17-05

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都は、プレゼンテーションファイルの最初のスライドに、MPLSを表す円を描き、問題となっているプロバイエッジルーターを表すアイコンをその円の左縁に、右縁には他に3つのプロバイダエッジルーターを表すアイコンを置き、各プロバイダエッジルーターから直線を外側へ引いて、客宅ルーターを表すアイコンをそれぞれ線の終端に置いた。これで4拠点のみのネットワーク図のようになったので、問題となっているプロバイダエッジルーターに更改前のホスト名を入れて、更改前はコンフィグされていたように、3つのルート・ターゲットがインポートされると書いたテキストボックスを添える。そのテキストボックス中に、エクスポートは通常のルート・ターゲットであることも書いておく。ルート・ターゲットは実際の値をかくと長いので、A、B、Cとしておき、通常のものをAとした。A、B、Cのルート・ターゲットの実際の値については、図の端の方に、ノートとして記載しておく。
残り三つのプロバイダエッジルーターにも、インポートされるルート・ターゲットは3つと書いたテキストボックスを添える。それぞれのエクスポートはA、B、Cと、別々のものを書く。そして、各拠点の客宅ルーターから適当なルートを一つずつ広告し、客宅ルーターやプロバイダエッジルーターのルーティングテーブルを、それぞれのアイコンに刺した吹き出しで表現する。
最後に、問題となっているプロバイダエッジルーターに接続する客宅ルーターから、図の右側にある3つの客宅ルーターへ、曲線の矢印を引き、到達できていることを図示しておく。
この更改前を表したスライドをコピーし、コピーのスライドで、問題となっているプロバイダエッジルーターを更改後の状態として編集する。問題となっているプロバイダエッジルーターのホスト名を更改後のものに変更して、ルート・ターゲットのインポートとエクスポートを書いたテキストボックスから、BとCのルート・ターゲットのインポートを抜き、このプロバイダエッジルーターと、接続する客宅ルーターに刺さった吹き出しに書かれたルーティングテーブルから、ルート・ターゲットのエクスポートがBとCになっている、プロバイダエッジルーターに接続した客宅ルーターが広告しているルートを消し、ルート・ターゲットのエクスポートがAとなっている拠点のルートしか受信出来ていない状態にする。あとは、疎通を表す矢印で、ルート・ターゲットのエクスポートがBとCになっている拠点向けの矢印の先端に、通行止のアイコンを赤色で被せる。
これで資料は完成、あとは見直しだと思ったところで、都は、更改前のプロバイダエッジルーターのコンフィグと、更改後のプロバイダエッジルーターのコンフィグとの比較も載せた方が良さそうだと思った。更改前は、一番古い、客宅ルーターと同じメーカーの筐体を導入していた頃の筐体だから、コンフィグ体系が全く異なるので、単純なテキストファイル比較のようにはいかないが、関連する部分だけ抜いて、ここが足りない、と明示できれば良い。
都は専用端末のロックを解除して、ログインサーバーへ入り、網内設備にホストネームでログインできる機能を使って、まず、更改前のプロバイダエッジルーターへログインを試みる。更改前のプロバイダエッジルーターのホスト名は諳んじているので問題はない。まだ更改されてから1週間も経っていないから、ルーターそのものはシャットダウンされておらず、バックボーンにも接続されているはずだ。その都の想定は当たっていて、ターミナルウィンドウにバナーが表示されると、ログインクレデンシャルを聞いてきてきた。都は、知っている読み取り権限のクレデンシャルを叩き、ログインし、必要なコンフィグ部分を表示させる。客宅ルーターと同じコマンド体系だし、東京でプロバイダエッジルーターのコンフィグをしていた時の、このお客のVRF名は暗記してもいるから、考えるよりも手が勝手に動く。
更改前のプロバイダエッジルーターから必要なコンフィグを空のテキストファイルにコピーしたら、次は更改後のプロバイダエッジルーターだ。さっき大森から電話を受け、更改後のプロバイダエッジルーターのコンフィグを確認した時、フルコンフィグは既にテキストファイルにして保存してある。それを開いて、必要な部分を検索、ドラッグし、コピーすれば良い。
資料に貼り付けるためにそれぞれから切り抜いた、部分コンフィグのコピーを一つのテキストファイルにまとめ、専用端末、通常端末、双方からアクセスできるサーバーを介して、通常端末へ落とす。作りかけのプレゼンテーションファイルに新しいスライドを追加して、左側に更改前のコンフィグ、右側に更改後のコンフィグと比較できるように、それぞれのコンフィグをコピーし、並べて貼り付ける。コンフィグ体系が違うので、完全な比較にはならないが、更改前のVRFの定義部分、更改後のルート・ターゲットのコミュニティリストの定義部分が並ぶようにし、出来るだけ同じ役割を持つコンフィグが一覧できるようにする。更改前のコンフィグの、VRF設定にある、ルート・ターゲットのインポート設定に含まれる、BとCのルート・ターゲットを太字にし、さらに赤枠で囲む。更改後の当該VRFのインポート設定に定義されている、コミュニティリストをまず赤枠で囲み、コミュニティリストの中身を定義している部分も赤枠で囲む。そこへ吹き出しを刺して、中にBとCのルート・ターゲットがなく、インポートされない、と但し書きを入れる。
都は、ディスプレイ上で出来上がった資料を2回ほど見直して、綴り間違えや、言い回しを若干直してから、印刷のプロパティを開き、デフォルトで2in1になっている設定を、1面に1スライドずつ、両面で印刷する設定に変えて、印刷ボタンをクリックしてから、席を立ち、少し離れたところにあるプリンターまで小走りに、プリントアウトを取りに向かう。プリンターまで行く時と、席へ帰る時、フリーアクセスの床をバタバタ鳴らしてしまうが、構うもんか、急いでるの、と身勝手に思った。行きも帰りも、さすがに席の島と島の間は、人にぶつからないように注意した。紙媒体でチェックすると、やはりディスプレイで気がつかなかったちょっとしたタイプミスを2つほど見つけたり、直した言い回しがやはりおかしいことにも一箇所気づく。それらを直して、ファイルを保存し、タスクバーの時計を確認する。13時45分。
「間に合ったー…。」
そう思わず都は小さく声に出してしまった。表紙も何もない3スライドのプレゼンテーションファイルだが、体裁なぞ気にしている時間もないし、必要もない。資料を後で送る、と自分で返信したメールにさらに全員返信で、本文に「資料はこれです」とだけ書く。本来は海外オフショアセンターへ送る時でも、添付ファイルは暗号化し、別メールでパスワードを送るのが正しいやり方だが、海外オフショアセンターが東京へ何か送る時、これを一切やらないので、こちらからもやらないのが常態化してしまっている。都も、ファイルをそのまま添付して、誤送信防止ツールの宛先確認で、社内と海外オフショアセンターのみが宛先になっていることを確認してから、送信した。
都は喉の渇きを強く覚えて、というよりコーヒーを飲みたくて仕方がなかった。メールを送信したら、自分がCCされるようになってはいるが、誤送信防止のために送信遅延タイマーを自分でかけているので、受信トレイに自分が出したメールが新着したのを確認出来たのは1分ほど待ってからだった。浅くため息をつくと、もう13時50分になろうとしていた。淹れてきたってどうせろくに飲めないけど、一口でも温かいコーヒーが飲みたかったから、都は机の下のバッグから出した財布だけ持って、小走りに上の階の自販機へ向かった。
コーヒーを買って席へ戻り、立ったままコーヒーを一口飲んだ。乾いた喉にはとても美味しく、ちょっと熱かったが、一口で済まず多少ぐびぐびと飲んでしまった。都が立ったままコーヒーを飲んでいると、都の席の目の前にある、壁沿いに並ぶロッカーに岸谷がやってきて、ロッカーの一つを開けていた。中からお菓子ボックス、と呼ばれている電話会議用のマイク・スピーカーユニットと、電源アダプター、PHSと接続する専用のケーブルを取り出していた。
「間宮さん、準備大丈夫ですか?」
岸谷はお菓子ボックスセットを小脇に抱えて、ロッカーを施錠してから、都の方を振り返って聞いてきた。岸谷は帰国子女だし、ネイティブのような発音の英語を自由に使えるので、電話会議の進行など、まだ入社半年の新入社員でも、既に海外オフショアセンターで構築をする案件のPMをやっているくらいだから、何のことはないだろうし、実際何の緊張もなく、余裕があるように見える。
「うん。」
都はコーヒーをちょうど口に含んだ時に聞かれたので、口がきける程度に飲み込んでから、首肯だけ返せた。
「もう始まる?」
都はちゃんと口に含んだコーヒーを全部飲み込んでからそう聞いて、空いてる左手でマウスを動かして通常端末を起こし、お腹のあたりにネックストラップでぶら下がる認証カードのリールワイヤーを引っ張って、ロックを解除した。時間を確認したかった。
「あとー、5分くらいで始めます。」
岸谷は右手首を返して、腕時計を見てから都に返した。
「りょーかい。すぐ行くね。」
都はそう言うと、またコーヒーカップのトラベラーリットに口を当てた。
「はい、お待ちしております!」
岸谷は良い笑顔を都に送って、この部屋の奥まったところのスペースに設けられた、パーティションのない会議卓の方へ向かった。都はそれを見て、このウィークリーの電話会議は、あのホワイトボードだけで、近くの席の島から仕切られただけの、オープンな会議卓で行われることを今更思い出した。この周りに聞こえるようなオープンな会議卓でのウィークリーの開催には、メールで議題を上げていなかったが、エスカレーションしたい件が実はあった、急遽エスカレーション必要になったなどの場合に、参加しやすくする、という意図もあるらしかった。まわりの席の人たちに、自分の下手な英語を良く聞かれてしまうと思うと恥ずかしかった。
都は立ったまま、通常端末のディスプレイで、修正が終わった資料をもう一度通して見直して、コーヒーをもう一口飲んでから、手ぶらのまま、岸谷が先に向かった会議卓へ向かった。コーヒーはもう半分以上飲んでしまっていた。
会議卓を一応席から仕切っている形のホワイトボードを回り込むと、岸谷が既にプロジェクタに接続したシンクライアント端末を操作していた。都は、最初岸谷の向かいに座ったが、すぐに立ち上がり、会議卓を回って、岸谷の隣に座り直した。お菓子ボックスを見ると、既に岸谷のPHSと接続されていて、LEDのいくつかが点灯していた。資料を共有するための、ウェブ会議システムには、音声通話も同時に出来る機能があるのだが、都たちのオフィスには全機能が解放されておらず、音声通話機能を同時に使うことが出来ない。そのため、電話会議システムで別途電話会議を作り、資料だけはウェブ会議システムを使用するような形を取らないといけない。このウェブ会議システムには、チャット機能もあるのだが、これも都たちのオフィスには無効化されている。全機能が使えると、ものすごい便利なツールらしいが、セキュリティだ何だと言って、都たちのオフィスではかなり機能が制限されてしまっている。
「間宮さん、このファイルで良いですよね?」
岸谷は、プロジェクタでホワイトボードに映写されたプレゼンテーションファイルの最初のスライドに目をやりながら聞いてきた。表紙も何もないので、いきなり更改前のネットワーク図だ。
「うん、それ。」
都はそうだと言うことだけ返した。
「じゃあ、あとは向こうが電話会議に入ってくるのを待ちましょう。」
「うん。」
岸谷は、ちょっと柔らかい感じというか、甘えたような調子で、親しげに言ってくれたのだが、都は普通に頷く余裕しかなかった。緊張していたし、ちゃんと喋れるだろうかということで頭が一杯だった。
「Hello」
お菓子ボックスのスピーカーから、明らかに電話の電波にのって、音声が圧縮されたような、電話で聞く独特の音質になった、海外オフショアセンターの所在する土地の訛りの英語で、男性の声の挨拶が聞こえてきた。岸谷はすぐに、相手の名前をさん付で呼びかけながら、挨拶を返していた。日系企業の現地法人や、日本企業と取引の多い外資系企業では、お互いの名前に「さん」をつけて呼びかかけ合うことは多い。
「Oh, Nana-san, Good afternoon, how are you doing?」
海外オフショアセンターのPMのマネージャーは、相手が岸谷だとわかると、最初のあまり感情の読み取れない挨拶から変わって、少し親しげな調子を帯びた。時差から考えて向こうはまだ午前中のはずだが、わざわざ日本時間を考慮して、こんにちわ、と言ってきていた。しばらく岸谷と、世間話のようなものを談笑しながらしていたが、都には全く聞き取れず、岸谷の隣で愛想笑いをするしかなかった。都は自分が誰に対して愛想笑いしているのかよく分からなかった。
本来英語の場合、ファーストネームで呼び合うのが普通だが、日本が苗字で呼び合う風習のため、これに倣って、というより日本人側が名乗る時に苗字で名乗る場合、海外側はそれに合わせて苗字で呼んでくれることは少なくない。ただ、人によってはわざわざ、ファーストネームで呼び変えてくる場合もある。それは文化的な事情の場合もあるので、その場合はこちらも合わせることになる。
岸谷の場合、おそらく苗字の発音がファーストネームよりも日本語圏外では難しいので、下の名前の「菜奈」で呼ばれているのかもしれない。もっとも海外居住時は、現地の学校に通っていたと言うから、英語で喋る時はファーストネームで名乗ることが習慣になっているのかもしれない。
雑談が終わると、岸谷は今日は議題が一件ある、私たちのオフィスのナンバーワン・エンジニアで、私がとっても尊敬するMiyako-sanからです、と都でも聞き取れるような大仰なことを、まるで昔のジャズのライブでMCが演者を紹介するように言うので、都は否定の意味で手を横にぶんぶん振りながら笑ってしまうしかなかった。顔が火照ってきて汗が出てきてしまう。オープンな会議卓なので回りにも聞こえているはずだ。岸谷は、今のスライドが向こうにも見えているか聞いた。お菓子ボックスからは見えている、と返ってきた。
「じゃーあー、間宮さん、お願いします!」
岸谷は何だか嬉しそうな顔をして都に言った。都は、最初の一言を口から出すのに、自分の下手な英語を、これだけネイティブな英語を自由に使う岸谷の前で喋らなきゃいけない、回りにも聞こえる環境で話さないといけない、と言うことの恥ずかしさに躊躇したが、英語で挨拶をすると、向こうがHi, Miyako-sanと、岸谷との会話にあったような親しげな感じはなかったが、返してくれたのを機に、とにかく早く終わらせよう、という思いが恥ずかしさを凌駕した。それはこの問題は深刻な人為故障だから早急な解決が必要、という思いからきているのか、単に自分がこの英語を喋らないといけない、しかも海外オフショアセンターのマネージャーに向かって、という環境から早く逃げたいという思いからだったか、微妙だ。
都は英語で挨拶をしてから、まず南インドのプロバイダエッジルーターの更改があったことは知っているか聞いた。答えはイエスだったので、その更改で、更改前のコンフィグが一部漏れていて、今特定のお客にビジネスインパクトを与えているので早急に解決してほしい。これからどのようなコンフィグが漏れて、どのような問題が起きているか手短に説明したい、と続けた。途中途中でつっかえたり、言い直したりしたが、何とか言えた。
海外オフショアセンターのPMのマネージャーは、了解した、ただ自分はテクニカルな部分はそれほど理解は出来ないが、話は聞いて、SEのマネージャーには至急情報をシェアし、早急に対応を取ってもらうようにする、と言った。海外オフショアセンターのPMが使っているSEチームには、別なマネージャーがいる。そして、このSEのマネージャーに、東京のPMが直でエスカレーションするのは厳禁になっている。必ず海外オフショアセンターのPMのマネージャーを通さなくてはいけない。これは東京のPMのマネージャーからエスカレーションする時も同じだ。海外オフショアセンターのPMのマネージャーが、東京の人間と直に話した方が効率的だと判断した場合のみ、直接会話することが許される。
都は、承知はしないが了解した、という意味で、Notedと返し、それでは説明を始めると言って、お客名と、現在起こっている問題を軽く言ってから、まず更改前の状態を説明する、と言ったところで、海外オフショアセンターのPMのマネージャーに呼びかけられ、話を止めざるを得なくなった。海外オフショアセンターのSEのマネージャーも呼ぶので、少し待ってくれ、と言われた。既に資料は見えているはずなので、ざっと見て、自分では無理だと思ったのか、それともこれはSEのマネージャーにも話を一緒に聞いてもらった方が良いと思ったのか。そうでなければ、海外オフショアセンター内では、チャットシステムもあるので、都の話を聞きながら、チャットでSEのマネージャーに、南アジアのノードのプロバイダエッジルーター更改で問題起きているの知っているか、と聞いたら、知ってると返ってきて、その件で東京のエンジニアから説明があるから、と呼んだのか。そうだとしたら、人の話を聞きながら器用だなと思った。
海外オフショアセンターに限らず、海外のベンダー、エンジニア、現地法人などに保守フェーズで起きたトラブルを説明する時、不達だとか、ルーティングに不具合がとか、技術的に具体的な表現だとあまり響かない。トラブルはあるけど使えているんでしょう、という感じらしい。実際お客にビジネスインパクトが出ている、ということを最初に述べると、相手のこちらの話に対する注意力や集中力が高まり、力のかけ方が変わってくる。
それほど待たずに、PMのマネージャーから、SEのマネージャーがジョインしたから、始めてくれ、と言ってきた。SEのマネージャーからは挨拶はないが、都はもう一度最初から話すことにした。まずはスライド1枚目。このお客のVRFは3つのルート・ターゲットを使っており、ノードによってエクスポートするルート・ターゲットやローカルプリファレンスの設定などのアサインの違いはあるが、基本的にどのノードでも、このお客の回線を収容している全てのプロバイダエッジルーターでは、このお客のVRFには3つのルート・ターゲットをインポートする設定になっている。そうすることで、エクスポートするルート・ターゲットが異なるノードに収容された拠点とも通信が出来るようになる。
次にスライド2枚目。しかし、南アジアのノードで更改されたプロバイエッジルーターでは、一つのルート・ターゲットのみをインポートする設定になっていて、残りの2つのルート・ターゲットをエクスポートしているノード収容拠点と通信が出来なくなっており、お客に重大なビジネスインパクトが出ている。最後のスライドは、更改前と公開後のコンフィグを比較したもので、メーカーが異なるので、単純比較はできないが、更改後のプロバイダエッジルーターのコンフィグにおいて、当該VRFに、ルート・ターゲットのインポートが2つ不足しているのが明らかなのは見てわかると思う。大至急、更改後のプロバイダエッジルーターの、このお客のVRFのルート・ターゲットのインポート設定に、不足している2つのルート・ターゲットを追加してほしい。都は、やはり途中でつっかえたり、言い直したり何度もしたが、何とか全部説明し切った。ただ、相手が理解できるように喋れたかどうかは不安だった。
都はホワイトボードに映し出された、プレゼンテーションファイルを見ながら話をした。岸谷も同じように、自分のシンクライアント端末ではなく、ホワイトボードに映写された方を見ていた。都はそれが相手に見えるわけではないのに、時折資料を指差したりしてしまっていた。スライド一枚の説明が終わって、次のスライドへ移動する時は、岸谷に逐次お願いした。
都の説明が終わるとすぐに、PMのマネージャーとは違う男性の声が、お菓子ボックスから聞こえてきて、何かPMのマネージャーと2、3会話をした後、PMのマネージャーがおそらくよろしくお願い、という意味でthanks、と言うと、都を呼び、その資料をSEのマネージャー宛に出来るだけ早く送ってくれないか、と聞いてきた。PMのマネージャーはそのSEのマネージャーを、彼のファーストネームで言ったのだが、都は名前がよく聞き取れなかったし、その人のメールアドレスも知らなかった。
「岸谷さん、その、えっと名前聞き取れなかったんだけど…。」
岸谷は名前を教えてくれた。言い方は都の好きな、声を低めた声でだった。
「その人のメールアドレスってわかる?」
「はい、わかりますよ、すぐ送りますね。」
そう都に声を低めたまま答えると、岸谷はすぐに声の調子を元に戻し、ネイティブな発音で電話会議の向こうに、転送は了解した、Miyako-sanがすぐに転送する、と英語で言った後、今日の議題はこれだけだけど、あとはそちらから何かあるか、と聞いていた。PMのマネージャーがNoだと言った後、2、3やはり雑談なのだと思うが、岸谷と笑い声を混ぜながら、都には聞き取れない会話をしていた。それが済むと岸谷は、じゃあこれで今日のウィークリーは終わりにすると、言って、ミーティングに参加してくれたことに礼を言うと、PMのマネージャーは同様に礼を、Nana-san, Miyako-san、とわざわざ都の名前も上げてくれたので、都もお菓子ボックスに向かって礼を返した。SEチームのマネージャーはいつの間にか電話会議から退出していたらしい。
「じゃーあー、すぐ間宮さんにー、SEのマネージャーのメールアドレス送りますね。」
岸谷はお菓子ボックスに接続しているPHSをオンフックにすると、シンクライアント上で、メーラーをタスクバーから起こしていた。プロジェクターを接続したままなので、岸谷の作業はホワイトボード上に大写しになっている。
「うん、ありがとう。ごめんね、ところどころ助けてもらちゃって。」
都は椅子から立ち上がりながら言った。
「とんでもないです!間宮さん、全然英語できるじゃないですかー。」
岸谷は何か嬉しそうだ。二人で出かけたりした時に、都は英語の喋り、聞き取りが苦手だと言うことは話していたので、それを受けて言っているようだ。
「一方的にしゃべるだけだったからねー。ディスカッションは無理だよ!…んー、でも通じたかなあ…。」
都は未だちょっと不安だった。間違って伝わっていたりしないだろうか。もっとも資料はきちんと書けているはずだ。都の喋る英語が酷いから、資料をすぐ送れ、と言われたのかもしれない。
「大丈夫です!あたし、あと30分くらいなら、今間宮さんが説明したこと、説明できますよ!」
岸谷はそう自慢げに言ってきた。30分って、と二人で笑った。30分経ったら、難しいから忘れてしまう、と岸谷が言うから、あたしもこれよく忘れちゃう、と都が返して、また二人で笑った。
都は緊張が解けたせいか、口が軽くなっていた。それでもまだ手が少し震えている。
「じゃあ、ちょっと転送するメール準備するから、とりあえずメアドお願い。」
都は自席の方へ歩きながら言った。
「りょーかいです!」
岸谷は元気に返事をしてくれた。