12-02

2022-01-29

12-02

 都は、さっきやろうと思っていた、工事対象のヨーロッパDC拠点のLANトポロジーと、この拠点と対になっているオフィス拠点のLANトポロジーとを、それぞれのルーティングプロトコルの確認コマンドを使って、わかる限り把握する作業に取り掛かることにした。どちらの客宅ルーターのログイン情報も、客宅ルーターのコンフィグを集積しているデータベースからコピーし、テキストファイルにペーストしておく。あとはそれぞれのルーターに入って、ログを出力させ、中身を確認していくことになる。
 ログインサーバーから、網内の保守ルーターに入って、まずはオフィス拠点にログインし、OSPFのLSAの省略情報を出力するコマンドを叩く。LSAタイプ1、タイプ2、その後はタイプ5のみなので、バックボーンエリアだけで構成されていることがわかる。省略情報でタイプ5の一覧を、ターミナルウィンドウをスクロールして眺めてみると、タイプ5を吐き出しているルーターは2つだけのようだ。片方は当然、都たちの客宅ルーターで、WAN側のBGPルートをOSPFへ再配送している。もう片方は、オフィス拠点のLANのOSPFドメインと、DC拠点のLANのルーティングプロトコルドメインとの境界ルーターとなっているルーターで、DC拠点のLANのルーティングプロトコルから、ルートをOSPFへ再配送している。
 この境界ルーターは、LSAタイプ1、2の情報から読み取ると、DC拠点に所在し、別回線と都たちが言っている、DC拠点とオフィス拠点とを裏で接続しているリンクについては、OSPFドメインに属していることがわかる。都は袖机からノートを出して、簡単な図を書いてメモしていく。オフィス拠点の客宅ルーターで、OSPFのネイバーを確認するコマンドを叩くと、1台しか見えない。LSAタイプ1は3つ見えるので、ちょうどお客のLANのルーターが、都たちの客宅ルーターと、DC拠点の別回線を終端しているルーターの両方とネイバーを張っている形だろう。都たちの客宅ルーターと直接ネイバーを張っている、お客のルーターのLSAタイプ1に、オフィス拠点のルートとして、客宅ルーターから網に向けてBGPで広告しているルートが全て、そのルーターのインターフェイスとして含まれている。
 LSAタイプ5の中には、異なるソースで同じルートが2つ存在しているものがあり、これは、DC拠点の別回線を終端しているルーターが、筐体メーカー固有のルーティングプロトコルから、OSPFへ、ルートの再配送をしていることを示している。つまり、オフィス拠点では、都たちの客宅ルーターからも、別回線越しのDC拠点ルーターからも、同じルートが広告されてくることになる。どちらからのLSAタイプ5もメトリックタイプが揃っているから、単純にメトリックの小さい方が、オフィス拠点のOSPFルーターでベストパスとなる。そのため、DC拠点のLANサブネットを除き、網内に流れているBGPルートと同じルートについては、客宅ルーターから再配送したものの方が、メトリックが小さくなっていないといけない。逆に、DC拠点のLANサブネットの方は、客宅ルーターから再配送したものの方が大きくないといけない。
 都は、網内で流れているルートの適当なものを一つ拾って、そのルートについての、LSAタイプ5の詳細情報を見るコマンドを叩く。ソースが都たちの客宅ルーターになっているものしか現状はない。これは、OSPFの方が、DC拠点のルーティングプロトコルの外部ルートよりもAD値が小さく、境界ルーターでOSPFルートが勝っているため、そのDC拠点のプロトコルから再配送が起こらないためだ。この状態であれば、オフィスのLAN内のホストは、網内の拠点へ出ていくには、都たちの客宅ルーターへルーティングされる。
 次に、DC拠点のLANサブネットの中から一つ選んで、そのサブネットについて、オフィス拠点の客宅ルーターの、LSAタイプ5の詳細情報を見る。こちらは異なる二つのソースのLSAタイプ5が存在している。都たちの客宅ルーターがソースのもののメトリックは1000、別回線越しのDC拠点ルーターがソースのものは20となっている。そのため、オフィスのLAN内のホストが、DC拠点のLANへ行くには、別回線の方へルーティングされることになる。お客の境界ルーターはただ、筐体固有のルーティングプロトコルのルートを再配送しているだけなので、メトリックの調整は都たちの客宅ルーターで実施している。
 オフィス拠点の方は、LSAタイプ1とタイプ2の情報を使って、トポロジーをノートにざっくりと描いたので、次にDC拠点の客宅ルーターにログインし、DC拠点のLANトポロジーを確認しようとした時、後ろから、昨日一日中聞いていた、通る声で、まごつくことなくはっきりと話す、持ち前の明るさと、前向きさとの表れている挨拶が聞こえてきた。都の斜め後ろの席の派遣社員に声をかけているようだ。挨拶を済ますと、本題に入っていた。
 「秋田さん、今日11時からですよね。」
 側から聞いていると、岸谷の声は、本当に自分というものに自信がある、それは不遜というのではなくて、物怖じせず、堂々と自分の職務を果たすんだという意気を感じさせるものだ。そういえば、このことを昨日ドライブ中に言ったのだが、割と何にも考えていないと言うので、笑ってしまった。つまり自然にできているとうことなのだろう。父親の仕事の都合で、中二から高二くらいまでの間、アメリカの現地の学校教育を受けていたと言うことだから、そこで培われたのかもしれないし、両親の教育の賜物かもしれない。
 「作業員の連絡先を岸谷さんにしてあるから、時間になったら作業員から電話かかってくるはずだよ。まず、現着なのか、ラックの手前まで来たのかを聞いて、ラック前なら、回線IDを確認して、照合するONUが存在するかまず確認してもらってください。」
 秋田の話からして、国内の客宅ルーターの設置工事の統制ようだ。日本顧客の国内回線敷設は、完全にシステマティックに動いていて、都たちの部署ではほとんどマネージメントはしない。開通の準備が整うか、開通が終わると、客宅ルーターの設置日が決まり、それが現場作業員情報とともにシステム上に乗ってくる。それを、国内の客宅ルーターの設置工事を担当している、派遣社員だけのチームで拾い上げて、対応する。案件ごとに担当者がPM・SEという形で一応アサインされるが、込み入った設計案件でない限りは、一人でやり切ってしまうことも多い。基本的なパラメーターだけの要件であれば、システムが自動でコンフィグを吐き出し、それを購買担当から受け取ったルーターに流し込んで、梱包し、作業員確定後、担当者作業員のオフィスへ発送する。新品ルーターの検品、軽い設計からコンフィグ、そして作業員の統制、開通試験など、レイヤー3のネットワークエンジニアとして必要な基本作業を平たく経験できるので、グローバルMPLS構築を担当する部署に配属された新入社員は、しばらくこの派遣社員のチームに混ざって、案件をこなすことが多い。ただ、岸谷は他の年度や、同期の新入社員に比べるとあまりやっていない。英語がネイティブレベルなので、早々にグローバル案件のPM業務の方を多めにやらされているからのようだ。本人は、もう少し国内の案件やって、ルーターとかちゃんと覚えたい、と言っていた。そんなこともあり、現場作業員の仕事が都に回ってきた時は絶対に連れて行ってくれ、と昨日せがまれた。
 都は、岸谷と秋田の会話をラジオ代わりのように聞きながら、DC拠点の客宅ルーターへログインした。まずこのルーターの筐体メーカー独自のプロトコルのネイバーを確認するコマンドを叩く。ネイバーは2ついる。あれ、2つだったっけ、と都は若干記憶が曖昧だが、とにかくに今は2つだ。このルーティングプロトコルのルートとして、ネイバー同士で共有しているルート情報を、この客宅ルーターから見た一覧として確認するコマンドを叩く。自分の、つまり都がログインしている客宅ルーターが自分で再配送しているルートなどには、どこからやって来た、というネクストホップ情報はないが、ネイバーからもらっているルートには、どのネクストホップから来ている、という情報が入っている。一覧で見ると、客宅ルーターがBGPでもらっている、オフィス拠点のルートにはこのネクストホップ情報はないが、このルートの、筐体メーカー独自のプロトコルでの詳細情報を見るコマンドを叩くと、客宅ルーターがBGPで再配送したものの他に、オフィス拠点と接続する別回線を終端しているルーターで、OSPFから再配送されたものも存在することがわかる。OSPFからの再配送ルートの方がメトリックは小さい。よってDC拠点からオフィス拠点へは、裏で接続しているリンクを辿ることになる。
 いくつかの内部ルートのネクストホップとなっているルーターが、DC拠点のLANを収容しているお客のLANルーターということになる。都は念の為、この内部ルートを、その筐体メーカー独自のプロトコルで伝播しているルートの詳細情報を確認するコマンドで見てみる。DC拠点から網内へBGPで広告されたルートは、オフィス拠点の客宅ルーターで受信され、それはオフィス拠点のOSPFへ再配送される。そのルートはさらに、別回線を通って、DC拠点の別回線を終端されているルーターで受信されるが、通常、ルーティングプロトコル同士のDC拠点のAD値比較で、LANへ再配送されないが、設定によっては入ってくる恐れがある。
 この筐体メーカーの独自プロトコルでは、外部ルート、つまり他プロトコルから再配送されたルートの方が、内部ルートよりもAD値において劣るので、たとえ回ってきたとしても、通常であれば、問題はない。しかし、都たちの客宅ルーターで、外部ルートのAD値を下げていた、お客の別回線を収容しているルーターで、この独自プロトコルの内部ルートよりもOSPFのAD値を下げていた、などあると想定通りのルーティングにならない、酷ければルートがループしてしまう可能性もある。都が確認する限り、想定通りのルーティングになっているし、ループも起こっていない。実際お客の使用上問題も起きていないようなので、今のところ大丈夫そうだ。
 DC拠点も、オフィス拠点でDC拠点のルートをそうしているのと同様に、オフィス拠点のルートについては、都たちからの再配送ルートの方がメトリックが重くなるように、また、網内のルートは都たちの再配送ルートの方が、メトリックが軽くなるように、客宅ルーターに設定がされている。DC拠点のLANから、オフィス拠点へ行くには別回線を通り、日本やアジア拠点へ行くには、都たちのルーターへ上がってくるようになっている。都はノートに簡単な図と、オフィス拠点のルート、DC拠点のルートをそれぞれ、出所のルーターを表現する円形の隣に、サブネットをマスク長とともに書き並べておいた。
 都がノートに図やメモを書いていると、都の左隣の空席に、ブラウスやスカートの衣擦れの音をさせながら人が座った。都は雰囲気というか、空気からすぐそれが岸谷とわかった。近くに来たついでに、こっちへ寄ってくれるだろうと期待してしまっていたから、子供っぽい当てずっぽうでしかない気もした。
 「間宮さん、お疲れさまです。」
 岸谷は通る声で、それがすぐ若い人だとわかるような、溌剌とした活気を響かせて、挨拶してきた。
 「お疲れー。」
 都は顔を上げて、岸谷を見た。昨日一日中側で見ていた顔だ。職場だから、ちょっとした緊張感というか、ぴしっとした感じがあるが、余所余所しいという感じはなかった。ちょっと親しくなったな、と思って、その勢いで学校や職場で接すると、急に余所余所しくされた、という経験が、若い頃の都には多くあった。だから、あれだけ腕を組んだり、手を繋いだりして、いっぱい笑い合ったけれど、岸谷もそうなるかもしれない。そんな警戒を少ししていたのだが、杞憂だった。
 「昨日楽しかったですねー。」
 岸谷は破顔しながら、少し大げさな感じを表そうと、体を前に傾けながら言った。都は、その岸谷の様子が、急に会社で仕事をしているモードから、昨日ずっと見せていたような、プライベートなモードに切り替わったようで、時間が昨日に戻ったような気がして、笑ってしまいながら、同意を返した。ですよね、だよね、とお互い言い合って、また笑ってしまう。
 「ほんと、あんな楽しかったの何年ぶりだろう。楽しかったなー…。」
 都は背もたれに背中を預けて、両手を腿の間に挟んでしまうと、どこをみるとではなく、なんとなく視線をノートに落としながら呟くように言った。
 「また、ぜったい、どっか行きましょーね!」
 岸谷は、都の顔を覗き込むように、傾けていた体をさらに傾けた。大きな瞳と、曇りを感じさせない明るい笑顔は、都を嬉しい気持ちにさせてくれた。
 「うん、ぜったいね。」
 都は素直に返してしまった。
 「どこかにお二人で行かれたんですか?」
 岸谷の声は通るし、都は人付き合いが苦手なことで多少は知られていたので、その都が新入社員と出かけたとは何事だと思われたのか、岸谷の工事統制のメンターの役割を本件で担っている、秋田から声をかけられた。秋田は、若い頃からネットワークエンジニアとして、工事統制の仕事をやって来ていて、どんな客からの、営業からの、現場作業員を手配する会社のマネージャーからの、プレッシャーにも全く動じず、受け流すように対応し、想定外のトラブル時も、関係各所を自ら取りまとめて、次か次へと工事を片付けていってしまう男性だ。日中から翌朝まで、たくさんの工事を片付けたかと思うと、その足で、贔屓の球団の試合を見に、山陰地方まで新幹線で行っては、夜には帰って来てまた工事をやっていたりする。家庭の事情で日中は出勤できないことが多いからと、夜間の工事を、他の人が担当している案件でも引き受けてやっていたりもする。そのバイタリティと、バックグラウンドを把握していない案件の工事もやりきってしまう胆力は凄いとしか言いようがない。落ち着いた喋り方と物腰なのだが、そういう活力と仕事ぶりとが垣間見えるような貫禄があった。
 都は辺りを見回す勇気がなかったが、おそらく席の近い人たちに聞き耳を立てられているような気がして、気恥ずかしさで汗が出てくる。
 「昨日一緒に代休とってー、デートして来ました!すっっっっごい楽しかったです!」
 岸谷は秋田の方を振り返って、楽しかったことを強調して言っていた。何処へ言ったと聞かれたので、一日中海沿いの道をドライブしたことや、海辺できゃあきゃあ言ったこと、アウトレットモール、最後は海の上のパーキングエリアと、岸谷はざっと説明した。
 「それって、岸谷がはしゃぎすぎて、間宮さん疲れさせただけじゃないの?」
 秋田はからかうような笑みを浮かべながら言った。
 「そんなことないですー。ねー、間宮さん。」
 岸谷は、女子が言われたことを否定する時によく使われる、文の途中で上がり調子になり、最後は下り調子になる独特の言い方で、秋田に反論してから、都に同意を求めて来た。都は、こういう時には、そうしないほうが冗談として成立するのをわかっていても、からかわれている人を放っておいてはいけない、という強迫観念めいたものに動かされて、同意してしまって、返って話の流れを止めてしまうものだが、この時は、都は落ち着いて反応することができたので、黙って、無表情でいてみた。
 「ほら、間宮さん黙っちゃったじゃん。」
 秋田は笑っていた。
 「ちょっと、間宮さーん、なんでだまるんですかぁー!」
 岸谷は、都の右肩を優しく掴んで、揺すりながら苦情を言って来た。都は声を出して笑ってしまった。
岸谷が首から下げていた、PHSが鳴ったので、自然とこの話は終わりになった。都は、顔が火照って来てしまっていたので、ちょっと助かったと、安堵した。岸谷が、嬉しそうに都とのデートを話すのは、その通る声で周りにも聞こえてしまうので恥ずかしかった。恥ずかしがる必要なんかないのだろうけれど、大人になってから友達付き合いというものをほとんどしてこなかった都には、自分と遊びに出かけたことを、こんなにも他人が喜んでくれることに、困惑もしていた。岸谷がどこか自慢げなのは可笑しくもあり、嬉しくもあった。