった。
昨年、上野から言われた工事予定日は、1月の2週目の土曜日だったので、もう来週末が北陸データーセンターの本番回線への切り替え工事になる。昨年のうちに、客宅ルーターとプロバイダエッジルーター、どちらにもテスト用のVRFを作って、WAN開通試験を実施、それから客宅ルーターとプロバイダエッジルーターで、既存回線用のポートの閉塞、その後新回線用のインターフェイスやBGPの設定などを、プロバイダエッジルーターでは、テスト用のVRFからこのお客用のVRFへ切り替え、客宅ルーターでは、テスト用のVRFを外し、グローバルルーティングテーブルへ載るように設定変更をする、という手順をプレゼンテーションファイルで資料化し、同じフロアにいる、このプロジェクトの、都たちの部署のPMと、東京のプロバイダエッジルーター担当エンジニアと三人で読み合わせをして、意識合わせをしておいてある。もちろん必要なコンフィグなどは作成済みで、後はやるだけとなっていた。
工事の週の木曜日、自宅へ帰ってきてから、明日と明後日の宿泊の準備をある程度しておかなければいけなかったのだが、土曜は工事、日曜は旅行だから、荷物は工事のためだけに必要なものと、せいぜい替えの下着とカットソーシャツがあれば良い、というわけにもいかない。流石に、コートで隠れるとは言っても、スーツで観光というのは避けたい。だいたい都はスーツがとても嫌いだ。この仕事をしていなかったら、絶対に着ていないだろう。
そのため、いつものビジネスバックだけ、というわけにはいかなくて、ビジネスバッグには作業用のPCや、予備のケーブル類などを入れて、もう一つ、旅行に行くときにいつも使っている、ミリタリーっぽいずた袋のようなリュックサックに、日曜用の私服の着替えを入れていかないといけない。化粧道具とか、化粧水や乳液なんかもそっちに放り込んで行けば、ビジネスバッグを少し軽くすることが出来る。
困ったのは靴だ。一応スーツで行くから、ローファーを履いて行きたいのだが、翌日の観光もこのビジネスローファーでというのはちょっと嫌だ。いつものお気に入りのブーツを履きたい。かと言って、都のブーツは伝統ある海外メーカーの、本物のワークブーツで、飛行機に乗るときにこれを履いて金属探知機を通ると鳴ってしまう代物だ。だから重たい。金曜はこれを履いて行って、土曜日ホテルから出るときはローファーで出れば良いか。ローファーならリュックに入れても、ブーツほど嵩張らないし、重たくもないが、それでも非力な都には十分重たいけれど、仕方がない。現地は雪が積もっているというから、別にワークブーツでデーターセンターへ行っても文句は言われないだろう。ましてこのワークブーツは安全靴の機能もある。それでも一応、きちんとして行こうと思った。常駐しているお客がアテンドしてくれる、ということだし。
金曜日は午後休みにした。とは言っても、都が所属する派遣会社の派遣社員は午前だけ、とか午後だけ、とかいう有給の使い方ができないから、ただの早退にしかならないのだが。作業用PCを持ち帰って、自宅でビジネスバッグの中を整理し、洗面所からは化粧水類、ハンドバッグからは携帯用の化粧道具なんかをリュックサックへ移してから一休みして、夕方の新幹線に乗るため、もう一度東京へ出発する。
スーツにコートを着込んで、マフラーを巻いて、寒いからとニットの帽子も被り、ワークブーツを履く。片手には作業用PCやケーブル類で膨らんだビジネスバッグ、背中にはミリタリー調のリュックサック。長いコートの裾から覗くのはスーツのパンツで、それはハイカットのワークブーツに収まっている。
部屋を出る前に全身鏡で自分を映して見たが、何をしている人か全くわからないような格好だ。怪しい人に見えてしまってもおかしくないかもしれない。都の住む賃貸マンションのエレベータの中には全身が映せる鏡があるので、1階まで降りる間、もう一度自分を見てみる。コートの裾から見えるスーツのパンツがやっぱり違和感がある。スーツの上着とカットソーシャツはコートとマフラーに隠れているから、余計に目立つ。それでも、あたしってかわいいなあ、と自惚れてしまう。都は帽子が良く似合う、そう兄や父母に子供の頃から良く褒められた。あまり帽子をかぶるのは好きではないのだが、兄と暮らしてた頃は、兄に褒められたくて、二人で出かける時には、時折被ったものだった。そして鏡に映る、ニット帽の自分の姿を見て、帽子似合うな、と自分で思ってしまう。
都が以前北陸へ現場作業員として、とあるお客の客宅ルーターを設置しに行った時は、未だ新幹線が開通しておらず、結構な遠回りで、乗り換えを駆使して行かなければならなかった土地だが、今は新幹線でまっすぐ行けば良い。到着した目的駅で車窓から外を眺めると雪が積もっている。それほど深くは積もっていないようで良かった。
以前来た時は、駅前は改築中で、巨大な竹ひご細工のような構造物が空を覆っている景色が、それはそれで面白かったのだが、すっかりそれは完成し、しっかりした鉄筋の、天井がとても高いガラスドームの先に、巨大な鼓を柱にしたような門があり、ライトアップされていて雪景色に綺麗に映えている。それほど夜景に興味のない都でも、わあ、と小さく声を上げてしまった。岸谷が見たら喜ぶだろうなあ、と思った。まじすごくないですかー、とはしゃぐ岸谷の通る声が聞こえてきそうで、一人で笑ってしまいそうになり、頬が緩まないよう気をつけないといけなかった。
一旦ホテルへチェックインし、荷物を部屋に置いてから、外へご飯を食べに行った。方向音痴の都には位置が正確にわからなかったが、おそらくは駅ビルの中にある、魚の定食が美味しそうな看板が入り口にあった定食屋へ入った。都以外は男性客しかおらず、半分居酒屋みたいなものらしく、ご飯だけ食べているのは都くらいなもので、ちょっと居心地が悪かった。それでも焼き魚とご飯は美味しかったし、ついてきた味噌汁がとっても美味しかった。雪道は歩きなれていないので、気をつけていないと屋根のある歩道と屋根のないところの境目でシャーベット状になっているところが危ない。都は何回か足を滑らせた。おそろおそる歩っているのは都ぐらいで、地元の人はすたすたと歩いているから、都は自分の不器用さが可笑しくなってしまう。
部屋へ戻ると、暖房をつけて、空気清浄機付きの加湿器があるので、それもつける。いつもの通り、着ているものも履いているものも全部脱いで、裸になって、まずベッドの上に体を放り投げる。寒い空気に冷えたベッドを覆っている掛けシーツが冷たいし、まだ暖房も効いてこないので、寒い。都は仕方がないので、浴衣を羽織って、その上から茶羽織りも羽織り、脱いだものを片付け始めた。コートやスーツを綺麗にハンガーにかけたら、リュックから袋に入れて持ってきたローファーを出して、ブーツと一緒に並べておく。ブーツはかなり嵩張るし、リュックの中にはいるだろうか。ローファーを入れてきた袋に、試しに入れてみるとギリギリだ。それをリュックの他の荷物を出さずに入れてみるが、何とかはいる。リュックサックはぱんぱんになってしまい、とても重たい。都は思わず笑ってしまった。
都は明日の工事当日、リュックに現場作業で必要な荷物以外は詰め込んで、駅のロッカーにでもしまっておこうと思っていた。それを聞いた岸谷が、ホテルに電話をして、都の荷物を預かってくれるように調整してくれた。土曜チェックアウトする時カウンターへ行って、岸谷の予約の同伴者の間宮だと名乗れば、預かってくれると言う。そうやって咄嗟に気を回せて、すぐ確認して、調整までしてしまう岸谷の行動力に都は素直に感嘆した。さすがPM、と都が言うと、岸谷は、えっへん、と言うと腰に手を当てて、軽く自慢げに踊っていた。逆の立場だったら、どうしようか、とか、駅のロッカーに入れるしかないんじゃない、で終わらせてしまっていただろう。一回り前後も年下なのに、人間の出来上がり方は、岸谷の方が断然上なことは、仕事中だけでなく、こうやってプライベートで二人でいる時にも実感してしまうことは多い。
ホテルの部屋に備え付けの机の上に、作業用のPCや電源ケーブル、認証カードリーダーと自分の認証カード、それにマウスなんかを出して、作業用PCを起ち上げる。狭いシングルの部屋で、備え付けの机に広げると、小さな10インチのノートPCでも散らかって、机が手狭な感じになる。単に都のケーブルマネージメントが雑だ、ということなのかもしれないけれど。作業用PCの中に入れてきた、明日の作業手順書や、WAN開通時の臨時コンフィグと、新回線へ切り替えた後の本番コンフィグとを比較できるようにしたスプレッドシートを、もう一度見直して確認する。臨時コンフィグと本番コンフィグを入れ替えるためのスクリプトも同じスプレッドシートにあるので、漏れがないかもチェックする。あとは、検証の時に何十回、それこそ百回以上は回しただろうか、本番用に少し作り変えて、修正設計を実環境にコンフィグした、昨年の工事の時にも使った、疎通確認と通過経路確認のマクロをきちんと持ってきたかどうかも確認する。北陸データーセンターにも、都たちキャリアやベンダーの作業用PCを接続できるスイッチがあるので、上野からもらったそのスイッチが設置されたラックの位置と棚番号、接続可能なポート、アサインするべきIPなどをメモしたテキストファイルもきちんと作業用PCのデスクトップへ落としてきてあることも確認する。工事用の携帯電話を充電用のケーブルと一緒飲持ってきたので、念のため充電しておく。
果たして、ちゃんとルーティングはきちんと切り替わり、きちんと切り戻るだろうか。もしまたループしてしまったり、非対称ルーティングになってしまったりしたらどうしよう。都はそう考えると緊張してくる。都は頭を切り替えて、大浴場に行ってくることにした。明日は朝早いから、深夜に行くわけにもいかないので、22時近くになってから行ったのだが、金曜日ということもあるのだろう、下足を置いておく場所を見るとかなり人がいそうだ。都は構わず入ってしまおうかと一瞬迷ったが、あまり人が多いと、こういうところは興がない。結局大浴場は諦めて、部屋についているユニットバスで済ませてしまうことにした。明日のことを考えると緊張するし、枕が変わるとよく眠れないはずなのだが、東京と自宅の間を二往復したせいで疲れていたのだろう、目を閉じてから次に目を開いたのは、起きるべき時間に掛けておいたスマートフォンのアラームが鳴った時だった。