19-02

19-02
都は、一度LANインターフェイスを閉塞してから、再度開放してみるが、インターフェイスの状態は、物理的にもプロトコル的にも落ちている状態から先へ進まない。都は岸谷に、お客機器側の物理的な接続と、お客機器のポートの状態を、お客と確認してくれるよう頼んだ。
「了解です!」
岸谷は元気に返事をして勢いよく立ち上がると、また小走りにラックの向こうへ消えて行った。都はリターンキーを所在無さげに叩いて、ターミナルウィンドウに、ホストネームだけの行を延々と作って、最後に出たログが、ターミナルウィンドウの上に消えてしまうまで叩いてしまった。もう一度LANインターフェイスの状態を確認するコマンドを叩く。ログも出てきてないくらいだから、確認するまでもないのだが。当然ながら物理的にもプロトコル的にも落ちたままで、うんともすんとも言わない。
都の位置からサーバールーム入り口の方を見ると、ラックとラックの間から向こうの壁が見えるだけだが、そこを背の高い客、続けて岸谷が通った。作業スペースのベンダーに何か聞きに行ったのだろうか。都たちのルーターと、ベンダーのルーターのLANインターフェイスは、同じセグメントだから、都たちのルーターのLANインターフェイスが上がっていなければ、ベンダーのルーターのLANインターフェイスも上がっていない、といことだろうか。違うポートに接続されているのだから、まずはそっちを確認して欲しいところなのだが。自分のところは間違っているはずはない、という思い込みだろうか。それとも、あの設計を間違えて後日修正したSEがまた間違っているに違いない、という偏見だろうか。
しばらくすると、またラックとラックの間を背の高い客と岸谷とが通り過ぎた。ラックの正面へ回ったらしく、ラックの表側から、背の高い客の声が聞こえてくる。キャリアのルーターをきちんとスイッチに接続したのか、インターフェイスを開放してあるのか、などを聞いている。若い男性の声で、接続してあることと、インターフェイスも開放している旨、答えている。スイッチのコンソールで、インターフェイスの状態を確認したらしく、お客のスイッチから見ても落ちているから、都たちのルーターがインターフェイスを開放していないんじゃないかとか言っている。重畳されるファンの音の洪水の中でも、岸谷の声は通って、都たちのルーターのインターフェイスも開放してあることを、反論しているという調子ではなく、丁寧に報告するような調子で言っているのが聞こえる。
若い男のエンジニアは、どうも彼自身のPCのターミナルウィンドウを岸谷に見せているらしく、スイッチのインターフェイスは開放されているが、落ちている、しかもスイッチのインターフェイスだと物理的に落ちている場合に出る、何も接続されていない、と言う状態も出力されているのを見せているらしい。こういう出力だから、都たちのルーター側が被疑だということを、岸谷に説明している。ファンの音に多少掻き消されてはっきりとは掴めないが、特に怒っていたり、イライラしている調子も未だなさそうで、逆に、相手が同じ年代くらいの岸谷だから、はっきり言ってしまえば、可愛らしい顔立ち、豊満な胸、そして明るく愛想も良い女子とくれば、たとえそれが客から見れば、プレッシャーを掛けるべき相手のキャリアの人間だとしても、積極的に良い感じのコミュニケーション取りたいと思う男子がいてもおかしくはないだろう。都は、結局そんなことで人を選びやがって、とも思うし、そんな風に見られる岸谷もちょっと不憫な気もするが、いずれにせよ、LAN切り替え工事で、LANインターフィエスを開放したら、上がらないと最初から躓いている。これから緊張する場面が次々と出てきてもおかしくない状況だ。岸谷がうまく潤滑油の役割を果たしてくれそうなのは、正直都にはありがたかった。そんなことで潤滑油になるのは、本人は望んでいないだろうけれど。
岸谷は、確認します、とその若いエンジニアに言って踵を返し、小走りにハイヒールをバタバタとさせる音が聞こえてくる。客宅でもオフィスでもその一所懸命走る様子は、微笑ましくすらあった。岸谷が都を視界に入れる頃には、都もラックの間から外へ出ようと立ち上がって歩き出していた。
「あ、間宮さん!」
「うん、聞こえてた。じゃあ、あたしたちの子の物理ポート大丈夫かちょっとテストしよう。」
都はそう言いながら、岸谷を避けて、自分のバッグがある壁際へ向かった。岸谷は後ろからついてきた。都は自分のバッグの中からLANケーブルの束を出し、クロスケーブルとわかるようにしてあるケーブルを束から外し、念の為両端のRJ45ジャックの配線が見える側を並べて、クロスケーブルであることを確認してから、岸谷の方を振り返った。
「検収の時にLANインターフェイス大丈夫なのは確認してあるけど、万が一輸送中に壊れたとか、ここ一週間のうちに実は壊れちゃったとか、あるといけないから、念のため、パソコンとルーター繋いでみて、インターフェイスちゃんと上がるかどうか試してみよう。」
都はそれと、自分たちの作業用PCをルーターのLANインターフェイスに接続してもいいか、お客に許可を取ってくれるように岸谷に頼んだ。都たちの構築するWANに接続された拠点は、この本社のLANを含めて未だないのだから、都たちの作業用PCを接続したところで、実害はないと言えるが、お客によっては気にするので、ポートの正常性確認のためだけと言っても、作業用PCをお客ネットワークへ接続する時はお客に断っておく必要がある。
「了解しました!少々お待ちください!」
岸谷はいつもの都と喋るときの調子なのだが、わざと言葉使いを丁寧にしているので、都は笑ってしまった。岸谷は都の笑顔を見ると安心したような笑みを都に見せてから踵を返して、すでにラックの表側入っている背の高いお客のところへ小走りに行った。都は荷捌きスペースで、床に転がる電源タップを見ながら待っていた。ルーターの入っているラックの正面はお客のSEが何人か入っているので、狭いラックの間に都も入るわけにも行かない。
ばらばらな電源ケーブルが、無造作にコンセントに刺さっている。電気がなければ何もできない。この電源タップにたくさんの電源ケーブルが挿さっている光景を見ると、その事実を思い起こされる。この電源タップがなければ、誰も何の作業も出来ないのだ。ラップトップPCの電池なんて大して持ちはしない。
都がお客に話をした方が良かったかもしれないが、お客からの信頼度や、さっきの若いお客SEの岸谷への反応を考えると、岸谷に話してもらった方が得策そうだ。おそらく今は、都たちのルーターがおかしい、あるいは都たちのSEが、あの間違った設計を最初言ってきたSEが、つまりそれは都なのだが、きちんとルーターのLANインターフェイスを開放していない、あるいは何らかの操作ミスをしている、と思われているだろう。都たちのルーターのLANインターフェイスに、既にお客が接続しているLANケーブルを抜去して、別のLANケーブルでPCとルーターとを繋ぎ、ルーターのLANインターフェイスの正常性を示そうと言うのだ。お客の疑念に抗弁をしに行くようなものだから、向こうから印象が良い人間が言った方が無難どころが上策だ。
岸谷はしばらくしてラックの間から出てきて戻ってきた。
「間宮さん、オッケーだそうです。」
岸谷は両腕で大きく丸を作りながら言った。
「りょーかい。ありがとう。じゃーあ、岸谷さん、ラックの表側にいてもらっていい?あたし裏からケーブル渡すから、それを、あたしたちのルーターのLANインターフェイスに挿してもらって良い?」
大きなデーターセンターに比べれば、ファンの音はあまりしないが、それでも都の小さい声には影響するので、少し岸谷に寄って都は喋った。岸谷は背の違いを考慮して、少し身をかがめて都の方に顔を寄せてくれていた。いつもの柑橘系のシャンプーの香りがしてくる。
「了解しました!」
岸谷は元気に了を返した。敬礼でもしそうな勢いだった。
「…あ、な…。」
踵を返そうとした岸谷を、都は呼び止めようとした。よくわからないけれど、思わず岸谷の下の名前を呼び捨てで言いそうになり、都は口をつぐんだ。それでも都が何か言おうとしたと気が付いてくれて、岸谷はもう一度都の方を振り返って、少し背中をかがめて顔を都の近くに近づけた。
「…あのね、あと、できれば、今挿さってるお客さんのケーブルはお客さんに抜いてもらうようにしてね。」
都たちのルーターのLAN側の責任区分分界点は、LANインターフェイスになるので、LANケーブルの抜去、接続はお客にやってもらうのが正しい。本来厳密に守る必要があるのだが、現場作業員としてLAN切り替えにも立ち会うことになると、都たちキャリアのオフィスから来た作業員が、流れでやってしまったり、お客に依頼されてやってしまうことはある。営業が立ち会っていて、営業がそれを作業員へ依頼することすらある。万が一ケーブルのラッチが、作業員が抜いたタイミングで壊れてしまったとか、ケーブルを抜いて、少し引っ張ったらケーブルの反対側のお客機器側に何か不具合が起こったとかあると、責任問題になることが想定されるので、厳密にやらない、というのが正解だが、都のたちのように構築のSEが現場作業員として入った時は、そうもいかないことは少なくない。
また、このLAN側のケーブルを触る、触らないで揉めてしまうと、その工事の後工程で何か問題が起きた時に、お客に協力的に接してもらえない可能性も出てくるので、頑なにやらない、と言うわけにもいかない。
「了解です!お客さんに抜いてもらうようにしますね。」
この辺りの話は、PMをやっていれば、時折当たる問題なので、目新しい問題でもない。岸谷はすぐ納得して了を返した。岸谷ももう国内の工事統制で、この手の問題に当たったことがあるかもしれない。岸谷はラックの表側へ、都はラックの裏側へ同時に歩き出した。
都がラックの裏で作業用PCの前にしゃがみ、カードリーダーに置きっ放しにしてある、都の認証カードを一度持ち上げて、再度当て直し、PCのロックを解いていると、ラックの向こうから岸谷が、お客にルーターのLANインターフェイスに接続してある、お客のLANケーブルを抜去してくれるよう依頼していた。都は、揉めやしないかと少し不安だったが、さすがお客に気に入られている岸谷だ、二つ返事で若いお客は抜くのを引き受けていた。なんかむかつくなあ、と都は一人で可笑しくて笑ってしまいそうだ。
作業用PCのイーサーポートに持ってきたクロスケーブルを接続し、都はケーブルのもう片端を持って、コンソールケーブルを通したラックの空きへ、腕ごと入れる。
「岸谷さーん、ケーブル取ってー。」
都は少し大きめの声で言った。
「はーい。」
岸谷の返事が聞こえると、冷たい手が都の手を触った。その手にケーブルを渡して、都は腕を引っ込めた。
「それをギガの0/0へ挿してー。」
都はリターンキーをいくつか叩いて、ターミナルウィンドウにホストネームだけの行を作った後、現在時刻を表示させながら、言った。
「了解でーす。」
岸谷がそう言ってほとんど間をおかずに、ターミナルウィンドウに、ギガビットイーサネット0/0が、物理的にも、プロトコル的にも上がったログが出た。
「上がったー。岸谷さん、そっちでもランプ点滅してるの見える?」
リターンキーを叩いて、ターミナルウィンドウにホストネームだけの行を作りながら、都は言った。
「はーい。見えてまーす。」
そういう岸谷の返事は、周りのお客の、上がったことに驚いたり不思議がる声に紛れてしまう。都は上がらなかったらどうしよう、とちょっと不安だったのだが、問題なかった。検収時に問題がなかったインターフェイスが、客宅で急に上がらなくなる、というのは滅多にあることではないのはわかってはいたが、そういう滅多にないものを引いてしまう運の悪さは、都にはありそうな気がして心配だった。
お客と岸谷が何か喋っているが、都にはちょっと聞き取れなかった。
「間宮さん、このケーブル、お客さんのスイッチに挿しても構わないですかー?」
岸谷が都に聞こえるよう少し声のボリュームを上げてくれているが、岸谷の声はそもそも通るので、ちょっと大きくすると、うるさいくらいで、それがちょっと可笑しかった。お客は、自分たちのスイッチの物理ポートも確認する必要があると思ったのか、都たちの作業用PCとの接続を使用して、ついでに確認しようと思ったようだ。そうしてしまうと、都たちの作業用PCをお客のLANへ繋ぐことになるが、良いということになったのだろうか。確かに、SIサービスを買っているお客の中には、ベンダーの作業員がサポートしやすいように、ベンダーのPCを接続するためスイッチが、データーセンターや本社拠点に用意されていたりする。
「あ、そのケーブル、クロスだからスイッチに挿しても上がらないから、ちょっと待っててー。」
都はそう言いながら立ち上がって、走って自分のバッグまで戻った。LANケーブルはストレートケーブルも持ってきているので、それをバックがら取り出し、念の為コネクタのピンが見える方を両端とも寄せ、ストレートのピンの並びになっていることを確認し、また走って戻る。都はPCのイーサーポートから、クロスケーブルを抜いて、ストレートケーブルを挿し直した。ターミナルウィンドウには、ルーターのLANインターフェイスが落ちたログが吐き出されている。
「な…。」
都はまた岸谷を下の名前で呼び捨てにしようとしてしまう。もう下の名前で呼び捨てにしたって構わないだろうが、本人の許可は取ってから呼ぶようにするべきだ。でも、それは言い訳で、都はそこまで岸谷と親しくなれていないだろうという、疑いのようなものがしこりとして胸の奥にあるからだ。
「…えっと、岸谷さん、こっちのケーブルをスイッチに挿してもらって。」
都はクロスケーブルを通したラックの空きに、ストレートケーブルの片端を持った腕を伸ばした。
「はーい。」
岸谷の返事と一緒に、冷たい手が都の手に触れて、ケーブルを受け渡した。岸谷の手が柔らかくて、ケーブルを受け取るとすぐに離れてしまうのが、すごく残念に感じた。
都は、リターンキーを数回叩いて、ホストネームだけの行を作り、現在時刻を表示させる。ラックの向こうで、岸谷がお客に、ストレートケーブルをPCに接続したので、こっちのケーブルを接続してくれるよう言っている。一人の若いお客が、別の若いお客に、都たちのルーターと接続するポートはどこか聞いている。聞かれた方は、調べると言って、少し間があってから、ポート番号を言った。そのポートにケーブルを接続して、ポートのLEDが点滅したのを確認したらしく、上がった、とか言っている。確かに都の作業用PCの、タスクトレイのネットワークアイコンが接続していることを示している。ということは、都たちのルーターのポートも正常、お客のスイッチのポートも正常ということで、お客のケーブルが被疑、ということのようだ。クロスケーブルを間違って配線してしまったか、あるいは本当にケーブルの断線や、コネクタがおかしいか。
しかし、ラックの向こうから変な会話が聞こえてきた。
「なあ、ちょっと待てよ、なんでこのポートに今ケーブル挿せたんだよ。」
「え?」
「いや、だから、なんで空きポートなんだよ。」
「は?」
「配線済みのケーブル、このポートに挿さってねえとおかしいだろ。」
そういう若いお客同士の会話があった後、あー、と聞かれていた方の若い子の感嘆の声が上がり、二人の笑い声が起きていた。作業前岸谷が背の高いお客に確認したところ、お客の機器と都たちのルーターは接続済みだと言っていた。つまり、その接続済みの物理ポートのテストをするためには、最初にケーブルを抜去しないといけない。しかし、読み上げられた都たちのルーターと接続しているはずのポートは、何も挿さっていない空きポートだったようだ。ケーブルを接続した方の若いお客は、つい勢いで接続してしまったが、ポートのLEDの点滅を見てそのことに気がついたようだ。お客たちは岸谷に、接続や設計を確認するから少し時間をくれと、岸谷に言っていた。流石にお客たちは、申し訳ないと詫びていたが、岸谷は明るく否定を返していた。背の高いお客は若いお客二人に、何やってんだ、と叱ってはいるが、コントのような出来事に笑ってしまってもいた。
今日中に帰れないんじゃないのかな。都は心配になってきた。