07-07

07-07
結局下山に助言してもらった返信でSO部の人は納得したのか、これ以上聞いても何も出てこないと諦めたのか、わかりました、お客さんに確認します、とだけ返してきたと言う。
「ごめんね、最初のあたしの書き方が良くなかったのかも…。あれでSO部の人怒らせちゃったかな…。もっとわかりやすく書けばよかったね。ごめんなさい。」
都は報告に来てくれた岸谷に謝った。岸谷の方に椅子を向けて膝に手をつき、うな垂れるように頭を下げた。
「全然そんなことないです!なんで間宮さんが謝るんですか!間宮さんに見てもらわなかったらあたし全然わからなかったです。あんな逆ギレする方がどうかしてますよ!あたし、本当に助かりました。ありがとうございます。」
岸谷は少しオーバーアクション気味に否定の意味で手を振り、都の謝罪の必要を否定してから、腰を軽く折って礼を言った。岸谷のその一生懸命に都を励まそうとするやり方に都は涙が出てしまいそうだった。せっかく頼ってきてくれたのに良くない方向へ誘導してしまった。自分のせいで岸谷には嫌な思いをさせてしまったし、おそらくそのプロジェクトは今後もそのSO部の人とやっていかなきゃいけないのだろう。それなのにSO部の人間に岸谷の評価を悪くしてしまった。それは他部署とは言え、新卒新入社員に対する先輩社員の評価を下げてしまったということにもなる。最悪だと都は思った。都が関わらなければこんなことはなかっただろうに。
「でもあのSO部の人に岸谷さんの印象悪くなっちゃったよー…。」
都は半泣きになってしまいそうだったが、苦笑いでごまかした。頼ってきてくれた新入社員をほんの少しでも助けることが出来ない。そればかりか悪い流れを呼び込んでしまった。正社員になったことがなく、「実務」ばかりして歳を重ねた人間だから、ちょっとしたことでも新卒の正社員を助けることが出来ないのか。もうこの子はあたしに頼らない方がいい、あたしもこの子に関わらない方がこの子のためだ。都は心底そう思い始めた。
「そんなことないです!大丈夫です!あーいつ、いーっつもあんな感じで態度悪いんで!」
否定的な思考のスパイラルに陥っていた都は、その岸谷の発言に不思議そうな顔を上げてしまった。岸谷はそのお客のプロジェクトにサブPMとして入ってから、そのSO部の人とやっているそうだ。最初からその人は岸谷にはあまり印象が良くなく、常に岸谷の至らなさを指摘する嫌味を何処かに含めてくると言う。いかに岸谷が彼のことが気に入らないかをあまりにも率直に、面白可笑しく話すので、都は大笑いしてしまって、大きな声で笑わないよう両手で口を覆わないといけなかった。新卒で入社半年の新人が、先輩社員をあいつ呼ばわりしたり、態度悪いと言ったり。しかもそれを聞き手の都が面白がるように話す。そのコミュニケーション能力の高さもそうだが、先輩社員が後輩社員に厳しいからといって萎縮しない胆力はすごいなと都は思った。岸谷のそれは、裏で強がっているというのではなくて裏表なくそうなのだ。岸谷は時折そのSO部の社員と電話で話すこともあると言う。
「あたし、めっちゃ機嫌悪い声出してるんで、たぶん、向こうでもこのやろー!って思ってますよ、きっと。」
そう言って岸谷は可笑しそうに笑っていた。そこに自虐の影は微塵もない。
「だから間宮さんが悪いなんて思わないでください。あたし、本当に助かりました。ありがとうございます。」
岸谷はそう言って手を前に組んで軽く会釈をした。良い笑顔だ。意志の強さを映す、透き通るような大きな瞳で都を見ている。こんな瞳の輝きと屈託のない笑顔で、自分より立場が下の人間にお礼が言える。それは岸谷の性格もあるのだろうが、若さのなせる業なのかもしれない。都は岸谷の真っ直ぐな瞳に見つめられると、反射的に目を逸らしてしまう。
「すみません、お忙しいのに変なことに巻き込んでしまって。下山さんにあまり間宮さん巻き込まないようにって注意されました。」
岸谷はそう続けて、申し訳なさそうな顔をした。
「ううん。とんでもない。何でも聞いてくれれば。…あ…。でもあたしに聞くとまた岸谷さんに余計なトラブル増やすだけかもだから…。」
都は岸谷が礼を言ってくれたのはとても嬉しかったし、その勢いでまた頼って欲しいと思いそうになった。しかし、我に返るように否定的な思考のスパイラルに戻った。またこんな結果を招いても申し訳ないだけだ。岸谷の稼働を潰してしまうし、精神的な負荷もかけてしまうかも知れない。
「そんなことないです!逆にあたしやつと戦う決心がつきました!むしろありがとうございますです!間宮さんに申し訳ないと思わせるなんて、あいつ許すまじです!」
岸谷の通る声で、古臭い言い方を混ぜて物騒なことを言うから、周りで若干名振り返っていた。都は岸谷の勢いのある前向きさが可笑しくて笑ってしまった。少し涙が溢れてしまったので拭ったが、大笑いしていたので、笑い涙だと思ってくれただろう。
同じ部署の違う担当同士で、あるいは社内の異なる部署同士で、責任範囲区分の境界にあるような事柄について、喧嘩腰のやりとりが発生することは多々ある。それを本当の喧嘩にせず、どうやって収めて行くかも学んでいかなければならない。平身低頭、礼儀正しくやり過ぎても相手の要求ばかりを飲まされ、結局自分や同じ担当の同僚が大変になる。かと言って、こちらも相手に合わせて喧嘩腰になり、毎回その場限りで切り抜け済ませてしまっては、本来協力し合ってやらなければならないのに、常に対峙した関係で仕事を進めなければならなくなる。都はこういう政治的なやりとりは物凄い苦手だ。しかしプロジェクトマネージメントには必須の能力と言えたし、組織の人間として、正社員として、新しい業務や取り組みの立ち上げを任されるようになれば、対応していなければならない問題だろう。そういう意味では、あのSO部の人は岸谷に良い課題を与えていると捉えられないこともない。
「あ!間宮さん!すみません、まだあたしCJの既存コンフィグフォルダのリンク送ってない!」
岸谷は突然思い出したらしかった。そんなに通る声でぐいぐい迫るように言わなくても良いことだけど。そう都は思って、また少し笑ってしまった。
「あ、大丈夫だよ、実は見つけちゃった。」
都は正直に言って良い気がした。
「え、そうなんですか?すみません。」
「ここだよね?」
驚いて詫びる岸谷に都は自分のディスプレイを指で刺しながら、当該のフォルダから一つ階層を戻り、CJ案件の親フォルダのウィンドウで子フォルダ一覧が見えるようにした。既存コンフィグ、と言う名のフォルダを丸で囲むようにカーソルを動かした。
「あ、はい、それです!」
岸谷は都の正解を喜ぶように回答した。
「来週岸谷さんと下山さんとでお客さんとこ行くまでには、ヒアリングシート完成させておくようにするね。」
「すみません、ありがとうございます、よろしくお願いします。」
都の言葉に、岸谷は笑顔で軽い会釈を二度しながら返した。二度も会釈されながらお願いされるのは、やはり社員と派遣社員の壁なのだろうと都は思った。