15-01

2022-02-04

15-01

 都たちにとってCJ案件最初の工事になる、本社拠点の回線開通日と客宅ルーター設置日がシステム上に反映されてきたと、岸谷はわざわざ都の席まで来て報告してくれた。10月26日、13時からの「通し工事」だという。
 本来、回線開通と客宅ルーター設置は別工事なのだが、回線開通を請け負っている現場作業員の会社が、客宅ルーター設置も請け負うようになったことから、同じタイミングで出来る場合は、回線開通工事を完了させると、そのまま客宅ルーターの設置まで同じ作業員が通してやってしまうことがある。これが通し工事呼ばれている。ただ、回線開通はトラブってしまったりすると、どれくらい時間がかかるのか読めないことがあり、13時から回線開通、15時からルーター設置、となっていても、15時から始まらないことがある。現場作業員の会社は、あれほどルーター設置については時間厳守で都たちの部署にやらせるのに、回線開通でそんなことになったことは聞いたことがない。もっとも、作業員がただ待機しているだけ、という時間は、回線開通作業ではそうはないだろう。トラブルシューティングの主体は彼らなのだから。ルーター設置は一度WANが繋がってしまえば、作業員はほとんどただ待機しているだけになってしまうから、次の作業へ早く行かせろ、というのは当然の要求だ。国内の回線そのものを開通する部署は、都たちの部署とは全く異なる部署になる。もしかするとこちらから見えないだけで、そちらの部署でも現場作業員の会社のマネージャーから、いつも宮崎がもらっているような、喧嘩腰の苦情を電話でもらっているのかもしれない。
 まだ日程的な余裕はあるが、日程的に余裕があるから大丈夫、と高を括って良いことは何もない。他を差し置いてでも、例のポリシーベースIPSecを曲げ先にした、PBRの検証をしてしまった方が良い。ヒアリングシートは確定しているのだから、この検証さえやっておけば設計を固めることも出来るし、コンフィグを完成させることも出来る。あとはルーターにスクリプトを流し込むだけ、の状態にしておきたい。準備を早くやっておけば、後になって何か気が付ける余裕も生まれるし、リカバリーも容易だ。
報告に来てくれた岸谷に、早めに検証と設計しちゃうね、と言って帰して、都は早速袖机からノートを取り出して、シミュレーターに起こす環境のネットワーク図を描こうとすると、声をかけられた。
 「みやみやー。」
 のんびりとした調子で、どちらかと言えば小さな声だが、きちんと聞き手の耳元に辿り着くのだから、弱々しいというのとは少し違う。物静かな感じだが、大人しいというのとも違う。品があるな、といつも都は思っているその立ち振る舞いは、育ちなのだろうか。あまり個人的に立ち入った話をしたことがないので、良くは知らない。調達や決済を担当するチームの派遣社員で、いつも都が何か頼みごとがあると、愛想良く丁寧に対応してくれる。都が事務職の頃からいるから、このオフィスでは古株だ。そう言ってしまうと、都も古株なのだが。年齢は都と同じくらいだと、都は思っているけれど、もしかしたら彼女の方が2、3歳下かもしれない。
 門乃園、という珍しい名字で、社員派遣社員問わず、かどちゃん、と呼ばれることが多く、都も事務職時代に、何かのきっかけでそう呼ぶようになっていた。それの仕返しということではないだろうけれど、門乃園も都のことを、みやみや、と呼んでいる。
 都は、このあだ名で呼ばれるのは初めてではなかった。都は名字にも下の名前にも、「みや」、が入っているので、みやみやは中高生の頃、時々つけられるあだ名だった。都の名付け親は、父の兄にあたる叔父だが、この語感は意識したものなのだろうか。父が他界してから父方の親戚とはすっかり疎遠になったので、聞こうにも聞けなかった。
 「あれ、かどちゃん、なーにー。」
 都は持っていたボールペンをノートの上に置いて、まるで雑談しましょうと言わんばかりに、両手を腿の間に挟んで、顔を上げた。
 「今大丈夫?」
 門乃園はそんな都の繕いを見破って、気を遣ってくれた。
 「もちろん、かどちゃんだからね。」
 都はちょっと可愛子ぶって言った。
 「もー、みやみや、やさしー。」
 門乃園もふざけてわざとらしく感動してみせるので、二人で何を馬鹿なことをしてるのと、笑った。
 「みやみやさあ、岸谷さんと一緒にやってる案件あるでしょ?」
 門乃園はそう切り出すと、お客名と設置場所を続けて言った。
 「あ、うん、岸谷さんと一緒にやってるよー。」
 都は肯定した。
 「あれさあ、ルーターの在庫がね、ベンダーにもメーカーにもなくて、うちにくるの24日って言われているんだけど…。」
 通常、国内のルーターについては、オーダーすれば直ぐに調達で押さえている在庫か、調達先のベンダーの在庫から搬出され、オーダー後一週間程度で、PMやSEがキッティング作業を始められる。この件のルーターが来てなかったのは都も意識していて、そろそろ門乃園に聞かないといけない、と思っていたのだが、忘れていた。1Uサイズのラックマウント型のルーターで、都が岸谷と一緒に行った長時間のオンサイト業務の時も、このルーターだった。1Uサイズのものであれば、ラックにマウントしなくても良いくらいの大きさの、取り回しの良いモデルの方がはるかに数が出るので、こちらは多めに在庫は押さえてあるが、ラックにマウントするような大きいモデルになると、2Uサイズのものの方が良く出るから、この1Uサイズのラックマウント型は在庫もあまり用意されていない。ちょうど運悪く、これを数拠点に導入するプロジェクトがあり、最近いっぺんに在庫がはけてしまったばかりで、補充を画策していたところだったらしい。
 門乃園は納期が遅すぎるので、開通日やルーター設置日が見えるシステムで確認したところ、ギリギリなので、都に相談に来たと言う。
 「あ、ちょっとまずいかも。岸谷さん、お客さんに言っちゃったかな?」
 この日で決まりました、と言ってからルーターの設置が遅れるのと、最初からこの遅れるバッファを見込んで、余裕のある日時を知らせ、お客から見て何も遅れてないように見せるのではかなり印象が違う。もっとも切替え日が11月6日と決まっているのだから、一週間前には開通させておかないといけないし、切替え日から余裕のない日付を知らせることになると、当然お客から心配や苦情をもらってしまう。何れにせよ、今日の段階ではお客に開通日を知らせるのは得策ではない。
 都は小走りに岸谷の席へ向かった。フリーアクセスの床をあまり鳴らさないようにしたつもりだが、バタバタ鳴ってしまっていた。急がないと、と思っていたことと、これは仕事の用件だ、という自信めいたものを持っていたので、あまり交流のない派遣社員や社員のいる島へ行く緊張は高くならずに済んだ。門乃園は都の後からついてきてくれた。
 「岸谷さん、岸谷さん。」
 都は、岸谷が電話だけしてないことを確認すると、岸谷の席の後ろへ行き、本人の忙しさを考えず声を掛けた。岸谷の両隣の席はいるので、ほとんと真後ろに立つことになった。
 「あー。間宮さーん。」
 振り返った岸谷は、思いがけない来客に、何だか嬉しそうだった。
 「ごめんね、今大丈夫?」
 都は遅ればせながら、断った。
 「何言ってんですかー。間宮さんならー、お客さんとの電話も切りますよー。」
 岸谷はいつもの通る声で言うので、都は少し恥ずかしくて汗が出てきた。
 「何それ、告白?」
 門乃園は控えめな音量で、冗談めかして言った。三人で声を出して笑ってしまう。もともと、オフィス内のあちこちで日本語や英語が飛び交っているオフィスだから、日中ちょっと笑いが起きたところで、特にやかましくもないのだが、女子が三人集まると騒がしくなるなあ、と都は自分もその一員ながら思った。周りに迷惑掛けていないか心配になる。
 都は、仕事中にかしましい連中の一味になっていることの気まずさと、門乃園が言った告白という言葉に変に反応してしまったのとで、顔が火照ってきてしまう。それをさっさと押さえこむためにも、本題に入り状況を岸谷に説明した。
 「まじですかー。今ちょーどお客さんにー、メールしようと思ってたところですー。」
 都は一瞬安心したが、国内拠点の構築について、MPLSの構築担当者は、キッティングしたルーターの発送や、自分たちの稼働を押さえるために、システム上のルーターの設置日だけを気にしていれば良く、実際の回線開通やルーター設置日のお客への連絡は、開通日程調整をしている全く異なる部署から、システム上に登録されている連絡先へ連絡することになっている。つまり、システム上の連絡先がお客になっていると、もう伝わってしまっていることになる。
 「あ、これって、国内回線の日程調整連絡先って誰になってるかわかる?」
 都は聞いた。これは普段都たちの部署では触らないシステムを見ないとわからない情報だったはずだ。岸谷に聞いてもわかるかどうか。都たちが国内拠点の開通日やルーターの設置日を確認するシステムは、大元の国内回線のオーダー管理システムから、MPLSの構築担当者が必要とする設計パラメーターやルーター設置の現場作業員情報などのみが抽出されているシステムだ。
 「ちょっと営業さんに電話してみますね。」
 岸谷はそう言うと、直ぐにディスプレイ横の充電スタンドに立てていたPHSを素早く拾い上げ、履歴か電話帳からか、営業の電話番号を直ぐに出してかけると、長い髪を首の動きで避けて、PHSを耳に当てていた。都は、様になっていてちょっとかっこいいなあ、と素直に思ってしまった。
営業は直ぐに出て、例の完璧と言っていいくらいのビジネス喋りが始まった。
 「なんかさあ、岸谷さんって、電話応対プロすぎない?」
 門乃園は都に素直な感想を述べていた。
 「ねー。社会人になって半年なのに、すごいよねー。」
 都は、どこか自慢げに言った。いくら親しくなったからと言って、ちょっと図々しいな、と言ったそばから反省した。門乃園が、岸谷は学生時代何かそういうアルバイトしていたのかな、と言うので、都は、岸谷が大学生時代、世界的に有名なカフェチェーン店でアルバイトしていて、そこで客対応は学んだと本人が言っていたことを伝えた。確かに、そのカフェのアルバイトは、びっくりするくらい客対応が上手な子が多いので、さもありなんだね、と二人で話した。都は、こうやって岸谷の人となりを誰かにちょっと紹介できるのが嬉しかった。
 門乃園と話をしている間に、岸谷は営業に事情を説明していた。営業は直ぐに事情を飲み込んでくれたらしく、回線だけはその日に開通してもらうようそのまま進める、ルーターの設置作業はキャンセルしてもらうよう営業から開通調整担当に伝える、というところまで話をまとめていた。開通日程調整の連絡先は営業になっていて、営業には確かに連絡があったが、営業は未だお客には何も伝えていなかった。しかし、ルーターの設置作業を一旦キャンセルしてしまうと、次現場作業員を確保できるのがいつになるかわからないから、その辺が心配だと言う話になっているようだ。回線開通作業は、こういったMPLS用の回線だけではなく、多種多様な回線があり、作業員の稼働は基本的に回線開通作業で常に一杯な状態だ。ルーター設置のためせっかく取れた作業員稼働をリリースしてしまうと、次はとんでもなく後になってしまうことがある。
 「ルーター設置には間宮さんに行ってもらうつもりだったので、大丈夫なのですが、ただ、ルーター少し大きいので、現場作業員の方にラックマウントだけは手伝ってもらう予定だったんですよね…。少々お待ちいただけますか。」
 そう言うと、岸谷はPHSを耳から離してミュートボタンを押した。
 「間宮さん、あたしも行っていいですか!」
 岸谷は嬉々として聞いてきた。このルーター設置とWAN開通に都が行くことは、先日のお客訪問後、下山を交えたミーティングで直ぐに決まった。手厚く対応しておくという営業の方針があったし、切り替えの時はお客の要望で都が行かなければいけないので、ラック周りなど環境を下見しておきたいと言う意図もあった。ルーターは1Uサイズだが、ラックマウント型なので、現場作業員を一人は作業員の会社から出してもらい、ラックマウントだけを手伝ってもらって、WAN開通試験は都が実施する、という流れで話がまとまっていた。国内拠点のルーター設置で大きいルーターの場合、都はこの手を数回使ったことがあった。
 岸谷は当初から行きたがったのだが、WAN開通に東京から二人も出すのは流石に稼働をかけ過ぎだ。それに国内拠点のルーターは、監視方法が海外拠点のルーターとは異なり、網内の保守ルーターからではなく、国内網にアクセスのあるサーバーからの、アドレス変換を介しての監視になる。そのためルーター設置とWAN開通時に、その監視サーバーから設置ルーターへセキュアな接続プロトコルを使用した遠隔ログインが出来ることを確認しておく必要があり、これはオフィス内の専用端末からでないと出来ない。岸谷には工事統制を取りつつ、これを確認してもらう必要もあった。
 「うーん…。でもこっちに残ってやってほしいこともあるから…。」
 都は、一緒に行きたいな、と一瞬思ってしまって、回答がやさしくなってしまった。
 「ですよねー。」
 岸谷は残念と言うよりは、当然と言う感じで、苦笑いを浮かべた。一瞬プライベートな気分になってしまった自分が都は恥ずかしかった。
 「あ、営業の人にラックマウント手伝ってもらえないかな。確か立ち会ってくれる、って言ってたよね?」
 都は思いついた勢いで言ったが、回線開通と別日になっても立ち会ってくれるかは微妙な気もした。
 「あ!そうでしたね!聞いてみます!」
 岸谷は、良いこと思いつきましたね、と言いそうな調子でそう言うと、PHSのミュートを解除して、また軽く首を傾けて髪を避けてPHSを耳に当てた。
 「岸谷ちゃんかっこいー。」
 門乃園はその髪を避ける様子を見て言った。
 「かっこいいよねー。」
 そう都が同調すると、惚れてしまうことを関西弁で声高に叫ぶ芸人のネタの真似を、門乃園が上品に控えめな声でやるので、都は大きい声を出して笑いそうになるのを必死に堪えた。
営業は、ちょうど都たちと同じことを考えていた。営業がラックマウントは手伝うから、ルーターは客宅へ発送して、都だけ来てくれれば良い。岸谷は、丁寧なお礼を営業に述べていた。ルーターの納期がわかったら連絡する旨最後に話して、電話を切っていた。営業がまだお客に連絡する前で良かったと、都と岸谷は顔を見合わせて笑った。
 「間宮さーん、ありがとうございますー。助かりましたー。」
 岸谷は感謝を嬉しそうに言った。
 「あたしじゃないよ、かどちゃんが教えてくれたから。あたしもルーター来ないなーと思ってて、忘れちゃってたし。」
 そう都が説明るすと、岸谷と都は二人揃って、ありがとうございます、と門乃園に頭を下げた。門乃園は手を振って、否定を返してくれたが、そういう所作の一つ一つにどこか品があって、側にいるとなんとなく安心してしまう人だ。出会った頃からこの印象は変わらなくて、時折、どうして派遣社員なんてしてるんだろうと思うこともあったが、人には色々な事情がある。そんな所作に品を湛えた門乃園だが、その品という衣の裏地には、何か自由への渇望と言えば良いようなものが控えめに刺繍されているような気もするのだ。都には門乃園のような上品さは全くないが、その裏地の方に共振するところがあるから、何処か安心するのかもしれない。