09-11

09-11
オフィスのPM・SEによる、バックアップ側のWAN開通試験が終わるまで、都は平下と岸谷と話をして時間を潰した。平下は、都がスクリプトの間違いを発見して、すぐに直してくれたことを、都に感謝していた。都は、すぐに見つけたのはたまたまで、普段なら気が付けなくて、PMに投げるしかなかったかもしれない、と言ったが、岸谷はそれを否定した。
「そんなことないですよー。ほら、スーパーSEさん連れてきた甲斐が早速出たじゃないですか。」
岸谷は、都に寄り添うように、両手を都の左上腕に優しく当てて、笑顔で平下に言った。都は苦笑いで否定するしかなかった。都は、こういう凡ミスと言って良い、ちょっとしたコンフィグ間違いを、検証作業中に良くやってしまう。図も書かずに、ルーター3台くらいで、簡単な検証をする時は、ルーティングもIPアドレスアサインすらも、ターミナルソフトで、コンフィグを打ちながら考える。全然ダイナミックルーティングのピアが確立しないと思ったら、インターフェイスにアサインするIPのネットワークアドレスが違っていたとか、アサインするインターフェイスを間違えていたとか。それに気がつくのに、結構時間が掛かったりして、自分の間の抜けさ加減が嫌になるを通り越して、可笑しくなってしまいさえする。そんな調子なので、今回すぐ発見できたのも、たまたまでしかない。スクリプトを流し込む前に、事前共有鍵の適用先と、トンネルの張り先とがきちんと一致しているかどうかを、チェックしておくべきだったと、少し反省もした。ざっと見はしたが、きちんと確認していなかった。
平下が、エンジニアとして仕事をして何年くらいになるのか、都に聞いてきた。
「えーと…。6年になる、と思います。」
都は右手でサイドの髪を掻きながら、きちんと答えたものか一瞬考えてから、答えた。年齢を推測されるのがちょっとやだな、と思った。かと言って、変に隠すのはもっと嫌だった。
「え、そうなんですか?」
平下は、すごく曖昧な感じで言った。もっと経験豊富なエンジニアだと思ったなら、それはそれで老けていると思ったと取られることが懸念される。かと言って、結構長くやってますね、だとすると、取られようよっては失礼になる懸念がある。そう言った逡巡が見て取れた。岸谷はそれを見逃さなかった。
「え、平下さん、ちょっと、その驚きはどーゆー意味ですか?」
岸谷はいたずらっぽい光を大きな瞳に宿して、笑いながら聞いた。温度の高くなっているお客の、その本丸と言っていい、本社拠点にいるのだが、この子には良い意味でそういう緊張感がなかった。社会人としての経験が足りないから、と批判する向きもあるかもしれない。しかし、彼女のプロジェクトではないわけだし、あくまで現場作業員として、プロジェクト外の人間として来た時に、変にそのプロジェクトが持つ緊張に巻き込まれない方が得策なはずだ。プロジェクト関係者全員が、緊張で頭が固くなっている時でも、別の視点からであれば、有効なアイディアを出すことだって出来るだろう。都は、岸谷のこういう物怖じしない性格は良いと思ったし、プロジェクトマネージメントには必要だと思った。都は、石橋を三回叩いても渡らない、というくらい臆病なので、少し羨ましくもあった。
「あ、でもあたし、30になってからエンジニアになったので、遅いんですよ、始めたの。」
都は困った顔で苦笑いする平下に、助け舟を出すつもりで正直に言った。
「え、うそー、間宮さん、わっかーい!」
岸谷は最初大きい声で驚きそうになり、両手で口を覆いながら、声をひっくり返して言葉を繋いだ。平下は急にビジネス口調が外れ、めちゃめちゃ若くないですか、と言って来た。都は手を振りながら、そんなことはない、と否定はするが、内心快哉を上げたいくらい嬉しかった。今夜母親に電話して自慢しようかと思ってしまう。
若く見える、ということに抵抗がある人もいる。それは、人生経験が浅い、生きて重ねて来たものが軽い、苦労をしていないと言った、ネガティブなことも含んでいるのだ、と捉えてのことだ。そういうものをきちんと重ねた、大人の女として見られたい。そういう女子は結構多い。若く見られるのが苦痛だと言いさえする。都は半分は理解できるが、半分は同意しかねた。同意しかねるのは、結局都が、浅い人生経験しかなく、生きて重ねて来たものもないし、大した苦労もしていないから、そう思うのだ。そう言われてしまうと、そうかもしれないと、首肯せざるを得ないところもある。けれど、背も低く、童顔に生まれついた自分から、自分はそうであると思っている、可愛らしさが失われてしまったら、一体何が残るのだ。そんな年齢を重ねるごとに絶望的になっていく不安が都にはあった。しかし今の時代は、50過ぎても可愛らしい女性はたくさんいるので、自分もそうなるのだと、楽観的に考えてもいた。実際、都の母は七十過ぎても可愛らしい。都は、その長女であると言うことで、安心を得たりする。
話し込んでいたら、平下の携帯が鳴った。電話はPMの小屋敷からだった。バックアップ側の、WAN側の試験は完了したので、本社拠点と、対向の海外拠点の両拠点で、LANの接続に進むことをPMと確認していた。電話を切ると、平下はお客に報告に行くから、この場で待機してくれと言い残して、少し小走りににラックの間を抜けて行った。ばたばたと、フリーアクセスの床が鳴らす音がしたと思うとすぐに、サーバールームの扉が閉まる音が聞こえて来た。都は右手首を返して時間を確認した。11時を少し回っていた。
しばらくして平下が戻って来た。まずバックアップ側からLANを接続すると言う。しかし、強面のお客に限らず、お客が共通して着ている作業上着を来ている人間が、平下の後ろから誰もついて来ていなかった。
「間宮さん、申し訳ないんですが、ラックの下から伸びていて、テープで止めてあるケーブルが、お客さまのLANケーブルなんですけど、わかりますか?」
都はラックの正面からラックをざっと見渡したが、それらしいものなかった。ラックの裏に回って、しゃがんで見てみると、側面パネルの裏側に、RJ45プラグが頭を擡げるように、LANケーブルが養生テープで止めてあった。出処は、ラックの下に吸い込まれていて不明だった。
「あー。たぶんこれですね。ありますよ。」
都は言った。平下もラック裏に回り、都が指を差しているケーブルを見て、それです、と言った。
「申し訳ないんですが、そのケーブルを、ルーターのLANインターフェイスへ繋いでもらってもよろしいですか?もちろん、難しければ、差し込むべきインターフェイスを指示いただければ、私が差し込みますので。」
平下は、作業そのものの難しさを言っているのではない。本来、LANケーブルの接続は、お客自身で行わなければならず、現場作業員は出来ないことになっている。なぜなら、LANケーブルはお客の責任範囲であり、安請け合いして、LANケーブルを繋ごうと、少し引っ張りなどした際に、ケーブルが断線したとか、ケーブルの余長が思わぬ動きをし、他のケーブルにぶつかり、お客の電源やネットワークに甚大な影響を及ぼした、などの事態を避けるためだ。平下もそれは重々承知、と言うことだろう。
外部ベンダーであれば、こう言ったお客の責任区分範囲に及ぶような作業は拒否され、絶対に受けてもらえない。しかし、PM・SEのいるオフィスから現場作業員が出た場合、こう言った本来の責任区分範囲を超えた仕事を求められることは多い。都は、お客のLANケーブルを自分で設置したルーターに繋ぐことぐらいは、大前提で語られるリスクが全くないとは言わないが、頼まれればやってしまっている。そこで責任区分範囲の議論を、営業やお客としたところで、余計な時間を浪費したり、いたずらに現場の空気に緊張をもたらすだけだ。
「あ、全然いいですよ。ちょっと待ってください。」
都は軽く頭を下げて平下の前を通り、ラックの正面へ戻ると、PCの前にしゃがんで、スクリーンロックを外し、ターミナルウィンドウをクリックした。すでにルータからはログアウトしてしまっていたし、オフィスのSEがログイン制限をコンソールポートに設定してしまっているので、スクリプトにあるログイン用のクレデンシャルを使って入り直す。ターミナルウィンドウのログを取り続けていることを確認してから、現在時刻を表示させ、インターフェイスの説明文一覧を表示するコマンドを叩いた。バックアップ側のルーターはルーテッドポートだけではなく、スイッチポートも備えている筐体で、LANインターフェイスにどちらをアサインするかは、プロジェクトによったり、拠点によったりして異なる。筐体としては、LANインターフェイスにはスイッチポートを当てて、論理インターフェイスを作成し、それと紐付けてIPルーティングを担うような思想でデザインされてはいる。今回は、筐体の設計思想通りのアサインだ。全てのスイッチポートは解放されていて、全てのスイッチポートに説明文も書かれているが、一字一句同じで、お客のLAN用だと書いてあるだけだ。
「平下さん、これスイッチポートの何番にケーブル接続すれば良いか、わかります?」
都は、ラックの天板の向こうの平下を見上げながら聞いた。平下は何のことかわからないようだったので、都はラック背面へ回って、バックアップ側ルーターの背面の、8つのスイッチポートを指差して、これ全部がお客のLANポートとしてアサインされているので、どこへ接続しても良いように思えるが、指定があるのかと聞いた。平下は確認します、と言って、PMに電話を掛けた。会話の内容から、何処でも良い、と言うか、決めていなかったようだ。平下は電話で話しながら、都を見やり、都に判断を求めるような表情をした。
「じゃあ、7番に接続します。」
都はそう言いながら身をかがめて、首を傾げたRJ45プラグを持ち、養生テープを剥がした。そのLANケーブルを、ギガビットイーサーネットの7番へ接続する。ラッチがかちゃん、と音を立てて嵌り、ケーブルはすんなり接続できた。
「はい、今接続しました。」
平下は、電話を切らず、実況中継をしていた。都は養生テープを手で持ったまま、ラックの正面に戻り、しゃがみこんでPCを覗き込んだ。立ち上がっていた岸谷は、まるで都にくっつくように、一緒にしゃがんだ。そんな岸谷に、都は和んでしまいそうだったが、ターミナルウィンドウを見るのに集中した。ギガビットイーサーネットの7番がアップになったログに続いて、OSPFがアジャセンシーを結んだ相手から、LSDBのロードを完了したログも出ていた。LAN側ではOSPFを回していると言うことだ。
「あ、OKですか。はい…はい、わかりました。では、メイン側のLANを接続しますが、場所がちょっと離れているので、これから移動します。」
平下はそう電話の向こうに喋った後、挨拶をしてから電話を切り、都と岸谷に、メイン側のルーターの設置場所へ移動するので、荷物を片付けるよう言った。ドライバー類は待機中にすでに片付けてあるので、都と岸谷は、手分けしてPCの電源ケーブルとコンソールケーブルとを回収した。剥がした養生テープは、ルーターが梱包されていたダンボールの蓋の内側に貼った。
サーバールームから出ると、すぐ目に入る打ち合わせ卓には、まだ橋本と黒縁眼鏡の客、そして高齢の客とが座っていた。平下は、バックアップ側のLANケーブルを接続して、問題ないことをPMが確認したことと、これからメイン側のLANケーブルを接続する旨報告した。
「今のところ順調だな。」
高齢の客は大きなしゃがれ声で言った。平下は、引き続き問題なく終わるよう注視する旨、頭を下げながら言っていた。この一連の平下の挙動は、このプロジェクトがここまで来る間、いかにトラブルが多かったかを物語っていた。トラブルが多くて、そのフォローが上手くお客に伝わらず、お客の神経を逆撫でするような結果になり、細かい気配りが必要になってしまった、と言うこともあるだろう。お客の企業文化や、お客担当者のスタンスなどによっても変化するが、最初からキャリアやベンダーに対して、あくまで、お金を払っているんだから、客の言うことは何でも聞くべきだ、と言う態度で臨んでくる客と、インフラをともに構築するパートナーなのだ、と言う態度で臨んでくる客とがいるが、残念ながら前者の方が多い。
強面の客はもうアテンドはせず、平下がPBX部屋まで先導した。都がPCを床に広げて、USB変換ケーブルに繋いだコンソールケーブルを、メイン側ルーターの正面にあるコンソールポートに差し、ターミナルソフトを準備している間、岸谷は平下と一緒にラック背面へ行って、ラックの下の方に養生テープで止められた、LANケーブルを確認していた。都が設置時に見つけたやつだろう。
都はルーターにログインし、インターフェイスの説明文一覧を表示するコマンドを叩き、LANインターフェイスにはギガビットイーサーネットの0/0が当てられていることを確認した。当然、ギガビットイーサーネットの0/0は開放されており、状態としては落ちている。
「こっち準備出来たんで、LANケーブルをギガの0/0へ繋いでもらえますかー?」
都はしゃがんだままラックの裏へ声が通るように、少し大きめに声を出した。岸谷の、はーい、と言う返事が通る声で返ってきた。ラックの隙間から見えるのは、ラックの底から上の方へ伸びているUTPケーブルが揺れる後ろに、並ぶスーツ姿の男女の腹部や、岸谷のタイトスカートから伸びる白い脚だ。ケーブルを接続するために動くから、それらは揺れる。何となく卑猥な感じがして、都は変な気持ちになった。
「つなぎましたー。」
岸谷の声がすると、ターミナルウィンドウには、ギガビットイーサーネットの0/0が上がったログと、アジャセンシー相手からLSDBのロードを完了した、OSPFのログが吐き出されてきた。
「おっけー。あがったー。」
都は上がったことを確認出来たことを声に出して言うと、立ち上がった。これ以上しゃがんでいると、あれこれ自分で確認したくなってしまう。現場作業員として来ているのだし、既にオフィスからリモートで接続できる環境になっているのだから、基本的に現場では、頼まれない限りは何かする必要はない。手持ち無沙汰だからとか、ちょっと気になるからと言って、コンフィグを確認してみたら、どういう意図でそんなコンフィグにしているのかわからなかったり、ダイナミックルーティングの状態を確認したら、一般的に考えればおかしいと思われることも、設計上の意図でそうなっているかもしれないしと悩んだり、あれこれ気になってしまう。事前に詳細コンフィグを共有されていれば、ざっと目を通しておき、気になる点については、事前に担当PM・SEに聞いたりすることもあるが、今回は詳細なコンフィグについては事前に共有されておらず、ただオフィスのPM・SEがリモートから到達できるようにしてくれれば良いと言う依頼で、WANの到達性を確保するだけのスクリプトしかもらえていない。それはつまり詳細なコンフィグについては知らなくても良い、と言うことでもある。万が一、都が詳細コンフィグやルーティングの状態を確認して、気づきがあったとして、それをPM・SEに質問するとなると、そもそもその質疑応答に時間を消費してしまうし、まして、それを見ていたお客が、何か不具合があったと思うか、または、不明瞭な行動をしていると、お客の不信感を煽ることになりかねない。
ラックの裏から岸谷と平下が揃って出て来た。物陰から若い男女が揃って出てくるのは、隠れて何かいかがわしいことをしていて、一行為済んで出て来たようないやらしさがある。都は、そう勝手に感じ取って可笑しく思った。思春期の頃から、こういったおかしな妄想に入り込んでしまう悪癖が都にはあったが、仕事中に限っては、それはすぐに止まり、あっさりとまともな思考へ戻ることが出来た。根が真面目なのか、仕事中毒なのか、どちらかだ。
平下はPMに電話を掛け、メイン側もLANケーブルを接続した旨連絡していた。対向の海外拠点の方も、LANの接続が完了しており、都たちMPLSプロバイダとしては、状態は良好とのことだ。お客試験に入ってもらうようお客に伝えると言って、平下は電話を切った。