17-01

2022-02-04

17-01

 都は朝のメールチェックを終えた後、しばらくの間、都がSEを担当する案件の、あるアジア拠点のLAN側、つまりお客の責任区分範囲でのトラブル相談メールへの回答案を作っていた。そのお客は、完全にお客の責任区分範囲のトラブルでも、安易にキャリアに投げてくる。しかも、構築中のプロジェクトでもないのに、保守に投げず構築担当へ投げてくる。保守フロントでは、ある程度切り分けた後、それはお客の責任区分範囲の問題と、撥ねられてしまうことがわかっているからだ。このお客も、東京でSEを置く案件となっているので、それなりに手厚い対応をすることにはなっているのだが、さすがにこれでは技術サポートのバーゲンセールを通り越して、完全に無償提供になってしまっている。しかし、担当の営業がマネージャー含め、この本来は有償のSIサポートであるべき対応を、構築担当で無償で実施していることについて、お客と話したがらないので、都たち構築部隊は対応せざるを得ない。回答はPMからしてもらうのだが、どの程度答えるか、あえてわかりませんというか、返し方を相談した上で、都が技術的な回答案を作成する。
 ちょうどその見直しが終わったところで、門乃園が声を掛けてきた。
 「みやみやー、CJ案件のルーター来たよー。」
 「え!まじで?ほんとー?」
 都は素直に驚いた。確かに今日届くとは言われていたが、早くても午後、そもそも予定の日時では届かないだろうと思っていたからだ。どちらにしろ、今日、門乃園にはこちらから、進捗を聞こうと都は思っていたが、知らせは向こうからやってきた。
 「倉庫に入れるものなんだからさあ、あそこのロッカーの手前に置いてあるよ。」
 そう門乃園は言うと、都の島の奥の方を指差した。突き当たりにはロッカーがあって、都の席がある島の角席とロッカーの間には、もう二つくらい机を並べられそうな余裕があり、そこは調達担当がルーターなどの機器を一時的に置いておくスペースとなっている。都は自席で立ち上がっても、その辺りはよく見えないので、見にいくことにした。確かに、大きめの台車の上に、1Uの高さのラックマウント型ルーターが入る大きさの、ダンボール箱が置いてあった。
 「やったー。かどちゃん、ありがとー。」
 一緒についてきた門乃園に、都は両腕を上げて喜びながら礼を言った。間に合ってよかったね、と門乃園は言うので、都は同意を返した。
 「みやみやにはいちいち言わなくてもいいけどさあ、検収終わったら、検収完了メール、いつものメーリングリストに送っておいてね。」
 そう門乃園は言った。日本国内の拠点に設置するルーターは、現場作業員のオフィスへ発送する前に、筐体の外観確認や梱包物の確認、起動確認、OSのバージョン確認など、そのプロジェクトのSEが実施しなければならない。これを検収と呼んでいる。ベンダーから受領して、ある程度の期間を過ぎてから、不良品などの申告をしても、それは初期不良と認められず、ケースをオープンしての交換対応となってしまう。そのため、プロジェクトが起案され、ルーターの発注をかけ、ルーターが当該プロジェクトのSEに手渡されたら、早いうちに検収を実施し、門乃園たち調達担当のメーリングリストへ結果を報告しないといけない。万が一不良品であれば、ベンダーに即返品、代替品を送ってもらわなければいけないし、検収が実施されず管理上いつまでも検収待ちになっていると、調達担当に無駄な確認作業が発生してしまう。初期不良の申告期限が切れた後、検収で「初期不良」が見つかっても、そんな遅く検収をやったPM・SEがケースをオープンするのではなく、調達担当でケースを上げて、彼女たちで交換対応をしないといけない。
 都はいつもルーターが到着すると、設計が固まっていなくても、先にルーターの検収だけはしてしまって、調達チームに結果を返していた。ルーターを開梱したり、再梱包したりを何度もするのは面倒だし、それはそれで無駄稼働だからと、ヒアリングが終わり、設計が固まってから、検収作業とキッティングを同時にやってしまう、というPM・SEも多い。このオフィスでキッティング、と言う時は、大抵この検収作業とキッティング作業とがセットになったもののことを指す。
 「うん、今日中にやっちゃうね。」
 「そんなに急がなくても大丈夫だよ。」
 門乃園は、都が調達チームの事情を知ってそう言ってくれているのだろうと、気を遣ってくれた。都が門乃園のそれに大丈夫だよ、とまた返したので、二人で大丈夫、大丈夫って何、と笑ってしまう。
都は、さっさと検収を済ませてしまおうと思ったが、岸谷が一緒にやりたいと言っていたのを思い出した。岸谷は、国内案件の構築を担当する派遣社員のチームで国内案件のOJTをやっているから、ルーターの検収作業についても一通りはやったことがあるという。
 「でもー、間宮さんのやり方見てみたいしー、間宮さんに教わりたいです!」
 確かに、人によって若干作業のやり方や順序が異なったりするので、数名についてみて、色々見聞きした方が良いのは確かだ。岸谷は国内の案件を担当する時、同じPMの下につくことはなく、案件によってメンターは変えられているのは、そういった事情もある。
 通常、ルーターの検収作業でやることはそんなに多くなく、メモ程度のマニュアルにも出来るくらいだが、都は心配性なので、通常定められた工程よりも多めにやるから、それを見知っておくのもいいかもしれない。もっとも稼働対効果を考えた時、果たして都のやり方が正しいのかどうかは怪しい。しかし、それを考えるのも新入社員の岸谷にとっては勉強なのかもしれない。
 急ぎの用でもなければ、普段関わらない社員や派遣社員が大多数を占めるエリアへは行きたくない。都はルーターの箱を台車から降ろすと、縦にして、フリーアクセスに敷かれたカーペットの上を滑らせ、自席の袖机の前まで持ってきた。ダンボール箱を持ち上げて、席の島と島の間を通るには、都には力が足りないし、このサイズのルーターは幅があるので、誰かにぶつかっても良くない。都は椅子に座ると、机に寝かせてある自分のスマートフォンを取り、チャットアプリで岸谷にメッセージを送った。10秒、20秒くらい反応を待ってみたが、既読にもならないので、多分忙しいのだろう。
 一応、私用の携帯は仕事中に見てはいけない、という決まりはあるはあるのだが、子供や、病気の家族などがいる人にとっては、私用携帯は手放せない。それに最近は、海外拠点の工事の際、電話やメールでは連絡の取りづらいような現地のお客担当者から、チャットアプリのIDを教わり、それを使って工事中に逐次連絡を取る方法をとっているPMはそこそこいる。私用携帯を随分いじっているから、仕事をサボっているのかと見えても、実は現地お客担当者とトラブルの切り分けをしていたり、現地お客担当者のサポートをしていたりすることも少なくない。海外拠点が多い案件を持っているPMになると、各国で流行っているチャットアプリが異なるので、私用のスマートフォンにいくつもチャットアプリを入れたいたりする。
 都は、CMの大森が、都も入っている構築メンバーのメーリングリストをCCし始めた、新着の保守のトラブルチケットのメールを見つけて、開けて見てみた。トラブル内容は、ある南アジアの拠点から、あるサブネットへ到達できない、というものだ。しかし、ここ半年くらいこのお客のネットワークに対しては、何の工事もやってはいない。以前は東京で、つまり日本主導でこのお客のグローバルネットワークの構築はやっていたのだが、今はこのお客自身の現地法人が、このお客のグローバルネットワークインフラを統括することになっていて、それに伴い、都たちMPLSキャリア側も、構築対応はロケーションが同じ国にある現地法人が主導する体制へと移行している。しかしそれでも、特殊な設計、特殊な体制、グローバルMPLSの保守は東京でやっていることもあり、都も含まれている、他部署にあるこのお客担当の構築部隊は、今でもサポートで入ることは多かったし、工事も何があった、何が行われる予定だ、というスケジュールは、大体は把握してはいた。
 その現地法人でさえ、何かしらのプロジェクトや工事といったものも、ここ二ヶ月以上はなかったはずだ。都たちキャリアが何もいじっていないのに、あるサブネットへの通信が不達になるということは、キャリア側で何か回線障害などがない限りは、お客のLAN側の不具合、設定・設計変更や工事による障害、ということになる。
 トラブルチケットメールに書かれている、不達になっているサブネットが、どの拠点のサブネットかは、保守ルーターでルーティングテーブルを調べればわかる。ちょっと確認してみようかと思ったところで、岸谷がばたばたとやってきた。
 「間宮さん、キッティングやりましょう!」
 都が振り向くと同時に、岸谷は都に聞くでもなく、自らキッティングを始めることを、ほぼ宣言と言っていいくらいで提案した。都は、その岸谷の勢いに笑ってしまった。都がチャットで伝えたのはルーターが着いたことだけだった。もっとも、もうあまり時間的余裕もないので、さっさと検収はやってしまって、問題があるようなら早急に交換してもらわないといけない。もう来週には設置に行かないといけないのだ。
 「うん、じゃあ、やっちゃおう。」
 都は袖机からカッターを出しながら、岸谷に今から作業始めてしまって大丈夫なのか聞いたが、岸谷はまた都との用件が最優先だとか嬉しそうに言い出した。
 「じゃあ、お前の中では間宮さん最優先の優先制御が効いてんだな。」
 秋田が、そんな岸谷の通る声での発言を聞いて、椅子を都たちの方に向けて言った。
 「そうですよー。あたしの中では間宮さんにTOS5がつきます!」
 未だ完全に優先制御を理解しきっていないのだろうけれど、それでも業務で使っているからこそ出てくる岸谷の冗談に、秋田と都は笑ってしまった。
 都は少しダンボールを通路側へずらして、袖机を引き出した。袖机の上にルーターを載せられるようにするためだ。ダンボールの合わせ目をぴったり塞いでいるガムテープを、ダンボールの合わせたところで綺麗に離れるように、合わせ目のところにカッターの刃を入れて切る。1Uの高さだが、幅と奥行きは結構あるので、まずはダンボールの中でルーターの両端に嵌められている緩衝用発泡スチロールを付けたまま立てて、上の発泡スチロールを外し、下の発泡スチロールを脱がすように、ルータを持ち上げる。ルーターはビニール袋に入ったままなので、手を滑らせないように気をつけながら、一旦ダンボールの中に直に立てて、ビニール袋を脱がすように剥がし、ルーターを取り出す。裸にしたルーターを、袖机の上に寝かせて、準備完了。都は、この手の大きさのルーターは一人で何とかならないこともないが、かなり苦しい。岸谷に、あっち持って、こっち引っ張って、とか言いながら二人でやると、かなり楽だ。岸谷とは、先日の現場作業員業務の時に、二人で2台のルーターを開梱し、ラックにマウントもしたので、岸谷と二人で作業することに都が戸惑うこともなかった。あまり普段接しない人や、一緒に仕事をしたことのない人と、こういう力仕事を一緒にやらないといけない場合、意思の疎通がすんなり行かなかったり、やりづらさの方が強く感じられて、逆に作業が大変になってしまうこともある。
念の為、寝かせたルータの背面に入っている、モデル名のロゴを確認し、オーダー通りのモデルであることを確認する。
 「じゃあ、ラックマウントキットのチェック。」
 都がそう言うと、岸谷は良い返事をして、屈んでダンボールから、小さなビニール袋に入った、ラックマウンキットを拾い上げ、頬を隠すようになってしまった脇の髪を片手で直しながら、都にラックマウントキットを手渡した、
 「で、まずは、入っているネジの数を数えて、ちゃんと必要数入っているか確認。」
 ラックマウントキット一式が入っているビニール袋のチャックを開け、中のネジだけが入っている小ビニール袋を取り出し、中のネジを数える。きちんと8つ入っていることを、二人で確認する。
 「次は、正しい耳が入っていることを確認。」
 耳、というのはラックマウントキットそのものの事で、ラックのマウントレールにルーターを固定するための器具なのだが、それをルーターの脇につけると、耳のような体になるので、そこからそう呼ばれている。マウントレールに固定する側だけにつけるので、個数としては左右の分の2つ。二つとも同じものである必要がある。都は、2つを重ね合わせて、同じものであることを確認してから、ルーターの片側に一つを当ててみて、きちんとルーターのネジ穴と、ラックマウントキットのネジ穴とが重なることを確認する。
 「もう一つも、反対側でネジ穴がきちんと重なるか確認してもらって良い?」
 都は岸谷に、都が確認しなかった方のラックマウントキットを渡しながら言った。岸谷は愛想の良い返事を返して、都がやったように確認して、合ってることを報告してきた。
 「ラックマウントキットはおっけーだから、じゃあ、次は電源つないで起ち上げてみよー。」
 「みよー。」
 都の緩い指示に、岸谷も緩く了を返していた。都がラックマウントキットと、ネジとを、もともと入っていたチャック付きのビニール袋に入れて、チャックを閉じている間に、岸谷はダンボールの中から、ビニール袋に入った電源ケーブルを取り出していた。ビニール袋を開けて電源ケーブルを引っ張り出し、ケーブルを束ねているビニールタイを外す。ケーブルを伸ばし、ルーター側にコネクタを接続、そして都の机のディスプレイの裏にある電源タップの方へケーブルを回し、電源プラグを接続していた。都は袖机の引き出しから、コンソールケーブルを引っ張り出して、通常端末のデスクトップPC本体の裏にある、DB9のオスコネクタに接続して、RJ45コネクタ側を、ルーターのコンソールポートへ差し込んだ。
 「じゃあ、このへんはやったことあるよね?」
 都は念のため聞いた。
 「はい、ターミナルソフト起動してー、ログを取るのを開始してからー、電源を上げます!」
 電源を上げます、というところで、親指でスイッチを押すようなジェスチャーをして、岸谷は言った。
 「じゃあ、ここはぱっぱとやっちゃうね。」
 都は、スリープ状態の通常端末を、マウスを動かして起こすと、首から下がる認証カードをカードリーダーに当てロックを解除し、ターミナルソフトを起ち上げ、接続先でローカルのコンソールポートを選択、ログの取得を開始してから、岸谷にルーターの電源を上げるよう依頼した。
 「じゃーあ、岸谷さん、電源おーん。」
 「電源おーん。」
 都と岸谷は、先日の現場作業員の時にやったようなやり取りで、ルーターの電源を上げた。すぐに、ターミナルには起動ログが吐き出され始めた。
 「ちょっと座ろうか、いい加減。」
 都は二人ともずっと立ちっぱなして作業をしていることを自嘲気味に笑いながら、岸谷のために丸椅子を探しに行こうと、席を離れようとした。
 「あ、あたし自分で取ってきます!」
 岸谷は都を制して、またバタバタとフリーアクセスの床をハイヒールで鳴らしながら走っていった。都はその勢いに何も返す隙もなかった。仕方なく自分の椅子に座り、ターミナルウィンドウを見つめて、起動ログを眺めているしかなかった。
 岸谷は丸椅子を取ってくると、都とルーターとの間に収まり、ディスプレイを覗ける位置に座り、ほとんど都にくっつくくらいに、都の方へにじり寄ってきた。しばらくすると、ルーターが起動仕切って、対話形式のコンフィグをするかしないかを聞いてくるので、それを断り、ルーターにログインし、特権モードに入る。ターミナルへの出力行の制限をなくすコマンドを叩いてから、必ずキッティングの初回起動時にまず確認する、OSのバージョン、モデル名、使用中になっているライセンスがオーダーしたものと一致するかどうか、DRAM、フラッシュの容量、固定ポート数がスペック通りになっているどうかなどを一つ一つ確認する。その確認が終わったら、不具合などが合った時にメーカーへ提出するための、細かい機器情報を収集するコマンドを叩く。そのログが出切るには時間がかかるので、それを待つ間次の準備をする。
 「ここまではやったことあるよね?」
 「はい、あとはー、コンフィグを流し込んでー、ルーターにきちんとコンフィグ保存したかどうかを確認します!」
 都の質問に岸谷は元気に返した。畏まったところもないが、かと言ってふざけていたり、いい加減にやっている風でももなく、都と親しいからこそのやり易さというものが、岸谷にはある気がして、都はちょっと嬉しかった。しかし、岸谷はやりやすい、やりにくい関係なく、誰が相手でもきちんと仕事はやれそうなので、都は少し自己中心的に考え過ぎな自分が恥ずかしくなった。
 「そう、で、あたしはコンフィグ流し込む前に、ちょっと他の試験をするのね。」
 そう言いながら都は、袖机の一番下の大きな引き出しを開けて、中からこのキャリアの客宅ルーターとして提供していた、一昔前の一番小さなモデルのルーターを出した。これは廃止拠点の撤去ルーターをそのまま都が使用しているものだ。
 本来撤去ルーターは、このキャリアの資産なので、ルーター撤去の現場作業員の会社から、都たちのオフィスへ発送されてきた後は、調達担当の管理となる。しかし一時期撤去ルーターの保管場所に余裕がなくなり、都が数台自分の机の下や、袖机に保管を引き受けていた。これはその頃から預かっているものだ。都は実機で検証をしたいことも少なくないので、出来れば調達に返さず、自分の机で持っていたかった。調達が管理している撤去ルーターや、検証用ルーターは、申請すれば借りることができるが、申請の手続きはそこそこ面倒臭いし、門乃園以外の調達の派遣社員とは、接点もほとんどないので、話しかけたり、用を頼んだりがしづらかった。都は、調達チームのちょっとした手伝いを引き受けることが多かったこともあって、都が預かっていた撤去ルーターは、都だからと言う理由で、永久貸し出しのような形にしてもらっていた。
 新品のルーターを包んでいたビニール袋を綺麗に折りたたんで、それをルーターの天板の上に敷き、その上に袖机から出したルーターを載せる。電源アダプターと電源ケーブルも引き出しから取り出し、もう机の上の電源タップはいっぱいになってしまっているが、机の下に都の私物の電源タップを引いてあるので、机の下に潜って、電源を取る。
 このルーター用に、さらにUSBアダプターのついたコンソールケーブルを、また袖机から引っ張り出し、通常端末のUSBポートと、撤去ルーターのコンソールポートとを繋ぐ。ターミナルソフトを別プロセスでもう一つ起ち上げ、USBポート経由でのコンソールポート接続を選択する。この一昔前の一番小さなモデルのルーターには電源スイッチがないので、既に起動が始まっているルーターの起動ログが、開いたターミナルウィンドウに流れ出す。
 「間宮さんのー、袖机ってなんでも出てきますねー。」
 岸谷が感心しているのか驚いているか微妙な調子で笑って言うので、都はその岸谷の調子に笑ってしまった。