09-07

09-07
バッグの中から、コンソールケーブルと、それをPCにつなぐためのUSB変換ケーブルとを出して、ケーブル同士を接続する。USBの方はPCのUSBポートに差し、コンソールケーブルのRJ45端子は、ルーターのコンソールポートへ差さないといけない。コンソールポートへの差し込みは、岸谷に頼み、都はPCの前にしゃがみこんで、USBコネクタを、PCの左側のUSBポートへ差す。ターミナルソフトを立ち上げ、シリアル接続の選択肢にUSBポートがきちんと出ることを確認して、それを選ぶ。USB変換ケーブルは、都個人の持ち物なので、会社の持ち出しPCには、もともとドライバは入っていなかった。最初に自分のUSB変換ケーブルのドライバを入れた時、左側のUSBポートにつないで実行したらしく、他のUSBポートに差し込んでしまうと、ドライバの検索から始まってしまう。都は前日にこれは調べておいた。この後またしばらく現場作業員の業務がなければ、左か右かきっと忘れてしまうだろう。
ターミナルウィンドウにはまだ何も表示されていないが、ログの取得を開始する。ファイル名は、作業年月日とメインルーターの設置時のものということがわかるような名前にした。都は、付属品のルーターの電源ケーブルを拾い上げ、ビニール袋から出し、畳んであるケーブルを縛っているビニールタイを解いて、ケーブルを延ばす。このルーターの電源ケーブルの差し口は正面側にあるので、まずは正面の電源ケーブル差し込み口に、電源コネクタを接続する。都の背丈だと、電源コネクタをルーターに差し込むには、ちょっと力を入れにくい姿勢になるので、岸谷に頼んだ。コネクタの差し込みが少し固いので、ちょっと苦労していたが、きちんと差し込んでくれた。電源プラグをマウントレールと側面パネルの間に落とし込んで、側面パネルを這うようにケーブルを流す。
岸谷に、都がラックの裏へ行くので、声をかけたら電源ケーブルを渡してくれるよう頼み、都はラックの裏側へ回った。ラック側面パネルの裏、ラックの背面寄りに電源タップがある。左右両側に電源タップはあるが、強面のお客には正面から見た時に左側から取ってくれと言われた。裏から見た時は右側だ。都は指差して、こっち、と独り言のように言ってから、岸谷にケーブルを渡してくれうよう声をかけた。少し腰を屈めると、岸谷も腰を屈めていて、二人で目が合ってしまい、ちょっと二人で笑ってしまった。電源ケーブルは垂らしたまま、まだ何も刺さっていない、8つ穴の電源タップの、一番上のコンセントへ電源プラグを差した。少し斜めにひねってロックをかけるタイプのものなので、そうした。余長は少し畳んで、ビニールタイで縛っておく。
「よし、じゃあ、電源入れよー。」
都が掛け声のように言った。
「電源スイッチってこれでしたっけ?」
都がラック正面に戻ると、岸谷が、ルーターの電源ケーブル差し込み口の隣にある、スイッチを指して言った。
「うん。岸谷さん、電源おーん。」
都はちょっと軽い調子で言った。さっきラック越しに目が合って笑ったことで少し緊張が解れたようだ。
「いえっさー。」
岸谷もちょっと軽めな調子で言って、電源ボタンを押した。ルーターは甲高い回転音を出し始め、ルーターが稼働していることを示すLEDが緑色に点滅を始めた。都はPCの前にしゃがみこんで、ターミナルウィンドウを覗き込んだ。システムを初期化しているメッセージや、ルーターのOSをロードする記号の連続などが次々と出てきていて、順調に起動しているように見える。岸谷も都の隣にしゃがんで、一緒にPCの画面を覗いていた。
「あ、そう言えば、PMに到着連絡ってした?」
都は思い出したように聞いた。営業が同伴していると、営業が連絡をとってくれることが多いので、ついつい忘れがちになる。
「あ、してないです。」
岸谷はそれを忘れたからといって、今の段階では大したことではないことをわかっているかのように、落ち着いた調子で言った。
「PMの小屋敷さんですか?であれば私が連絡しますよ。」
営業の平下が割って入ってきた。海外拠点側のLAN切り替えなどもあるので、彼が一元的に連絡を取った方が良いと言う。確かに、岸谷と都はこの日本拠点のルーター設置の現場作業員としてだけ来ているので、話が海外拠点のLAN切り替えになった時は、営業に変わってもらうとか、営業から掛け直させるとかは面倒だ。温度が高くなっているお客であれば、現場の窓口は営業がワンストップで受けた方が、お客からの見た目も整理されているように見えて良い。お客も何かあれば、初見の現場作業員に言わなければいけないのではなく、おそらく今までも面識ややりとりのある営業に言う方がやり易いはずだ。
「あ、じゃあ、お願いします。現着したことと、今メイン側のルーターマウント終わって、これからWAN開通させます、と伝えてもらえますか。」
岸谷がどうします、と聞くような顔を都に向けたので、都が平下に答えた。平下は、わかりました、と丁寧に返事をしてから電話を掛けた。電話はすぐ繋がったようで、朝の挨拶と、今日一日よろしくお願いしますと言う挨拶の後、電話の向こうに都の言った旨伝えている。
ターミナルウィンドウには、対話式でルーターのコンフィグをするかどうか聞くメッセージが出てきた。ルーターはコンフィグが消された空の状態であることがわかる。都はそのメッセージにnキーを押してからリターンキーを叩き、対話式コンフィグをスキップする。空のコンフィグの読み込みが終了してから、リターンキーを数回叩き、空行を数行作る。さらに特権モードへ入り、また空行を数行作る。都はデスクトップを表示させ、デスクトップに置いてあるメイン側ルーターのスクリプトを開く。WANインターフェイス、プロバイダエッジルーターとのBGPピアリング、それにリモートログインに関連するもののみの、最低限のコンフィグだけを設定する簡単なスクリプトだ。WANインターフェイスには、ギガビットイーサーネットの0/1が指定されている。
「じゃあ、先にWANケーブル接続しちゃおう。」
「はーい。」
都がそう言いながら立ち上がったので、岸谷も返事をしてから立ち上がった。最後の付属品のLANケーブルを拾い上げて、包装しているビニール袋から出す。
「背面はラックの裏行かなきゃだね。ちょっと待って。」
都は自分のバッグの中から、私用のスマートフォンを出した。画面をロックしたままでも出せるメニューをスワイプして出し、懐中電灯を点灯させる。
「間宮さん、すみません、小屋敷さんから聞かれてるんですが、メインのルーターの、WANのリーチャビリティ取れるまでどれくらいかかるか、大体の時間って出せます?」
電話で話し続けていた平下が、都に聞いてきた。
「5分10分で出来ますよ。10分もかからないと思いますけど。」
黙って待ってろよ、と都は思ったが、こう言う時、リモートの担当者は待ち時間を長く感じるものだ。おそらく彼らは、専用端末の保守ルーターから、この客宅ルーターのWANインターフェイスに対するpingが繰り返されるマクロを、ターミナルソフトで回して待機しているのだと思うが、ただ待っているだけだと、pingの不達を示すピリオドの連続しか見えない状況は、ほんの数分でもとても長く感じる。
「あ、平下さん、すみません、PEのポートって開いてますか、って確認してもらって良いですか?」
電話の会話に戻った平下だったが、都は少し声を大きめにして構わず割り込んだ。担当PMの小屋敷は、現場作業中の作業員に直接電話を掛けたわけではないが、行為としては同様のもので、これは現場作業の妨げにしからならない。特にマウントの最中で手がふさがっている時に電話を掛けられると非常に困る。やり返すわけではないのだが、向こうが早急にこのルーターへの、リモートからの到達性を欲しがっているのであれば、これは聞いておかないといけない。こっちに早くしろと言っているんだから、もちろんプロバイダエッジルーターの、この客宅ルーターが接続する、このお客用の仮想ルーティングテーブルに紐づいたサブインターフェイスは開放されているんだろうな、という当然の確認だ。PEのポートが開放されていなければ、こっちが幾ら早く現場作業を完了させても、WANは開通できない。平下は、都を見て了解したと言う頷きだけ返して、話に一区切りついてから、都の質問を喋っていた。
その間、都と岸谷はラックの裏側へ行き、マウントしたルーターの背面を見た。ルーターの背面のポートは見えたが、回線終端装置のポートはルーターの影になってよく見えない。都は懐中電灯を照らして確認する。イーサーネットポートが背面に一つだけあるのが確認できる。
「間宮さん、PEは開いているそうです。」
平下がラックの側面から体ごと現し伝えた。開けっ放しになっているドアの向こうから射す日差しが、室内の明かりよりも強く、それがちょっとした逆光を作り、その良く似合うフィットした裁断のスーツと相俟って、格好良く見えるのが可笑しかった。
「ありがとうございます。念のため聞きますが、回線終端装置これであってますよね?」
都は一応聞いた。
「はい。それです。私、回線開通時立ち会ってるんで、間違いないです。」
平下は都を疑り深いと責めるのではなく、都の慎重さを評価したような口振りだった。
「念のため回線ID確認しましょうか。」
「あ、はい、お願いします。」
平下の提案に都は即答した。
「回線ID読み上げてもらえますか?あたし、終端装置に貼られた番号と照合するので。」
国内の回線IDは、グローバルMPLSの「回線」を意味する、プロバイダエッジルーターのポート単位で振られるIDとは異なる。それは海外キャリアの回線IDが、グローバルMPLSサービスプロバイダの「回線」IDと異なるのと同じだ。この回線は、プロバイダエッジのノードから客宅への、国内専用線だ。この国内専用線も、都の勤める会社がプロバイダではあるが、国内の専用線とグローバルMPLSでは、担当している部署同士が他社と言っていいほどの離れた関係で、回線に対しては別の管理方法、ID体系が存在する。
回線終端装置には、その専用線としての回線IDが印刷されたシールが貼ってある。都はマウントレールにつかまり、少しラックの中に身を乗り出して、懐中電灯でそのシールを照らす。平下が読み上げるものとそれが一致すれば良い。平下は自分のブリーフケースから書類の入ったクリアファイルを出し、一番上の書類を目で追い、これだ、とつぶやくように言った。
「では読み上げますがよろしいですか?」
平下はラックの向こうで言った。
「どーぞ。」
都が返事をすると、平下は3桁づつ読み上げた。回線IDは一致した。
「あってます。ありがとうございます。」
都はラックの向こうに向かって、ルーターの下から覗くように礼を言った。
「じゃあ、ケーブル繋いじゃおう。」
「はい。」
都は岸谷の方を向いて言うと、岸谷は軽く了を返した。
「じゃーあ、これを、ルーターの、ギガの01に差してもらっていいかな。」
都はケーブルの片端の、RJ45コネクタを岸谷の方に差し出した。都が差しても良いのだが、背丈の問題と、少しでも岸谷に現場作業を経験させたいのとで、やってもらおうと思った。あまり躊躇してしまうような作業は、客の目の前もあるので避けなければいけないが、これは大丈夫だろうと思った。
「了解です。」
岸谷は明るく返事をした。最初、都のところへ先輩社員とトラブル相談に来た時のような、少し警戒したような様子はまるでなかった。岸谷は少しだけ背中をラックの中へ伸ばして、ケーブルのRJ45コネクタを、ルーターのギガビットイーサーネットインターフェイスの0/1へ、カチャン、というラッチの音をさせながら難なく接続した。
「ありがとー。」
都はそう礼を言いながら、UTPケーブルについた曲がりグセを少し伸ばして直した。もう片端を回線終端装置のイーサーネットポートに差さないといけないが、裏からだと暗くて見づらい上に、少し遠い。
「うーん。ちょっと裏からだと遠いね。」
都はしゃがんで懐中電灯で回線終端装置の裏側を照らした。回線終端装置を載せている棚は、ラックの面積いっぱいの棚ではなく、半分程度の面積しかない。回線終端装置自体も、その上に余裕で収まってしまう程度の大きさしかない。ラックの下は、ラック間のケーブルや、外からのケーブルを引き込むために、底が抜けている作りなので、ここに体を伸ばすのは怖い。
「あたしやりましょうか?」
岸谷は都のぴったり隣にしゃがんで聞いて来た。岸谷が隣にいると、なんとなく都は安心する。岸谷の大きな瞳にかかる、長い睫毛に一瞬見惚れてしまう。
「いやー、さすがに遠いよー。あたし正面行くから、岸谷さんケーブルをあたしに渡してくれる?」
都は、回線終端装置の正面から裏へ手を伸ばして、ケーブルを接続しようと思った。正面からだと手探りになるが、岸谷に見てもらって指示を仰ぎながらであればなんとかなるだろう。イーサーネットポートはラッチを上にして差し込まないといけないのは確認した。
「これで照らして、イーサーネットポートの位置見てもらってて良い?」
都は自分のスマートフォンを渡して言った。
「わかりました!」
岸谷は都の意図を理解して、元気に返事をした。都は声が小さくて、岸谷は通る声なので、ラックの向こうでは、ぼそぼそしゃべる都に続いて、元気に返事をする岸谷、という構図になっているだろう。
都はラックの正面に回ると、両膝で立ち、回線終端装置の棚がちょうど胸前にくるようにした。
「じゃ、ケーブルちょーだい。」
「はーい。」
都の呼びかけに、岸谷はケーブルが折れない程度の位置で握り、RJ45コネクタをこちらへ差し出すように伸ばして来た。都は左手を伸ばして、掴んだ。
「このへん?」
都はラッチが上になっていることを確認してから、大体のあたりをつけてケーブルを回線終端装置の背面へ差し込もうとするが、上手く行かない。
「あ、間宮さん、もうちょっと、間宮さんから見て右です。」
都は言われた通り、少し右へずらした。すると、RJ45コネクタが吸い込まれる箇所があった。
「あ、そこです!」
岸谷が正しいことを知らせてくれた。都が空いている右手で回線終端装置が動かないよう固定して、ケーブルを差し込んでみる。カチャン、とラッチが嵌る音がした。
「おっけーでーす。」
「ありがとー。じゃあ、ルーターをコンフィグしてWANを開通させちゃおう。」
岸谷の確認に礼を言って、都は一旦立ち上がると、ほんの1歩程度移動して、PCの前にしゃがみこんだ。都はタッチパッドでターミナルウィンドウにカーソルを合わせクリックし、リターンキーを数回叩いて、空行をつくってから、書き込みモードに入る。さらにギガビットイーサーネットインターフェイスの0/1をコンフィグフィグ出来るモードに入り、インターフェイスを開放した。ターミナルウィンドウには、当該インターフェイスが開放され、アップになったことを伝えるログが吐き出された。都は回線終端装置を振り返った。回線終端装置のイーサーネットポートのリンク状態を示すLEDが緑色に点滅し始めている。速度LEDも100メガの緑色に点灯している。インターフェイスをコンフィグしていないので、ルーターのインターフェイスは現状、速度、通信方式が自動設定だ。スクリプトでは、100メガ、全二重の固定設定にすることになっているので、回線終端装置も100メガ、全二重の固定設定でなければいけない。この今の状態であれば、ルーターの方は100メガ・半二重で上がっているはずだ。都は、ギガビットイーサーネット0/1の状態を確認するコマンドを叩いた。想定通り、100メガ、半二重になっている。回線終端装置は100メガと全二重の固定設定であることが確認できた。
スクリプトの最初の行から、WANインターフェイス部分までをコピーし、流し込んだ。WANインターフェイスの速度と通信方式を自動設定から固定設定に変更したので、一旦インターフェイスが落ち、再度上がってくる、と言うログが吐き出されてくる。インターフェイスが再度上がったのを確認してから、残りのスクリプトを全部コピーし、流し込む。書き込みモードから抜けると、すぐにBGPの隣接関係が確立されたログが吐き出された。回線のプロバイダエッジルーターまでの到達性には問題がないことは、これで証明される。
「平下さん、もうログインできますよ、とPMに伝えてもらえますか?」
都は一応、BGPの状態を表示するコマンドを叩き、隣接関係が確立されていることを確認し、さらに、ルートをPEから受け取っていること、PEへpingを1000発ほど最大MTUサイズで打って、欠けがないことを矢継ぎ早に確認してから、平下を見上げて言った。
「間宮さん、はやーい。」
都のスマートフォンを大事なもののように両手で握ったまま、都の隣にしゃがみこんで、都の作業を見ていた岸谷が高めのトーンで少し大袈裟に言った。
「いやいや、こんな短いスクリプトコピペして、2、3コマンド叩いただけだよ?」
都は苦笑いで答えた。PMは平下を通して、彼らがリモートから到達できるようになるまでの時間を聞いてきた。それが都には、今日の現場作業員は時間がかかり過ぎだ、と言われているような気がして、少し熱くなって、手早くコマンドを打ったのも確かだ。都もエンジニアになったばかりの頃は、こんな短いスクリプトを流し込むのも、この程度の確認コマンドを叩くのも、それなりに時間がかかっていたから、岸谷の素直な驚きはごく自然なのかもしれない。