11-04

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結局火曜は22時過ぎまで粘ってみたが、開通しなかった。都が懸念した通り、跨いだキャリアの相互接続ポイントで、上手く接続出来ていない。どうも、キャリア跨ぎでオーダーが間違っていたらしく、片方のキャリはE1だと思って構築していて、片方のキャリアはイーサーネットだと思っていて構築していた。東京から海外オフショアセンターへのオーダーは、イーサーネットの帯域2メガビット毎秒だ。海外オフショアセンターから最初の接続キャリアへは、イーサーネットの帯域2メガビット毎秒でオーダーは出ていると言う。E1で構築してしまったキャリアは帯域だけ見て、E1としてしまったのだろうか。いずれにせよそのキャリアが、両端にコンバーターを挟んで、イーサーネット・オーバー・E1とするか、光インフラを持っているようなので、そちらへ切り替えてくれるかしてくれないといけない。急いでいる回線でもないが、こういう開通トラブルを、日程に余裕があるから今日はいいやと、早々に諦めてしまうと、不思議と開通トラブル案件が溜まっていってしまう。そんなものをいくつも抱えているわけにもいかないので、WAN開通日に、出来るだけ開通するよう、海外オフショアセンターをプッシュする。少なくとも、トラブルの原因に目処をつけるところまでは行きたい。今回は、最低限の目標は果たしたことになるのだが、E1を引いてしまったのは、真ん中のキャリアなので、ラストマイルのキャリアにおいて、またトラブルがないとは限らない。不安と問題が山積だが、良い見方をすれば、とにもかくにも一歩前進ではある。
その翌日の水曜、海外オフショアセンターは、回線の両端にエンジニアを派遣してトラブルシューティングをするというので、定時の18時くらいまで付き合ってみた。しかし、やはりその日も開通しそうになかった。これは当分開通しないだろうと、岩砂と話し、しばらくは海外オフショアセンターに任せっきりにしてしまうことにした。開通したと連絡があってから、都の方で客宅ルーターへの到達制を確認し、到達出来るようであれば、そこから回線の品質や、プロバイダエッジルーターのコンフィグのチェック、LAN切り替えのための設定を、客宅ルーターへ流し込んだり、海外オフショアセンターのクセがついた、客宅ルーターのWAN用のコンフィグを、都のクセに寄せるといった、ちょっとした変更作業などをすることになる。岩砂と都も、経験則からおそらく一週間くらいは開通しないだろう、という想定をしていた。都は、特段急ぎの仕事も工事もなかったので、岩砂に断って、先週末の現場作業員業務の代休として、木曜日は一日休むことにした。
普通の会社や仕事であれば、急に翌日休みます、というのはあまり歓迎はされないだろう。しかし、都が勤めるこの現場では、日本的な仕事の常識があまり通用しない、グローバル拠点を対象とした構築を担当しているため、急な工事やトラブル対応が入ることが珍しくなく、不測の残業や深夜作業、急な休日出勤に見舞われるので、予定していた有給休暇などを取り下げなければいけないことも少なくない。それは正社員も派遣社員もあまり変わらない。そのため、特に休日出勤の代休に関しては、自分の稼働見合いで突然明日休みます、とメール一本で取ることが出来た。休めるときに休んでおかないと、という現場の習慣だった。
今週木曜は、まだ残暑が厳しく、予想最高気温が30度なのは天気予報で確認していたので、休むならここだと決めていた。これが流石に、都がじっくり味わえる、今年最後の夏の暑さだろう。
都が派遣社員として勤める、この大手通信会社は、水曜日と金曜日が定時退社日となっていた。派遣社員にはあまり強く適用されないが、社員にはかなり強く適用されている。もっとも、都が派遣されている部署はグローバル担当なので、日本時間で全て動いているわけではなく、他の部署よりもその辺りの縛りは緩い。それでも、社員の給与支給日、ボーナス支給日、その他労組の見回りがある日などは、かなり強制的に社員は帰宅させられる。都たち派遣社員にとっては、どうでも良い話ばかりだし、そういった日に実際派遣社員はそれほど強制的に帰宅を促されない。しかし稀に、労組の幹部だか何かだかが見回りに来るときだけは、派遣社員も追い出されるようにして帰される。もちろん、スケジュール済みの工事や、緊急のトラブル対応は許される。
そう言った習慣が功を奏したのかもしれないが、定時退社日には、出来るだけ定時で帰るようにしている社員は多い。働き方改革法案なるものが、来年早々には施行されそうだと、連日ニュースになっているが、この会社はそう言ったものに早くから取り組んでいた、と言えるかもしれない。しかし、その社員の稼働を減らした穴埋めを、派遣社員がやっているのも、ある程度事実だし、派遣社員をしている人間にとっては、自分の食い扶持を確保できる、あるいは自分の職業技術獲得の機会が拡張された、というのもある程度事実だろう。
18時半ごろ、もうこれは今日もダメだなあ、と都が思い始め、椅子の背もたれに背中を預け、浅くだらしなく座っていると、帰り支度をした岸谷がやってきた。
「間宮さん、帰れないんですか?」
定時退社日に託けて、派遣社員でも早く帰る人は多いので、都の席の周りは人がいなくなっていた。静かになった空間で、岸谷のカードキーをネックストラップから下げる金具や、岸谷のバッグの中に入っている、おそらくはキーホルダーか何かの音が、良く聞こえる。
「ううん。7時くらいまで様子だけ見て、開通しなそうなら帰っちゃうよー。」
都は背もたれに背中を預け、首を倒して岸谷を見上げて言った。都の髪の毛に岸谷のブラウスが触れるくらい、岸谷は側に来た。
「じゃーあー、帰りましょーよー。」
岸谷は都の椅子の背もたれを軽く揺すりながら、甘えるような声で、静かに言った。きっとこのまま自分の後頭部を、岸谷の胸に埋めても受け入れてもらえるんだろう。都はそんな気がした。ボディタッチの多い女子は苦手だったはずなのだが、岸谷の元気で、堂々とした、さっぱりした性格のせいだろうか。あの女子にありがちな、親しみと粘着する感じとが一緒になったような、好意の示し方。ものすごく仲が良ければ、それは溶け合うような気持ち良さがあるが、そうでなければ、何か鬱陶しいような、どこか強制と圧迫を含んだような不快感が伴う。それは仲が良かった女友達と疎遠になる時、今までの感情が一気に逆のベクトルになって、感じるものにも似ているかもしれない。都は、岸谷にはそういったものを感じなかった。
「帰りたいけどねー。」
都はそう笑うと、通常端末のディスプレイの画面が、スクリーンロックに推移してしまったので、背もたれから背中を起こし、自分のお腹にネックストラップで下がっている認証カードを引っ張って、カードリーダーにかざし、スクリーンロックを解いた。岸谷は、既に空席になっている都の隣の机にハンドバッグを置いて、椅子に座ってしまった。都は、岸谷の顔を見ようと思って、視線を動かしたのだが、専用端末のディスプレイに映る、ターミナルウィンドウで目が止まってしまった。プロバイダエッジルーターにログインし、客宅ルータのWANインターフェイスのIPへ向け、数分置きにpingを打つマクロを回している。定期的に不達を表すピリオドの5回連続表示が、延々と行を変えて出力されているだけだった。
「あ、そうそう、あたし明日休むね、こないだの代休で。」
都は思い出したように、勤怠メールを作り出した。岸谷には、急に都がキーボードを打ち出したように見えたらしく、どうしたんですか、と聞いてきたので、都は答えた。
「えー。そーなんですかー。」
岸谷は驚いたような、がっかりしたような、言い方だった。
「岸谷さんはこないだの代休取らないの?」
都はその反応に笑ってしまいながら、何のことはなしに聞いた。
今年、砂浜を裸足で歩きに行くのは、今日がたぶん最後だろう。あとは涼しくなる一方に違いない。開放的な格好で裸足になって、潮風を全身に浴びながら、延々と砂浜と海だけが見える海岸を、足ざわりの良い、粒子の細かい砂を踏みしめて歩けるのも、今年はこれでおしまい。何処までも海岸線しか見えない場所が、心や頭を解放してくれるのをわかっているから、仕事へ行く時の緊張や、嫌な感じなどは、朝起きてもほとんどない。楽しみで早く起きたり、逆に仕事の疲れで、ちょっと朝遅い時間まで寝てしまい、慌てて出かけなくては行けなくなったりと、一人暮らしならではの自由な時間を、朝から過ごせるはずだった。
しかし、今日はこの時間には起きていないと間に合わない、という時間にきっちり起きた。まるで出勤する時のように、洗顔や、朝食、コーヒーを手早く済ませる。コーヒーを飲んでいる時から、今日は何を着て行こう、ではなく、何を着て行けば良いんだろうと悩んだ。休みの日に、他人と出かけるなんて一体どれくらいぶりだろう。一人でいるのが好きで、他人と関わるのがとても苦手だから、学生の頃は付き合いのあった女友達も疎遠になって久しい。最後に付き合った彼氏と別れてからもう7、8年経つ。昨年、古い友人と久しぶりにお茶を飲んだのが、他人と出かけた最後の機会だろうか。断れば良かった、という思いと、何処をどう解釈すれば、そういう感情に自分が辿り着くのがわからなかったが、楽しみだという思いも、本当にあった。
下はジーンズのショートパンツで決めた。一人じゃないから、いつものように車の中で下着だけ脱いで、とはいかない。下着をつけないで肌に直に履こうか迷ったが、下はつけざるを得なかった。上は白い夏物のキャミソールを直に着て、その上からお気に入りの、濃いベージュで、手首周りやフードなどにエスニック柄が入っている、薄手のパーカーを羽織った。玄関の全身鏡で前や横からをチェックする。パーカーの裾から、ジーンズのショートパンツが覗くのが可愛い。それに、これなら見えないだろう。9月も半ばになるのに、いくら夏日だからといって、流石にキャミソール1枚では季節外れ感が強すぎる。都にしては常識的な判断をしたと、都は一人可笑しがった。
これで良いかな、それとも、お気に入りのオレンジのポロシャツの方が控えめな感じで良いかな、と玄関の全身鏡を見ながら思案していると、キッチンテーブルに置いたスマートフォンが、チャットアプリの新着メッセージを知らせるチャイム音を鳴らしながら、テーブルに振動を響かせている。メッセージは岸谷からだった。都が住む賃貸マンションの最寄駅から、15分くらいの駅を通過したら連絡するよう言っておいた。メッセージを確認すると、その連絡だった。都は慌ててトートバッグに、用意しておいたタオルを2枚突っ込んで、仕事用のハンドバッグから化粧道具などを移そうとした。慌てていたので、化粧道具を床にぶちまけてしまい、人付き合いの苦手な自分が、待ち合わせの人との時間に遅れないようにと、頑張っているのが可笑しくて、一人で笑ってしまった。洗面台の鏡で、日焼け止めと化粧下地だけだが、綺麗に仕上げられたかチェックして、もう一回髪の毛を櫛で梳いて、前髪をチェックしていると、時間はギリギリになってしまった。火の元戸締りを確認して、敷きマットの上で枕に顎を乗せているペンギンの抱き枕に、いってきますを言ってビーチサンダルをつっかけ、部屋を出た。
昨日、勤怠メールを書いている都に、岸谷は何処か行くんですか、と聞いてきたので、都は海へ行くと答えた。何をしに、とさらに聞くので、ただ砂浜が延々と続く海岸を、裸足でひたすら歩け歩け大会だ、と返した。岸谷は、ふーん、と、珍しくはっきりしない調子で言うと、少し黙って間を置いてから、自分も明日休みにするから、連れていってくれと、突然言い出した。都は驚いたし、休みの日は一人で過ごしたかったので、断りたかったのだが、岸谷の突然の誘いが嬉しかったのか、岸谷の笑顔と、その勢いに圧されてしまったのか、頭で考えるよりも先に口がいいよ、と言ってしまった。岸谷は、やったー、と両手を高く上げて、通る声で喜んでいた。人が少ないオフィスに響いた。
都の最寄り駅は二つの鉄道会社が乗り入れている。一方の鉄道会社がやっているデパートは駅とくっついて建っていて、駅のコンコースにはデパートやテナントの露店が毎日出ており、平日の日中も賑わいを感じる。デパートもやっている鉄道の駅は、デパートの出入り口脇の階段かエスカレーターで上がらないといけない。岸谷はこの鉄道では来ないので、コンコースをさらに奥へ進む。夏物をまだ着ている人もいるが、流石に女の人は秋物コーディネートが多い。こう言う陽射しがない空間で、ショートパンツにビーチサンダルは流石にもう季節外れで、都はちょっと恥ずかしい気がした。こんな格好の自分を岸谷に見られたくない。都は一旦部屋へ帰って、7分丈のパンツに履き替え、上も下着をつけて、白い長袖シャツにでも着替えたい。そう思う一方で、秋の気配が漂ってきても、こんな格好をしている女だとわかれば、おそらく岸谷の中で、変に高まっている都への信頼や期待といったものも、下がってくれるだろう。それでちょうど良いんだ。そんな後ろ向きな考えは、自分が好きで着ている服装を恥ずかしいと思って、曲がりかけた背筋を伸ばし、堂々と前を向いて、都を歩かせる。本当に天邪鬼な性格だ。都はそのことが可笑しくもあり、爽快にすら感じた。
都が普段通勤に使う、鉄道の改札を背にしてコンコースを見ると、コンコースの突き当たりに、駅ビルのショッピングセンターがある。その入り口の脇の柱に、明らかに人待ちだという佇まいの若い女子がいた。明るいグレーのパーカー、中の胸元の大きく開いたカットソーは薄いベージュで、その豊かな胸元の白い肌との比較で、カットソーの方が肌の色に見える。カットソーの裾から伸びる、どちらかと言うと白に近い薄いピンクのプリーツスカートの丈はとても短く、ベージュの綿のリボンストラップのついたウェッジサンダルまで、白くて健康的な太さの脚が伸びていた。緩いウェーブのかかった長い髪は、後頭部の高いところで、黒に近い真紅のリボンでポニーテールにしてある。白いうなじは綺麗だ。都ほどではないが、少し時期外れの服装だと言えないこともない。片手にトートバッグを下げ、もう片手でスマートフォンを操作している姿には、どこも卑屈なところは感じられず、堂々と自分のファションを楽しんでいるようで、おかしい、と感じるところは何一つない。それは若いから、なのかもしれないけれど。そんな風に観察して、海でも行くんだろうか、と思ったのと、それが岸谷だと気がついたのはどちらが先だったのか都はわからなかった。都が近づいていくと、岸谷は気がついてくれた。
「あー!間宮さーん!」
岸谷は満面の笑顔で、その大きな瞳をいっぱいに広げて、通る声で嬉しそうに都を呼んだ。通る声なので、近くを通り過ぎる人たちが若干名振り返った。都は笑顔で、出迎えるように両腕を広げて上に上げると、岸谷はバッグもスマートフォンも持ったままで、都の両手を受け止めようと腕を上げた。
「ほんとにきたー。」
都は、カバンを持ったり、スマートフォンを持ったままの岸谷の手を包むように握って、笑いながら言った。都の手は大きくないが、岸谷の手をちゃんと包めているような感覚があった。
「きますよー。間宮さんとデートですよー。」
女子同士で出かけることを、よく女子はデートと呼ぶので、別に深い意味もなければ珍しいことでもないのだが、都は自分が女友達と会ったり出かけたりすることに、この言葉を使われたのは初めてな気がして、新鮮で少し気恥ずかしかった。都がデートだね、と言うと、岸谷もデートですよ、と返して、二人で笑った。都は、断れば良かったと思ったことや、服を着替えに一旦部屋へ帰りたいと思ったことは、全てすっ飛んでしまった。岸谷の笑顔はとっても爽やかで、都が自分の天邪鬼さに感じた爽快感など、偽物の濁りものでしかなかった。
駅から都が借りている駐車場までは5分くらいかかる。駅の北口にあるバスターミナルを覆う歩道橋を渡って、駅につながる道に降り、少し広めの歩道を二人で並んで歩く。風はそんなに強くはないが、岸谷の短いスカートが捲れないかと、都は気になった。陽射しは真夏ほどの強さはないのだろうが、パーカーを着ていると暑くて仕方がないし、焼けるような日の光を肌に感じる。良い天気で良かった。
「大丈夫ですよ、ほら、パーカーの裾が抑えてくれてるので。」
都の視線で意味を察したらしく、岸谷はスカートの裾を摘み、ちょっとだけめくろうとして、その動きがパーカーの裾で止まることを見せた。
岸谷は、都のオレンジのコンパクトカーを見ると、可愛いと言って喜んでくれた。間宮さんって本当にオレンジ好きですね、と岸谷は言うので、都は今日、服を迷ったと言う話をした。オレンジのポロシャツを着ようと思ったが、それだとオレンジ・オン・オレンジになっちゃうでしょ、と言ったら、岸谷は可笑しがった。
「あとさー、あたし、ほら、今日まるっきり夏の格好でしょ?」
都は、車のエンジンを掛けた後、ビーチサンダルを脱いで、運転用のスリッポンに履き替えながら話した。
「いくら夏日とは言ってもさあ、もう9月だし、さっき岸谷さんを迎えに行った時も、まわりの人みんな秋物で…。」
「そー!」
都の話を遮るように、岸谷は大きく同意した。都は大笑いしてしまった。岸谷も、服装をどうしようか昨日から結構悩んだと言う。岸谷は、都が夏も暑いのも好きで、尚且つ、まだ夏が楽しめる時に海に行っておきたい、と言っていたから、きっと都は秋物は着てこないはずだと踏んで、ちょっと夏っぽい装いにしてみたと言う。
「でもー、やっぱりなんかカットソー一枚だとー、流石にきついかもー、って思ってー、パーカー羽織ればいっか、ってー…。」
「そー!」
今度は岸谷の話を遮るように、都が大きく同意した。さっきのやりとりが真逆になった形で、二人は大笑いした。二人でパーカーが被ってしまったことも、笑いあった。
「ごめんね、被っちゃって。」
「あたしは被っちゃって嬉しいです!」
都が被ったことを冗談で謝ると、岸谷はそんな風に笑顔で言っていた。
「そっかー。」
「はい!」
都が照れ隠しに笑ってそう言うと、岸谷は元気に返事をした。
高速道路に乗って、最初のサービスエリアまでの区間は、平日休日に関わらず慢性的に渋滞しているのだが、岸谷と色々喋っているうちにあっという間に抜けてしまった。海まで1時間くらいかかるので、飲み物買って行こうとなって、そのサービスエリアへ寄った。車を降りると、アスファルトからの熱反射も強く、植え込みの緑の色も濃い。青空に未だ響く蝉の声が、本当に夏なんじゃないかと錯覚させる。それでも、大きめのサービスエリアの施設内に入ると、平日だからスーツや作業着姿の人が多いのだけれど、秋を感じさせる色使いの服が、目につくように感じる。
「サービスエリアってテンション上がりません?」
岸谷は楽しそうに言ってきた。施設内に入ると、高い天井の下、たくさんのテーブルと椅子のあるエリアが広がり、それを囲むように、色々なメニューを取り揃えた飲食店のブースが並ぶ。結構な規模なので、平日の午前中だと駐車場に結構車が止まっていても、空いているように感じるくらい余裕があるが、閑散としてるわけでもなく、どこか賑やかな感じだ。天井が高く、ガラス張りの外壁から日差しがたっぷり入るので、そのせいかもしれない。
フードコートの奥に、弁当やスイーツを売る、小さなテナントが集まった一角がある。岸谷が見たいと言うので、二人で見て回ることにした。岸谷はすごく自然に、そうすることが当然のように、右手で都の左手を握った。手を繋いでテナントを見て回った後、そのままカフェまで歩いて、二人でアイスカフェオレを頼んだ。
海へはあっという間についた。そう感じるのは、岸谷を乗せてドライブするのが、本当に楽しかったからだろう。工事中の有料道路の下をくぐる短いトンネルを抜けて、海水浴場の駐車場へ入ると、水平線が一面に広がる。
「うみだー!」
岸谷は両手を上にあげながら、嬉しそうに声をあげた。視界を砂山が遮るまでは、一面に砂浜と海しか見えない光景に、岸谷は喜んでいた。
「すごーい、間宮さん、海しかないですよ。」
止め放題の駐車場の、砂浜に一番近い列に車を止めながら、都は岸谷のシンプルな言い方に笑ってしまった。
じゃあ、歩け歩け大会だ、と都は言って、シートベルトを外してから、運転用のスリッポンを脱ぐと、パーカーも脱いでキャミソール1枚になった。岸谷は、都がばたばたと用意しているのを見ていた。
「どしたの?」
都は運転席のサンバイザーを下ろして、バニティミラーで前髪をチェックしている時、岸谷の視線に気がついた。都は、先日の打ち合わせの時も、岸谷のシンクライアント端末のタッチパッドの上を動く都の指を、岸谷が見ていたのを思い出した。岸谷は、サービスエリアで車に乗る時、すでにパーカーは脱いでしまっていて、タンクトップのカットソー姿だった。
「あ、岸谷さん、日焼け止め塗ってきた?」
都は思い出したように言った。
「間宮さん、一つ聞いていいですか?」
大きな瞳で都を見つめながら、岸谷は聞いてきた。表情からは意図は読み取れなかった。
「うん。なあに?」
都は返した。
「間宮さん、ひょっとしてノーブラですか?」
岸谷は何でもないことのように聞いてきた。都は、見つかって欲しくないことを見つかった恥ずかしさで、一気に体中の汗腺が開くように感じた。同時にどこか可笑しさと言うか、この子には曝け出しても大丈夫かもしれない、と言う、あまり他人に感じたことのない、不思議な感覚を持った。
「えー。わかっちゃうー?」
都は残念な風に言った。
「はい。パーカー脱いでるときに、中が見えました。」
「見るなー!」
岸谷が冷静に報告してくるので、都は岸谷の語尾に被せ気味に突っ込んだ。二人で大笑いしてしまった。普段からそうなのかと、岸谷が聞いてきて、もしそうならあたし会社でも間宮さんの胸チェックしちゃうかも、とか言い出すので、会社ではちゃんとしてます、と都は言った。
「えー。」
岸谷がとても残念そうな声を出した。
「残念がるなー!」
都はもう笑ってしまいながら突っ込んでいた。岸谷は手を叩いて笑った。
「じゃあ、あたしも脱ぎまーす。」
岸谷はそう言うと、カットソーの後ろの裾から手を突っ込んで、もぞもぞやってホックを外すと、カットソーの胸元から、手品師が何もなかったはずの胸元のポケットから、連続したスカーフでも取り出すかのように、ばーん、とか言いながらブラジャーをゆっくり引っ張り出している。都は何してんの、と言いながら声を出して笑ってしまった。一応誰かに見られていないか周りを確認したが、誰も見ていなかった。
車から二人とも裸足で降りて、アスファルトが痛いとふざけながら、少し強い海風と、潮の匂いを全身に浴びる。割れた貝殻の多い駐車場付近の砂浜を抜けると、すぐ深い砂の坂になり、そこは先週来た時と同じく、真夏よりは傾いた太陽でもまだ焼けていて、二人できゃあきゃあ言いながら走って降りていった。岸谷のスカートは時々捲れてしまって、中の白い下着が見え隠れしてしまうが、人もいないので、二人で気にせず走っていった。波が洗っていて、少し湿り気のあるところまで降りて来ると、潮風を浴びながら、しばらく海を見つめた。
「気持ちいいですねー。さいこーでーす!」
岸谷は風邪で顔にかかる髪を、左手で避け、右手は風邪ではためきそうになるスカートの裾を抑えながら、楽しそうに言った。波の音がうるさくて、いつもの岸谷の通る声も、自然には敵わない。タンクトップのカットソーは、風で岸谷の体に巻き付いたようになって、綺麗に岸谷の胸の形をかたどっている。本当に大きいんだなあ、と都は改めて思った。
「どうしたんですか?」
都が海も見ずに、岸谷の胸をしばらく見ていたので、岸谷が聞いてきた。
「そんなに大きくて肩凝ったりしないの?」
都は、波音にかき消されないよう、少し声を大きくして聞いた。
「いえ、全然。」
岸谷は、手を立てて否定の意味で横に振りながら、何か自慢げに言う。
「むかつくー!」
都がそう大きい声で言うと、二人でまた大笑いした。
歩け歩け大会って、どっちに歩くんですか、岸谷が聞いてきた。都は左右を確認して、右側には、随分向うだが、サーファーが一人、海に入っているが見えた。左側は、やはりこちらも離れたところだが、一組の母親と子が、波打ち際で遊んでいる。
「よーし、今日はこっちー。」
都は左手の方へ歩き出した。
「行きましょー。」
岸谷はそう言うと、都の左腕に自分の右腕を絡ませた。サービスエリアで手を繋いだ時と同じように、それがすごく自然で、当たり前であるかのように。潮の匂いと一緒に、岸谷の柑橘系のシャンプーの匂いがしてくる。
「あ、間宮さん、パラグライダーじゃないですか。あれ。」
岸谷は駐車場の脇にある丘を指差した。都がここへ来るといつもいる、パラグライダーだった。これから飛ばすのだろう、何やら準備をしている。二人で見ていると、エンジンがかかり出して、乾いたモーター音が響く。相当うるさいはずだが、海の波の音の前では、少々耳障りな程度だ。
「あのパラグライダー、いつもいるんだよねー。きっと地元の人なんだろうね。」
いつもは、裸足で感じる砂や、海の水の感覚、一枚だけの服と肌の間を抜けていく潮風の気持ち良さを、ただ味うだけの砂浜散歩だ。それはそれで心地良かったし、一人で何も考えず、頭も心も空っぽにして、そういった快感に身を任せられる、貴重な時間だ。しかし、こうして自分を慕ってくれる、後輩、と言う言い方が正しいのかどうかはわからないが、その後輩と肌をくっつけて、一緒に歩いて、一緒にいっぱい笑っているのは、本当にとても楽しい。都はこういう楽しさは、不慣れだった。岸谷は組んだ腕をぴったりとくっつけて、時々体もくっつけて来る。本来なら、そうされるのはあまり好きではないはずなのに、岸谷にそうされると、何故か安心してしまう。岸谷が今日一緒に来たいと言うのを、断らなくて良かったと、都は思った。