13-07

2022-01-31

13-07

 その後、全体のスケジュール、いわゆるWBSでプロジェクトを俯瞰しながら意識合わせをして、ようやくミーティングが終了となった。17時半を回ってしまっていた。長く掛かってしまったことをお客が詫びていたが、営業は否定を返していた。受付まで戻ると、受付カウンターは既に閉まっていたため、都たちが首から掛けていた入館カードは、背の高い客が回収してくれた。
 「それでは私たちはここで失礼させていただきます。お忙しい中どうもありがとうございました。」
 受付から少し進んだあたりで、お客二人は立ち止まり、そう言って腰を折って挨拶をした。ベンダーも都たちも全員お客の方を向き直って、腰を折って挨拶を返した。人がほとんといなくなった広いロビーを抜け、自動ドアを抜ける前、未だ受付カウンターのあたりで見送っていたお客二人に、再度全員で振り返って礼をしてから、お客のビルを出た。
 別のベンダーの人間と一緒に客宅を出ないといけないことは時折あって、客宅を出た途端進む方向がばらければ良いのだが、この客宅の最寄り鉄道駅は一つしかない。しかもターミナル駅だから、互いに反対方向の電車に乗る、ということもありえない。そのため、どちらかが車で来ていない限りは、しばらく呉越同舟のように、つかず離れず同じ道を進まないといけない。どちらかのグループがその場で、例えば客宅のロビーなどで、打ち合わせと称して留まり、同舟状態を免れることもあるが、今回はベンダーの二人が少し前を歩き、都たちが後ろをついて行く形になっていた。都たちの方は、社員二人が並んで歩き、都はその後ろを置いてかれないようについて行くだけだった。
 今日の打ち合わせを振り返ってみると、聞かれるままに、ほとんどの問い合わせに意見を述べる形になってしまった。完全にお客責任区分範囲になる、コアスイッチの設計やその配下のアクセススイッチの冗長化については、わかりません、の一言で済ませてしまって良かったはずだ。しかし、都自身が、少しでもお客の役に立てれば、と思ったというより、複数の社員と一緒に客宅へ出向く道中はいつもこうやって、まるでいてもいなくても良いかのように、最後尾を黙って歩くしかない、派遣社員の自分が、少しは役に立つ人間なのだと、誰彼かまわず訴えかけたかっただけなのかもしれない。ベンダーは、自分たちの責任区分範囲を超えると、あるいは責任区分範囲内でも、お金にならない部分については、はっきりとした発言をしないようにしていた。自分たちの技術力は無償ではないのだ、ということをしっかり発信出来ていた。それとは逆に、都は、まるで自分をわかってくれと嘆願でもするかのように、時折、自分たちの責任区分範囲を超えて、お客ネットワーク全体としての設計に踏み込んだりしてしまっていた。それは都自身ではなく、都が派遣社員として勤める、この通信キャリアの技術力のバーゲンセールだ。しかし、営業自身が、この大安売りを、お客満足度を高め、さらなるビジネスチャンスの拡大へと繋げるという名目でやりたがっているのだから、都の思いと、営業の思いとが、全く異なるベクトルにもかかわらず、錯視芸術のように奇妙な調和をなしてしまった。
 駅のホームは帰宅ラッシュで混んでいた。都は少しでもぼうっとしていると、すぐに二人から逸れてしまいそうだ。ベンダーたちと都たちは、遠慮なのか、お互いの縄張りに対する警戒のようなものなのか、距離を置いていたが、その非武装地帯に人がどんどん入ってきてしまって、電車に乗り込んだ時にはベンダーの連中は、都の背が小さいこともあるから、都から全く見えなくなってしまった。
 「それでは、私は次で降りますので。今日はどうもありがとうございました。」
 都はぼんやりしていて、突然営業に声を掛けられたかのようになり、少し驚いてしまった。ようやくこの気を遣った時間が終わるのかという安堵で、急にあたりの音がよく聞こえるようになり、空気が澄んでいく気がした。都は岸谷と一緒に、こちらこそありがとうございました、と混んだ電車内で許される程度に腰を折って頭を下げた。電車が止まり、営業が降りて行く際に、都と岸谷はそれぞれ、お疲れさまでした、と営業に声をかけると、営業も挨拶を返して、降車の人混みに紛れていった。営業が降りた後に都は岸谷から聞いたのだが、この駅に中部地方の支社があるのだという。直帰はせず、一度オフィスに戻るのだそうだ。それだけ多忙だ、ということなのだろう。
 「お疲れさまでした。」
 岸谷は都にぴったりとくっつくくらいに寄ってきて、都の顔を覗き込むように言った。岸谷はさっきまで営業と、このプロジェクトの海外拠点の進捗だけにとどまらず、都たちのオフィスにいる営業と同期の人の話や、今は東京にいる長いこと彼の同僚だった人の話、一年目にある研修のカリキュラムについてなど、都からは遠い世界の話をしていた。岸谷も営業と同じくどこか向こう側の人、というくらいの距離を都は感じていたのだが、まるでそんな都の心の内を知って、岸谷は物理的にそれを埋めようとでもしているかのようだ。
 「お疲れさまでした。」
 都も岸谷を見上げて返した。
 「喉乾きましたね。」
 「喉乾いたー。」
 岸谷と都は同時に同じことを言って、言葉が被ってしまい、途中まで綺麗にハモってしまった。混んだ車内なので、声を抑えながら笑ったが、声を抑えなきゃいけないという状況が、余計に可笑しさを大きくしてしまう。
こうやって、一緒に客宅などに打ち合わせで向かった社員たちが、都とは別世界の会話を繰り広げた後、その中の一人の社員と二人だけの状態になると、都はどんなにオフィスでは気軽に話す間柄の社員でも、自分からは話しかけられなくなってしまう。しかし、今日は自然と自分から言葉が出た。
 新幹線の駅と徒歩で接続できる駅に到着すると、もう18時15分になっていた。まずはお茶するか、それとももうご飯を食べてしまうかと話したが、都があまりお腹空いていないと正直に言ったので、お茶になった。こういう時、都はあまり自分の意見は言わず、どうする、と自分が聞かれてもおうむ返しに聞き返すことが多い。自分の思っていることがすんなり口を出るなんて、珍しいなと、都は思った。
 駅舎の中を適当に歩いて見つけた最初のカフェは混んでいて、二人で座れる空席がなかったが、二番目に見つけたカフェには向かい合わせの二人がけの席が空いていたので、その店に入った。コーヒーの味はそうでもなかったような気もするのだが、喉が渇いていたのでとても美味しく感じた。少し息を吐いて、背中を背もたれに預けてみる。体がだるく感じる。それなりに疲れたのかもしれない。コーヒーを二口、三口と飲むと、緊張がほぐれていくような気がする。結構喋ったし、立ちっぱなしの時間もあった。随分緊張もしていた。
 向かいの席に座った岸谷はスマートフォンで何かを検索して見つけると、都に見せてきた。
 「間宮さん、あたし、これちょっと見に行きたいです。」
 見せてもらった画像には、大きなマネキン人形が写っていて、近くを通る人の大きさから、結構な大きさであることがわかる。この駅の名物として有名らしかったが、都は知らなかった。
 「へー。」
 都はそれほど興味は湧かなかったが、出張ついでにちょっと岸谷と観光するのは楽しそうだ。
 「これ、あたしの名前と同じなんですよー。」
 「え?」
 都は岸谷の言っていることがよくわからず、画像のキャプションをよく読んでみた。すると確かに岸谷の下の名前と同じだ。
 「うそー。まじで?すごーい、なにそれー。」
 都は素直に興奮して、そんなことあるんだ、と思った。写真からの印象はなんだか大きくて無機質な感じだったが、都は急に愛着が湧いた。
 「あ、じゃこれの隣で写真撮って、菜奈・by・なな、する?」
 「しますー、つか、それ目的です!」
 都の振りに、岸谷は即答した。先日岸谷がこの客宅へ来た時は、下山と一緒だったので、そういう遊びが出来る環境ではなかったし、そもそも時間的余裕もなかった。今日は都と一緒だから見に行く機会作れるかも、と思って期待していたそうだ。
 都たちはコーヒーを飲み終わって、カフェを出た。駅舎の中は帰宅客で混み合っている。一度、駅の外に出ないといけないと言う。岸谷はトートバッグを左肩に掛けると、右手を都に差し出してきた。
 「さ、間宮さん、お手手つないでデートしましょ。」
 岸谷は楽しそうに、そう言ってきたが、ちょっと照れ臭そうにも見えた。
 「うん、デートだね。」
 都はもう乗ってしまうことにして、岸谷の右手を握った。相変わらず少し冷たい手をしている。手を繋いでしまえば、それはごく自然なことのように感じる。
 たどり着いてみれば、ほんの5分程度の道のりなのだが、二人にとっては見知らぬ土地なので、地図アプリを起ち上げておいて、途中途中二人で覗き込んでは、あっちかも、こっちかも、と言いながら歩かなければならない。場所慣れしている通勤帰宅客が多い時間帯だから、邪魔にならないよう都たちは通路の端を歩くようにはしていた。それでも、どこの都市でも一緒だと思うが、通路の端を歩きたがる人というのはいて、そういう人に限り、絶対に道を譲りたくない頑固さがあるから、都たち二人が邪魔にならないよう、壁際でスマートフォンを覗き込んでいても、そこへ突っ込んで来ようとするので、都たちはその人に道を空けるために、通路の方へ寄らなくていけない。そうなると、二人で手を繋いで固まっているものだから、今度は通路を普通に歩いている人の邪魔になってしまったりする。とりあえず駅舎を出る方角だけはあっているようなので、ひとまず出ようと、岸谷が先頭になって、邪魔にならないよう縦列になって人混みを抜けた。岸谷はしっかりと都の手を握っていて、離しても良いのに、と都は思った。先日の現場作業員の帰りも、こうやって岸谷は都の手をしっかりと握っていてくれていたっけ。その時も同じように、離してくれても良いのにと思ったのだけれど、手を離さないでいてくれたことが、都には染みるように嬉しかった。
 お目当の大きいマネキンは、百貨店の天井の高いエントランスにいた。待ち合わせ場所にもなっているらしく、多くの人が周りにいて、スマートフォンで写真を撮る人もちょくちょく見かける。
 「おおっきい。」
 都は思わず笑ってしまいながら言った。本当に大きい。野菜や果物のジュースのタイアップなのか、その商品パッケージをスカート部分にあしらった肩出しワンピースを着ていた。大きさは異様なのだが、長いことこの場所にいるからだろうか、ここにいる違和感はない。当たり前のように仁王立ちしている。
 「間宮さん、写真撮りましょ。」
 しばらく大きなマネキンを見上げていた都に、岸谷が声を掛けた。都がマネキンを見上げて眺めているのを、手を繋いだまましばらく待ってくれていた。
 「あ、じゃあ菜奈・by・ななを撮ろー。」
 そう言って、都は岸谷をマネキンの側に立たせると、少しマネキンから離れて、自分のスマートフォンで撮ろうとするが、ちょっと離れただけでは全体を入れるのは難しい。都は、かなりマネキンから離れて、写真を撮ろうと思うと、今度は通行人やらマネキンの近くで待ち合わせする人などが入ってしまう。人通りが多く、このマネキンの写真を撮ろうと、一人スマートフォンを構えて立ち止まるのはちょっと恥ずかしかったが、とりあえず一枚撮って、岸谷の元へ戻った。
 「全部入れようと思うと、結構むずかった。」
 都は笑いながらそう言って、撮った写真を岸谷に見せた。ぎりぎりマネキンの頭は入っていた。マネキンの足元で岸谷がピースサインを頬につけて可愛らしく微笑んでいる。
 「やったー。全然これで良いですよー。ありがとうございます。」
 岸谷は嬉しそうにそう言うと、今度は二人で撮りましょう、と言ってきた。岸谷は都を右腕で抱き寄せて、左手で自撮りの要領でスマートフォンをかざした。女同士でこうやって体をくっつけるのもあまり好きではなかったはずなのだが、都は吸い寄せられるように、岸谷の胸元に飛び込んだ。
 「それだと後ろのマネキンのななが入らないよ。」
 都は、二人だけを普通に自撮りしようとしている岸谷のカメラの角度を見て笑った。
 「マネキンのななは脚さえ入れば良い感じですよー。都と菜菜がきちんと入れば良いです。じゃ撮りまーす。」
 そう岸谷が言うので、都は、待って前髪直したい、と言うと岸谷は笑って、あたしも直したいです、と返すと一度都を解放して、二人で自分の前髪を手櫛で直した。その様子が自分たちで可笑しくて、二人で笑ってしまう。
 「じゃ、撮りまーす。」
 今度こそ、岸谷に抱き寄せられ、都は岸谷の胸元に頭をくっつけて写真に収まるよう笑顔を作った。自分の頭に岸谷の髪の毛が乗ってしまっているがわかる。さっきから上着も脱がずに人混みを歩き回っていたので、汗をかいているのだろう、岸谷のワイシャツの胸元は少し湿っていた。岸谷の胸にくっついていると、岸谷のからだのにおいがしてくる。そのにおいを嗅いでいたい。都は変な執着心が起きた。岸谷の大きい胸の弾力のある感触も、どこか汗を感じさせて、より都を刺激してくるような気がした。岸谷のカバンにはシンクライアント端末と電源アダプターが入ってるから、結構重たくて、そのせいで余計に暑かったのかもしれない。岸谷はさっきからカバンは足元に置いてしまっていた。
 見知らぬ土地でアフタービジネスアワーの喧騒の中、岸谷にくっついているのは安堵感に似た気持ち良さがあった。このまま抱きしめてくれないだろうか。一瞬甘えたくなる考えが頭を過って、消えた。
撮られた写真を見たら、マネキンの脚はきちんと入っていて、岸谷の可愛らしい笑顔の下で、都は結構良い笑顔で写っていた。都と岸谷はお互いが撮った写真を、チャットアプリで交換しあった。外はすっかり暗くなっていて、吹いてくる風は涼しく、秋の装いだった。