13-03

2022-01-31

13-03

 新幹線の駅を降りると、現地の地下鉄に乗り換えないといけない。地下鉄も二回程乗り換えが必要だったが、道案内の看板に従っていれば、それ程迷わずに目的地まで行くことができた。東京だと、道案内の看板に従っていたって、乗り換えたい路線にうまく乗り継げないことがあるのに、見知らぬ土地の方が乗り継ぎが円滑に行くなんて、東京はごちゃごちゃし過ぎだよ。そう都が自分の方向音痴を置いて不満そうに言うと、岸谷は笑っていた。
 目的地の駅の改札を出て、岸谷が待ち合わせの営業に電話をすると、営業は近くにいて、すぐこちらへ向かうから、改札前で待っていてくれとのことだった。この駅から徒歩5分程度で、その本社へは辿り着くらしい。同じ日本だから、どこの土地へ行っても特に困るような違いがあるわけではないし、どこだって同じだろう、という言い方だって出来る。しかしやはり周りの景色は、建物内の壁一つを取っても、東京や都が住んでいる街とはどこか違う風に映る。単に見慣れていないからそう思うのか、それともやはり地方ごとの文化の違いというものは明確にあって、それがそうさせているのか、都には判断がつかなかった。
 営業は眼鏡をかけた四十代前半くらいの男性で、実直そうだが、決してそれ故に舐められるような、優しさや大人しさはなくて、営業を長くやってきた人が持ちがちな、何か一噛み隠し持っていて、それのせいで落ち着かなく、慌ただしさが醸し出される雰囲気を持っている。それだけ本当に苦虫を噛み潰すような思いをしてきたり、危ない橋を渡ったりしてきたということなのだろう。
 都が派遣社員として働くこのキャリアの、グローバルMPLSの構築担当では、自分たちがどのプロジェクトに、どいう作業で、どの程度稼働をかけたか、というものを記録しない。つまり、営業には内部稼働がどれくらいかかったか、どの程度利益を圧迫されたか、ということはフィードバックされない。そのためだろう、とにかくお客満足度を上げるためにも、エンジニアの稼働を湯水のように使いたがる営業は多い。もっとも、それだけ薄利で、初期費用では足が出るのは織り込み済みの商材だから、長く使ってもらえるような良い印象を植え付け、儲けは保守で出すしかないという側面もあるのだろう。
 構築でかけている技術稼働を、付加価値として売って行く方向で考えてはくれないものなのだろうか。都は、外部の人間、派遣社員としてだが、時折そう思う。もっとも、SI的にそういう技術支援を売ったとすると、今度は今まで相談対応で済んでいたものが、責任がつきまとったり、成果物が必要になったりで、稼働が半端なく増えてしまう。それに対してきちんと経費を積むと、お客に提示する金額は高額にならざるを得ない。お客責任区分範囲の相談、という、非常に定義するのには曖昧な稼働に、価値を持たせるのは本当に難しいのだろうか。つくづく自分はビジネスには向いていない、と都はため息をついてしまう。
 岸谷はその営業に会うのが何度目かになるらしく、にこやかに挨拶を交わしていた。それはこの会社でよく見る、務める支社が違うとはいえ、同じ正社員同士の、一種の仲間意識のようなものの連帯感、外から見ている都にはむしろ一体感と映るものを感じさせる挨拶だ。新入社員にもかかわらず、構築サイドから一人でやってきたことを労ってもらってもいた。つまり、都は数勘定には入っていないのだ。
 「こちらが私たちのスーパーSEの間宮さんです。」
 そう岸谷は冗談半分のような紹介で都を営業に紹介してくれた。SEの間宮です、と名乗った都に対して、営業は会釈をしながらよろしくお願いします、と言うだけで、名乗りもしなかった。それでは行きましょうと、岸谷に言って、二人は道順を知っているので、すぐに正しい方向に踵を返し、並んで歩き始めた。都はその後ろを、置いて行かれないようについて行くしかない。何となく、来る必要あったのかという疑問が都の頭を過る。
 お客本社ビルの1階の、大きな自動ドアの入り口を抜けると、広いホールに出る。天井も高く、3階くらいまで吹き抜けになっているようだ。来客はそこそこいて、ホールのソファにはワイシャツ姿の男性ばかりだが、それでもスーツ姿の人もちらほらいた。しかし、男性しかいない。業種によっては、こういう会社のエントランスホールに女性がいるのも珍しくない会社もあるが、多くの場合圧倒的に男性の方が多い。都も、案件で営業と話すような機会があると、大抵フロント担当者は男性で、多くの女性はバックオフィスだ。業務・業種における向き不向きなのか、それともまだまだ男性優位の日本のビジネス文化のせいなのか。この会社の受付カウンターの向こうに見える、この会社の受付担当者は3名いるが、全て女性だ。
 営業は受付をしてくるので、少し座って待っていてくれと言って、受付の方へ向かった。都と岸谷は、円形で、周りに並んで座れば8人程度座れる大きさのソファに、二人で並んで腰をかけた。岸谷から今日ヒアリングシートの説明をどちらがするか聞かれた。岸谷は前回訪問の時、下山と一緒に軽く説明しているはずだし、今回はSEが出てこい、というお客の要望なのだから、都が喋ることにした。万が一、都が何か間違っているようなことをしゃべっているな、ちょっと説明が足りないな、と思うようだったら、遠慮なく突っ込むようにと、都は岸谷に言った。岸谷は、絶対あたしもお客さんと一緒に、間宮さんの話をなるほど、と聞いているだけですよ、と笑っていた。
 「でも、もし何か気がついたら言いますね。」
 岸谷はそう付け足した。自分も主体者なのだという意識をきちんと持とうとするのは、新入社員の真面目さだろうけれど、自分がアサインされた案件にきちんと関わるんだ、という姿勢はすごく良いと思った。
 受付が終わったらしく、3人分の、赤いネックストラップのついたビジターカードを持って、営業が戻ってきた。入館するのだろうと、岸谷と都は立ち上がったが、空いた手でそれを制するようなジェスチャーをしながら、営業は都たちの方へ歩いてきた。お客のLANベンダーがまだ到着していないから、少しここで待つことになると言う。営業は岸谷と、岸谷がグローバル担当へ配属になった経緯などについて話している。会社にきちんと新卒で社員として採用され、配属が決まる、などと言うのは都には経験がないから、二人が話している内容は、本当に左耳から入って右耳へ抜けていってしまう。都は、自分が理解できなかったり、興味がない話になると、聞いていても内容が全く頭に入ってこないだけでなく、何をしゃべっているのかが言葉のレベルでも、記憶に引っ掛からなくなる。こう言う状態の時に聞いた話について、何か話題を振られると、都は全くわからなくて、愛想で、そうですね、とか、そうかもしれないですね、などのように適当な返事に終始してしまう。聞いてなかったです、と正直に言えば良いのだが、その場を取り繕ってしまう悪い癖が都にはあった。もっとも、この営業と岸谷との会話を、後で振られることもないだろう。万が一振られたら、また適当にそうやって愛想を返してしまうだろう。
 営業と岸谷がしばらく話に花を咲かせている間、都はずっと黙り込んでいた。頭の中で、今日の打ち合わせの中、何を聞かれて、どう答えようとシミュレーションをしようと思ったが、頭が回らなかった。もう聞かれたことにはその場で考えるしかないな、と開き直った。都は、窓の外に目をやってみた。知らない土地の知らない風景。オフィス街というよりは、オフィスと工場を兼ねたような建物が多いような気がした。作業をしていないガントリークレーンの、キリンのような首が、隣のビルの上にいくつも覗いている。そう言えば駅名に港がついていた。海が近いのだろう。とても砂浜など望めないだろうが、知らない土地の海をみてみたいな、ともちょっと思った。知らない土地の、街並みをぼんやり見ていると、何も考えていなくていいような気分になってくる。
そんな風に、眠気か何かに囚われたように、特に何を見つめるでもなく、ただ視線を窓の外にやっていたら、岸谷と営業が立ち上がった。都は急に我に返ったように、ほんの少し遅れて立ち上がった。
 営業と同じくらいの年齢の、やはり眼鏡を掛けた、少し恰幅の良い、上は作業着、下はスラックスという製造系の会社に多いスタイルの人が、向こうからやってきた。営業と岸谷は面識があるらしく、既知の間柄である挨拶を交わしていた。都も二人が腰を折って挨拶するのに合わせて、お辞儀だけした。部下には厳しそうなタイプに見えるのだが、営業と岸谷には愛想よく対応していた。特に岸谷には、東京からそう間を置かず2度も来てもらったことに礼さえ言っていた。岸谷はもちろん謙遜を返していた。
 「本日SEの同席をご希望、とのことでしたので、今回の御社プロジェクトを担当させていただきます、弊社のSEを連れてまいりました。」
 営業はそうお客に言うと、都の方を振り返った。
 「SEを担当している間宮です。よろしくお願いいたします。」
 都はお客の目を合わせて名乗ると、両手でバッグを前に持ったまま、頭を下げた。見知らぬ人。学生、社会人、と真っ直ぐな道を進み、風雨に晒されようと、嵐に遭おうとも、それを耐え抜き、今もその道から外れないでいる人。そんな人と目を合わせたくない。まるでそんな風に都は深く頭を下げた。お客も、よろしくお願いしますと言いながら、少し腰を折っていた。
 1階のフロアゲートは、貸与されたビジターカードがキーになっていて、一人ずつそれをカードリーダにかざしてゲートを抜けなければならなかった。共連れは禁止だ。その1階のホールと、オフィスエリアとを仕切るゲートの近くに、恐らくは客のベンダーと思われる人が二名いて、お客は、ゲートをくぐる前に、では行きましょう、と声をかけていた。都たちは、ベンダーと思しき人たちと軽く会釈だけ交わした。
 眩しいくらいの白い壁に囲まれた通路を抜けて、来客用の会議室がいくつもあるエリアに出る。すると、この会社の社員のみが入れるエリアから来たのだと思うが、都たちを先導している社員がしているものと同じ色のネックストラップをした、やはり作業着の上にスラックス姿の長身の男性が、都たちの方へやって来た。ベンダーの二人は、腰を折りながら、その男性の方に進み、お世話になっておりますと挨拶していた。営業と岸谷も面識があるらしく、少し前へ進んで、お世話になっております、と挨拶をしていた。都はまた少し取り残されながらも、頭だけは下げておいた。
 案内された会議室の会議卓は10人程度で囲む程度のサイズだが、部屋の広さには少し余裕があるため、圧迫感は少ない。会議卓の片側に客とベンダーが並び、反対側に、営業、岸谷、都の順で座ることになった。営業と岸谷は、バッグからシンクライアント端末と、モバイルルーターを出して、パソコンの準備を始めようとしたが、ベンダーと名刺交換となって、都たちキャリア側は営業を先頭に列を作って、ベンダー側の二人も営業に向かい合うように並び、順番に名刺交換をしていった。都は、どうもこの名刺交換というイベントが苦手だ。愛想笑いを作って、きちんと相手の名刺を受け取り、自分の名刺を渡す。その一連の行動自体に集中し過ぎて、本当は、SEの間宮、とか本件のSEを担当しております間宮、とか何をしている人間か言わないといけないのだが、ただ、間宮と申します、と名前だけしか名乗らないで終わってしまいがちだ。そんな調子だから、よほど特徴のある人でないと、都は名刺交換が終わったその場から、手にしている名刺と、目の前にいる人たちの顔とが結びつかなくなってしまう。それに、結局都が渡している名刺は、派遣社員に貸与されている「偽物」なのだ。そのため、都に何かを繕わせようとする後ろめたさが起きて、それが円滑な名刺交換を阻害しているのだ。
 「そちらの女性の方は、初めてでしたよね?」
 ベンダーとの名刺交換が終わると、都たちを出迎えに来てくれたお客が営業に聞いた。営業は、そうだと言うことを思い出したかのように返していた。お客二人は名刺交換をと言い出したので、都は一人だけ、お客二人と名刺交換をした。名刺交換終わった、と気を抜いていたので、都は焦ってしまって、自分の名前を噛んでしまったりした。会議室前で合流したお客はとても背が高く、都と名刺交換をするのに、とても腰を折ってくれていて、申し訳なかった。やっと席について、ふと気がつくと、都と岸谷以外は全員眼鏡を掛けていた。メガネーズ、という可笑しな言葉が浮かんでしまい、都は少しうつむき加減でしかめっ面を作るしかなかった。