11-01

2022-01-24

11-01

 9時半が業務開始時刻の定時だが、課長クラスのマネージャー陣はそれよりも早く出社して、マネージャー同士のみの打ち合わせをしている。都は、電車遅延がなければ、定時の20分前には出社しているようにしているので、何かマネージャーが都に用事があっても、9時半を過ぎなければ、声をかけられることはないし、大抵の場合、9時半からは課長クラスのマネージャーと、その下のマネージャークラス、あとは各チームリーダーとの会議が30分くらい毎日あるので、都のような派遣社員がマネージャーに何か声を掛けられるのは、早くても10時以降になる。
 日曜一日しか休んでいないと、仕事のエンジンが掛かるのが早い気がする。「仕事モード」とかよく言われるが、それにすんなりと入ってしまえる。あまり気持ちがリセットされていない、ということなのだろう。土日が休みではない仕事をしている人が、二日連続で休みがあるより、三日働いて、一日休み、二日働いて、一日休む、の方が良いというのは、こういうことなのだろうか。土日を連続で休むと、日曜日で仕事に対する姿勢というのは、すっかり体制解除されてしまって、月曜は一から作り直し、ということで、今一つ仕事への取り組みに気持ちが乗ってこなかったりするのかもしれない。
 メーラーをチェックしていると、金曜のかなり夜遅い時間に、海外オフショアセンターから来ているメールがあった。現地キャリアによる新規回線の敷設が完了した拠点について、WAN開通作業日が、現地お客と調整ついた、というものだ。時差はあるが、海外オフショアセンターのある地でもそれなりの時間だ。都がCCされているこのメールの内容は、とあるお客の、南アジアの既存拠点の回線引き直しプロジェクトについてのものだ。東京でSEがつく案件なので、設計は都がすることになる。
こちらから問い合わせたことに、すぐリプライをよこさない、こちらが依頼した通りにやらない。プロバイダエッジルーターにしても、客宅ルーターにしても、設定間違いが散見される。そういったことが目に付くから、日本人的な真面目さが全く伺われなく、日本的な品質水準を維持できる体制にないと言われて久しいのだが、こうやって、どう見ても現地の遅い時間に、プロジェクトの重要なマイルストーンについて、きちんと報告してくることもあり、決して仕事に不熱心だというわけではないのだ。
 確かに、他にトラブった案件対応があって、業務が遅い時間まで続き、ついでにこの件についてもメールを書いただけといえば、そうかもしれない。しかし、トラブル対応でそんなに遅い時間まで仕事になったのなら、この都がSEをしている案件については、週明けにでも連絡すれば良いだろう。これはそれほど急かされている案件ではない。数年毎の契約更改ついでに、回線を引きなおせば、月額料金が下がるから引き直すという、構築側にしてみれば、無暗に稼働だけ増える、回線引き直しプロジェクトだ。現状使えている回線もあるので、現地お客も特に急いではいない。こういう本社のコスト削減施策で回線引き直しになる場合、現地お客がその辺の事情を理解しておらず、また、していたとしても、専用回線を引くというのは、それなりに現地お客に稼働がかかるので、この忙しいのに、なんだと、非協力的であることも少なくない。そのためPMは苦労が多いのだが、実際のデリバリーを担当している海外オフショアセンターは、もっと苦労しているだろう。こちらから見ると、本当にちゃんとやっているのかどうか疑わしくしとも、だ。だから、普段のレスポンスの即応性のなさから、仕事に対する態度も疑ってしまいがちなのだが、彼らは彼らの仕事文化の中で、結構ハードワークでやってくれているのではないのか。文化の違いからくる、理解の齟齬は恐ろしいものがあるかもしれない。時々都はそう思ってしまう。
 そのWAN開通は、日本時間明日の夕方からだという。PMは岩砂だ。あとで岩砂に、WAN開通も付き合うかどうするか聞かないといけない。トラブっているものだったり、開通が遅れに遅れているものだったり、あるいは、お客の事情で一日でも早く開通させないといけないものだったりすると、WAN開通に東京のSEも張り付いて、海外オフショアセンターが手詰まりなようなら、こちらから対策案を出したりしたりする。WAN開通は海外オフショアセンターの責任区分範囲なので、あまり口を出すと、向こうが気を悪くしたり、モチベーションが下がったりするので、気を遣わないといけないから、手出しのさじ加減は難しい。そのため、極力WAN開通は海外オフショアセンターに任せっきりにした方が良い。もちろん、東京でSEを置く案件であれば、WAN開通後、客宅ルーターのログイン情報はもらえるので、そこから回線の品質を確認したり、じっくりやることは可能だ。
 この南アジア拠点の、WAN開通およびLAN切り替え用のコンフィグは作ってあったはずだ。都はこのプロジェクトの共有フォルダに入って、当該拠点のフォルダを開いた。コンフィグ、という名前のフォルダの中に、都が作ってアップロードしたものがあった。それをデスクトップへダウンロードして、中身をチェックしようと思ったところで、誰かが用ありげに、都の背後に近づいてきたのがわかった。
 「間宮先生。」
 振り返ると下山が、いつものように大仰にというか、変に恭しく声をかけてきた。隣には岸谷がいた。
 「おはようございます。」
 都は二人に挨拶をした。下山も岸谷も挨拶を返してくれた。
 「間宮さーん!」
 「岸谷さーん!」
 一日ぶりの再会なのに、なぜか久しぶりの再会を喜ぶかのように、岸谷は両手を広げて、都の名前を呼ぶので、都も調子を合わせて、座ったままだが両手を上げて岸谷の名を呼んだ。二人で両手を指と指を噛み合わせて握り、いえーい、だか、やーん、だかよくわからない声を小さく二人で上げて、何やってんだろうと笑いあった。岸谷の手は冷たかったが、柔らかかった。
 「また随分仲良くなりましたねえ。」
 下山は大げさに感心して笑っていた。
 「はい、激動の11時間を二人で戦い抜きましたから!」
 岸谷は、都の握った手を自分に少し寄せながら、自慢げに言った。通る声なので、周りの島の人が数人振り返っていた。都はちょっと恥ずかしかった。
 「あれ?なんですか、みんなで間宮先生に用事ですか?ここに並んでれば良いですかね?」
 その後ろからやってきたのは、岩砂だった。若干わざとらしく驚いて、下山の後ろに並んでいる。都と岸谷はまだ両手を握り合ったまま、笑ってしまった。周りの島の派遣社員が数人、ふざけて、じゃあ俺も並ぶか、と言って岩砂の後ろに列を作り始めた。
 「あー、なんかちょっと混んでるねえ、何、最後尾ここ?」
 今度は末谷がやってきて、列の一番後ろに並んだ。岸谷が可笑しそうに、大きい声を出さないようにして笑っていた。岩砂と下山が、お先にどうぞ、と末谷に列の並びをスキップするよう促した。末谷のスペースを作るため、両手を合わせて手を繋いでいた都と岸谷は、繋いだ手を解いて少し離れた。
 社員同士、派遣と社員で話しているところへ、課長クラスの人間が話しかけてくると、基本的に社員や派遣社員は会話を中止し、緊急性のあるなしによらず、課長クラスの人間の話を優先する。都はこのビジネス慣習に少し納得がいかない時があるが、実際問題、課長クラスの人間は多忙で、一つ用事を片付けて、次、では間に合わないのだろう、3つくらいの用事を、マルチタスクで同時に進めているような慌ただしさが常に感じられる。稀に、都の方から末谷に用事があって、タイミングを計って声を掛けても、後にしてくれと断られることは多い。それでも、中堅以上の社員や、マネージャークラス以上の人間からの声掛けには、すぐに対応しているので、結局、都は派遣だから後回しになっているのは事実だ。しかし、それは派遣だから見下しているとか、軽んじているとかそういうことよりも、仕事の優先度はどうしても付けざるを得ず、それがしっかりと出来ているからマネージャーをやれているのだ、と言える気がした。
 「間宮さん、ごめんね、間宮詣で忙しいのに。」
 末谷の間宮詣、という言葉に、周りの何人かが反応して、その言葉を復唱すると、ふざけて列に並んでいた、都の席の近くの派遣社員が、じゃあ、拝まないと、と言い出して、都に向かって手を合わせて拝むポーズを取り出した。それに倣って、用もないのに並んでいた派遣社員や、岩砂、下山、もちろん岸谷も、都に向かって、手を合わせて一礼をするポーズを一斉にし出した。
 「ちょっと!やめてー!」
 都は立ち上がって、笑いながら手を振って制するしかなかった。
 「さすがみんなに敬われてるねえ。」
 「違います!」
 末谷が変に悪乗りするので、都は即座に否定したが、悪ふざけとはいえ、本当に都を持ち上げようとしてやっているので、都は汗が出てくるし、顔が火照ってきてしまう。
 「あ、それでね、後で良いので、ちょっと先日の土曜のオンサイトについて話を聞きたいから、この迷える子羊たちの指南が終わったら、声かけてもらえる?」
 末谷は、遊んでいる暇がないくらい忙しいはずだが、まだ少し周りのふざけた空気に付き合っていた。
 「わかりましたけど、それも違いますよ!」
 都は了解を返しつつ、末谷の冗談に否定もするので、末谷にきちんと了解を返せているのかどうか少し不安になったが、末谷は笑顔を返して軽く会釈して戻っていった。
 「えー。あたし迷える子羊だからー、ちゃんと導いてくださいー。」
 岸谷は、両手で都の左手を握りながら、明らかにふざけているのがわかるような、懇願する調子で言った。
 「ほら、やっぱり拝まないとね。」
 都の周りに集まっている連中に、さっきふざけて都に拝むよう扇動した派遣社員がまた言った。
 「やめなさい!」
 都は、彼が言い終わらない内に被せ気味に言ったので、そのテンポに周りが笑っていた。この笑いがきっかけで、ふざけた集まりが解散になり、ようやく本題に入ることが出来るようになった。
 「…で、下山さんと、岸谷さんは、あれですよね?CJの件ですよね?あと、岩砂さんは、えっと、WAN開通決まったやつですか?」
 都はそう言うと、顧客名と、拠点都市名を言った。下山と岸谷の用件の方が長いだろうと踏んで、まずは岩砂の用事を聞くことにした。
 「そうです、そうです。明日、夕方からで申し訳ないんですけど、見てもらうことってできます?」
 岩砂は、自分の用事の方が、下山と岸谷の用事よりも、手短に済むという都の想定を察して、用件を少し早口で言った。WAN開通を見る、というのは、朝、メールを見たときに都が思った、WAN開通に付き合う、ということと同義だ。実際の開通作業は、海外オフショアセンターでやるものの、東京でも疎通などをモニターしておき、開通したら、プロバイダエッジルーターや、客宅ルーターのコンフィグに間違いはないか、などをチェックし、また、回線に問題はないか、軽い試験を東京のSEでも実施する。この案件は東京でSEを置く案件なので、LAN切り替えのためのコンフィグは、東京で作り、設定するので、もし無事開通したら、LAN切り替えに備えて、事前に用意してあるコンフィグを流し込む作業もある。
 「はい、大丈夫です。見ます!一応、スケジューラー入れておいてもらえます?」
 「ありがとうございます!入れときます!」
 都の了解に、両手を脇に揃えて、少し会釈をしつつ、岩砂は勢いのある調子で返した。
 「…で、CJの件ですけど…。岸谷さん、いつまで手握っているの?」
 岸谷は未だ両手で都の左手を握ったままなのだが、それでも眼差しは真面目に仕事をしています、という色をしているので、そのギャップが可笑しくて都は笑ってしまいながら言った。
 「間宮さんが、迷える子羊を導いてくれるまでですよ。」
 しれっと、何でもないことのように岸谷は言うので、都はまた笑ってしまった。それでも、岸谷が手を離してくれないことが、何となく都は嬉しかったし、冷たかった岸谷の手は、少し暖かくなっていた。
 「そーなんだ…。えっと、で、何でしょう?」
 都は岸谷に手を握られたまま、とりあえず下山に聞いた。
 「明日ですね、私と岸谷と、あとは営業とで、お客さんのところに行ってですね、まあ、挨拶と、今後プロジェクトを進めるにあたって、お客さんで気をつけてほしいことなんかを話してこようと思ってます。」
 都は、下山と岸谷とでお客訪問をすることは聞いていたが、明日に決まったということのようだ。
 「で、ヒアリングシートって、もう出来てたりします?出来ていればですね、ついでにヒアリングシートもちょっと説明してこようかな、と思ってまして。」
 下山はそう続けた。下山と岸谷とのお客訪問前までに、都がヒアリングシートを完成させていれば、二人が訪問時、ヒアリングシートについてもお客に説明もしてくる。それは最初の打ち合わせで聞いた話だ。都は、その時にあった方が間違いなく良いので、二人のお客訪問には間に合うようにと、先週の金曜日の夜に完成させてあった。
 お客が初めて、都が勤めるこのキャリアを使い、グローバルMPLSを導入する場合、ヒアリングシートのどこに何を記入するのかという質問は、どうしても多くなる。出来るだけ分かりやすいようにと、スプレッドシートの記入してほしい箇所に、吹き出しをつけて、解説をつけたりするのだが、ヒアリングシートを記入するIT担当者が、レイヤー3に詳しくても、詳しくなくても、記入箇所の多いヒアリングシートは、初見では戸惑うことは多い。このわかりづらさは、ヒアリングシートだけメールで送られてきた場合、ややこしいものをただ送ってきた、という印象を与え、記入する工程はお客にとってのストレスとなり、回線進捗について、お客が寛容でなくなってくるという悪循環にもなる。初めてのお客には、ヒアリングシートについて、顔を合わせて一度説明しておくことは、お客との信頼関係の醸造にもなるし、お客のストレスの軽減にもなる。
 「あ、はい、ヒアリングシート、もう出来てますよ。」
 「さぁすがです!」
 下山は大仰に感心した。都は空いてる方の手を振って、謙遜を示した。
 「じゃあ、ちょっと今日、どこかでヒアリングシートの中身について、私と岸谷に説明してもらって良いですか?」
 「了解です。いつやります?」
 三人で、何時頃にするかと、話になった。都は、今日は特に工事もないので、いつでも良かったが、社員の二人は、所々に打ち合わせなどが入っている。社員というのは、どの会社でも概ねそうなのかもしれないが、打ち合わせやらミーティングやらが多い。都はSE業務専任の派遣社員なので、あまり定常的なミーティングに参加することはないが、それでも、たまに参加させられるミーティングには、これって本当に時間割いて人集める必要あるのか、と思うものもある。メールを回して、意見照会や対応を依頼するだけでも済むのに、というのも多い気がしていた。
 岸谷のスケジューラーを覗いても、結構打ち合わせが入っている。まだ入社して半年なので、それほど多方面の業務に精通しているわけでもないし、アサインされているわけでもないだろうが、逆に抱えている仕事もまだそんなにないのだから、業務や会社のやり方というものに慣れるためにも、とりあえず出ておけ、のような感じなのだろうか。
 「じゃあ、岸谷さん、午後のどっかで、スケジューラーの三人で空いている時間探して、1時間くらいで良いと思うんで、スケジューラー送ってもらえる?」
 下山は岸谷に依頼した。
 「はい、承知しました。」
 岸谷は、いつものはきはきとした、躊躇や戸惑いといったものを感じさせない調子で、明るく返事をした。
 「じゃ、間宮さん、後程よろしくお願いします。」
 下山はそう行って軽く会釈した。
 「間宮さん、じゃあ、またあとでですね。」
 岸谷は一度両手で握った都の左手を軽く持ち上げて、首を少し横に傾げて笑顔を作ると、都の左手を解放してくれた。なんだ、このくだり、と都と岸谷は笑った。都の左手は急に外の空気に触れたように、左手が涼しく、寂しく感じた。やっと離してくれた、と職場で手を握られていることの恥ずかしさから解放された安堵と、離れちゃった、と奇妙に残念に思う気持ちとが混じり合う。
 「じゃあ、後程よろしくお願いします。」
 そう下山と岸谷は口々に言って、都の席の島から離れていった。都もお願いします、と返してから、わざわざ都の席まで来てくれたことに礼も言った。