17-06

2022-02-05

17-06

 都は席に戻ると、急いで通常端末をスリープモードから叩き起こして、ロックを解除し、ウィークリーの案内メールに全員返信で資料を送ったメールを開き、転送メールの作成を始める。宛先はひとまず空にしておいて、CCには、海外オフショアセンターのPMのマネージャー、そしてこのお客の保守担当のメーリングリスト、構築担当のメーリングリストを入れ、都は本文に、お客名、お客のVRF名の更改前、更改後のものを列記して、先ほどのウィークリーで話した、南アジアノードのプロバイダエッジルーター更改での、コンフィグ漏れについての資料です、大至急、資料にある通り、不足している2つのルート・ターゲットのインポートを追加してください、と書いた。本文を書き終えたところで、岸谷からメアドです!と言う件名のメールが新着したポップアップが出た。内容はSEチームのマネージャーの名前の綴りと、メールアドレスが書いてあった。そういえば名前の綴りもわからなかった。都は今更思い出して、岸谷の気遣いが嬉しかった。
 本文先頭の宛名に、SEチームのマネージャーの名前、改行してCC:PMチームのマネージャーの名前、と記して、宛先にSEチームのマネージャーのメールアドレスを入れる。その海外オフショアセンターのPMのマネージャーが都をファーストネームで呼んでいたので、書き出しはThis is Miyakoとしておいた。送信ボタンをクリックるすと立ち上がる誤送信防止ツールで宛先などをチェックし、送信した。送信遅延タイマーの1分ほど待ってから、受信トレイに、自分が出したメールが、自分をCCしているために新着するのを確認すると、ようやく一仕事終わった気になって、背もたれに背中を預けて、深いため息をつく。もっとも問題は何も解決していなくて、問題解決へのキーパーソンである、海外オフショアセンターのSEチームのマネージャーに取り付くことができた、だけでしかない。しかし都に出来ることはここまでだ。あとはもう東京側の保守のマネージャーから執拗にプッシュしてもらうか、あるいはもう一段以上エスカレーションレベルを、東京側の保守マネージャーで上げてもらうしか効率的な手は何もない。
 都は机の上のコーヒーカップを持ち上げて、まだ中身が残っていることを確認してから、トラベラーリットを口に持ってきて、冷めてしまったコーヒーを飲んだ。乾いた喉には、冷めてしまったことはどうでも良かった。
 「間宮さん、お疲れさま。」
 都が背もたれに背中を預けて、かなりだらしない格好で座っていたからだろう、お菓子ボックスセットと呼ばれる電話会議のマイク・スピーカーユニットを、都の席の正面に当たるロッカーへ片付けに来た岸谷が、都の姿勢を見て微笑みながら言った。
 「岸谷さん、ありがとー。助かったー。」
 都は背もたれにだらしなく寄りかかったまま言った。都の向かい合わせの席は今日不在なので、その向こうに立っている人と会話をするのに気を使わなくても良かった。
 「岸谷さん、あ、みやみや。えーと、どっちに話しよ。」
 お菓子ボックスセットをしまって、ロッカーの鍵をかけていた岸谷に、門乃園が近づいてきて声をかけたが、視界に都が入ったらしく、岸谷に話そうと思ったことを、都に話した方が良いのか迷って、笑ってしまっていた。
 「あー。天板たわんじゃってるルーターの件?」
 都は門乃園に聞いた後、コーヒーを口にした。
 「そう。で、ベンダーに連絡したんだけどさあ…・」
 門乃園は少し困ったような調子で、話を始めた。都だけ少し遠いのと、門乃園は声があまり大きくないので、このあちこちから電話や相談の声が飛び交っているオフィスではきちんと聞き取れないといけないから、都は一口コーヒーを飲みこむと、席を立ち、席の島を回って二人がいるロッカーの前まで移動した。
 門乃園がベンダーに連絡し、先日入庫した同一機種のルーター4台全てに天板の歪みがあり、客宅へ納入は出来ないため、至急全台交換してほしいことを依頼した。ベンダーは、製造メーカーに確認すると言って、一度電話を切ったのだが、すぐに折り返しがあって、まずは天板の歪みがメーカーの交換基準達しているかどうか確認する必要があるので、全台の歪みを写真に撮って送ってくれ、写真を確認後交換できるかどうか判断するという。もしメーカーの基準で交換にはならないとなった場合どうなるのか、と門乃園は聞いたが、その場合、ベンダーとしても交換はできない、そのまま使ってもらうしかない、という回答だった。
 「えーーー。」
 都は思わず子供じみた嫌そうな声を上げてしまった。こっちは急いでるんだから、変えてくれれば良いのにねー、とか、何その交換基準って、歪んでんだよ、などと三人で言ってしまうが、百歩譲らなくても、まずは不具合の証拠を見せろと言うのは当然の言い分だ。通信できない、何とかしろ、とだけ言われたって、どのIPからどのIPへ通信が出来ないというような、最低限の情報がなければ、都たちだって何も動きようがないのと同じだろう。
 そんなわけで門乃園は、別ビルの在庫をしまっておく倉庫の方へ写真を撮りに行こうと思っているのだが、またさっきのように岸谷に手伝ってもらえないかと聞きにきたのだと言う。1Uサイズとは言え、ラックマウント型なので、細身の門乃園一人では確かに難しいだろう。
 都は一瞬、それは調達担当の仕事だから、調達担当に閉じてやってもらえないだろうかと思った。確かに、今このモデルのルーターがないと困るのは、都と岸谷だが、都たちは既に筐体を検収してNGで差し戻しているのだから、そこからは本来調達担当の仕事だ。もっとも、ベンダーから何か技術的なこと、例えば何かコマンド出力を取ってくれとか、デバッグを取ってくれとか、そういう場合は構築のSEが、必要な作業とログ取得を実施することはあるが、今回は筐体の天板が歪んでいて、それの写真を撮るだけだ。確かに少しルーターが大きいので、力仕事としてはちょっと手間がかかるかもだが。
 「あ、はい、全然!行きましょう!」
 そんな都の一瞬抱いた不満など関係なく、岸谷は全く躊躇もせず、即座に了を返していた。岸谷が何でもやろうとする一生懸命な新入社員だから、と済ませることもできるだろうが、都はちょっと自分が迷ってしまったのが情けなかった。ちょっとした力仕事を手伝ってくれと言われただけなのに、素直に応じることが出来ないなんて。都は苦虫を噛み潰したような顔をしないよう、我慢しないといけない。
 「間宮さんも行きません?」
 岸谷はちょっと一緒にコーヒーを買いにか、コンビニエンスストアへちょっと小腹を満たすものを買いに行こうとでも誘うように言った。
 「うん、行くー。」
 都もそういう誘いに気軽に応じるように、軽い感じで答えた。その岸谷の気軽さは、粘着質の水たまりに沈んでしまいそうになる都を、滑らかに引き揚げてくれるようですらあった。
 「え、みやみや、大丈夫?」
 門乃園は都が忙しくしていたのを見ていたのか、あるいはさっきのオープンな電話会議で、至急だとかビジネスインパクトだとか、下手な英語でまくし立てていたのを聞いていたのだろう。門乃園の席はあのオープンな会議卓に近い。
 「うん。とりあえずひと段落したから。」
 「じゃーあー、三人で行きましょう!」
 都が大丈夫な旨門乃園に返すと、岸谷はそう楽しそうに言うと、ロッカーの鍵をキーボックスへしまいに、フリーアクセスの床をバタバタとハイヒールで叩きながら走っていった。都はカッターとガムテープを持っていくと言うと、門乃園はそれは自分が持っていくから、と言ってくれた。都は自席へ一度戻って、ほとんどなくなったコーヒーを啜って、私用のスマートフォンだけを持ち、オフィスの出入り口の扉へ向かった。
 三人くらいの人数で歩くと、いつも都以外は並列で並んで、都はその並列の後ろに一人だけぽつんとついていく形になる。それは社員ばかりで都だけ派遣社員の時にそうなるだけではなく、派遣社員の方が多かったり、派遣社員だけの場合でも同じだ。不思議と人数が偶数でも、都は一番後ろでぽつんとなってしまう。都がふと止まって、置いていかれてしまったとしても、多分気がつかれないだろう。そんな風にもちょっと思ってしまう。
 門乃園と岸谷は並んで、ある社員二人の不仲について話をしていた。都はその社員二人を知ってはいるが、仲が良くないとは知らなかったし、二人が話しているような、その社員たちの性格などから来る行動の癖についても初耳だった。都は、都たちのオフィスの入ったビルから隣のビルまで歩く間、隣の敷地の工事中のビルを見上げ、聞こえてくる鉄を打つ音や鉄を切る音を一身に浴びてみる。もう何年も工事しているけれど、本当にいつ出来るんだろう。都はどうでも良いことに頭を巡らすしかなかった。
 別ビルの入り口ゲートは、都の認証カードでも入れた。こちらのビルも一昔前までは、交換機のノードだったのだが、今では多くのフロア、スペースがオフィスにリノベーションされている。しかし、エレベーターは当時の、今と比べて常駐者がとても少ない時代の頃のままで、台数も少なく、ローテーションも遅いから、エレベーターが来るのを結構待たないといけないことが多い。そのため、朝のエレベーター渋滞はものすごいことになっている。運動だと言って、階段で上って行く人も結構いる。十数階程度の建物だが、元々交換機を入れるフロアのため、全フロア通常のオフィスビルより高さがあるので、階間の階段はとても長く、7階程度でも登り慣れていなければ、大腿も痛くなるし息もかなり荒くなる。
 エレベーターで3階まで上がり、狭いエレベータホールへ出ると、門乃園はいくつかある扉の一つへ向かい、扉脇のテンキーで暗証番号を押してから、カードリーダーに自分の認証カードをかざしていた。認証カードリーダーの電子音がしてから、扉の物理鍵のロックが解除される音が聞こえた。門乃園は重たい扉を開けると、慣れた手つきで、入口の内側にある電灯のスイッチパネルで、いくつかの電灯を点けていた。部屋に入ると、がらんとしたコンクリートの空間が広がっていて、床には、どこかの床下から這い出て接続先を失ったケーブルがいくつか死んだように伸びている。奥の方には、檻のようなケージで囲われた狭いラックスペースがあり、幾つものファンの音が少し遠くに聞こえる。そのケージに囲まれたラックスペースには電灯がついているが、何もないコンクリートの床だけが広がるスペースには電灯がついていないので、ちょっと秘密めいた、陰鬱な空気がある。どちらかといえば、乾燥しているのだろうが、何か湿っているような空気感があり、コンクリートの床がそう感じさせるのかもしれないが、どこか埃っぽく、埃の臭いが時折鼻にかすかにつくような気がする。
 別の壁の方にまたケージ囲いがあり、その向こうは電灯がついていた。ケージの檻の向こうは棚が壁沿いと、ケージ沿いに向かい合わせで並んでいて、中にはルーターのダンボールのようなものがいくつも置いてあった。人もいない、稼働しているラックスペースは少し離れている、そんな広いフロアの中を歩くと、岸谷と門乃園のハイヒールとがコツコツと響いて、静かな広い空間にいるということが、都に落ち着いた感情をもたらしてくれて心地良かった。都のフラットパンプスは、どちらかと言うとぺたぺたという音を静かに立てるだけで、都は自分一人だけ異質で場違いだと感じる一方で、なんか自分の足音が可愛いと感じもした。
 ケージの入り口にはカードリーダーがついていて、門乃園が自分の認証カードで開けていた。門乃園に続いて、岸谷、都と入って行く。棚と棚の間は割とスペースがあって、MPLSの客宅ルーターとして提供する中で、一番大きい3Uのラックマウント型の筐体や、サーバーと同じような作りで1Uだが奥行きが長いものでも、それらを梱包するダンボールごと取り回せそうな広さはあった。
 「で、この3つね。」
 門乃園はある程度奥まで行くと、棚の一番下で床に直置きに3つ重ねられたダンボールを、初見の都のために指差した。
 「じゃーあ、ぱっぱと開けて、ぱっぱと写真とっちゃおう。」
 都はそのダンボールの山の前に膝をついてしゃがみ、まずは一台引っ張り出した。門乃園が支えて手伝ってくれる。
 「あ、その前にー、写真撮りましょー。」
 「え?」
 都が1台のダンボールを棚と棚のスペースに置いて、蓋を止めているガムテープをカッターで切るか、再利用出来るよう剥がすで済ますか、ちょっと迷っていると、急に岸谷がこの場と不釣り合いなことを言うので、ダンボールの前にしゃがみ込んだまま、顔だけ岸谷の方に向けると、いわゆる自撮りのやり方で、岸谷越しに全員入るようスマートフォンを掲げていた。
 「はーい、それじゃ、行きまーす。いえーい。」
 岸谷がいつもの通る声でそう言うと、すぐにシャッター音が聞こえた。
 「なにしてんの?岸谷さん。」
 都はシャッター音がしてからようやく岸谷が遊びで写真を撮っているのを理解して、笑ってしまった。
 「あー!間宮さんちょー可愛いー!」
 「どれどれー?」
 撮った写真を確認すると、岸谷がまるで小動物か猫の可愛い写真でも撮れたかのように、いつもの通る声で喜んでいるので、門乃園は岸谷の方へ行って、岸谷のスマートフォンを覗きこんだ。
 「やだー。みやみや、ちょー可愛いー。」
 門乃園は笑って一緒になって喜んでいる。
 「ちょっとー、なにー。」
 都は立ち上がって二人の方へぱたぱたと向かった。岸谷はスマートフォンを見せてくれた。撮れた写真を見ると、岸谷と門乃園はちゃんと写真を撮ることをわかってポーズをしているが、都だけちょっと間が抜けているくらい意図がわかっていない顔をしてしまっている。
 「ちょっとー、かどちゃんもなんでちゃんとカメラ意識してんのー?」
 都は一人だけ阿呆面していて、二人が可愛く収まっていることに、素直に不満を言った。三人で大きい声を出して笑ってしまった。
 岸谷は、間宮さんがうるさいから、と笑って言うと、都を真ん中にして三人で並んでもう一枚、岸谷のスマートフォンの自撮りで写真を撮った。岸谷は左腕で都の肩を抱きしめて、頭を傾けて都の頭にくっつけている。門乃園はその岸谷が抱きしめている都の肩に両手を乗せて、都に顔を寄せていた。都は可笑しかったのか、恥ずかしかったのか、それとも嬉しかったのか良く分からないけれど、結構自然な笑顔で撮れていた。写真を確認しているとにやにやしてしまったらしく、岸谷に、間宮さんにもご満足いただけたようです、とからかわれてしまった。
 その後三人でわいわいと賑やかに、3台のルーターを1台ずつ開梱し、天板の歪みが綺麗に見えるような写真と、シリアル番号の写真を撮っては、再梱包とやっつけた。三人で冗談を言ったり、ちょっとふざけながらやっていたので、3台終わると、都は思わず、あー、楽しかった、と言ってしまった。状況としては、全く楽しくない状況なのだけれど。そもそも発注時にはベンダーにもメーカーにも在庫がないと言われていたモデルだ。やっと都たちのキャリアへ納入された在庫分含め全部が天板歪みなのだ。これだと日本に入ってきたものは全部天板が歪んでいる可能性がある。製造ロット全部ダメかもしれない。
 オフィス内の倉庫にある、都と岸谷で検収済みのものについては、都と岸谷とで写真を撮った。全て都のスマートフォンで写真を撮ったので、都がまとめて門乃園へ写真を送ることになった。都が勤めるこのキャリアのメールサーバーでは、添付ファイルの大きさの上限が決まっているため、スマートフォンでメールへ写真を添付する時、サイズを小さくして送らないといけない。都は全ての写真を一旦自分の会社のメールアドレス宛に送り、通常端末のデスクトップで、シリアル番号ごとにフォルダを作り、そのフォルダに天板歪みを写したものと、シリアル番号を写したものと入れ、最後に天板歪み写真という名前のフォルダを作ってそこへ全部入れて、圧縮してから門乃園へ送った。もちろん岸谷もCCしておいた。
 都が天板歪みの写真を撮りに行く前、海外オフショアセンターのSEチームのマネージャーへ転送した資料付きメールには、その後2つほど全員返信がかかっていた。最初の一つは、SEチームのマネージャー自身が、おそらくはその更改後のプロバイダエッジルーターのコンフィグを担当した、あるいは本件のトラブルシューティング対応をアサインされたエンジニア個人を宛先にして、本文には「+Miyako」のように、プラスそのエンジニアの名前、とだけ書かれていた。海外オフショアセンターのメールにはよくある本文だ。おそらく細かいことは電話か、チャットかで共有していて、あとはこのメールでやってくれ、という意味合いのようだ。
 その後に、おそらくは別件の客宅打ち合わせから帰ってきた、あるいは出先からかもしれないが、東京の保守のマネージャーから、SEチームのマネージャーとそのアサインされているエンジニアとを並列で本文先頭に宛名とした、お客から早急な解決を強く求められているので、尽力願いたい、というエスカレーションが出ていた。それ以降は何もなかった。
 都は専用端末上でいつも使っている、特定のコマンドと現在時刻表示とを数分おきに自動で繰り返して流し込む、ターミナルソフトで使用するマクロを、テキストエディタ開いて、コマンドを編集する。マクロに仕掛けたいコマンドは、問題となっているプロバイダエッジルーターに接続している客宅ルーター上で、プロバイダエッジルーターからBGPで受信しているルートの中の、特定のルートだけを表示させるものだ。念のため都は、当該の客宅ルーターへログインし、BGPの状態の概要を表示するコマンドを叩く。ネイバーのIPを表示からコピーし、そのネイバーから受信しているルート一覧を表示するコマンドのネイバー部分に貼り付けて、コマンドを打ち切ってから叩く。このコマンドの出力を、後でプロバイダエッジルーターのコンフィグ漏れが直ったと報告があった時の、比較対象ログとして取っておく。もっとも、そう言った報告がきちんとなされるかどうか不明だ。海外オフショアセンターのSEに、コンフィグ間違いを指摘すると、いつの間にか直っていて、実施の報告がないということは、海外オフショアセンターのSEを使うプロジェクトをやったことがあれば誰でも経験することだ。
 さらに、そのコマンドに特定のアドレスだけ含むものというオプションをつける。まずは受信しているルートの中で適当なルートを選び、そのオプションがちゃんと動作するか確認する。選んだルートのアドレス部分だけを含む、と言うオプションでコマンドを叩くと、プロバイダエッジルーターからBGPで受信しているルート一覧から、マッチするアドレスのルートがある行だけが表示される。コマンドのオプション書式はOKだ。それから、オプションで指定するアドレスを今受信できていないルートのアドレス部分に変更して、再度コマンドを叩く。今度は何も表示されない。コマンドはうまく動くことは確認出来たが、同時に未だプロバイダエッジルーターの修正も終わっていないことも確認出来てしまった。都はそのコマンドをコピーし、編集中のマクロのコマンド部分を選択してペーストで一気に変換し、適当なファイル名をつけて、デスクトップに保存、当該客宅ルーターへログインしているターミナルウィンドウのログ取得を開始してから、マクロを走らせ始めた。
 1分おきに、現在時刻表示、指定したコマンドが繰り返されるのを確認出来たが、アドレスの打ち間違いをしているといけないので、都は別のターミナルウィンドウを立ち上げて、保守ルーターへログインし、このお客のVRF上に、都がマクロに書いたアドレスと同じルートがあるかどうか、特定のVRFのルーティングテーブルを表示するコマンドに、同じオプションを、マクロの実行表示からコピー・アンド・ペーストし、リターンキーを叩く。するとそのルートは存在するので、アドレスの打ち間違いはない。
 もうこの件は見守ることしか出来ない。もし解決したことを都の方が先に拾えれば、受信ルートや、プロバイダエッジルーターのコンフィグなどを確認して、大森に報告するだけだ。
 そうなると、CJ案件の本社設置予定のルーターがどうなるか、本格的に気になってくる。もう設置は来週だ。パイロット拠点と本社拠点のLAN切り替えはその翌週末なので、まだ引っ張れる余裕があるとも言えるが、そもそも歪んでいない筐体をベンダー、あるいはメーカーが用意できるのかどうか。とりあえず門乃園からもらえるだろうベンダーの反応を待つしかない。
 いわゆる「こちらでボールを持っていない状態」となったので、都は今度こそちゃんとコーヒーを飲みたいと思って、買いに行くことにした。上の自販機で済ませるか、外へ買いに行くかちょっと迷ったが、少し気分転換も含めて、外へ行くことにした。さっき隣のビルに行くのに一度外へ出たが、寒いということはなかったので、上着は置いていっていい。財布とスマートフォンだけ持って出かけることにした。
 スマートフォンで時刻を確認しようとすると、チャットアプリでメッセージの新着通知が出ていた。岸谷からで、間宮さん、コーヒー買いに行きましょう、と楽しそうな顔文字付きで7分前に送ってきた。都は、ちょうど今行くとこ、一緒に行く?と送ったが、既読にならないので、タイミングを逃したか、と思って、都は、行ってくるね、とメッセージを追加して席を立ち、オフィスから出た。
 都は廊下から、ビルの入館ゲートのある勤務者用出入り口へ出る。入館ゲートには警備員が一人必ず立っていて、オフィスエリアからゲートを抜けるとある、外来者受付の裏は警備の詰所だ。外来者受付では誰かが受付票を記入していて、ゲートの手前にはそれほど広くないスペースがあるが、その受付票を記入している人の連れだろうか、手持ち無沙汰で待っている人がいる。
 「あー!間宮さーん!」
 都がゲートをくぐった後、後ろから通る声で岸谷が呼んだ。警備員や、入館手続きを待っていると思われる人も都と一緒に岸谷の方を振り向くので、都は笑ってしまうと同時に、その注目の的に呼ばれたのが自分であることへの気恥ずかしさで、一気に汗が噴き出してきた。
 「間宮さーん、置いてかないでくださいー。」
 ゲートを抜けると岸谷はちょっと甘えた調子で不満を都に言うので、それがまた可笑しいやら、気恥ずかしいやらで、都は笑ってしまうしかなかった。どんな時でも、岸谷は堂々としていて、痛快ですらある。