19-09

2022-02-06

19-09

 スマートフォンの目覚ましはかけておいたが、鳴る前に目が覚めた。ホテルのシーツや掛け布団は慣れたものではないので、直接肌に触れる感覚は、目が覚めるととても新鮮だ。枕の下に入れておいたスマートフォンを取り出すと、五時五十分。六時に鳴るようにしていた目覚ましは切っておく。
 都は裸で寝る習慣なので、自分がベッドの中で裸でいることに違和感はなかったが、この狭いシングルベッドで自分の隣に裸の女が、裸の岸谷がいることに、一瞬だけ不思議に思った。確か眠った時は抱き合っていたと思ったが、いつの間にか二人で綺麗にお互い邪魔にならないよう、ぎりぎりベッドから落ちないように並んで寝ていた。
 都は上半身を起こすと、少し寒いと感じた。隣で寝ている岸谷からも掛け布団がはだけてしまって、白く大きな胸が露わになる。眠っている時の人の表情というのは不思議で、何の感情もないような、下手したら死んでしまっているんじゃないかと不安にすらなる、静かな表情をしている。口元が少し開いていて、昨夜何度も自分の唇を重ねた、少し厚めで柔らかい唇がそこにある。
 どうして岸谷は都と愛し合おうと思ったのだろう。前からそうしたかったのか。酔った勢いなのか。酔った勢いというほど飲んではいない。缶のサワーは半分くらい残ってしまっている。都はしばらくその美しい形の胸を眺めてから、掛け布団を肩までかけてやった。顔を近づけてみる。目を閉じていると、その長い睫毛が目立つ。白い肌。整った顔立ち。
 女同士で愛し合うのは、都は初めてではないけれど、それは思春期の頃、ちょうど体の変化などで性に目覚めるようになって、当時住んでいた団地の下の階の幼馴染と、親や兄が不在になっているどちらかの家で、二人で性の遊びに耽っていたことがあった、というだけだ。どうもこの頃のことは都はあまり思い出したくなくて、あれほど仲の良かった幼馴染とも、今は音信不通だ。二人とも住んでいたその団地から、幼なじみの一家がまず引っ越し、それから数年後、都たちの一家も引っ越し、いつしかお互いの連絡先がわからなくなてしまった。いや、都の一家が引っ越した時、都は新しい連絡先を意図的に彼女に知らせなかったのだ。それから後、彼女に連絡をしようとしないのも、彼女がどうしているか確かめようとしないのも、あの頃二人で耽った遊びを思い出したくないからかもしれない。嫌な思い出と言われればそうではない。むしろ逆だろう。あれほどあからさまに、あけひろげに、芽生えたばかりの欲望を見せつけあい、お互いを晒しあって、満たしあったことが、ただひたすらに、単純に恥ずかしいのだ。きっと向こうもそう思っているだろう。もっと歳を取って、からだの悦びなど、遠い日の出来事になったら、笑い話にできるのだろうか。
 この思い出のせいで、都はボディタッチの多い女子を苦手にしていたのかもしれない。これを想起させるとでも思っていたのだろうか。そうだとしたら、自ら進んで行っていた痴態のくせに、随分と勝手な話である。しかし、岸谷のボディタッチの多さだけは何故か平気だった。幼なじみは同じ年で、小学校中学校と、同じクラスになることも多かった。岸谷は一回り以上歳が下だ。この二人は、都よりもずっと背が高く、長髪、というところが似ているけれど、岸谷がものすごく社交的な性格なのに対し、その幼馴染は都以上に内向的で、都以外に友達を作らないくらいだった。岸谷のウェーブは美容室でかけてもらっているものだが、幼馴染はひどい天然パーマを気にしていた。共通点を探してみるが、あるようでない。何か共通点があってなのかと思ったが、違うようだ。
 色々な思い出が頭を巡ってしまい、その甘ったるさに心が振り回される。都はそれを消し去りたくなった。ほとんど衝動的に、眠っている岸谷の唇に自分の唇を重ねた。すると、岸谷は甘く唇を噛み返してきた。
 「起きてたの?」
 昨夜初めて唇を重ねた時と同じように、何度も互いに甘く唇を噛み合った後、ようやく唇を離し、都は未だ目を閉じている岸谷に言った。
 「いいえ、今起きました。」
 岸谷はその大きな瞳をゆっくりと開いで、都を見つめながら静かな声で言った。岸谷が静かな声で喋るときにする、口蓋に舌が当たる音が気持ち良い。
 「お風呂入りにいこっか。」
 都も囁くように言った。昨夜眠りにつく前、お互いを汚しあってしまったから、朝早く起きて、もう一度大浴場へ行こうと話していた。
 「はい…。でも、その前に…。」
 岸谷はそういうと、岸谷に覆いかぶさるようにしていた都の首に腕を回し、都を抱き寄せ、掛け布団の中へ引き入れると肌を重ね合わせて、昨夜と同じように、都を求め始めた。岸谷のからだは暖かかった。
 朝食のバイキングの会場では、ほとんどの人はもう洋服を着ていたが、都と岸谷は浴衣で行った。都は、最初クロワッサン二つだけで終わらせようとしたら、岸谷に、それでは栄養がない、と叱られて、フルーツやサラダを岸谷がどんどん小皿に盛っては都のトレイに置いていくので、都はトレイを持って待っているだけになってしまい、笑ってしまった。岸谷は都があまり朝は量を食べないのは知っているから、どれも少なめに盛ってくれた。コーヒーも入れて、二人がけの席で空いている席を見つけ、向かい合わせに座り、いただきます、と二人で声を合わせてから食べ始めた。
 「ここからどれくらいで行けたっけ?」
 都は聞いた。
 「徒歩含めて40分くらいで行けますよー。」
 岸谷は、サラダを食べていたので、口を隠しながら答えた。都がテーブルに置いたスマートフォンのロックボタンを押して時刻を確認すると、七時四十分をまわっている。
 「まあ、余裕かー。大丈夫そうだね。」
 「ほらー、大丈夫だったじゃないですかー。」
 都の時間確認に、岸谷は、自慢げに言っている。これは、朝岸谷が都を求めてきたとき、時間ないよ、と都は抗ったのだが、大丈夫と押し切ったことを正当化している。都は思わず笑ってしまった。
 「菜奈、あたしの部屋に忘れ物ない?」
 向かい合わせの部屋の前まで帰ってきて、お互いの部屋に入る前に都は聞いた。昨夜、愛し合っている時、都は岸谷を下の名前で呼んでしまった。岸谷はやっと名前で呼んでくれたと喜んでいた。
 「はい、大丈夫です!」
 岸谷は、いつものように元気に返した。準備が整ったら、チャットで知らせる、早く準備できたら、近くにあるカフェでコーヒー飲んでから行こうとなった。バイキングのコーヒーはちょっと美味しくなかった。
 客宅へは、九時十五分にはついた。客宅に到着したら、受付に直接行くのではなく、背の高いお客に電話してくれと言われていたので、岸谷は背の高いお客に電話をして、直接アテンドしてもらった。都たちの顔を見ると、二日続けて申し訳ない、と言いながら頭を下げていた。今までこの背の高い客は、都と岸谷が一緒にいると、岸谷としか話さないし、目も合わせなかったのだが、今日は都にも挨拶をしてくれた。ビジターカードとストラップは、背の高い客が、受付で書類を書き、都たちに渡してくれた。
 サーバールームまで行く道中、背の高いお客は、今日も来てもらったことについて、詫びと礼を繰り返し言っていた。宿は新幹線の駅の近くで取ったのかと聞かれたので、岸谷が駅名を出して、その駅の近くで取ったと答えた。背の高いお客は、その駅の周りの方がビジネスホテルが多いので、そちらで正解だったと言う。新幹線の駅周辺は割とビジネスホテル少ないから、価格も若干高めになるそうだ。こういうのは地元の人の方がよく知っているのかもしれない。つまり、営業もその事情は知っていただろう。もしかすると、岸谷はその情報を営業からもらっていて、今回の宿を選んだのだろうか。背の高いお客は、今までと違い、雑談をするときも、都がいることを意識して話していた。
 二日連続でやってくると、客のサーバールームも目新しいものではなくなってくる。しかも都はこれが三度目だ。今日はベンダーは来ていないようで、ラックスペースとパーティションで区切られた作業スペースには、電源ケーブルも接続されていない、閉じられたままのラップトップがぽつんと置かれているテーブルが一つあるが、後の2つのテーブルは使用されていないようだった。
 背の高いお客は、ここで待機していてほしい、もしかすると、何もなく、待機するだけになるかもしれないが、と頭を下げていた。都と岸谷は、謙遜と否定を返した。背の高いお客が、立ち去ろうとした時、都は電源タップを使用して良いか聞いた。全然使っていただいて良いですよ、と若干恐縮気味に言ってもらってしまった。いちいち断らなくて良い、と言うことだろう。
 念の為、岸谷のバッグから、作業用PC一式を出しておいて、起ち上げておき、いつでも使えるようにしておくことにした。そういえば、昨日のトラブルシューティング中に、一定時間無操作でいるとスクリーンロックがかかる機能を止めてしまっていたので、セキュリティ上の規定通り、五分でロックするように設定を戻しておく。
 1時間半以上は本当に待機だけで、この作業スペースには誰もこなかった。岸谷は、他の正社員がそうしているように、私用のスマートフォンで会社のメールをチェックできるようにしているので、しばらくは、メールをチェックしていたり、返信できるものは返信したりしていたが、それもある程度片付くと、やることがなさそうに手持ち無沙汰を、体の動きで都に訴え始めて、ぼんやり作業スペースの窓から見える空を見たりしている都は、笑ってしまう。都たちのオフィスでは、ここ数年で現場作業員にはベンダーを使う方針に変わってきているので、すっかり機会が減った現場作業員業務だが、都たちのオフィスからSEを出すのが基本だった頃は、都は随分と現場作業員業務をやったので、作業用PC以外何もない状況で長時間待機、ということにある程度慣れていた。岸谷が一度あくびをするので、都もつられてあくびをしてしまう。何もすることがないから楽、という言いことも出来るだろうが、何もすることがないから苦痛、とも言える。
 「あんまし寝てないっていえば寝てないからねー。」
 寝たのは二時半を回っていたはずだ。都はあまり慣れない環境だと、寝つきは悪いはずだが、あれだけのことをしたのだから、疲れ果て眠ってしまったようだ。朝は目覚ましより早く起きたから、何れにせよぐっすりは眠っていなかったように思う。それは岸谷も同じだろう。
 「誰のせいで夜更かしになったんですかね?」
 岸谷は都を責めるように言うのだが、笑ってしまっている。
 「なにそれ!」
 都がそう言うと、二人で大笑いしそうになるので、口を押さえて声を出さないようにする。
 「おはようございますー。」
 都と岸谷の笑いが落ち着いたところで、パーティションの向こうから、昨日の先輩のお客が顔を覗かせて、挨拶をしてきた。昨日は休日出勤だからだろう、この会社の作業用ブルゾンの下は私服だったが、今日はワイシャツで下も作業用パンツだ。先輩のお客は、今日も来てもらったことにすみませんと言って、午前中だけですが、よろしくお願いしますと、挨拶をしてくれた。都と岸谷は、席から立ち上がって、よろしくお願いします、と挨拶を返した。
 都と岸谷は、お昼は弁当を買って新幹線の中で食べるか、駅の何処かで食べるか、などと話をしていた。都が右手首を返して時間を確認すると、十一時半を回っていた。もう流石に何もないだろう、早く時間が経たないかな、とすっかり気持ちが緩んでいたところで、先輩のお客がパーティションから顔を覗かせた。
 「連日すみません、ちょっと相談に乗っていただきたいのですが。」
 謙る訳でもなく、かと言って客だから、というような上から目線の態度でもないが、こちらは受けざるを得ないような圧を感じる。それは相手がそう意図しているのか、都が勝手にそう感じてしまっているのかは微妙だった。
 先輩のお客は都の右隣の席へ座り、抱えていたラップトップPCを会議卓の上で開いた。パイロット拠点に昨日から入っている、本社のIT担当者から、社内のシステムの速度が、切り替え前と切り替え後でそれほど変わらないと言っているらしい。昨夜からはバックアップ回線となった、元々単一の回線だった、パイロット拠点のインターネット回線はベストエフォートで、日中に速度テストをすると大体12メガくらいだったと言う。今は、メインの回線は30メガ固定なので、もっとパフォーマンスが上がるはずだ、と言っている。昨夜、速度テストは本社とパイロット拠点間でやったそうなのだが、きちんとパイロット拠点の帯域分は出ていたと言う。本社の方は、固定の100メガ回線になったので、こちらがボトルネックになることはない。今は、この本社の固定速度の専用線を使っているのは、パイロット拠点だけなのだから尚更だ。
 念のため、先ほども、速度テストをしたそうなのだが、その速度テストをしている間、パイロット拠点で通常の業務をしている人たちから、急にシステムへのアクセスが遅くなったと申告が上がったと言う。
 「まあ、当たり前なんですけどね。」
 そう先輩のお客は自身の発言に突っ込むので、都は思わず笑ってしまった。業務中に帯域試験のため回線帯域をいっぱいに使ってしまうなんて、何してんだって感じですけど、と先輩のお客はさらに付け足すので、岸谷も一緒に笑ってしまっている。
 「だから回線増速したら、パフォーマンス落ちる、とかはないと思ってるんですけど、なんか、こう良い説明ないですかね?」
 おそらくそのパイロット拠点に入っている、本社のIT担当者、この先輩のお客の同僚は、都たちのキャリアのMPLSに、以前より回線帯域に余裕がある専用線に切り替えたのに、アプリケーションのパーフォマンスが良くなっていないから、回線やルーターの不具合じゃないかと言いたいのかもしれない。しかし、この先輩のお客は、どうもそうではない、と思っているようだが、明確にそのパイロット拠点の同僚に、反駁を示す根拠がなく、相談に来た、と言うことのようだ。もっとも、何処かでは都たちキャリアがどこか悪いんじゃないかと思っているのかもしれないが。
 「その向こうからこっちのシステムへアクセスしている通信って、TCPですか?」
 都は聞いた。先輩のお客は、割とフラットに話してくるので、都もつい話し方がお客向けのものではなくなってしまう。
 「はい、そうです。」
 先輩のお客は即答だった。
 「あー…。それは回線の帯域とはあんまり関係ないですね…。」
 都は、そう言って、また先輩のお客のラップトップで、ブラウザを開いてもらい、TCP、ウィンドウサイズ、速度、と単語を並べて検索してもらう。いくつか出た検索結果で、5、6番目くらいに表示されているリンクを開いてもらった。
 「詳しくはこれを読んでもらえれば良いと思うんですけど、ウィンドウサイズと遅延でTCPのスループットって決まるんですね。結局むこうとこっちって、土地が離れているから、遅延ってそんな以前と変わらないですよね?」
 都は、都たちにとっては責任区分範囲外のバックアップ側の遅延を調べてはいないので、おそらくお客であれば取ってあるだろうから聞いてみた。先輩のお客は記憶にあったのか、即答で確かに遅延に差はない、と言った。それから開いたリンクをざっと読んで、ああ、なるほど、と感嘆の声を漏らしている。
 「これは、確かに変わらないですねえ。ちなみに、TCPのスループット上げる方法とかったご存知ですか?」
 ちなみに、と言って質問を追加されるのが都はあまり好きではない。ちなみに、と言っておきながら、本題からどんどん外れていくにも関わらず、そこから話が長くなり、更問いが増えてしまうことが多い。
 「基本的に、TCPを高速化したかったら、WAN高速化装置を入れるしかないですね…。」
 都がそう言うと、先輩のお客は、ですよね、と言っていた。だから、LAN配下には高速化装置があって、海外拠点との特定の通信については、それを介するよになっていると言う。都は、このプロジェクトのSEとしてアサインされた時に見たネットワーク図に、ベンダー提供の高速化装置があったことを思い出した。
 「ありがとうございます!助かりました。」
 先輩のお客はラップトップを閉じて、立ち上がり、軽く会釈をしながらそう言って、小走りにパーティションの向こうへ消えて行った。サーバールームの入り口のカードリーダーのチャイムの音が聞こえた。
 「間宮さん、瞬殺ー。」
 岸谷はそう言って笑っている。都は、たまたま知っている問題だっただけだよ、と否定を返した。この問題は時折、LAN切り替え工事のお客試験で、お客から問い合わせを受けることがある。単純に回線をUDPや、レイヤの低い層の測定で出したような額面通りのスループットは、TCPでは出ない。TCPの場合は、その通信で使われる、一度に送れるデーターの大きさを示すウィンドウサイズと、通信対向間の遅延によるから、いくら増速したところで、距離が遠かったり、ウィンドウサイズを広げられなかったりすれば、その通信のスループットは上がってこない。もちろん増速した分セッション数を増やすことは出来る。
 これはある時、都が夜残業していて、同僚の派遣社員から相談を受けたことがある問題だった。自分で色々調べたがわからず、ちょうど残業をしていた岩砂に都が相談すると、即答で回答が出てきたものだった。都は検索下手なので、自分で調べても全くわからなかったのに、社員に聞くとあっさり答えが返ってきて、びっくりすると同時に、やはり自分は、ネットワークエンジニアとしては、かなり低いスキルで、それもあって派遣社員なのだ、と思ってしまう。岩砂はグローバル畑を長くやっている社員だから、数え切れないほどのトラブルや困難な案件を完遂してきている。歴然とした差は目立ってしまうのは当たり前なのだ。
 十二時十分をまわっても、お客が誰もこなければ、電話もこない。都たちは十二時まで、と言う待機だったので、特に問題も起きていないようであれば、退館させてもらって良いはずだ。都と岸谷は、三十分までは待とう、それでも誰からも待機終了でOKが来なかったら、こちらから背の高いお客に電話しようと話したところで、サーバールームの出入り口の認証キーのチャイムが聞こえた。誰かが入ってきた。都と岸谷はパーティションの向こうをつい見てしまった。やってきたのは背の高いお客だった。頭を下げながら、連日の待機について礼を言ってから、業務は無事に出来ているので、退館して良い旨を、労いの言葉とともにくれた。岸谷は、無事に終わって良かったと、いつものきちんとしたビジネス口調で返していた。都と岸谷は、念のため起ち上げておいたが、結局使わずに済んだ作業用PCを片付け始める。もうスペック的には低くなってしまっているPCなので、電源が落ちきるのに時間がかかるから、一旦閉じてしまって、とりあえず岸谷のトートバッグへしまい込む。新幹線の中ででもゆっくり電源を落とせば良い。
 お昼時なので、サーバールームから1階のロビーまで降りるエレベーターは人がいっぱい乗っていた。お客の人間ばかりの中に、二人だけ他社の人間が、それもスーツを着ているから、見た目ですぐ部外者だとわかる格好で、エレベーターのような狭い空間にいるのは本当に落ち着かない。お客の人間だって、仲間内の人間しかいないと思っていたら、突然途中の階で部外者が乗ってきて、向こうだって落ち着かないだろう。しかも昼休憩時で、気も緩めているだろう。
 ロビーで別れる時、背の高いお客は、岸谷だけではなく、都にも視線を合わせて挨拶をしてくれた。都と岸谷は二人で丁寧に腰を折って頭を下げてから、出口の方へ向かった。ロビーの自動扉を出る時に、もう一度振り返ると、まだ背の高いお客は見送ってくれていたので、都と岸谷は頭を下げてから、客宅を出た。
 帰りの新幹線では、二人ともぐっすり眠ってしまい、東京へ到着することを知らせる、車内放送で目を覚ました。一瞬にして東京へ到着したような変な気分だった。もう十五時半をまわっていて、都は岸谷に、もう帰りたいね、と言うと、帰りましょうか、と岸谷は笑っていた。
 オフィスへ戻って、作業用PCの返却時に必須の、PCの全スキャンや、ウィルス対策ソフトのアップデートなどをするため、都の近くの席で、今日代休の人の席のLANケーブルを拝借して、作業用PCでスキャンを回しながら、自席でメールチェックなどをする。同僚の設計相談などしていたら、あっという間に20時になった。少し疲れていると言うか、気だるさのようなものがあった。それは、宿泊を挟んで、二日続けて現場作業員として客宅へ出向いたからなのか、久しぶりに、あまりにも久しぶりに他人と肌を触れ合い、愛し合ったからなのか。
 保守のメーリングリストに流れているメールで気になったものがあり、都が専用端末で、ある客宅ルーターにログインし、ルーティングテーブルなどチェックしていると、岸谷がやってきた。
 「間宮さーん。帰れそうですかー。」
 上着を脱いで、カットソー姿の岸谷は、ちょっと疲れてはいるようだが、若さだろう、全然ぱりっとしている。都は、もう終わりにしても良いといえば良いので、もう帰ろうかな、と言おうとしたところで、作業用PCを、全スキャンを走らせたままそのままにしておいたことを思い出した。都が慌てて、斜め向かいの席へ、島をぐるりと走り回って向かうので、岸谷は笑っていた。
 「あとこれのウィルス定義アップデート終わったら、帰るー。」
 都は、作業用PCのタッチパッドで作業をしながら言った。
 「間宮さん、あたし喉乾きました!」
 岸谷は何か訴えるように、と言うよりほぼコーヒー買いに行きましょうと決定事項のように、通る声で言うので、都は笑ってしまった。