18-03

2022-02-06

18-03

 作業スペースの窓にかかったブラインドの向こうが、もうすっかり暗くなってしまった18時を過ぎて、ようやく回線試験が終わった。プロバイダエッジルーターの収容ノードで、回線を接続し、プロバイダエッジルーターまで引き上げる装置渡しの区間で、先行配線と装置への収容とを管理する、データーベース上の状態と、実際の状態とに差異があり、疎通が取れなかったとのことだ。データベースが神様になっているので、被疑箇所を突き止めるのにも時間がかかったし、当然データーベースから回線の収容を設計したのだから、それの正当性も精査する必要があった。被疑箇所を直すのにも、運用中の回線に影響がないようにしないといけなく、かなり細かい確認が必要だったと言う。確認と再設計が必要だから、今日はキャンセルという話も出てきたそうなのだが、次に回線作業員の稼働がこのお客のために取れるのが、来週金曜の午後後半が最短だといい、LAN切り替えが予定されている週末の直前なので、次も開通トラブルがあると、LAN切り替えが出来なくなる恐れがあるので、今日中にどうにかするとなった。
都と一緒に客宅へ入った、回線開通作業員の二人は、この後に別の回線開通作業があり、そちらも二人掛かりで、光ケーブルの敷設作業が必要だというので、回線開通作業員の会社でやりくりをして、別の作業員に変わっていた。この現場の作業員は、もうテスターを操作できる人間が一人いれば良かった。都は、もうその二人の顔を忘れてしまったので、一人だけ減っているようにしか見えておらず、一人が別の作業へ向かって、一人残ったと思ってしまっていた。
「すみませんが、すぐにルーター設置出来ますかね?」
回線開通が終わったことを知らせにきてくれた営業は、パーティション越しに、急かすように言ってきた。
「はい、大丈夫ですよ。」
もう全部準備してあるので、そう都は答えながら立ち上がった。電源ケーブル、回線終端装置とWANインターフェイスを接続するためのLANケーブル、それとプラスのスクリュードライバーをルーターの上に載せて、いつでも持って行けるようしてあった。これだけ開通作業が長くなると、ルーター設置は急かされるだろうから、ルーターの背面か正面のどちらをラックの正面へ向けるかは、先に背の高いお客に都が聞いてあって、ラックマウントキットはルーターの背面側へ固定しておいた。ラックマントのルーターの向きを都がお客に聞いた時は、お客にあまり怪訝そうな顔をはされなかった。ルーターをラックへマウントするためのネジとケージナットも用意しておいてくれるようにも、その時ついでに頼んでおいた。
 これだけ遅くなったから、回線開通の作業員、それにプロバイダエッジ側の担当者は、それまで自分たちの責任区分範囲のトラブルで遅くなったにも関わらず、こっちが終わったのだから早くしろ、とっくに作業時間は過ぎているんだ、と言わんばかりに、早く終わらせるようプレッシャーを掛けてくる。実際さっき営業に都が急かされたのは、営業が彼らに急かされているからだろう。ルーター設置とWAN開通なんて、プロバイダエッジルーターまで疎通が欠けなくとれ、BGPが上がれば終わりだと思っているだろうし、事実ほぼそうなのだから、それほど時間はかからないことをわかっているから余計だ。しかし、ルーターを物理的にラックへマウントするのはそれなりに時間はかかるのは、実際にやってみなければわからないだろう。
 本来は都が岸谷に連絡して、岸谷がプロバイダエッジルーターの担当者に連絡し、プロバイダエッジルーター側のポートを開けてもらわないといけない。しかし今回は営業が回線開通のトラブル関連で、プロバイダエッジ側の担当部署にエスカレーションをしていて、既に営業が直接プロバイダエッジ側の担当者と話が出来ている。営業は岸谷とも連絡を取っていて、回線試験が終わり、これからルーター設置に入ることは、営業が岸谷に電話で伝えていた。
 都はまず手ぶらでラックまで行って、設置場所をお客と確認した。位置はわかったので、まずネジとケージナットが入った小さな段ボール箱をお客からもらって、指定の位置にケージナットを嵌め始める。ラックのマウントレールの受けと、ケージナットの相性がたまに合わなくて、ちょっと頑張っても嵌らないケージナットはさっさと諦めて、他のケージナットを試す。そうするとわりとあっさり嵌ってくれるものだ。嵌らなかったケージナットは次のマウントレールの受けにはフィットしたりもする。
 ケージナットを四箇所に嵌め込んだら、左右の下側のケージナットに、ネジを半分くらい回し込んで、ルーターを引っ掛けるフックのようにする。ルーターを取りに、小走りで作業スペースへ向かうと、営業が電話越しに、さっき回線開通終わったばかりですよね、今やってます、と少し怒ったような調子で言っていたのを、通りすがりに聞いた。おそらく相手はプロバイダエッジルーターの担当者だろう。ドライバーをパンツの後ろポケットに差し込んで、LANケーブルと、電源ケーブルを天板に載せたまま、ルーターの脇を持ち、両手とお腹と3点で抱えて運ぶ。ラックとラックの間の入り口にあたる、ラックの角に営業、お客、作業員と少し固まっていたが、都がルーターを抱えて歩いてくると、少しばらけてくれた。都はすみませんと軽く頭を下げながら、狭いラックとラックの間へ入って、一旦ルーターを床に降ろし、電源ケーブルとLANケーブルを床に置いてから、再度ルーターを胸に抱えるようにして持ち上げて、指定のラックの位置差し込み、ラックマウントキットの下を、支えるために先に回し込んでおいたネジに引っ掛けて載せる。都の背丈でも胸の高さ程度のところなので、都にとっては結構な重さとは言え、苦労はそれほどなかった。ネジにルーターを引っ掛けると、ガチャリ、と言う音が鉄製のマウントレールに響く。両手で支えているが、このまま片手を離すのは危険なので、誰かが支えてくれる必要がある。デスクトップサイズのルーターなら都一人でも片手で支えながらネジを締めることができるが、このサイズは厳しいし、危ない。
「すみません、ちょっとルーター支えていてもらえますか?」
そもそもマウントは手伝ってくれる、と言う話だったはずなのに、さっきから見ているだけの営業に、都は要求した。もっとも言い方は愛想よくお願いするようにはした。営業は、はっとなったように、小走りにやってきて、都の代わりにルーターを両手で支えていてくれた。ネジにラックマウントキットが引っかかっているのでそれほど重くはないずだ。都は左下のネジをある程度締めてから、営業の後ろを通って、右下をある程度締める。少しラックマウントキットが上のネジ穴を隠してしまうように、ルーターが微妙に上へずれているので、営業に手伝ってもらいながら、きちんと上のネジ穴が見えるよう、天板の上から力を入れ、差し込んだネジにラックマントキットの下がきっちりと挟まるよう押し込む。床に置いたお客からもらったネジとケージナットの入った小さな段ボール箱からネジを二つ取り出して、右上にネジを入れて同じくらいの強さまで締め、また左側へ戻って左上のネジを締めた。
 都は、左下、右上、右下、左上の順で、三回かに分けながら、ネジを強く締めて行った。
「ありがとうございます、もう離して大丈夫です。」
 営業は念のためだろう、ゆっくりと手を離した。都は最後にネジが強く締まってるかドライバーを差し込んで確認してから、ルーターを少し揺らしてみたが、全く揺れることなく、しっかり固定されていた。少し離れてみて、ルーターがマウントレールに対して垂直に設置出来ているか目視で確認する。
 ルーターは背面をラック正面に向けているので、先にLANケーブルを回線終端装置と接続してしまうことにした。床からケーブルを拾い上げて、ケーブルタイをほどき、一旦伸ばしてから、片端のRJ45コネクタをルーターのギガビットイーサーネットの0/1へ、ラッチがかちゃんと音を立てるまで差し込む。回線終端装置は、ルーターをマウントした位置から2U分下の棚の上に固定されているから、ケーブルをルーターのインターフェイスから近い方の側板にある、ケーブルガイドの向こうを通してから、下へ引っ張る。回線終端装置はパネル側をラック正面に向けているので、本来は裏へ回って、ケーブルを誰かに渡してもらって差し込むのだが、今日は一人なのでこのまま当てずっぽうで、終端装置のRJ45の口を探さないといけない。平置きで、ラックの棚の固定穴などにバンドを使って固定できるサイズの回線終端装置には、裏にあるRJ45の口は一つしかないので、ケーブルのRJ45コネクタを、終端装置の背面に押し当てて滑らせていって、嵌ったところが正しい口だと言うことになるのだが、ラッチが上か下かの問題がある。冷静に考えれば、平置きの終端装置なのだから、ラッチは上に来るようなポートになっていると結論が出るのだが、都がケーブリングしている様子を、営業だけでなく、お客や、回線作業員も、早くしろよ、と言う無言のプレッシャーを掛けながら見ているから、そもそも緊張しやすい性格の都が、冷静に物事を考えることができるはずもなく、見えない終端装置の裏に、RJ45コネクタが吸い込まれる穴がないか探しながら滑らせて、穴はあったがどうも入らない、となって、初めてラッチの方向をひっくり返す塩梅だった。しかし都が恐れていたよりも時間はかからず、あっさりとラッチの音が、終端装置のプラスティックの筐体に響いて、ケーブル接続は完了した。余長をまとめるのは後回しにする。次は電源だ。
「あの、すみません、電源はどこからお取りしたら良いでしょうか。」
 都は電源ケーブルを持って、ラックの反対側へ回る際、お客のいる方向から出るついでに、お客に向かって聞いた。
「あー…。そうですね…。」
 お客は、それは決めていなかった、なのか、それを確かに指示しないといけなかった、なのかどちらかかははっきりしないけれど、そう思い出したように言って、ラックの裏へ都を先導して向かった。ラックの側板に備え付けられたコンセントバーは上下で二つのブロックに分かれている。ルーターの電源口の近い方の側の、下のコンセントバーから任意の位置で取って良いと言う。都は礼を言ってから、少しだけ頭をかがめて、マウントしたルーターの正面を見て電源ケーブルの差し込み口を確認し、そこへ電源ケーブルのコネクタ側を腕を伸ばして差し込んだ。ルーターはしっかり固定されているので、少し力を入れて、きっちり差し込めているか確認する。電源ケーブルも一旦ラック側板のケーブルガイドの裏を通してから、コンセントバーまで引っ張り、空いているコンセントにプラグを差し込み、ひねって固定するタイプなので、ひねっておく。
 都はこのコンセントバーから、作業用PCの電源も一時的に取ることの許可を得てから、走って作業スペースへ作業用PCとコンソールケーブルなどを取りに行った。一旦ラックの正面へ出て、作業用PCや付属品を床に広げ、コンソールケーブルをルーターのコンソールポートにつなぎ、ターミナルソフトを起ち上げると、ログの取得を開始してから、作業用PCの電源ケーブルを、回線終端装置が載っている棚の上に流して、また走ってラックの裏側へ戻り、かがんで流した作業用PCの電源ケーブルを引いて、空いているコンセントへ差し込み、ルーターの電源スイッチをオンにした。ルーターが起動したことを示す、システムLEDの点滅が始まったことを確認してから、ラックの正面へまた走って戻り、ターミナルウィンドウに起動ログが走り出したのを確認し、床に膝をついてしゃがんだ。あとはしばらく待っているしかない。きちんと起動し切るか、起動したあと、プロバイダエッジルーターまで疎通が取れるか。BGPが上がるか。ルーターの設置作業の時は、ルーターの起動を待つこの時間が、ある意味一番緊張すると言えなくもない。ジャケットを着たまま作業しているから、暑くなってきて、シャツの下が汗で湿ってくるのがわかる。
 しばらくすると起動し切って、ログイン・クレデンシャルを求める出力ができてた。都がクレデンシャルを入力している途中で、BGPが上がったログが出てきたので、都は安心し過ぎて、大きくため息をついてしまいそうだった。大きく深呼吸しながら、ルーターにログインし、インターフェイスの状態を確認する。確認項目や試験のための設定変更を減らすため、都は待機時間中に、WANインターフェイスの速度と二重設定をオートネゴシエーションにしておいた。インターフェイスの状態を確認すると、100メガ、半二重でネゴっているので、終端装置がきちんと、100メガ、全二重の固定設定になっていることが確認できる。都は、それが確認できると、すぐにWANインターフェイスの速度と二重設定を、100メガ、全二重の固定に変更し、設定を保存する。インターフェイスのリンクが落ちた、上がった、BGPが落ちた、上がった、とログが立て続けにいろいろ出てくるが、想定通りのなので流しておく。ログ出力が落ち着いてから、一度BGPの状態を確認するコマンドを叩いて、ネイバーがアップになっていることを確認し、インターフェイスのカウンタをクリアするコマンド叩き、プロバイダエッジルターまで、サイズを変えながら、千発づつpingを打つ。ロスはない。最後に、1500バイトで、一万発打つ。全部打ち切るのに少し時間がかかるが、終わってみればこちらもロスがない。インターフェイスのエラーカウンターも上がっていなかった。BGPの受信ルートを確認すると、おそらくは開通ずみの国内拠点のWANセグメントだろう、いくつかもらっている。
 念の為、オーダー通り、プロバイダエッジルーターのBGPのルート制限が、ルート指定ではなく、上限数指定になっていることを確認するため、待機中に作っておいた、適当なアドレスのループバックインターフェイスをソースにしたpingをプロバイダエッジルーターに打ってみる。指定型のルート制限になっていれば、この事前に予定されていないネットワークはプロバイダエッジルーターで落とされているはずで、このpingは不達になるはずだ。しかし、100発ほど打ってみると、きちんと到達した。到達するので、指定型の制限になっていないと確認できる。ループバックインターフェイスを閉塞、削除し、BGPのコンフィグから、このアドレスの広告設定を消し込む。コンフィグを保存して、運用中のコンフィグと、保存されたコンフィグに差分がないことも確認する。
「回線はOKです。BGPも問題ないです。」
都は立ち上がって、営業にそう報告した。ファン音がうるさいので、一応営業の方に歩み寄ってから、言った。
 「ありがとうございます。では、終了ですかね?」
 「あ、岸谷さんに遠隔で少し確認してもらうことがあるので、ちょっと依頼してきます。…あ、作業員の方はもう大丈夫です。ありがとうございました。」

 都は、話している途中で、もしかすると都の作業自体の完了を聞いているのではなく、回線開通の作業員の待機を終わりにしていいか聞かれたのかと思い、付け足して、作業員がちょうど都を見ていたので、作業員に頭を下げながら礼を言った。営業はそれを受けて、疎通の確認が取れたので、退館して構わないことと、長時間、と言っても彼は途中からなのだが、に渡る作業に対して礼を言っていた。そんなやりとりを潜り抜けさせてもらって、都は作業スペースまで小走りに行った。バッグの中を弄って、借りておいた都のオフィス共用の、現場作業員業務用の携帯電話を取り出し、さらに自分のスマートフォンのロックを解いて、岸谷の電話番号で会社の番号の方を調べて、作業用の携帯電話で掛けた。岸谷はすぐ出た。
 「間宮でーす。お疲れさまでーす。」
都がそう電話の向こうに挨拶をすると、現着してから長時間に渡る待機が終わり、ようやく電話がかかってきたことへの、待ってましたというのと、大変でしたね、という思いが混じっているのだろう、裏返したような声でちょっと大げさに、岸谷は都の挨拶に被り気味に挨拶を返してくるので、都は途中から笑ってしまった。
 「一応こっちでWAN開通試験は全部終わったから…。うん、全部おっけー。あとは、そっちからSSHでログインできるか確認してもらえる?」
 都は携帯で話しながら、ラックの方へ小走りに戻った。ちょうど作業員がお客にアテンドされて退館しようと出入り口に向かっているところとすれ違った。お疲れさまでしたという意味も込めて、深く会釈をしたが、返してはもらえなかった。
「…うん、…うん、そう。それ。…うん、お願い。」
岸谷が、専用端末で国内の客宅ルーターへログインするための、ログインサーバーへの入り方を確認のため聞いてきたので、都は答えながら、床の作業用PCの前にしゃがんだ。岸谷は、まだそんなに慣れていないから確認のため聞いてきた、というより、都と喋りたいから、何か喋るために話のネタを持ち出してきたような感じだった。だから特に迷った様子は岸谷には全くない。都は念の為、RSAキーを作成済みかどうか、確認するコマンドを叩いた。RSAキーは表示されたので大丈夫そうだ。
 「入れた?」
 都は、電話の向こうから岸谷の入れました!、という元気な声を聞いて、おうむ返しに言ってしまった。現在ルーターにログインしているユーザーを確認できるコマンドを叩くと、確かに、遠隔から一人入っている、
 「じゃーあ、ちょっと待ってね。」
都は、同じルーターにログインしている人全員のターミナルにメッセージを送ることのできるコマンドを叩く。これは英語しか使えないので、ローマ字で日本語を表現するしかない。
mou hayaku kaeritai
 岸谷が、ターミナルにメッセージが出てきたことに驚いた声を上げ、一瞬英語の表示だがローマ字で日本語が書かれていることに気づくのに遅れたようで、ちょっと間があってから内容を読んだらしく、笑っていた。
「読めたみたいだね、じゃあ、大丈夫かな。」
 これで岸谷が他の客宅ルーターに間違ってログインしているということはないことになる。岸谷にはこのコマンドのやり方を教えてあったので、返事するからちょっと待ってくれと言ってきた。
hayaku kaette kite ne! matteru kara!
「夫婦か!」
都は内容を読むなり電話の向こうに突っ込んだ。岸谷は大笑いしていた。都はこれでじゃあ完了だから、あとは撤収する、退館したら、一度連絡する旨話してから、お互い長い待機を労って電話を切った。
 営業に、保守用の遠隔ログインも確認できたから、これで完了で大丈夫な旨伝えた。営業は、ありがとうございました、と長い時間お疲れさまでしたのような感じを伴って、頭を下げていた。それは今までの都にかなり無関心な感じとは少し違っていた。都は否定を返しながら、笑顔で頭を下げ返した。