11-03

2022-01-24

11-03

下山と岸谷とのヒアリングシートのレビューは、午後14時からになった。都は、末谷との会話が終わってからずっと、ヒアリングシートを見直していた。手直しをしたり、お客が記入するセルへの吹き出しを追加したりなどしていたら、あっという間に13時半を回っていた。そう言えば、ヒアリングシートに貼り付けたネットワーク図の見直しも、もう一回くらいやった方が良かったかな、と考えていたことを思い出した。ネットワーク図の元ファイルである、プレゼンテーションファイルを開いて、既存と、マイグレーション後のスライドが、表裏になるように印刷した。プリンターまでちょっと小走りに行って、打ち出し、やはり小走りで戻ってくる。共有フォルダに入っている、お客からもらったという既存のルーターコンフィグを開いて、ネットワーク図に書いた都の理解と、実際のコンフィグとに齟齬がないか、また、既存のネットワーク図に書いた、各インターフェイスや、LANサブネットに間違いはないか、などを確認する。ネットワーク図のチェックは何日か間を置いたので、割と新鮮な気持ちでチェックが出来た。ネットワーク図をチェックするため、ディスプレイ上に開いた、既存ルーターのコンフィグを確認しようと目を上げると、時折スケジューラーのアラームがポップアップで出てきて、煽られて嫌だなあ、と思う。しかし、アラームを消してしまうと、作業に没頭してしまった時に気づけなくなる。
ネットワーク図には問題がなく、これで一応準備完了かな、と思ってディスプレイの時刻表示を見ると、13時59分とあった。わぁ、と都が思ったのもの束の間、開始時刻だというスケジューラーのポップアップが上がり、時間を置いてもう一度アラームを出すかと聞いてくる。アラームを消すボタンをクリックしたところで、背後から岸谷の声がした。
「間宮さん、始めちゃっても大丈夫ですか?」
岸谷は、少し遠慮がちに聞いてきた。都がばたばたしているのを都の席に近づいてくる時に見ていて、他の案件か何かで忙しいと思ったのだろう。
「うん、大丈夫。ほんとにちょうど今ヒアリングシートの見直し終わった。」
都は、打ち出したネットワーク図やら、ノートやらをわたわたと重ねて、その上にシャープペンシルや、自分の携帯などを置き、お盆のようにノートを持って立ち上がった。
「もしかして、あたしたちのために急がせてしまいました?」
岸谷は、嬉しそうな、ちょっと冗談めかした調子で、聞いてきた。
「んー。うーん。まあ、ほら、初めてのお客さんにはさあ、ヒアリングシートわかりづらいから、せっかく岸谷さんたちお客さんとこ行くっていうなら、あったほうが良いかもー、と思って。」
都は、謙遜のつもりで、そんなことない、と言ってしまうと、却って岸谷を落胆させてしまうかもしれないと思って、中途半端な答えになってしまった。負担になっていないか心配してくれているだけかもしれないのだが、岸谷の表情で判断が曖昧になってしまった。
「ほんとですかー。ありがとうございます!」
岸谷は笑顔で、軽く会釈をながら都に礼を言った。都は謙遜を返しながらも、きっと満面の笑みを見せてしまっただろう。
最初打ち合わせをした、オープンスペースの打ち合わせ卓に岸谷と向かった。都の席からそこへ移動する途中で、下山の席の近くを通るので、岸谷が始めますよと、まだデスクトップディスプレイを睨んでキーボードを叩いていた下山に声をかけた。下山の机にはすでにシンクライアント端末が載っていたので、打ち合わせに行く準備は出来ていたようだ。
最初の打ち合わせの時は、岸谷は下山の隣に座り、都が卓を挟んだ側へ座った。都も岸谷がどんな子かわからなかったし、岸谷は年上の派遣社員にどう接して良いかわからないようだった。そう見えたことが、都の警戒心を生んでもいて、まるで社員対派遣社員のような構図だった。しかし、今日は岸谷は当たり前のように都の隣に座ってきた。前回と同じ席次だったとしても、以前のような悪印象はなかっただろう。
「ちょっと待ってくださいね。」
下山はシンクライアント端末にログインをしながら言った。岸谷は、自分のシンクライアント端末のディスプレイを閉じずに運んできたので、すぐにリソースにアクセスできるから、岸谷がプロジェクターに映す役をやると下山に言った。下山は、じゃあ、お願いできる、と言ってディスプレイケーブルをプロジェクターの脇から引っ張り出して、岸谷に渡した。
「間宮さん、このフォルダにあるファイルで良いですか?」
岸谷はプロジェクターで、ホワイトボードに映された共有フォルダの中の、CJ案件フォルダ内にある子フォルダで、ヒアリングシート、と書かれたフォルダを開き、中のスプレッドシートファイルをマウスカーソルで指しながら聞いた。
「うん、それー。」
「はーい。」
都の確認を取ってから、岸谷はファイルを開いた。最初のミーティングはついこないだのことだが、こんなにも軽快に会話の出来る間柄になるとは、都はその時は思ってもみなかった。プロジェクターには、表紙となっている1枚目のシートが映し出されていた。これがグローバルMPLSサービスのヒアリングシートであることや、お客の登録名、アカウント管理番号、網内のVRF番号などが、定型で書かれている。
「えーと、じゃあ、お忙しい中すみません。今日は、間宮さんに作っていただいたヒアリングシートを、我々がですね、明日お客さんに説明するにあたって、勘所なんかをですね、間宮先生に伝授いただければと思っております。」
下山はそう少し大仰に言うので、都は思わず苦笑いしながら、よろしくお願いします、と軽く頭を下げた。下山と岸谷も、よろしくお願いします、と同じように頭を下げて返した。
都は、岸谷からシンクライアント端末を借りて、タッチパッドを使って2枚目のシートをクリックした。そこには既存のネットワーク図が貼り付けてある。
「えっと、まずこれもらったお客さんの既存ルーターのコンフィグから起こしたネットワーク図なんですが…。」
「え、これ一から起こしたんですか?」
下山が話を割って聞いてきた。
「はい。そうですよ。」
「おー。すみませんねえ…。営業の作った簡単なやつでも良かったのに。」
下山は申し訳なさそうに言った。
「あれでも良いかな、と思ったんですけど、IPとかルーティングとか、書き込むにはちょっとスペースが足りなかったりしたので。」
「間宮さんっていつもこんな細かいネットワーク図作っているんですか?」
都の説明にすぐ繋ぐように、岸谷が聞いてきた。
「うん、基本的にはそうしてるよ。何かトラブった時に、ネットワーク図広げて、あの拠点のLANはこのルートで、とか、トレースルート取った時に、ログ見て、ネットワーク図のIP辿って、ちゃんと意図通り、とか、あれ、おかしな経路通っている、とか分かりやすいし。」
都は、少し身を乗り出して、自分のシャープペンシルを指示棒のように使い、ネットワーク図上の、ある拠点のLANを丸で囲ったり、適当な拠点から適当な拠点まで、辿るような線を空中で描いたりして、しゃべった。
「頭の中でネットワーク図描ければ、いらないんだろうけど、あたしにはそれちょっと難しくて。あと、ネットワーク図はちゃんと描いておくと、何かと便利だし。書いている間に、ああ、こうなってるんだ、と改めて気づくこともあるしね。まあ、こんなに細かく書かなくても良いかもだけど。」
今回の既存のネットワーク図は、お客のルーターからもらったコンフィグから、既存のネットワークのトポロジー、拠点のLANサブネット、拠点ごと、またはネットワーク全体としてのルーティングを把握、理解するために書いたところもあるので、少し書き込みが細かくなっている、と都は付け足した。
「で、いただいたコンフィグから、うちのSEがネットワーク図起こしたので、理解に間違いがないか、確認をお願いします、とでも言ってもらえますか。」
既存ネットワークに対して、都たちがどこまで知っていなければいけないか、と言うのは微妙な問題だ。本来であれば、都が勤めるこのキャリアで、新規に構築するネットワークについて、必要なパラメーター情報をヒアリングし、その情報に基づいてのみ、設計、コンフィグする。実際にお客でLANを切り替えて、上手くいかなければ、都たちはヒアリングに基づいた設計をしていることと、その通りの挙動をしていることだけを確認する。それでも切り替えが上手くいかないのであれば、あとは客の責任範囲の問題だ。切り戻し判断を仰ぎ、その日は切り戻しで終了、後日お客内で再度切り替え設計について検討してもらうで良い。
しかし、そんな杓子定規にはいかなくて、既存の自前ネットワークや、別キャリアのネットワークからのマイグレーションの、移行設計をそもそもどうしたら良いかと、無償で相談を持ちかけられることは多い。それは本来断るべきなのだが、営業上の都合で押し込まれてしまったりする。断ることが出来たとしても、実際のLAN切り替えが、お客のマイグレーション設計の不備で上手くいかないと、切り戻しになってしまい、こういった切り替えは土日や夜間に実施されることが多いので、何度も土日や夜間の出勤を余儀なくされる。早々に終わっているはずのプロジェクトが長い間終わらず、そんな中でも新しいプロジェクトには次々とやってくるので、結果的に稼働も増えていってしまう。そしてそのプロジェクトに対しての集中力もなくなってきて、最後の最後で、こちら側のミスでトラブルを起こすということにもなりかねない。
今回は、既存ネットワークのお客ルーターのコンフィグをもらっていることもあり、新規ネットワークに必要なパラメーターを抜き出すだけではなく、現状のネットワークのトポロジー、ルーティングも把握しておけば、万が一お客からマイグレーションの移行設計について、助言を求められた時も、それほど稼働をかけず、一言二言何か意見を出すこともできるし、実際にLAN切り替えで問題が発生し、都たちが構築する新規ネットワークの方で何も問題がなく、お客の方で手詰まりになり、こちらへ助言を求められた時も、既存ネットワークと新規ネットワークの接続で、問題になりそうなところも把握しやすくなり、トラブル原因をこちらで発見できることもある。
「それで、次のシートに、うちの構築が全部終わって、マイグレも終わった後の、ネットワーク図が貼ってあります。こちらは構成だけ理解に齟齬がないか確認してもらえれば、です。」
都はスプレッドシートの次のシートを表示させてから言った。こちらも、本来であれば、マイグレーション後は、バックアップとして使用する、お客構築のインターネットVPNは、描画する必要はないのだが、全体のネットワーク構成としては、構築上意識しておく必要もあるし、また、保守に入ってからも、バックアップとしてお客構築のインターネットVPNがあるということが、情報としてあった方が良い。保守は構築をしたわけではないし、全てのお客のネットワークの故障や不具合に対応しなくてはならないので、個々のお客のネットワーク構成や事情などをいちいち頭に入れているわけにはいかない。このヒアリングシートは、お客とのパラメーター確定後、そのまま設計情報として、保守のデータベースにも格納され、故障不具合の対応時に、保守担当者によって参照されることがある。その際、ネットワーク図にお客構築のバックアップネットワークがあることが、一目でわかった方が良い。
「あー。お客のバックアップも見えるのは良いですねえ。」
「すごーい、さすが間宮さん!」
下山と岸谷は感心していた。下山は中身をわかって感心しているようだったが、岸谷は、いろいろ書き込んであるのに、整理されているように見えて、そのことに感心しているようだった。都は謙遜を表してから、次のシートをクリックして、説明を続けた。
「で、次はいつもの各インターフェイスのIPアドレスアサインですね。おそらくLAN側のIPは、既存のルーターのLANIPと同じサブネットからのアサインになると思うので、既存のルーターの箱も作って、それと並べて、各ルーターの箱を作りました。で、一応全部、デフォルトゲートウェイ冗長プロトコルで、メイン・バックアップを取るんだろうと想定して、そのパラメーターも埋めてもらうよう、箱作ってあります。で、本社拠点は今LAN側にOSPF回っているので、もしかしたら、デフォルトゲートウェイ冗長プロトコルいらないかもですが、その時は、N/Aとでも記載しておいてください、とかいろいろ吹き出しに書いてあります。WAN側は、24ビットマスクのアドレス空間一つもらえれば、こちらでアサインします、ということも書いてあります。」
都は、カーソルで、あちこちのセルや、吹き出しを囲みながら喋った。
「おー。既存のルーターまで書いてくれたんですねえ。これはお客さんにはわかりやすいですねえ。ありがとうございます。」
下山は感心して、都に礼を言った。
「こうやって、既存のルーターがお客さんのものの時も、既存ルーターのインターフェイスのIPとか書いた方が良いんですか?」
岸谷が聞いてきた。その聞き方には、新人が先輩のやり方を吸収して、自分の仕事に活かしていきたいという一生懸命さが見て取れて、微笑ましかったし、こうやって都を頼ってくれることが、嬉しくもあった。
「ううん。そんなことはないよ。普通は、あたしたちが提供する客宅ルーターのパラメーターだけの箱で良いと思うよ。ただ、今回って、お客さんの既存のルーターのコンフィグもらっちゃったし、それに、あたしたちは普段このヒアリングシートしょっちゅう見てるから、慣れちゃってて、どこに何入れる、ってあまり悩まないけど、初めて見る人はきっと、なんだこれ?って感じだと思うんだよね。だから、お客さんがもともと使っているルーターのコンフィグだと、こんな感じになるんで、それに倣って、新しいルーターのパラメーター入れてくださいー、って見られればわかりやすいかな、と思って。ディザスタリカバリの拠点だけは、全くの新規だけど、こうして他に比較例があれば、入れやすいだろうしね。」
岸谷は、初めての人はなんだこれと思う、と言うくだりで、そうですねー、と大きく頷いていた。まだ会社に入社して半年だから、このヒアリングシートを最初に見たときの印象が強いのだろう。
「あー。そうだねえ、確かにこうしておけば、既存との比較でどこに何入れるかわかりやすいかもねえ。」
下山が感心すると、岸谷もそうですね、と続けていた。
「で、次はルーティングなんですけど。」
都はそう言って、次のルーティングのシートを表示させた。
「WAN側は、BGPなので、既存と並べて比較する、と言うのはちょっと難しかったので、もう、各拠点の空箱だけ作って、ぞれぞれAS番号と、それぞれの拠点から網へ広告必要なサブネットを記載してください、みたいなので良いかなと思います。AS番号は特に希望がなければこっちでアサインします、って吹き出しに書いておきました。一応、下に現状のWAN側スタティックルーティングについては、別セクションみないな形で作ってはあるので、参考までにー、って感じで。」
都は、WAN側ルーティングの、BGPセクションと、スタティックのセクションとをそれぞれ、それが画面の中心になるようスクロールで動かしては、カーソルで対象部分を丸く囲みながら話した。既存と並べて比較するのは難しい、というのは、例えば本社拠点のBGPで広告すべきなのは、自分のLAN側のサブネットだが、スタティックルートでWAN側に向けるべきは他拠点のサブネットなので、スプレッドシート上でサブネットのセルだけ並べてしてしまうと、真逆の記載になってしまう、ということだ。ルーティングをわかっていれば問題ないだろうが、BGPに不慣れなIT担当者は混乱する恐れもある。LAN側の構築を主な生業としている、SIベンダーのエンジニアで、L2はとんでもなく詳しいのに、BGPは全くもってわからない、という人は珍しくない。
「LAN側のルーティングについてですけど、既存の本社拠点はOSPFが回っているので、一応既存のそれとの比較ができるように、既存の列と、新規の列とを作りました。有効にするネットワークとか、エリアなんかは同じだと思うので、値は埋めてしまって、確認だけお願いしてもらえれば良いかと思います。あと、既存はWAN側に切っているスタティックルートを再配送しているのですが、これと同じようにするには、BGPをOSPFで再配送することになるので、もうそのつもりで、ここも埋めてしまっています。新規のディザスタリカバリの拠点だけは、どうするのかわからないので、こちらは、本社や他の拠点に倣って、パラメーター入れてください、になります。」
都はLAN側ルーティングのセクションの、本社拠点の部分をカーソルで囲みながら言った。
「で、吹き出しにも書いたんですけど、既存のルーター、ただスタティックを再配送しているだけで、特にメトリック操作とかやってないので、あたしたちのルーターでも、何の操作もせずに、BGPを再配送することにしてます。こうしておくと、お客さんのLAN内の中では、あたしたちのルーターから再配送したルートが勝つことになります。」
「あー…。デフォルトだとBGPの再配送ってメトリック1なんだ。で、スタティックはデフォルト20だから、うちの再配送が勝つ、と。」
下山はホワイトボードに映し出された、OSPFセクションの横の、吹き出しの文章を読んで言った。
「はい、そうです。なので、もしルートによって重みを変えたいとか、いや、お客さんの再配送の方が勝つようにしたいんだよ、とかあれば、ポリシー作って当てないといけないので。その辺の確認をお願いして欲しいです。あと、デフォルト設定のままなので、メトリックタイプは2です。LANがどれくらい深いトポロジーなのか見えないので、もし、送信元のソースから、うちのルーターまで到達するメトリックと、既存ルーターまでのメトリックに大きい差があると、想定したメトリック通りにルーティングされないことがあるので、ご確認お願いします、とか書いてありますので、こっちも一読してもらうよう、お願いしてください。」
都がそう言うと、下山と岸谷とが、同時にはーいと返事をするので、思わず3人で笑ってしまった。
「何これ、学校?」
「そうですよ、間宮先生ですからね。」
都がふざけてそう岸谷に振ると、即座に岸谷から返ってきた。下山も、そうだね、と笑って同意している。都は、否定してから次へ進んで、他の拠点は接続セグメントしかないか、スタティックが一行あるかだから、スタティックのある拠点は、お客さんルーターと同様の設定で良いか確認して欲しい旨、話した。
「あと、拠点からのインターネットアクセスって、おそらく本社から出て行く、で良いとは思うんですけど、もし、お客さんの既存のルーターからインターネットに出て行くようにするのであれば、あたしたちのルータのLAN側に、お客さんのルーターに向けて折り返しのデフォルトルート切った方が良いのかとか、その他何らかの理由で、LAN側に向けたいルートとかあれば、LAN側スタティックルートの欄に追記してください、になります。」
都は連続で喋ったので、ちょっと喉が枯れてきて、軽く咳払いしてから次へ進んだ。普段あまり喋らないので、たまに長く喋ると、顎も疲れてきてしまう。それだけ人と関わららないようにしているんだと、都は自分の人付き合いの苦手さに、呆れるとともに可笑しさを覚えた。
「で、次はトラフィックフィルタリング用のアクセスリストですけど、現状LAN側には何もかかっていないようなので、空欄だけ作ってあります。必要であれば、パラメータ入れてください、ですかね。もし、まあ、聞かれないとは思ってますけど、WAN側にセキュリティのため何か入れな行くて良いのかと聞かれたら、お客さんが現状WAN側に掛けているようなものは、閉域網なので不要です、だけ言ってもらえれば良いかと思います。」
「まあ、確かにそれたまに聞かれますねえ。その辺はもし聞かれたら、閉域網ですから、インターネットには繋がっていません、と言っておきます。」
下山は同意を示してそう挟んだ。
「あとは、QoSですけど…。」
都はそう言いながら、優先制御のシートを開いた。
「下山さん、このお客さんって、何のためにQoS入れるかって、聞いてます?」
都は説明をする前に、一旦下山に聞いた。日本語では優先制御、ネットワーク業界では一般的にQoSと呼ばれる、回線輻輳時に重要なトラフィックが破棄されないよう保護する仕組みのことをそう呼ぶ。構築に落ちてきた、新しいお客のオーダーを見て、優先制御が有りになっている場合、ヒアリングシートをそのつもりで準備してみるのだが、お客がそもそも優先制御とはなんだと言う質問から入る場合が少なくなく、決して無料のサービスではないわけだし、パラメーターについてはお客で記入するしかないのだから、申し込み時にある程度の理解が必要なのだが、一から説明したり、お客がどうしたいのかを聞き出し、こうした方が良いだろうというコンサルティングから始めて、パラメーターも都たちで作るようなことも珍しくない。ヒアリングシートに細かく説明書きを書いてしまうと、説明書きだけで埋まってしまうので、ある程度は優先制御をわかっていて、こんなトラフックを保護したいと言う目的がある、ことを前提とした注意書きに留めている。
「あー。そうですねえ。優先制御有りでしたね。いやー…。具体的に何を優先したい、ってのは聞いてないですねえ。」
下山は背中を椅子の背もたれに預け、プロジェクターが映すQoSのシートに目をやり、腕組みしながら思案顔で言った。
「まあ、とりあえず普通に説明してみますよ。それで何か聞かれれば、答えられることであれば、その場で答えて、答えられないことであれば、SEと相談します、と言って持ち帰りますので、そうなった時はよろしくお願いします。」
最後の方は少し笑ってしまいながら、下山はまた変に恭しく言うので、都は笑ってしまいながらも、承知を返した。岸谷も都の隣で、都の方に顔を向けたまま、頭を下げて、お願いします、と言っていた。
「じゃあ、いつも通り、優先制御のクラス、一応サービスとしては、デフォルトクラス除いて3つなので、全部使うのか、とか、プレシデンス値は何使いますか、とか、あとはクラス毎の割り当て帯域どうします、とか…。」
都は各項目のブロックを、カーソルで丸く囲んで喋っては、次のブロックへカーソルを移動して、また丸で囲みながら喋る。優先制御クラスの方をざっと喋って、次は、IPプレシデンス値のマーキングのために、対象パケットを引っかけるアクセスリストを記入する欄へ移ろうと、表示をスクロールしようとしたところで、都は、岸谷が都の手元を見ているのに気がついた。カーソルを動かすために、岸谷のシンクライアント端末のタッチパッドを、都の左手の中指が撫で回しているのを見ていたようだ。
「どしたの?」
都は、ごく普通に聞いてしまった。
「んー。いやー。さっきからなんかー、撫で回してるなあ、って思ってー。」
岸谷も、ごく普通に返してきた。
「何それ!」
都がちょっと驚いたように言うと、岸谷は破顔していた。下山も都と岸谷のやりとりが可笑しかったらしく笑っていた。