17-07

2022-02-05

17-07

 岸谷と外でコーヒーを買って戻ってくると、都はまず専用端末でマクロを走らせっぱなしのターミナルウィンドウを見た。プロバイダエッジルーターの、ルート・ターゲットのインポート設定漏れで受信出来ていないルートは、未だ受信出来ていないから、海外オフショアセンターの方でコンフィグの修正作業が終わっていないということだ。どうコンフィグするかで止まっているのか、それとも事象や解決策はわかったが、果たしてこの設定変更をやるべきかどうか判断できていないのか。こっちからすればやるべきに決まっているのだが。シニアエンジニアによるレビュー、とかが必要でそれが未だなのだろうか。何で止まっているのかは良く分からないが、とにかく設定は漏れたままだ。
 明日の20時から、岩砂がPMの案件で、長いことWAN回線の開通に時間がかかった拠点の、LAN切り替え工事が予定されている。切り替え用の流し込みコンフィグのスクリプトや、この拠点のLANインターフェイスを送信元とした、お客ネットワーク全ての拠点のLANインターフェイスが宛先の、pingと通過経路確認のマクロ、当日の作業の流れを、確認コマンドとともにメモ程度に書き連ねたテキストファイルなどをチェックする。この当日の作業の流れを書いたメモは、所々で綴り間違えがあったり、英語の言い回しがおかしかったりしたので、それを直しておく。誰が見るわけでもないのだから体裁などどうでも良いのだが、こういう間違いを放っておくと、おそらくは大事な間違いを見落としがちになってしまうから、自分しか見ないメモでもきちんと書いておく。
 そんなことをしているうちに19時半を回ってしまったが、未だ海外オフショアセンターから連絡もないし、門乃園からも特に何も連絡はない。今日はもう何もないから帰っちゃおうか、と都は思ったが、明日は夜工事のため午後から出勤なのだから、今日は少々遅くても構わないと言えばそうだ。いや、せっかく明日遅く出勤できるんだから、早く帰って、ゆっくりするべきだ、とも優柔不断に思う。
 南アジアのノードで、更改後のプロバイダエッジルーターにルート・ターゲットのインポート漏れがあった件について、海外オフショアセンターのPMのマネージャーに言われた通り、都が海外オフショアセンターのSEのマネージャーに、コンフィグ漏れを説明したプレゼンテーションファイルを添付して送ったメールには、都が最後に確認した時からさらに2回の全員返信がかかっていた。どちらもCMの大森からで、早急なコンフィグ修正を二度にわたって催促するものだった。お客の温度がさらに上がっているようであれば、もう一段階エスカレーションレベルを上げるしかないと思うが、これだけ原因も対策もわかっているものを、ただ時間がかかっているというだけでは、簡単にエスカレーションレベルを上げるわけにはいかないのだろう。
 都の周りの席はだいぶ帰ったので、一つ奥の席の島にある、門乃園の席の方から、通る声がすれば良く聞こえる。
 「間宮さーん、連絡ないってー。」
 泣き言を訴えるような岸谷の声が聞こえる。都はちょっと笑ってしまいながら席を立って、門乃園の席へ向かった。
 「まだ返事来ないんだよねー。」
 都が到着すると門乃園は言った。おそらくベンダーもメーカーの回答待ちだろうから、今日の午後に写真を提供したばかりでは、督促するのもあまり得策ではないのは、都も承知だ。
 「時間かかりそうかなあ…。来週になっちゃうと、もう間に合わないよねー…。」
 都は軽く握った右手を口に当てて、右肘を左手で支え、考えるようなポーズをとりながら言った。
 「もう営業さんにー、間に合いませんー、って言った方が良いですかー…。」
 岸谷は都に相談するように聞いてきた。プロジェクトマネージメントに関することは、プロジェクトマネージャーとして、ほぼ自分で決められる思いきりの良さと決断力が、岸谷には備わっていると都は完全に思ってしまっていたので、相談されたのは少し意外だったが、良く考えればまだ入社7ヶ月の新入社員だ。目新しい場面に出くわせば、相談するのが当然だし、正しい行動だ。
 「うーん…。どーしよっかな。言っちゃった方が良いって言えばそうだけど…。かどちゃん、リファービッシュとかない?同じ型のやつ。」
 都は門乃園に聞いた。CJ案件の営業がどういう人間かは、都もまだ良くつかめていないが、先日客宅へ、本来は構築のデマケーション外である、移行設計の相談対応のため訪問した時も、都がお客の質問に答えている間、何の援護射撃もしてくれなかったことから、あまり構築のプロセス上で詰まっていることを正直に言わない方が良い気がしていた。今この状況を言ってしまうと、はっきりは言わないだろうが、そういう躓きがあったのだから、その分フォローする意味でも余分な稼働を掛けてくれ、という要求を営業にしやすくさせてしまう。
 「あー…。リファービッシュかー…。」
 門乃園は思い出したように言いながら、通常端末のディスプレイを覗き込み、何かのショートカットを開いていた。調達担当は専用端末を使わないので、机の上にはディスプレイは一台しかない。そのため机は広々としていて、都はちょっと羨ましかった。
 「…リファービッシュ、ってー、何ですかー?」
 岸谷が聞いてきた。岸谷は単語の意味がわからないのではなく、岸谷はまだこれを仕事で使ったことがないから、業務上リファービッシュが何を意味するのかを聞いてきている。もっとも都も、これがあるということを知っているだけで、実際の案件で使ったことはない。
 都たちが設計し、コンフィグするルーターは、このキャリアの所有物であり、あくまで客宅へ貸し出しているだけだ。常に新品を提供しているが、新品である必要は究極のところ、ない。つまり、他のお客が利用していたルーターで、廃止に伴い撤去され、調達担当へ戻されたルーターを、初期化、外装を綺麗にし、再度別の客宅ルーターとして提供する、ということでも良いのだ。ただ、あまりにも外装の傷などが大きいと使えないし、もちろんどこか筐体に不具合があっても使えない。そのため新品同様、案件担当のPM・SEで検収し、問題がなければその撤去ルーターを再利用出来ることになる。中古、とか再利用、とか日本語では言い方が良くないというので、リファービッシュ、という、中古のものを整備してから再度出す、という意味のカタカナで言うことになっている。納期が間に合わない場合の策として、以前どこかのミーティングで話されていたのを都は覚えていた。まさか自分が使うことになるとは、とちょっと悪いクジを引いた気分になる。
 門乃園が調べたところ、CJ案件の本社に入れるものと同じ型のものは、今撤去ルーターの保管在庫にはないが、来週月曜に一台、今週撤去されたものが現場作業員ベンダーからこのオフィスへ届く予定だと言う。都は、それを使うことも視野に入れておいたほうが良さそうだから、到着したら教えて欲しいと門乃園に頼んだ。撤去ルーターが返却された時、国内MPLSをメインでやる担当の派遣社員が、コンフィグの初期化を任意で実施する工程があるが、この月曜届くものについては都がそれをやってしまえば良い。そのまま検収もしてしまって、使えるか使えないか確認しておく。もっとも外側に傷や汚れがひどければ、使うのを避けた方が良いだろうが。綺麗な状態であることは祈るしかない。
 門乃園の席に集まっていた都と岸谷は、今日はこれ以上この件で進捗は見込めないから、それで解散となった。都は自席へ戻ると、まず専用端末のディスプレイがスリープ状態になっているのを、マウスを動かして起こした。どうせ未だだろうと、マクロを回しているターミナルウィンドウを覗いた。すると、受け取っていないルートのみに表示を絞るオプションをつけた、プロバイダエッジルーターから受信しているルート一覧を表示させるコマンドの出力に、ルートの出力が出るようになっていた。都は急いで席に座ると、通常端末を起こして、メールの新着を確認した。この件についてのメールには新着がなく、都が始めたメールスレッドも、大森の二度目のプッシュ依頼が最後のままだ。海外オフショアセンターから完了の報告は来ていない。
 都は、別のターミナルウィンドウを新しく起こして、対象の客宅ルーターへログインし、プロバイダエッジルーターから受信しているルート一覧を表示させるコマンドを叩く。数時間前に事前ログを取った時よりも、明らかに行数が多い。この出力をコピーし、空のテキストファイルを開き、ペーストして、事後、とでも名前をつけてデスクトップへ保存する。復旧後と比較できるように事前に取った、同じコマンドのログと一緒に、ファイル比較ツールにかける。古いログから減ったルートはないが、増えたルートは沢山あった。このログ出力には、それぞれのルートが受信されてからどれくらいの時間が経過したかの出力もある。増えたルートは全て受信してから5分程度しか経っていない。
 次に都は、更改後のプロバイダエッジルーターへログインし、ターミナルウィンドウへの出力行の制限をなくすコマンドを叩き、ファイル名を事後コンフィグとした、空のテキストファイルへログ出力を開始してから、全コンフィグを表示するコマンドを叩いた。デスクトップには、事前に取得した、プロバイダエッジルーターのコンフィグのログも取ってあるので、この二つのファイルも、ファイル比較ツールにかけてみる。このプロバイダエッジルーターに収容する、他のお客の新しい回線の工事などが同時に走っていると、差分が大きくなりそうだが、幸い、ほとんど差分はない。問題が起きているお客のVRFに関する部分にも差分はないが、そのVRFでインポートするルート・ターゲットの設定部分で、インポート対象となっているコミュニティリストの、中身を定義した部分に差分がある。事前は、このお客の通常のルート・ターゲットだけだったが、事後は他の2つのルート・ターゲットもリストに含まれていた。
 「やったー…。」
 都は小さく快哉を上げて、充電スタンドからPHSを奪うかのように取り、発信履歴から大森の電話番号を探し、オフフックした。相手は直ぐに出た。
 「あ、間宮です。…お疲れさまです。今大丈夫ですか?」
 都は相手の都合も考えず喋り出しそうになったが、落ち着いて相手の都合を聞いた。大森はOKだと言うので、都は海外オフショアセンターからは何も連絡はないが、つい5分前くらいに、どうも設定を直したようだ、事実、足りなかったコンフィグが更改後のプロバイダエッジルーターに入っているし、客宅ルーターでも、受け取れてなかったルートが受け取れている、と言うことを報告した。大森は、都の話に相槌を打つのに、おお、と一々驚いたように言うので、都は途中から笑ってしまった。
 大森は早速これからお客へ問題が解決したと連絡すると言う。問題が解決した、と言うのは非常にポジティブな動きなので、これを報告するのは苦ではないが、あとが問題だ。都が含まれている、このお客の構築担当のメーリングリストがCCされた、トラブルチケットのメールはその後何の動きもなかったのだが、これとは別に、お客のIT担当のマネージャーから、別メールで大森や保守担当のメーリングリストへ催促が来ていて、かなり厳しい言葉が並んでいるという。そのメールスレッドでずっとやり取りは続いていたようだ。これらのフォローや、報告書は当然、またこのお客のIT担当はアジアにあるので、電話会議による報告書の説明など、重たい仕事が待っている。都はここでお役御免なのだが、そんな重たい仕事に立ち向かわなければいけない人を、構築と保守と立場は違えど、同じお客のネットワークを担当している人間にも関わらず、まるで見放すようで少し心が痛かった。大森は都の力添えに大げさなくらい感謝してくれたが、ここで退場してしまうことに都は罪悪感を感じてしまう。しかし、それと同時に安堵した気持ちがあることも確かで、それらを自分の中で綺麗に処理するのは、少し難しい。
 都は、お客に連絡するのは、海外オフショアセンターから、完了したなり修正したなりの一報が来てからの方が良いかもしれない、何故なら今は何か試しているだけかもしれなくて、この後また元に戻ってしまう恐れもある、と電話の向こうに話したところで、都が始めたメールに返信がきた。海外オフショアセンターのSEのマネージャーからだ。本文の宛名はなく、Hi,と挨拶だけあって、required configuration was added as Tokyo requested.とだけ書かれていた。まるで自分たちが漏らしてしまった設定を追加したのではなく、あくまで東京が追加しろと言ってきたから追加してやったのだ、のような書きぶりだ。都と大森はこの書き方について、電話でわーわー悪態を交え文句を言ったが、この点で彼らと争っても今は仕方ない。まずはこれを作業完了通知として、大森が復旧をお客に連絡する、となった。
 大森との電話を切ると、あまり大きい音が立たないように気を使いながらもPHSを机の上に滑り投げてしまって、都は一旦机に突っ伏し、長い溜息をついた。周りの席は帰ってしまっているので、多少大げさに大変がったところで、誰かに気を使わせたりしないから大丈夫だ。都は急に裸足になりたくなって、机の下にパンプスを脱ぎ捨ててしまい、椅子を横にして、既に退社している隣の席の袖机の前に足を投げ出す。背もたれに背中を預け、どんどん沈み込むように座りかたを浅くして行く。机の上に空のコーヒーカップが三つ並んでいるが、一つづつ持ち上げてみて、全部空だということを確認して、心の中で悪態をつく。問題が解決したのに、何もすっきりとした感覚がない。
 「間宮さーん!なんて格好してるんですかー!」
 帰り支度をした岸谷が都の席まで挨拶に来てくれたらしく、都のだらしない格好を見て素っ頓狂な声をあげた。出来るだけ声を低めようとしてくれてはいるが、人の少なくなったオフィスでは、その通る声であちらこちらまで聞こえてしまっただろう。都も同じくらいに聞こえ渡ってしまうほど、大笑いしてしまった。