18-01

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幸いリファービッシュの筐体は綺麗だったので、そのまま検収し、事前のコンフィグも済ませ、発送準備までした。営業にも岸谷から報告してもらい、万が一新品が間に合わない時はリファービッシュで行くことで承知してもらった。しかし、新品で天板に歪みのないものが、その日の午後には発送しなければならない、という日の午前中にベンダーから届いた。メーカーから交換対象であるとの承認が下りたので、ベンダーの余剰在庫からすぐに出してもらったと門乃園から聞いた。都が急いで検収をすると問題はなかったので、キッティングを済ませ、無事その日の午後に発送。到着確認も出来ているので、あとは設置するだけとなった。
設置は当初の予定通り、10月最終の木曜日となり、午後一から、回線開通作業、それが終わり次第、ルーター設置となった。回線開通の現場作業員は、ルーター設置はしないものの、都と営業でルーターを最初に終端装置に接続した際、きちんとプロバイダエッジルーターまで疎通が取れたことを確認してから退館するよう、営業の方で調整しておいてくれた。稀にだが、回線開通作業を別日にして、いざ客宅ルーターを接続したらプロバイダエッジルーターまで疎通が取れず、トラブルシューティングをしたら、プロバイダエッジルーター側のノード設備のどこかで、回線収容が間違っていた、ということがある。こうなってしまうと、光の試験からやり直さないといけないので、回線開通の現場作業員を呼ばないといけなくなる。稀に、ノード内の、部署間デマケーション渡しのところで、ケーブルが抜けていただけ、ということもあるが、その場合は、誰がその場所へ接続に行くかで、都たちの担当とは違うところでかなり揉める。
都は、現場へ直行でも良かったのだが、作業用PCと電源ケーブルなどの付属品、コンソールケーブル、予備のストレート・クロスケーブル、それに万が一の時のラックのネジやケージナット、さらに工具一式を一度カバンに詰めて、前日自宅へ持って帰り、それを再度満員電車の中持っていかないといけないのを避けたかったから、朝普通に出勤し、オフィスでカバンに必要な荷物を積んで、タッチ・アンド・ゴーのように東京駅へトンボがえりし、現場へ向かうことにした。オフィスから東京駅までは徒歩10分ちょっとかかるから、カバンを右腕で持っているとすぐに腕が痛くなって、左手に持ち替えて、また痛くなって、右腕に、と何度も持ちかえないといけない。
新幹線の指定席は、一番前の角が良かったのだが、チケットを手配した時には既に空いておらず、2列席の方の、真ん中あたりの窓側にした。そんなに混んでいなければ、3列席の方が、結局隣が空席のまま目的地までつけることもあるようなのだが、万が一二人連れに隣に座られてしまうと、落ち着かないことこの上ないから、選べるなら2列側を選ぶ。それに天気が良ければ富士山も見える。
WAN開通の時のルーター設置は、あまり緊張を覚えずに済むので、都は少し気が楽だった。国内の回線の場合、99・9パーセントと言って良いくらい、多少のトラブルがあっても、ほぼ都のようなルーター側のエンジニアが気を揉むような長時間の待機なく開通する。それに回線でNGなら、今回のようなルーター設置の現場作業員はどうしようもないわけだから、長い待機になって気を揉んだ所でどうにもならない。それでも、立会いのお客の時間に余裕がなくて、回線開通に長くかかったから、ルーターの設置、接続試験はすぐに終わらせろと、強く言われることもあるから、結局何も出来ない待機中、早く終わってくれないかなと、ただ緊張だけしていないといけない時もある。そういう意味では、とにかく繋いだコンソールで、確認コマンドをあれこれ打って、どうにかならないかと、少しでも足掻けるLAN切り替えの現場作業員の方が良いのかな、ということになるのだが、やはりこちらは不測のトラブルが多いし、何よりもお客の実際の生きたトラフィックを、いよいよ都たちのWANへ通すわけだから、緊張は大きい。日本国内の拠点が工事対象の場合、回線開通でほぼトラブることはないから、WAN開通の時のルーター設置の方が、プレッシャーは一般的に少ないと感じられる。
新幹線に乗っている間は、本を読むか、スマートフォンでブラウジングしているか、くらいしかないのだが、あまりどちらにも集中出来ない。かと言ってポータブルミュージックプレイヤーで音楽を聞いていても、あまり音楽が体に染み込んこず、ただ耳元でうるさいだけに感じてしまって、これもあまり面白くない。眠れるわけでもないのだが、目を閉じて、静かに高速の電車の走行音と、揺れにただ身をまかせるより他にない。これもこれですぐに飽きてくる。
方向音痴で、一度で道を覚えるのが苦手な都でも、わかりやすい指示看板のおかげで、現地で二回電車を乗り換えるのは大丈夫だった。終点に着いて、駅から出た時右か左かちょっとだけ迷ったが、道を間違えることなく客宅への正しい道のりを進めた。良く晴れた日で、コートを着てこなくて良かったし、荷物も重いせいでジャケットを着ていると暑いくらいだ。この駅から客宅までも10分くらい歩くから、荷物を右手で持ったり、左手で持ったりと持ちかえながら歩かないといけない。東京のように高層のビルが乱立していないせいか、空が広く見えて、大通りの歩道を一人で歩くのはなんとなく楽しく、このまま、あの工場の向こうに見えるガントリークレーンの側まで行けるかどうか、ちょっと探検でもしてみようかと思ってしまうが、重たい荷物がそれを留めてくれる。
お客ビルの1階ロビーには都の方が早く着いたらしく、営業の姿は見えない。もっとも都がきちんと営業の顔を覚えていない恐れがあって、ロビーのソファに座っているスーツ姿の男性の誰かがそうかもしれない。都は、現場作業員業務をする時用の、外で使える携帯電話を借りて持ってきてはいたが、私用のスマートフォンのチャットアプリで岸谷に、現着したことと、営業がまだ来ていないから待っていることを送った、すぐ了解したことの返事と、可愛いペンギンが敬礼をするスタンプが送られてきた。都がペンギンが好きだ、という話をしてから、岸谷は良く可愛いペンギンのスタンプを送ってくれる。
兄が結婚して、一人暮らしをするようになってから、都が最初に付き合った彼氏との最初のデートは水族館だった。ペンギンがたくさんいる水族館で、可愛い、と言いながら見ていたペンギンたちの中に、群れから外れ、岩場の端の方で、見学者の方に背中を向けて、壁に向かってじっとしている一羽のペンギンが目に入った。離れた群れの方は、忙しそうになのか、楽しそうになのかよくわからないけれど、わさわさと例の可愛いペンギンの動きでみんな動き回っているのに、その子はまるでいじけたようにたった一羽でぽつんとしていた。その姿から、都は目が離せなくなった。あれはあたし自身だ。それからペンギンがすごく好きになって、何かの用で兄が都の部屋へ立ち寄った時に、ベンギン屋敷、と言われてしまうくらい、ペンギンのぬいぐるみが増えた。
入館時間まで10分を切ったところで、ビルのホールに営業が入ってきた。後ろからは、回線開通の作業員が持っている、工具などが詰まっているバケツのような円筒形の大きなバッグと、巻いた光ケーブルを肩から下げた作業員が二人ほどついてきていた。外で待ち合わせたようだ。都がソファから立ち上がると、営業は都に気がついてくれて、会釈をしながら、行きましょう、と受付の方を指差してついてくるよう都に促した。作業員の二人に会釈をしたが、作業員二人には気がつかれなかったのか、工事には関係ない人物と思われたのか無視された。都は三人の後ろから付いていった。
営業が受付を済ませて、ビジター用の入館カードを作業員と都に配ると、客がアテンドに来るので少し待つように言われた。仕方ないので受付から少し離れたところで、四人で突っ立って待っているしかない。待っている間も、入館ゲートから人が出てきたり、入ったりする人がいたり、他の訪問者が受付に来たりしているので、正直ここにいるのは邪魔なんじゃないかと不安になる。広いホールなので実際はそれほど邪魔にもならないのだが、落ち着かない。荷物も重いので、両足を少し広げて両手でカバンを持っていないといけない。作業員二人も何も喋らないし、もちろん営業も都も誰とも喋らないから、この沈黙が面倒臭かった。
作業員二人は、いわゆる作業着姿で、営業のスーツと比べると、どこか緩いし、当たり前だがあちこち汚れている。実際のネットワーク、遠隔通信を支えているのは、こういう作業着の人たちが汗をかいて持てる技術を施す仕事のおかげなのだ。都はファイバーのスプライスも、ケーブルの綺麗な敷設も出来ないし、光回線試験機だって、よくわからない。現調結果を見たって、頭字略語が何を意味するかなんてほどんどわからない。都は、客宅に行くからと、スーツをわざわざ着ている自分が、酷く矮小で、何一つできない人間のように感じられて、下を向いてしまいたくなる。向こうだって、この回線開通の作業だというのに、営業でもない人間がスーツなんか着て来て、一体何のつもりだと思っているかもしれない。
おそらく6、7分待っただろうか、先日の打ち合わせの時にいた、背の高いお客がゲートから出てきて、営業と挨拶を交わしていた。営業が今日の回線開通の作業員とルーター設置のSEだと、都たちを簡単に紹介するので、作業員二人と都は頭を下げた。都は二回目のはずだが、初見の人間のような挨拶になっている。都は一瞬、先日はありがとうございました、と挨拶をしそうになったが、背の高い客の、営業に対するのとは違う都への挨拶を見て、作業員二人と同様、あくまで本日の作業員です、という体裁におさめた。
背の高いお客の案内でゲートをくぐり、先日案内された会議室がある方とは逆方向へ進み、白い壁が囲む廊下を奥へ行く。灯りがかなり明るいので、壁の白さが目に痛いくらいだ。角を曲がり、明らかに電源などの設備室であるかのような、鉄製の扉が並ぶ廊下を少し進むと、お客がポケットから鍵を取り出し、扉の鍵を回した。がちゃんと言う音が鉄の扉に響く。お客はここがMDF室で、と言いながら中へ入っていった。営業と作業員二人も続いた。都は外で待つことにした。お客は中から扉を支えて開けたままにして、何か喋っていた。すぐに営業と作業員の一人、そしてお客が出てきた。作業員のもう一人は、ここで外から引き込んだ回線との接続作業をするため、MDF室に残ることになったようだ。観音開きで外開き扉の片方を開けっぱなしになるように固定してから、お客は、失礼します、という意味で会釈をしながら都の前を通り過ぎて、都たちをまた先導し出した。MDF室へ来た道を戻り、エレベーターホールへ出て、4階へ上がる。4階につ着くと、エレベーターを降りて左に曲がり、エレベーターホールに接する廊下をさらに左に曲がる、都は、これは間違いなく一人では客宅を出れないな、と思った。もうどこをどう来たかわからなくなっていた。
サーバールームも同様の観音開きの鉄の扉の向こうだった。こちらは物理鍵ではなく、お客が首から下げているカードキーで開けていた。中には並ぶラックの他に、打ち合わせ卓のようなものが2つほど見えるスペースがあり、おそらく音を遮蔽するためのものだろうか、都の背丈くらいのパーティションでラックの並びからは仕切られている。ラックが並ぶ奥の方は電気がついておらず、部屋の広さがよくわからないが、だいたいラックの列が5つ6つ、というところのようだ。ラックの列と列の間はそれほど余裕がなく、作業員一人入ってしまうと、その後ろを人が通るのは難しそうだ。サーバー類のファンの音は、それなりにうるさかったが、データーセンターのラックスペースほどではない。空調は酷く効いているというほどはなさそうなので良かった。一番手前のラックと次のラックの間を覗き込むと、扉と反対側に窓があって、ブラインドは降りているものの、日差しが眩しいくらいに明るく感じる。その明るさが羨ましいような、妬ましいような気持ちを都は一瞬覚えた。
お客は作業員に、終端装置を設置してほしいラックの位置や、ラックへのケーブルルート、床板の外し方や、EPSの位置などを教えていた。作業員は現地調査のレポートを見ながら、現調結果と相違ないことを確認していた。回線の作業員が作業を始めると、お客は都と営業に、回線開通作業が終わるまで、サーバールーム内の作業スペースで待っていてくれるよう言ってきた。パーティションの向こうに見えた打ち合わせ卓のあるスペースをそう呼んでいるらしい。ルーターもそこに箱ごと置いてあると言う。
仕切り板の向こうへ入ると、打ち合わせ卓が二つある他に、壁沿いに机がいくつか並んでいて、ディスプレイだけが載っていたり、デスクトップ端末が置いてあったりするが、なんとかく寂れているし、埃もかぶっていて、普段は使われていないか、長い間使われていないように見える。壁沿いの机の一つに仕舞われた椅子の脚元に、確かに都が岸谷と梱包したルーターのダンボールが開梱されずに置いてあった。営業は打ち合わせ卓の、パーティション側の角の席に座ったので、都はちょうどその対角線上に当たる席へ座った。営業と距離を置きたいというのもあったが、都が座った位置は、身を屈めればルーターのダンボールに手がとどく位置でもある。回線開通作業には一時間以上かかるはずだから、都はゆっくりと作業の準備をすれば良いが、ルーターを開梱したりしたって、10分くらいでやることは終わってしまう。しばらくは待機になるが、この仕切り板でゆるく閉鎖された空間に、会話もなく営業と二人でいないといけないのは、ちょっと苦痛だった。