13-02

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実際に訪問する日時が決まってから都は知ったのだが、ヒアリングシートの説明という名の、内実はお客のWANマイグレーションにおける、お客の設計についての相談対応は、東京ではなく、中部地方の都市にある、お客本社で行われる。15時開始、ということなので、そのお客本社へのアクセスを調べると、2時間以上の所要時間を見ておかないといけなかった。日時が決まった時は連休の谷間で、すでに当日まで4営業日しかなかったから、とりあえず都と岸谷は、休憩がてら、東京駅まで新幹線の切符を買いに行った。これも後から知ったのだが、都が行くのであれば、下山は岸谷と都だけで行ってもらおうと思っていたらしい。確かに、ヒアリングシートの説明や、お客の移行設計相談に、こちらから新幹線移動で三人出すのは稼働としてはかけ過ぎだ。
行きは、営業との待ち合わせに間に合うような出発時間にした。午前中はオフィスに出勤して、お昼にオフィスを出れば良い。帰りが問題だった。ミーティングが長引くことも考えて、少し遅めの時間にしておこうとなった。19時くらいで良さそうだったが、念のため少し長引いても、向こうで夕ご飯を二人で食べられる余裕を持たせようと、20時台の切符にした。日中の東京を10分以上歩くと、暑くなってくるくらいの気温はまだあって、お客訪問の日はスーツになるので、また暑そうだと、二人で話した。クールビズは10月までだから、上着なしでも良いのだろうが、朝夕は急に気温が落ちることも多いし、まして客宅の冷房がどの程度なのかわからないので、やはり上着は着ていくしかない。
お客訪問の当日、都は珍しく、ビジネスバッグにスーツでオフィスへ出社したので、まわりの派遣社員から、転職活動ですかと、聞かれた。会社で定められたドレスコードぎりぎりの、ビジネスカジュアル的な格好をしている人が多いこの職場では、スーツ姿の派遣社員を見た時の、定形の挨拶と言って良い冗談だ。都はその度に、ほんとにねー、そろそろ本気で考えないとねー、と半分冗談、半分本気で返した。連休の谷間にようやく回線が開通した、岩砂とのプロジェクトの南アジア拠点について、LAN切り替えのスケジュールを相談に来た岩砂も、あれ、間宮さん、スーツじゃないですか、と勢いのある驚き方をしていた。下山に用事があって声をかけに行った時に、間宮さん今日スーツなんですね、と言われたので、さすがに誰の案件でスーツ着てるんですかと、冗談で切れ気味に突っ込んだら、下山は、そうでしたね、と大笑いしていた。岩砂も下山も、このグローバルMPLSを担当する部署が、組織変更により大くくりの部が変わったり、部署名が変わったりしても、異動にならず、グローバル一筋の10年選手で、大きな案件、お客調整が難しい案件などを多く持っている。二人ともとにかく忙しいから、たまに都が話しかけても、何でしたっけ、となることは時折あった。それは二人がどんな忙しい時でも、都が話しかければ、可能な限り相手をしてくれている、ということだ。何かで忙しくて集中していると、急に別件を持ち出されても頭がついていかないことは誰だってある。派遣だからという理由で後回しにされないのは、ありがたかったが、そんなに忙しい中、気を使ってくれているのだろうと、申し訳なかった。もし都が正社員だったとして、こんな風に派遣社員に気を遣えるかどうかは、疑わしかったし、自信もなかった。
東京駅は常に人がいっぱいで、それは新幹線ホームへの改札付近でもそうだ。平日昼間でも、観光客は日本人外国人にかかわらず一定数いるが、やはりビジネスパーソンと思われる人が圧倒的に多い。一見、慌ただしく、忙しそうに見える人が多いのだが、良く見ると、慌ただしい動きも、忙しそうな動きもしていない。彼彼女らは出張の移動中で、これから移動先で行なわれる商談について何か思案を巡らせていて、その緊張感が伝わるから、そう見えるのだろう。そう考えて観察してみると、時間潰しにスマートフォンをブラウジングしているだけのようにも見えて、何だか自分が大仰にわかったような気になっているだけだな、と都は自分の単純さに呆れてしまう。駅のホームに向かうエスカレーターを上がると、そこは明らかに普通の駅とは違った印象があって、車両が停まっていなくても、どこか硬質で明瞭な雰囲気がある。遠いところへ行くんだという、興奮のようなものも起きてくる。日帰りの出張で使われることがとても多いのだから、もう少し日常感があっても良いのに。そう都は思ったが、頻繁に新幹線移動の多いビジネスパーソンであれば、この新幹線ホームに対する印象も違うのだろう。
新幹線に乗っているのは1時間半程度だが、岸谷にとっては食べていない昼食を取るのには十分すぎる時間だ。ちょうどお昼の時間帯なので、上がってきたエスカレーターから近い売店は混んでいたので、少しホームを移動して、多少は空いている売店を探して、そこへ入った。
「間宮さんも一緒に何か食べましょーよー。」
そう岸谷に甘えられたのもあったが、都は珍しく昼にお腹が空いたので、小さめのおにぎり二つと、ちょっとした付け合わせが入ったパックを買った。岸谷は魚介類を盛り合わせた小ぶりな弁当を買っていた。
スーツにビジネスバッグを下げて、新幹線のホームに並んでいると、まるで一端の社会人にでもなった気分になりそうになるが、所詮派遣社員だ。この業務をしっかりやる責任はあるだろうが、岸谷が新入社員ながらも、このMPLSキャリアの、この会社の顔として、PMとしてお客と対峙しなければならないのに対し、都は単なる派遣のSEでしかない。この会社の名刺だって貸与されているが、所詮偽物なのだ。岸谷の名刺とは意味が違う。
先日、岸谷と一緒に行った現場作業員としての出張業務でも、都は、新入社員の岸谷がこの仕事を嫌いになってしまわないようにと、少し意気込んでいたのだ。しかし、実際はトラブル続きで長時間にわたる工事の中、怒鳴るお客に震えながら、都は岸谷に気を遣ってもらうばかりで、一体都が岸谷に何を与えることができたというのだろう。現場作業員の業務の時も、トラブルが起こり、現場で解決しなくてはいけないことがあり、お客が怒り出す現場もあるのだ。そういうことを経験できたのだというのなら、それは別に一緒に行った人間は関係がない。派遣社員の自分が、新入社員に何かを与えようなんて、おこがましかった。そういうことなのかもしれない。
今回のお客とのミーティングも、単純に技術的な話をするだけであれば、別に問題はない。全部その場で答えられるわけではないが、技術の話に閉じているうちは良い。しかし、この技術の話も、都たちキャリアの責任区分範囲をはるかに超えたところまで、相談が進んでしまった時に、ここで対応してしまうと、それが当たり前になってしまって、下手をすると、お客の責任区分範囲の設計についても、無償で責任を持たされることになりかねない。営業も同席するが、こういう時、このキャリアの営業は自分たちのエンジニアの味方はしない人が多い。お客の満足度を引き上げられるのであれば、それによって新しいビジネスチャンス獲得への門戸が開かれるのであれば、エンジニアの稼働などいくらかかったところで、営業の財布ではないのだから、痛くも痒くもないのだ。
責任区分範囲外の議題になった時、うまく立ち回れる自信が都にはなかった。下手をすると岸谷に、お客の言うことは何でも聞くべきだという、間違った手本を見せてしまうことになりかねない。
ホームで待っている時から、暑くて上着を脱ぎたかったのだが、新幹線に乗り込むと、密閉された車内はさらに暑く感じた。座る前にカバンや弁当が入ったレジ袋を椅子に置いて、まず上着を脱いだ。窓側の席は都だった。切符を買う時岸谷に、自分が通路側で良いよ、と都は言ったのだが、何故か岸谷は間宮さんが窓際が良いです、とどこかお願いするような感じで言うので、都が窓側になった。窓側にあるフックは一つなので、都の上着の上から、岸谷の上着を掛けることになった。
「ノースリーブのブラウスかわいいねー。」
上着を着ていた時は全くわからなかったが、上着を受け取ろうと都が岸谷を振り返った時に、気がついて言った。肩から伸びる真っ白な腕が綺麗だ。
「そうですかぁー。ありがとうございます。」
そう嬉しそうに岸谷は言うと、腰に拳を当てて、モデルのポージングのように、腰を左右に振って見せた。ノースリーブは都のオフィスではドレスコードでNGとなっているが、夏場に来ている女子は正社員派遣社員にかかわらず一定数いた。今日の午前中、都は岸谷をオフィスで目にしなかったのだが、上着を着ていても着ていなくても、それほど問題にならなかっただろう。こんな可愛らしいのに何でノースリーブがNGなのか、都は今一つ納得がいっていない。腕を上にあげると脇が見えるのが、男子の欲情を唆る可能性がある。そんな理由なのだろう。確かに、座る前にポニーテールを直すために腕を上げて、綺麗な脇を見せている岸谷はちょっと艶っぽいので、セクシーだね、と冗談っぽく都が言うと、そーですかぁー、と照れ臭そうに岸谷は笑っていた。セクハラだね、と都が言えば、そうですよ、と岸谷は嬉しそうだ。
列車が動き出すと、まずはご飯、となって二人であれこれ喋りながら、一緒にお昼をとった。都は、ミーティングの最中、あれこれ色々聞かれるのだろうか、こう聞かれたら、どう答えたら良いか、などと頭の中でシミュレーションをしたり、心配をしていたりしたいのだが、岸谷は、全然仕事に関係のない話ばかりしてきて、都は返って、気が楽になってくるように感じた。本当に物怖じしない子だ、とも思ったが、このお客への訪問は彼女にとって二回目だし、客宅への打ち合わせ訪問は、他のお客でも行ったことがあると言っていた。それにしたって、堂々としたものだ。
くよくよ考えていたって仕方がない。そう思った方が、その場で良い発想が出てくるかもしれない。都は心配するだけ心配して、実際には心配した程、トラブルにならなかった、困るようなことを聞かれなかった、と安心したくて、あれこれと考えてしまうところがあった。しかし現実には、全く斜めからの、想定外の事態が起こったり、質問がやってきたりで、結局その場で強く緊張しながら、対応するしかなかったりもする。
お昼ご飯を食べ終わって、お茶を飲みながら喋ったり、それぞれスマートフォンを覗いたりしていた。ふと、都が顔を上げると車窓の向こうに富士山が見えた。
「あ、富士山!」
都は子供みたいに喜んでしまった。こちらの方面へ旅行に来た時など、たまにしか見る機会はないのだが、突然視界に現れると、本当に美しいな、と感じる。沢山の人がその美しさを、長い歴史の中で愛でてきたから、自然のものじゃないんじゃないかと思えるような、整った美しさを備えたのだろうか。
「綺麗ー。」
「あ、ほんとだー。めっちゃ綺麗ー。」
岸谷はそう言いながら都の方へ身を乗り出して、窓側の肘掛けまで手を伸ばして富士山を見た。岸谷の横顔が都の目の前だ。その長い睫毛や、若くて張りのある白い肌、それにかかる脇髪。柑橘系のシャンプーの香りと、そのからだそのものの甘い匂い。どちらかと言うと少し丸顔なのかな、と思ったりもした。弾力のありそうな頬を指でつついても、嫌がられなさそうだ。窓の外を見つめる大きな瞳は、横から見ても魅力的だな、と思って、富士山よりも岸谷の横顔を見つめてしまう。
「どうしたんですか?」
岸谷は都にくっつくほどの距離のまま、口蓋に舌が当たる音をさせて、囁くように言った。急に車内に響く新幹線の走行音が耳に入ってくるような気がした。
「近いなー、って思って。」
都も囁くように言ってみた。しばらく二人で見つめ合ってしまった。
「キス…、しちゃいます?」
岸谷は、顔を少し近づけて、都と目を合わせながら、わざとらしい艶っぽさで言った。
「何それー!」
都は声を高くして早口でそう言うと、岸谷は破顔していた。都も可笑しくて笑ってしまった。岸谷が自席へ背中を戻すと、急に都は顔が涼しくなったような気がして、顔が火照ってしまっているのがわかった。
「もー、顔が赤くなっちゃう。」
都は化粧下地が落ちないように気を使いながら、自分の頬を触った。
「どきどきしちゃいますね!」
岸谷は他人事のように楽しそうだ。
「ぜんっぜんしない!」
「えー。」
都の即座の否定に、岸谷がクレームのような反応をするので、都はまた笑ってしまった。