07-12

2022-01-20

07-12

 「あ、じゃあすみませんけど、今日岸谷が送ったログって開いてもらうことできます?」
 下山はお菓子ボックスのミュートボタンを解除して言った。
 「ああ、はい。少々お待ちください。…はい、開きました。」
 笠原は少し探したようだったが、ログを開いたようだ。
 「じゃあ、ちょっとこっちのSEさんに軽く説明してもらいますね。」
 下山はそうマイクに向かって言ってから、都に向かって、じゃあ、間宮さん、お願いできますか、と言った。都は、はい、と返事をしたが、先ほどの愛想をつけることは出来なかった。
 「あ、GD部の間宮と言います。お疲れさまです。」
 都は一応名乗って挨拶した。お菓子ボックスか電話の不調で聞こえなかったのかもしれないが、都の挨拶に対する返事は聞こえてこなかった。派遣社員が他部署の正社員と初対面の時、挨拶を無視されたり、もしくは挨拶する必要すらない、と言う態度を取られることは良くあることなので、この人もそうなのかと大した苛つきも覚えなかった。この電話会議の最初の方にあった、下山のSEが同席していることを紹介するくだりは、明らかに同僚正社員を紹介するやり方ではなかった。そのことから都が派遣社員であることは想定できているはずだ。
 「送ったログをちょっと見ていただきたいんですけれど、岸谷さんが送ったログはLSAタイプ1の出力なんですが、要するに、このエリアの中にいるOSPFルーターはこの子たちになります、というログなんですね。」
 ルーターに限らず、ネットワーク上のノードを「この子」と呼んでしまうエンジニアは、男女関わらずそこそこいる。その言い方を嫌がる人もいるので、都は出来るだけこういう言い方をしないように普段は気をつけているのだが、今回は相手が嫌がろうが知ったことか、むしろ嫌がるのであれば使ってやれ、という気持ちで、ルーターを「この子」とわざと言った。
 「で、浅くインデントされた行がしばらく続いた後、それよりも深くインデントされた行がいくつか続いて、また浅いインデントの行が出てくると思うんですけど、その手前の空行までがひとかたまりで、一つのルーターを表すLSAになります。ログ全部を流して見てもらうと、このかたまりが6つあるのがわかると思います。ですので、この客宅ルーターが接続しているOSPFのエリアには、お互いにどこかで繋がっているルーターが6つあることになります。…ここまでよろしいでしょうか。」
 相槌の返事もなければ、質問のため話を遮られもしないので、相手が聞いているのかどうかすらわからない。都は一度話を切って、わかっているのかわかっていないのか確認する必要があった。
 「はい。…大丈夫です。」
 笠原の返事には少し間があったので、本当にわかっているのかどうか都には判断しかねた。返事の調子は社会人特有の事務的なもので、そこに何の感情も読み取れない。読み取れないこと自体が冷たい印象だと解釈されてしまう。都の被害妄想なのだろうが、そこには正社員の、派遣社員に対する侮蔑のようなものが含まれているような気がした。派遣のくせに偉そうに、正社員様にわかっているかどうかなどと聞くとは何様だ、と言ったような。都は自分を卑下し過ぎなのかもしれないし、都が精神的に脆いせいなのかもしれない。どちらにしろ、いい気はしていなかった。
 「じゃあ、最初のルーターについて見て行きますが、LSID、という行があると思うんですが、これがこのルーターのルーターIDになります。最初のルーターはたまたま客宅ルーターになっているのですが、インデントがさらに深くなったところに、コネクテッドのリンクが何それ、っていう出力のかたまりが2つありますよね。」
 都は一旦切って反応を待った。あまり上手い説明も出来ていないし、丁寧語もいい加減になってきたが、構うもんか、と思っていた。どうせ向こうも期待していない。電話の相手は女の派遣社員だ。そんな感じだろう。そもそも、同じ会社内での問い合わせに答えるのに、相手を必要以上に敬う必要なんてあるのか。そうも都は思った。
 「はい。」
 電話の向こうは了の旨だけ答えた。
 「これらが、このルーターでOSPFが有効になっているインターフェイスの情報になります。このルーターのインターフェイスのIPについての出力があるのが見られると思うのですが、このIPは確かに、客宅ルーターのLAN側のギガビットイーサーネットインターフェイスのもの、そしてもう一つはシリアルインターフェイスのものと一致しています。」
 「あー。はい、そうですね。」
 笠原から初めて手応えのある反応が返ってきた。きちんと話を聞いていたらしいことはこれでわかった。
 「あと、そのコネクテッドのリンクが何それ、というインターフェイスの出力の最後の行に、メトリックがいくつ、というのがあると思うんですけれど、それがこのインターフェイスのコストになります。ご存知の通り、このインターフェイスの先にあるルートについてコストを計算するときは、このコストを足さないといけないです。」
 「はい、はい。そうですね。」
 さっきまでの冷たい印象は薄れるくらい、笠原の反応は良かった。食いついてきた、と言ってもいいかもしれない。
 「で、次のルーターの出力を見て欲しいんですけれど、次のルーターの出力にも、コネクテッドのリンク何それ、という出力が、今度は3つあるのが見られると思います。こっちのルーターにはOSPFを有効にしているインターフェイスが3つある、ということになるんですね。…で、この3つのインターフェイスの中に、一つ、客宅ルーターのギガビットイーサーネットインターフェイスのIPと、第3オクテットまで同じIPのものがあるの、見られますか?」
 都は笠原に確認を求めた。
 「あー。はい、ありますね。これってマスク24ビットでしたよね?」
 笠原は都の説明で大体掴めてきたのかも知れない。逆に聞いてきた。
 「はい、そうです。ですので、今見ているルーターはこのインターフェイスで、客宅ルーターのギガビットイーサネットインターフェイスと接続している、というのが見て取れるんですね。こんな感じで、このLSAを読み解いていくと、どこかのルーターとどこかのルーターが、同じネットワークのインターフェイスで繋がっているのがわかります。で、一つ一つ確認していくと、さっき下山さんから送ってもらったような、図に落とし込むことが出来ます。私たちは図に落とし込まないと、イメージとして掴みづらいのですが、ルーターとしては、こういう図のようなトポロジーで各ルーターが接続されているは把握済み、ということになります。」
 都はあとは端折っていいだろうと思った。全部説明すると、もう一度図を描くような説明量になってしまい、それはさすがに不要だろうと思った。
 「あ、で、例のルートなんですが、そのログの中の、3つ目か4つ目のルーターだと思ったんですが…。」
 都は、例のもらい方が気に入らないルートがどこにあるかだけは見せておこうと思い、打ち出したログを上から探して行った。
 「あった、4つ目ですね。そのルーターも3つインターフェイス持っているのわかると思うんですが、そこに例のルートありますよね。今度はネットワークアドレスとサブネットマスクで出ていると思うんですけど。」
 都は自分と同じものが見つけられているかどうか、笠原に聞いた。
 「あー。はい。確かにありますね。…これ、ほかのインターフェイスはおそらくインターフェイスにアサインされているIPが見えてると思うんですが、何故このインターフェイスだけは、ネットワークアドレスとサブネットマスクで表示されているんですか。」
 笠原の疑問は当然といえば当然なのだが、あとはそろそろ自分で調べて欲しいと都は正直思った。
 「そのインターフェイスの先にOSPFルーターがある場合と、ない場合の違いと思っていただいて良いと思います。おそらくですが、このインターフェイスの先は、お客さんのLANそのものなのかなと、思っています。」
 「あー。このインターフィスの先にL2スイッチがあって、ホストがたくさんぶら下がっているようなイメージですかね。」
 笠原に都の言いたいことは伝わった。
 「あ、はい。だと思います。で、このLSAを読み解いて、写真のようなネットワーク図に落とし込んで見てみると、このルートは、客宅ルーターからは、ギガビットイーサーネットインターフェイスから数えても、シリアルインターフェイスから数えても、3ホップ先のルーターが持っているルートになっていますよね。ですが、それぞれのインターフェイスから、3ホップ目まで辿りつくのまでに通り過ぎる、途中のルーターの出口インターフェイスのコストを全部足すと、シリアルインターフェイスのからの経路の方がコストが軽くなっているのがわかります。そのため、ルーティングテーブルにはシリアルインターフェイスを向いたルートしか見えないので、ギガビットイーサーネットインターフェイスからのルートは知らないように見えるんですけれど、トポロジーは把握しているので、この子はギガビットイーサーネットインターフェイスからもたどり着けることはちゃんとわかっていて、万が一、シリアルインターフェイスが断になった時は、ギガビットイーサーネットインターフェイスの方を向いたルートがルーティングテーブルに載ってくることになります。」
 都は一気に喋ってしまったが、正直きちんと説明できているかどうかよくわからなかった。論理的に考えるのも喋るのも苦手だった。これで伝わらないと、向こうからこっちにきてもらうか、こっちから向こうに行って、一から図を描くところを見せるしかない。都は上手く説明できない無力感と疲労感とを同時に味わった。
 「なるほど。…図を見ると、ギガインターフェイスから見て1ホップ目と2ホップ目を接続するインターフェイスのコストが異常に重たいように見えますが、これって原因はわかりますか。このコストのためにシリアルインターフェイスを向いているようなので。」
 笠原は一応都の説明を理解はしてくれたようだ。しかし追加の質問は無茶な話だ。
 「いえ、正直それはわからないです。その接続の回線がものすごい細いとか、お客さん機器でわざとそういう重いコストを設定しているかとか、どちらかだと思いますけど…。」
 「そうですか。あと、近いうちに新しいルートの追加があるのですが、それもシリアルインターフェイスの方がベストパスになってしまう、という理解で良いですか。」
 笠原は更問を投げてきた。
 「あー…。それはその新しいルートがこの図にある何処のルーターに追加されるのかによりますね。もし、図で言う右端のルーターに追加となると、客宅ルーターからは問題になっているルートと同じコストになるので、シリアルインターフェイスの方を向いてしまいます。もし、ギガビットイーサーネットインターフェイスの1ホップ先のルーターに追加するのであれば、ギガビットイーサーネットインターフェイスの方を向きます。それはお客さんがどこにその新しいルートを追加するかによります。」
 都はすっかりルーターで考えてしまっているが、おそらくこのお客さんのルーター群は、離れた土地や、同じ敷地内の離れた棟などにそれぞれ設置されているのだろうから、お客さんのLAN配下のネットワークを把握していれば、どの拠点に追加とか、どの棟に追加とか言う言い方でわかるだろう。SO部でLANを見ているようであれば、その辺は把握していることが多いはずだが、このプロジェクトだとそこまでは把握していないのだろうか。しかしそのことは聞かないでおいた方が良い。都たちの責任区分範囲外なのだから。そこまで突っ込んでしまうと、このプロジェクトでは、責任区分範囲を越えて見ることが、当たり前になってしまう恐れがある。
 「…事情はわかりました。あとはこちらでお客さんに確認を取ってみます。」
 笠原は締めに入った。納得したということなのか、単に忙しいからこれ以上この問題を引っ張りたくないと思ったのか。それともこれ以上聞いたところで、本当に笠原が知りたかったことは出てこない、と諦めたのか。それはわからなかった。もしそうだとしたら、結局下山を助けられてもいないし、間接的に岸谷を助けることも出来なかったことになる。長々と喋った後の笠原の社会人喋りの反応は、都の無力感と疲労感を強めた。