19-01

2022-02-06

19-01

 日曜の昼下がりとなれば、もうすぐ週末が終わってしまうという奇妙な寂寥感が、街のどこかしこにも漂っているようで、都はこの時間帯があまり好きではない。そういう自分も、また明日から仕事かと、しょんぼりしてしまう。週末が休みの人が多くて、そういう多くの人の心情に、街の空気が染まってしまうのだとすれば、考えようによっては、それは恐ろしいことだ。
 そうではなくて、単純に自分の気分が、勝手に外の景色に色眼鏡をかけてしまっているだけで、ただの思い込みでしかない、ということなのだとすれば、これはこれで、恐ろしいことかもしれない。
 現場作業員として客宅へ行く時は、大抵、一度オフィスへ出社してから、作業用PCなどをバッグに詰め、それから客宅へ向かうことが多い。しかし今回は岸谷も同行するので、二人で荷物を分けて、家からまっすぐ東京駅で集合となった。先日二人で現場作業員の仕事をした時と同じく、会社の所有物である作業用PCと付属品は、社員である岸谷が持ち、その他都の私物である工具類やコンソールケーブルの類は、都が持つことになった。都の方が荷物が軽くなってしまうので、ちょっと申し訳ないのだが、岸谷はむしろそれが嬉しいようだった。都も、こういう荷物負担は、自分の方が負荷が高い方が、相手を楽させていることができるかも、というちょっとした嬉しさを感じたりするので、それはわかるような気がした。
 東京駅は休日だと観光客で混んでいて、都が東京駅まで来るのに使う快速電車の地下ホームから、新幹線のホームまで移動するのは、縦横に行き交う人の流れをさばいていかないといけなくて、ちょっと大変だ。平日だったとしても、東京駅のこれをさばくのは大変だが、ある程度の大きい流れに乗れればなんとかなるけれど、休日はそう言った一定の固まった潮流といったものがあまりない。しかし、気が立っていて、ほとんとわざとぶつかってくるような人も少ないような気もする。
 駅構内にある新幹線ホームへの改札付近までたどり着いたが、岸谷を見つけられず、都は少しきょろきょろしてしまった。都よりちょっと早く着いているのはチャットでもらっていた。かなり騒々しい構内でも、その通る声は都の耳まで届いて、自分の名前を呼ぶ方を見ると、スーツ姿の岸谷が笑顔で腕を大きく振っていた。
 「旅行行くんじゃないんだからさー。」
 岸谷の近くまで寄って、挨拶をすると、岸谷があまりにも楽しそうに挨拶するので、都は思わず笑って突っ込んだ。岸谷はそれでも、えー、間宮さんとお出かけですよー、と楽しそうに笑っている。都は今日の工事に対する緊張や不安といったものが飛んでしまいそうになり、それを捕まえていないといけない気分になった。緊張や不安といったものを感じていないと、逆にその工事はトラブルような気がして、緊張や不安を感じていた方が、トラブルが起こりづらい気がする。経験則からそうなのだというところもあるが、単純に気にし過ぎなところも、都にはあった。
 新幹線のホームで、昼下がりの陽射しに染まった空気の中にいると、あの日曜独特の寂寥感というものはやはり感じるような気がする。それでも、これからLAN切り替え工事だという緊張の方が上回っていて、休みの日のように奇妙な気怠さを、感じられないというよりは、感じる暇がない。そういう感覚だ。気温的にはもうそれ程高くないはずだが、上着を脱ぎたくなるくらいの暑さを感じることがまだ出来る。
 岸谷は新幹線の中でも元気で、都は楽しく雑談をして過ごすことができて、工事への緊張感をまた忘れそうになってしまった。よく考えると、実は岸谷の方が緊張していて、それを誤魔化そうと明るく振舞っているんじゃないか。そんな安っぽい推測が出てきてしまう。いや、先日、まだ夏の暑さの残る初秋に、二人で行った現場作業員の仕事で、癇癪持ちのお客の怒鳴り声を聞きながら作業をしたくらいだ。あの時は本当に純粋な現場作業員としての業務だったから、お客とは初対面だったし、プロジェクトそのものについては何も知らない状態だったのだ。今回は岸谷自身のプロジェクトで、彼女自身が何度も実際に会ったり、電話で会話をしたりしている客だ。相手を、プロジェクトの全体像を、知っているからそれほどの緊張もないかもしれない。そうではなく、知っているからこそ、問題なくLAN切り替えを完遂させたいだろうから、逆に緊張するかもしれない。どっちにしろ自分の勝手な思い込みに過ぎないような気がして、都はそれ以上考えるのをやめた。
 新幹線から現地の在来線へ乗り換える駅を出ると、すっかり日は傾いてしまっていて、例の寂寥感は強くなっていいはずだが、それは都にとって今は遠い世界の話に思える。どこか二重に被さっている世界があって、二層目に自分がいて、その週末が終わってしまうという、休みだからこそ感じられる寂寥感は、一層目の世界の出来事で、とても他人事な気がした。
 日曜日のため、この客宅へ訪問する時に来客が使う正面入り口は閉まっていて、そこからは入れない。これは事前に聞いていた。隣接するビルとの間の私道を入って行くと、夜間通用口があるので、そこから入って欲しい、到着したら電話をくれればアテンドする、とお客から指示を受けていた。まずは二人でその夜間通用口なるものを探す。客宅へ着いた時はもう日はほぼ落ちていたので、その私道には街灯もなく、背中の大通りを行き交う多くの車の騒音がなければ、この私道へ入るのを躊躇したかもしれない。
 「ここですかねー…。」
 壁沿いにいくつか搬入口のようなものもあるし、セキュリティのためか、それが何の扉やシャッターなのかは書かれていない。そのため判断に少し迷うが、人の通用口として適切そうな非常扉のような入り口の前で、岸谷はトートバッグから、工事用の携帯電話を出して、自分のスマートフォンに登録してあるお客の電話番号を見ながら電話を掛けた。電話で岸谷が通用口の位置や見た目の特徴を伝えると、どうもこことは反対側らしく、岸谷は電話の向こうに笑って謝っていた。
 「反対側らしいですー。」
 岸谷は電話を切ると、都に失敗しました、という顔を作ってとっても残念な調子で言うので、都は笑ってしまった。小走りに二人で客宅正面を回って、反対側の私道の方へ回り込むと、すでにお客が扉を開けて押さえて待っていてくれた。先日の都がルーター設置の時に、立会いを担当していた背の高いお客だった。
 「ごめんなさい、説明が悪かったですね。」
 訪問の挨拶を交わした後、お客は笑顔で岸谷に詫びていた。岸谷はもちろん否定を返し、こちらこそお手数をおかけしてすみません、と嫌味のない、爽やかな調子で明るく頭を下げていた。都は岸谷の後ろから歩いているので、岸谷の表情は見えないが、背の高いお客の笑顔から、良い印象を持たれているのは間違いなさそうだ。
岸谷と背の高いお客は並び、都はその後ろをついていく形で、通用口からビルの中へ繋がる廊下を歩いた。背の高いお客と岸谷は何か雑談をしているが、都には何を喋っているのか全くわからなかった。日本語で喋っているはずなのだが、よほど都に縁遠い話なのか、興味がないのか。耳から入ってきているのに、脳の中をすり抜けてしまっている。例によって、社会で正しいとされている道を歩んできた人、歩んでいる人と、一度躓いてしまった人間との境目は濃く深いからなのか。
 オフィスビルによくありがちな、時間外の出入り口へ繋がる通路は、どこか迷路めいていて、方向音痴の都は一人では退館できそうにない。エレベーターホールに着いた時は、どうやって来たのかすら、もうわからなくなっていた。
 サーバールームに入ると、既にベンダーやお客のSEだろうか、数人がラックの周りで作業を始めていた。パーティションで仕切られた作業スペースにも数人いるのが見えて、その中の一人は先日の打ち合わせの時に同席していたベンダーの人のようだ。全部で合計十人程度だろうか。お客が出して来た線表では、20時には終了となっていたが、この何となく慌ただしい雰囲気では、とても3時間で終わるとは思えなかった。都たちの作業は、LANポートを開放することくらいなのだが。
 作業スペースをパーティションの脇から覗いたところ、既に打ち合わせ卓はベンダーや、おそらくは客のSEたち、あるいは彼らの荷物で埋まっていた。作業スペースの壁際にある机は空いているものの、その打ち合わせ卓を抜けていかないといけないから、都と岸谷は他の場所を探すことにした。サーバールームの入り口から続く壁とラックの並びの間には少しひらけたスペースがある。おそらくは機器の荷捌きのために空けてあるようなスペースだろう。岸谷は背の高いお客に、作業スペースは既に場所の余裕がないので、EPS室の扉近くの壁際に荷物を置かせてもらって良いかを聞くと、二つ返事で許可された。都が先日作業スペースの電源の使用許可を求めた時とは随分態度が違って、それは都が派遣社員だとわかってなのか、単に岸谷が若い女性だからなのか、分かりかねた。PMとして常にお客と対応しているから、お客から信頼がある、ということもあるのかもしれない。やはり打ち合わせの時に喋った設計を後日訂正したことが、都の点数を下げてしまっているのは間違いがない。
 都と岸谷は荷物を置いて、作業用PCやコンソールケーブルなどを床に出した。都が作業用PCの準備をしている間に、岸谷は工事用の携帯電話で、このLAN切り替え作業の対向拠点、つまりお客のWANネットワーク更改のパイロット拠点となる、中国地方の支社のLAN切り替えに立ち会う営業に、客宅へ入ったことを連絡していた。その中国地方の支社はあまり大きな支社ではなく、ルーター配下には接続セグメントしかない拠点なので、パイロット拠点としては適切とのことだった。本社からもIT担当者が一名現地に入って、切り替え後必要なテストを実施するという。本社以外の国内拠点は、安価なルーターを導入しているので、都たちの部署では担当せず、また都たちのように、ネットワーク全体を考慮したLAN切り替え対応というものがサービスメニューに存在しないので、キャリアに立ち会って欲しい場合は、営業で対応するか、もしくはSIサービスをお客に買ってもらって、SIで対応することになる。
 都と岸谷が荷物を置いた壁からラックまでの間にある荷捌きスペースには、8穴の長い電源タップが2つ程転がっていて、ベンダーやお客の作業用PCなどはそこから電源を取っていた。都たちもそこの電源を使って良いとのことだったので、都はディスプレイに起動画面が走っているPCを床に置いて、四つん這いで電源ケーブルを持って進み、電源タップの空きコンセントへ差し込んだ。ひねって固定できるタイプだったので、念の為ひねっておいた。
 「じゃあ、すみません、作業始めたいと思いますので、まずはルーターのLANポートの開放をお願いできますか。」
 都がしゃがんで作業用のPCが起動し切ったことを確認した後、デスクトップに保存していた線表を開いたり、テキストベースでメモしておいた、作業手順ごとに確認すべき事項、叩いておくべきコマンドなどを確認していると、背の高いお客が来て、バッグの中から出した線表の打ち出しを、立ったまま広げようとしていた岸谷に声をかけた。
 「はい、かしこまりました。それでは私たちの作業用パソコンを、ルーターにコンソール接続させていただいてもよろしいでしょうか。」
 岸谷は、いつものビジネス喋りといった口調で丁寧に聞いていた。都だったら、そんな書いた文章みたいに聞けなかっただろう。あの、とか、えーと、とか入れながら、単純にルーターにパソコンつなぐ、と曖昧な言い方になってしまったはずだ。頭良いんだろうな、という阿呆みたいな感想を、都はシンプルに抱いてしまう。
背の高いお客は、ああ、そうですね、と都たちの作業用PCのコンソール接続を取る必要性を忘れていたような反応をして、狭いラックとラックの間のスペースで、ラックのスライド棚にノートPCを乗せて作業をしたり、ラック間のスペースにしゃがみ込んで、膝の上にノートPCを乗せて作業をしている、背の高いお客と同じ、この会社の作業着のブルゾンを着た人たちに、丁寧ではない口調で、キャリアの作業員の方がコンソール取るから、ちょっと退くようにと指示していた。そのお客のSEたちは、適当な返事をしながら、退いてくれたが、そのスライド棚の下に都たちのルーターはあった。都は最初作業用PCを持って、ラックの間に入って作業をしようと思ったが、お客のSEも作業があるだろうし、同時に全員入るスペースはない。都たちのルーターが設置されたラックは、ラックの列の端から三番目のラックなので、コンソールケーブルをラックの列の端まで引っ張るには少々余長が心許ない。
 このラックの列は、作業用スペースから見て、2列目になるが、1列目と2列目のラックの間、つまり都たちのルーターが入っているラックの裏側には、誰も場所をとっていなかった。スイッチのコンソールポートはそちら側を向いているが、お客はコンソールケーブルをラック正面へ回しているらしい。都は岸谷と一緒に一旦、ラックの正面まで出て、スライド棚の下を覗くよう身をかがめた。都が設置したルーターと、回線終端装置の間には機器は未だ設置されていなかった。ルーターの上にある、このスライド棚は先日はなかったはずで、その上のスイッチ類もなかった。新しい機器をいくつか設置したようだ。打ち合わせの時にお客が言っていた、マイグレーション先のスイッチ類ということだろう。
 都は岸谷に、作業用PCを持ってラック裏へ回ってもらい、その終端装置とルーターの間から、コンソールケーブルのRJ45コネクタを表側へ流してくれるよう頼んだ。岸谷は、元気に了を返して、ディスプレイを開いたままで、認証カードリーダーをキーボードの上に載せた作業用PCを都から受け取り、小走りにラック裏へ向かった。電源ケーブルとACアダプターがズリズリと床を引きすられて行くので、こちらの余長も心配だ。届かなければ、設置の時のようにラックのコンセントバーからもらえるよう、お客にお願いするしかない。
 「間宮さーん、じゃあ、渡しますよー。」
 ラックの向こうから岸谷が声をかけてきた。
 「うん、じゃあちょうだい。」
 都はかがんで、ルーターの下に腕を伸ばした。コンソールケーブルが都の手に当たったので、都は掴んで引っ張り、ルーターのコンソールポートに、ラッチの音がかちゃんと言うまできちんと差し込んだ。LANポートであるギガビットイーサーネット0/0にはすでにケーブルが接続されている。WANポートであるギガビットイーサーネット0/1のLEDは点滅しているが、ギガビットイーサーネット0/0のLEDは消灯していて、ポートが閉塞されているか、ケーブルの反対側が未接続か閉塞されているかを表している。退いて都の作業を見ていたお客たちに、退いてくれたことに対して礼を言って、もう大丈夫だと伝えてから、ラックの裏側へ小走りに向かった。岸谷は床に作業用PCを床に置いて、都がしゃがんで作業できるように、作業用PCの前を空けてしゃがんで待っていた。
 都は認証カードリーダーに自分の認証カードを当てて作業用PCのロックを解き、ターミナルソフトを起動させ、コンソール接続を選択する。ログ取得を開始してから、リターンキーを叩いて、ログインクレデンシャルを打ち込んでルーターにログインした。現在時刻を表示させるコマンド、インターフェイスの状態の省略一覧表示を叩いて、LANインターフェイスになるギガビットイーサーネット0/0が閉塞されていることを確認した。念の為、WAN側のBGPが上がっていること、プロバイダエッジルーター側へ、サイズ1500バイトのpingを1000発打ちロスがないことを確認し、回線の品質に問題がないことを確認する。もう一つ念の為、LAN側のOSPFが上がっていないことも確認する。WANインターフェイスのエラーカウンターが上がっていないこと、シスログにおかしなログが上がっていないこともついでに確認しておく。
 「オッケーだね。じゃあ、いつでもノーシャットできるよ。」
 都は岸谷に言った。
 「了解です。じゃあ、お客さんに聞いてきますね。」
 岸谷はいつもの都と話すときのような口調で言ってから、立ち上がって、都の背中をちょっと跨ぐように抜けてから、小走りに向かおうとしたので、都は岸谷を呼び止めた。
 「あ、岸谷さん、ついでに、LAN側ってもうお客さんの機器と接続しているか聞いてきてもらえる?」
 「了解です!」
 岸谷は元気に返事をして、ラックの陰に消えた。すぐに小走りに戻ってきた。
 「じゃあ、間宮さん、ノーシャットしてください!機器は繋いであるそうです。」
 都の左隣に飛び込むようにしゃがみ込んで、岸谷は作業指示を都に出した。
 「りょーかーい。」
 都はのんきな返事をしてから、リターンキーを数回叩いて、ホスト名だけの行をいくつか作ってから、現在時刻を表示、インターフェイスの状態の省略一覧表示を叩いた後、現在のコンフィグのLANインターフェイス部分だけに絞って表示するコマンドを叩いて、LANインターフェイスが閉塞されていることを、指差し確認する。それぞれのコマンドを叩く前に、ログを見やすくするためリターンキーを数回叩いて、ホストネームの行をいくつか作りながら、コンフィグモードに入り、さらにLANインターフェイスをコンフィグするモードに入り、LANインターフェイスを開放し、コンフィグモードから抜け、変更したコンフィグを保存するコマンドを叩く。LANインターフェイスが開放されたログは出たが、すぐに物理的に落ちているログが出てきた。しばらく待っても、LANインターフェイスが上がるログが出てこない。
 都はLANインターフェイスの状態を確認するコマンドを叩くと、物理的にもプロトコル的にも落ちている。岸谷によれば、お客は都たちのルーターとLAN機器は接続済みだという。これは長い工事になりそうだ。都は幸先が全く良くないことに嫌になってしまう。