18-04

18-04
客宅を出ることができたのは19時過ぎていて、新幹線の駅へ着いた時には19時半を回ってしまっていた。都は、喉がとても乾いていたし、長い時間コーヒーなしで過ごしたから、コーヒーが飲みたかった。とりあえず駅の窓口へ行き、20時台の席が空いている新幹線の切符が取れるか聞いてみた。一番東京への到着が早い列車のチケットは取れるし、窓側もまだあるとのことだったので、その一番速い到着の、窓側で取ってもらった。領収書と一緒に切符を受け取ると、とてもカフェでコーヒーを一杯、という時間的余裕はないことに少しがっかりして、都は仕方なく、改札を潜り、トイレを済ませてから、駅構内の新幹線の待合室へ入った。
そこには、岸谷が都を良く連れて行ってくれる、世界的に有名なカフェチェーンのカウンターがあった。人も並んでおらず、すぐに買えた。一番小さいサイズのホットコーヒーを買って、いつも岸谷が頼んでくれているように、ミルクを多めに入れたいから、量を少なめにしてくれるよう注文した。ミルクや砂糖を入れるカウンターで、ミルクを注いでから、待合室に空き席があったのでそこへ座って、列車の時間までゆっくりコーヒーを飲むことにした。コーヒーを飲み切れなければ、車内へ持ち込んでしまえば良い。
都は、空いている椅子に腰を下ろし、バッグを足の間に挟んで置き、背もたれに背中を預けて、小さくため息をついた。コーヒーを一口飲むと、喉が渇いているせいと、朝家を出るときに飲んだぶりのコーヒーだということもあって、とても美味しく感じた。ごくごく飲みたかったが、ちょっと熱くて無理だった。
都が座った席と、隣の席との間にはサイドテーブルあったが、隣の席の人が使っているので、コーヒーカップは腿の間に挟んで椅子に置くしかない。都は右手首を返して時間を確認する。まだ列車の発車時刻まで12、3分ほどある。都はスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出した。
チャットアプリにメッセージがいくつか届いていた。確認すると岸谷からで、長時間になった作業を労ってくれていたり、作業用のPCなどを置きに一旦オフィスへ立ち寄ると都が言っていたから、それを待っていること、などといった内容だった。ほんとに待ってるの?と都はちょっとびっくりして、オフィスに着くのは遅いから、先に帰っていいよ、と待ってると言ってくれたことに礼を書いてから送った。22時を回ってしまうはずだ。直ぐに既読がついて、やだー、待ってるー、と泣き顔の顔文字を入れながら送ってきて、都は可笑しくて、思わず声出して笑ってしまいそうになり、ニヤニヤする程度に我慢するのが限界だった。
都は、ほんとに気を使わなくて良いよ、と送ろうと思ったが、実は遅くまでかかる仕事があって、単に帰れないだけかもしれない、と思い直した。どうしても今日中に回線かルーター調達の進捗を取らないといけない案件があるのだろう。あるいは、先日都がふと岸谷の席へ遊びに行ったら、そのまま岸谷がPMのプロジェクトの、LAN切り替え工事のトラブルに付き合ったように、何か工事があって、待機が長引くことが決定しているのかもしれない。自分のために、なんておこがましいことこの上ないから、無理しないでね、と可愛らしく訴えるペンギンのスタンプだけ送っておいた。岸谷からは、何故か気合の入った猫が叫んでいるスタンプが送られてきた。つい笑い声が出てしまって、恥ずかしかった。スーツ姿の大人の女が、一人スマートフォン見て笑っているのは、あまり気持ち良くは感じられないだろう。
東京駅の構内は新幹線、在来線問わず帰宅客で混んでいたが、駅を出て、オフィスまでの道のりを進むと、駅から離れるにつれて人通りは減って行った。作業用のPCやら工具やらが入ったバッグは重たくて、右手で持ったり、左手で持ったりしないと腕が痛い。オフィスの隣の敷地の、工事現場を遮る仮囲いを通る頃には、汗をかいていた。もう夜になれば結構寒いくらいなのだが、上着を脱ぎたかった。
オフィスの入り口はすでにシャッターが降りていて、呼び鈴で警備員を呼び出し、勝手口のような扉を開けてもらわないといけない。都の社員証、社員といっても派遣社員であることが一目でわかるようになっている社員証だが、それをカバンからストラップについた認証カードと一緒に取り出し、呼び鈴についているカメラに見せて、開けてください、とお願いすると、直ぐに警備員が出てきてくれる。このビルの警備員は無骨な感じの人が多いが、挨拶をするときちんと返してくれる人ばかりだ。
勝手口を入り、認証カードを読ませてゲートを通る。ゲートの先にある、廊下と入り口スペースを仕切る扉は日中は開いているのだが、今は閉まっているから、その重い扉も開けないといけない。その扉を抜けると廊下に出て、廊下沿いの居室が都のオフィスなのだが、都の席は廊下をもっと奥へ入った方の扉が近い。しかし都はそっちまで歩くのが面倒くさくなって、このゲートの近い方の扉から入ることにした。静かな廊下には、都のカバンが揺れる音さえ反響が返る。カードキーをかざすと、認証が通ったチャイム音が鳴る。重いカバンを片手に持って、空いた手で重い扉のノブだけひねり、あとは体で押し開けた。オフィスはまだ電気がついているが、所々消えていて、残っている人は、見える範囲ではいつも残業している人しか見当たらない。右手首を返すと想定通り22時を回っていた。
人が少なくなっているオフィスだから、ちょっと反響を伴いながら、電話会議のスピーカーの音質で、南アジア訛りの英語が聞こえてくる。柱が多いオフィスなので、誰がどこでやっているのか見えないが、この時間で電話会議なら、ただの夜間工事か、結構深刻なエスカレーションのどちらかだ。都は壁沿いの通路を歩いて自席の方へ向かった。自席の周りの島は、ほとんど人が帰っていたが、隣のチームの課長が未だ残っていて、お疲れさまです、と声をかけると、現場作業員だったのかと聞かれたので、雑談ベースで今日の顛末を簡単に話した。その課長は笑って労ってくれた。
重たいバッグを自席の椅子の上に置くと、都は汗をかくくらい暑いから、ジャケットを脱いで、シャツの袖をまくった。オフィスのどこからか、岸谷の上長である高松課長が英語で喋る声と、通る声でネイティブな発音の岸谷の英語が、スピーカー音質の南アジア訛りの英語とやりとりをしているのが聞こえてくる。
都はバッグの中から、作業用のPCや、持っていった工具類などを机の上にどんどん出していく。あっという間に机の上に山が出来てしまう。袖机の鍵を開けて、私物は袖机の引き出しの2段目へしまいこむが、2段目の引き出しの中はごちゃごちゃしていて、我ながら整理できていなくて笑ってしまう。ちょっと整理しなきゃとは思うが、今日はもう片付けだけしてさっさと帰りたいので、スクリュードライバーや、ドライバーセット、コンソールケーブルとそれのUSB変換ケーブル、スペアで持っているケージナットとネジのセット、などなどを、引き出しが閉まればとりあえずオーケーというくらいの雑な感じでどんどん放り込んで行く。三段目の引き出しに、作業用PCを、電源ケーブルや認証カードリーダーなどと一緒に収納しておくための書類ボックスをしまっておいたので、そこへ全部詰め込んで、また三段目の引き出しへしまう。本来は、オフィスの壁沿いに設えられた鍵付きロッカーへ返却するのだが、作業ログを抜き出しておく必要があるし、作業で使用したあとは、ログの削除だけではなく、セキュリティソフトによるPCの全スキャンや、セキュリティソフト、およびOSのアップデートを実施しないといけない。特にPCの全スキャンは、この貧弱なPCのパワーでは大体2時間くらいかかるので、今からやってしまったら、もう今日は帰れなくなる。ログの取り出しも含め明日やることにする。
片付けている最中に、電話会議を締める挨拶が聞こえてきたので、電話会議は終わったらしいことはわかった。都の現場作業員の仕事をする時用のバッグは軽くなった。少し座って休みたいから、通常端末を起ち上げてメールのチェックだけでもしようか迷っていると、人がいないからだろう、遠慮なしに、ヒールでがんがんフリーアクセスの床を叩いて走ってくる音がする。
「間宮さーん!」
ただでさえ静かなオフィスに、もともと通る声はさらに良く通って、うるさいくらいだ。長いゆるいウェーブの茶髪を揺らしながら、大きい瞳を輝かせて走ってくる。さすがにもう夜22時だから、ちょっと疲れた顔をしているのに、よほど嬉しいことでもあったのか、子供が喜んでいるような明るい顔色になっている。何となく、都は久しぶりに岸谷の顔を見たような気がして、久しぶりと言いそうになって可笑しかった。
「おかえりなさーい!」
岸谷は両手を上にばんざいするようにあげながら、都を出迎えるように言った。都はその大仰なふりに声を出して笑ってしまった。後ろからは高松課長が歩いてきた。
「ご苦労様。大変だったんだってね。」
高松は都と岸谷とのやりとりの様子が微笑ましいと思ったのか、笑っていた。あるいは、こちらからも課長自ら出るのだから、おそらく電話会議の相手は海外オフショアセンターのマネージャーだっただろう。内容だって、こんな時間にマネージャー同士が直接会話をするようなものなのだ。それなりに深刻なものだったはずだ。そんな電話会議に、その流暢な英語力で積極的に参加していた直後なのに、電話会議が終わると直ぐ、仲の良い先輩派遣社員の元へすっ飛んで行って、元気にはしゃいでるような様子が、呆れるくらい微笑ましかったのかもしれない。
三人立ち話で、今日の工事がどこでトラブルになっていたか、岸谷や高松課長がオフィスで把握していた状況と、都が現場で把握していた状況とをすり合わせたりした。今回は国内網へ接続する回線だったので、ほとんどこのオフィスへは情報が入ってきておらず、都の方が正確に状況を把握していた。営業は回線トラブルで遅れているという話は岸谷に報告していたらしいが、細かい状況までは喋らなかったらしい。都のした説明も、まだ具体的なイメージがわかないようで、へえ、というくらいの感じだったが、高松課長の方は、全体像はすぐ掴めていて、そんなトラブルが起こったのだとすると、今後も何回か起こるかもしれないから、営業から国内回線の収容設計をやっている部署へエスカレーションかけて改善させた方が良いかもしれない、と言っていた。
ただ、都が今回現場へ行った拠点は、このキャリアでは、西日本、という扱いになる。西日本の回線収容情報は、紙管理の時代にあった震災で一度全部焼けてしまって、ほぼ一から徐々に作り直し、途中から全社的なデーターベース化の動きに乗り、データーベース化も並行して行ったりと、回線を復旧、開通させながらそれをやらなければいけない混乱もあって、今もその余波が何処かに残っていたりすることがあるから、それかもしれない、そうであれば、それはきちんと修正されていくだろう、とも言っていた。当たってみないとわからない箇所も、残っているのが現実だということらしかった。
6年前の震災の復興だってまだまだなのに、二十年以上前の震災の影響が未だこんな形で残っているのだ。都は改めて事の大きさに神妙な顔にならざるを得なかった。
「間宮さん、ちょっと休憩しません?」
岸谷は何だか楽しそうに都を誘ったが、もう22時過ぎだ。しかし、都も一息入れてから帰りたかったし、一息いれるために、つまり席に腰掛ける理由づけのために、通常端末を起動してしまうと、メール読み始めて帰れなくなってしまったら本末転倒だ。
「いいけど…。なんか電話会議してなかった?大丈夫?」
都は気になったから聞いた。聞くと岸谷がどこから説明しようか一瞬迷った間に、高松課長が笑いながら説明を始めた。
岸谷がPMをやっているお客、高松はお客名を出したが、都はそのお客を岸谷がPMをやっているのは、本人から雑談で聞いていたので知っていた。もちろん、メンターがついてはいるが、通常はもう岸谷一人でこなせているようだ。そのお客のネットワークに、新規でヨーロッパ拠点を追加するプロジェクトが走っている。来月半ばが開通希望日だと言うのに、オーダーが出てから2ヶ月間、何の進捗もなく、お客の温度が高くなってきているところに、今週になって、現地キャリアから、掘削が必要なため、開通は早くても来年初頭になるというアップデートが、海外オフショアセンターにあった。
開通日が近くなったところでようやく来たアップデートが年内は無理、というものなのだから、お客の温度はさらに高くなってしまい、当初のお客の希望通り、来月半ばには必ず開通させろと、強く要求されている。掘削を早めるや、敷設経路を変えて早く引けないか、など早期開通へ向けプッシュしてくれと、岸谷から海外オフショアセンターの担当者に依頼しているのだが、キャリアから全く返事がない、としかアップデートを得られない。海外オフショアセンターのPMに、キャリアへのエスカレーションを依頼しているのだが、それに対しても全くアップデートをよこさない。岸谷が海外オフショアセンターの担当者に電話で聞いても、今やっている、しかしキャリアから返事がない、キャリアへ電話もしているが出ない、との一点張りだ。
岸谷は自分のマネージャーの高松へまずエスカレし、高松から海外オフショアセンターのマネージャーへエスカレーションメールを出したりしたが、直ぐに確認すると返ってはきたものの、それ以降進捗がなく、今日になって、高松が向こうのビジネスアワーが始まってから、直接マネージャーに電話をしてみたが、捕まらない。夜になっても捕まらないので、高松はマネージャー権限でしか見ることのでいない、海外オフショアセンターのシステムにある、海外オフショアセンターが回線手配に使う、各キャリアのエスカレーション窓口の連絡先を調べ、そこへ電話をしてみた。これは本来海外オフショアセンターの責任区分範囲で、そこへ勝手に立ち入ることになるので、やってはいけないのだが、そんなことを言っている場合でもなかった。何度電話をかけても自動応答だけで、一向にキャリアの担当者につながることができなかった。そんな中つい先ほど、海外オフショアセンターの方のマネージャーが捕まり、三人で電話会議となったようだ。
今回のヨーロッパ拠点のキャリアにかかわらず、だいたいヨーロッパのキャリアは応答が悪く、こちらからのプッシュはほとんど効かないことが多い。まして、今回のキャリアは、都たちの構築するグローバルMPLSへ接続する回線として使った実績がほとんどない。つまりそれだけこのキャリアと海外オフショアセンターとの間にほぼ取引がないということでもあるので、なかなかそういう状況でのキャリア間エスカレーションは難しい。つまりパイプやコネクションといったものがないのだ。
営業からは、価格が高くなっても良いから、早く引けるキャリアを探してくれとも言われているから、その見積り取得も急ぐようプッシュをかけたが、増額になった場合の価格をこちら側で飲むのかお客側に支払わせるのか、営業がはっきりとした回答を示さないので、海外オフショアセンター側があまり積極的に動きたがらない。東京側から納期短縮のためのキャリア変更を依頼されて、結局こちら側、つまり海外オフショアセンターの財布で増額分を補填させられることがあり、利益重視の海外オフショアセンターにとっては、この日本的なやり方は、気が狂っていると思われるくらいに理解できないものだ。そのため、この増額のため減った利益分をどう補うのかが整理されたプロジェクトでなければ、回線敷設プロセスが進行中に納期短縮のための他回線キャリアの見積り取得はやりたがらない。例えば、増額分はお客に転嫁できないが、拠点数も多く5年契約だから、保守費用がこれだけ取れるので、保守費用で補填可能、などだ。
都が派遣社員として勤めるこの通信キャリアは、日本では最大規模になるが、ヨーロッパへ行けば、東の果てにあるアジアの見知らぬキャリアだ。そのため、あまりエスカレーションが効かないのはよく知られている。一部、海外オフショアセンターが太いパイプを持っているキャリアがあり、そこを使った場合、現地法人でヨーロッパの回線を調達していた時よりも、デリバリーが早くなる場合はある。しかし、このキャリアの回線は高いので、カバレッジがよほど強い地域、あるいはこのキャリ以外の選択肢がない土地を除き、海外オフショアセンターは、対象のお客ネットワーク内の一つの拠点のためだけにあまり選択したがらない。
「なんだー、大変だったんじゃーん。」
都は、岸谷がのんきに楽しげなスタンプやメッセージをチャットで送ってくるので、ちょっと暇なのかな、と思っていたくらいだったから、自分の身勝手な解釈が少し嫌になった。都が長時間一人で待機を強いられているから、そんなプレッシャーのかかっている中にも関わらず、都に気を遣ってくれただけなのだ。
「えー。でもー、オフショアセンターにはー、まだっすかー、とかあ、営業にはー、まだっすねー、とかあ、言ってるだけだからー。」
岸谷は、大きな瞳で上を見上げたり、どこか大したことないことを表現するようにジェスチャーを加えながら、調子よく言って笑っている。都は高松に、この子のとんでもないポテンシャルにいつも驚かされますよ、と言ったら、高松は大笑いしていた。でも岸谷の顔はちょっと疲れていた。
気を遣ってくれたことと、今日の長い待機に付き合ってくれたこと、それにそのヨーロッパのエスカレーションなどの労について、都は二人にお辞儀をして礼を言った。高松も岸谷も同じようにお辞儀をしながら、都の長い待機の現場作業員業務を労ってくれた。
都は岸谷と、財布とスマートフォンだけ持って、2階へ上がり、非常灯しかついていなくてすっかり暗くなった廊下を並んで歩いた。古いビルなので、夜中の誰もいない長い廊下を歩くのはちょっと怖いくらいで、廃病院とか、ホラーとか言って笑いながら、都たちのオフィスの居室から歩いて3分くらいかかる、ビルの真逆の位置にある小さな休憩室へ向かった。静かな廊下には、岸谷のハイヒールの音や、二人の喋る声がとても反響する。
休憩室の電気は消されていたので、スイッチをつける。パンなどの食べ物も入った自販機と、普通の缶飲料、ペットボトル飲料の自販機、高速道路のPA、SAで都がよく利用するものと同じ、ドリップコーヒーの自販機、など自販機や中身は最新のものなのだが、部屋が古すぎるので、中身が大丈夫かな、という錯覚を一瞬抱いてしまう。カーペットもシミだらけだし、いくつくあるソファーは背もたれがついたものや、円形のもの、ちょっと横になれるものなどあって、レイアウトが今風と言えばそうだ。おそらくは元々ビビッドな配色のソファーだったのだが、汚れているのか古いせいなのか、あるいはこのビルや部屋の古びた壁や天井に飲まれたのか、くすんだ色に見える。都たちの居室からは、外のコンビニエンスストアーの方が近いこともあり、ここを使う人はあまりいなかったりするのだが、オフィスから離れて休憩したいけど、それほど遠くへ離れるわけにもいかない、という時は、ここでオフィス居室の喧騒から、自分の机のPCから、離れた環境で一休みできる。
都はまだ暑かったので、食べ物も買える自販機の中に、冷たいカフェオレがまだ残っているのを見つけて、それを買った。食べ物などは売り切れていて、自販機の窓から見える中身はほとんどすっからかんだ。岸谷はパックの果汁100パーセントのジュースを買っていた。長いソファーに座ろうとなって、都が座ると、岸谷は都にくっついて座ってきた。
「近いー。」
「いーじゃないですかー。」
都が笑って文句を言うと、岸谷は笑ってもっとくっついてきた。いつもの柑橘系のシャンプーの香りはあまりしなくて、岸谷の体温を感じると同時に、岸谷の体のにおいがした。都は、離れたくなくなった。
「もー、靴脱いでいいー?」
都は言ってるそばから靴を脱ぎ捨てるように脱いだ。シミで汚れたカーペットに素足を下すのは気が引ける、という気持ちがすると同時に、汚いところだからこそ、素足を下ろしたい、と言う真逆の衝動が小さく疼くように、胸の奥底で熱を持った何かとなって蠢く。古いカーペットはどこかトゲトゲしく、裸足を下ろすと少しくすぐったいくらいだった。
「間宮さん、ほんと裸足になるの好きですよねー。」
岸谷が本当に用事があったり、ただ雑談をしにだけだったりで、都の席へ来ると、都が大抵パンプスを脱いで裸足を椅子の脚に載せていたり、空いた隣の席へ座った岸谷の方へ椅子を回して体を向けると、裸足だったりするので、時々岸谷に突っ込まれていた。
「自然児だから。」
都はよく兄に言われていた言葉を持ち出して、少し自慢げに笑顔を作った。
それから都が現地であったことや、岸谷が営業や、国内網のプロバイダエッジルーターの担当者から電話を何度か受けたことなどを、二人で面白おかしく話した。都は早く帰りたかったはずだが、岸谷の体温を感じながらしゃべっていると、終電になったって構わないから、もっと話していたいなと思った。