07-06

2022-01-20

07-06

 「間宮さん、今話しかけても大丈夫ですか?」
 通る声なので、都の席の島だけでなく、周りの島でも都が声を掛けられているのがわかるだろう。岸谷だった。少し慌てた感じだった。
 「うん。大丈夫だよ。どーしたの?」
 都は振り返って見上げながら答えた。岸谷は驚いたような顔をしていた。
 「あの、さっきのOSPFのルートの件あるじゃないですか。間宮さんに教えてもらった通り、SO部の人に返信したんですよ。そしたらぁ、逆ギレみたいなメールが返ってきてぇー。」
 別部署に事情を説明したつもりが怒っているような返信が来た。岸谷はそのことに驚いてはいるものの、戸惑っているのではなさそうだ。そのことが何か祭りのような騒ぎの種になる事象かもと面白がっているように、いたずらっぽい光が大きな瞳に隠れていた。事実、若い子独特の喋り方で少し笑ってもいた。
 「えー。どういうこと?」
 都のたちの部署は、他の部署から喧嘩腰のメールを受けることはよくあった。特にほとんど日本国内に閉じた案件のみをやっているような部署はそうで、グローバル案件独特の大雑把さに強いストレスと不満を抱えがちだ。アップデートがない、進捗が掴めない。トラブルが起きないように事前準備をしっかりするのではなく、トラブルが起きてから考える・対応するという基本態度。日本人的な礼節の欠如。枚挙したらきりがない。都たちの部署の人間はそういうことに慣れっこになっているので、まあ、グローバルってそういうもんですから、というPMたちの平然とした態度も彼らの苛つきを逆撫でするのだろう。
 「何を言われてるのかわかりません!はっきり説明してください!とか言ってきてぇー。」
 岸谷は笑ってしまっていた。都はちょっとメールを見せてもらおうと、岸谷の席へ行くことにした。岸谷の席は都の席から少し離れた島にある。都が一緒にプロジェクトをやっている社員はほとんど都の席の島の近くなこともあり、都は岸谷の席の島あたりへは行く機会があまりない。岸谷の席のさらに奥にある会議スペースで打ち合わせがあるときに通り過ぎることはある。自分の活動範囲から遠い場所は、通り過ぎるだけでも少し緊張する。なんでこいつはこっちへ来たんだとか、派遣のくせに何うろうろしてるんだとか思われてるんじゃないかと肩身が狭く、萎縮してしまう。都は岸谷の席の島のあたりにはあまり行きたくなかった。
 「これなんですけどー。」
 岸谷は椅子に座って端に寄り、都が机に近づきやすくなるようスペースを作ると、マウスを操作しながら言った。メーラーの受信トレイから、当該のメールを選択して開いた。都は岸谷のデスクトップを覗き込んだ。
その返信は、あなたは客宅ルーターがギガビットイーサーネットからの経路も知っていることはログを見ればわかる、と言っているが、どこを見ればそうなるのか全く理解できない、事実、ルーティングテーブルはシリアルインターフェイスを向いている、その事実は覆るものではない、きちんと説明してください、と言った内容だった。メールだから尚強い口調に感じる。
 「何これー。」
 都は思わず声をあげた。あまりにも喧嘩腰だった。
 「こわーい。」
 都がそう言ったとき、岸谷も同じ発言をして、二人でハーモニーを奏でてしまった。岸谷の声が通ることもあり、女子二人が業務中に怖いなどと奇声を発しているのは何事かと若干名が振り返っていた。都と岸谷は二人で笑ってしまった。
 「えー。ちょっとこれ、どーしよー。」
 都は正直困った。これは本当に一から説明しないといけない。LSAタイプ1の見方から説明するのか。スプレッドシートに出力を貼って、出力を貼った列の隣の列にこの行は何、この行は何、と説明をつけていけば良いのだろうか。しかしそれは都の仕事なのか。
 「この言い方酷くないですかー。」
 きちんと説明したのに酷いことを言われた、そのことについて訴えたいというのではない。岸谷はそのことを客観的に、事象そのものとして捉えている。こんな喧嘩腰のやりとりが職場で、会社内で行われていることを面白がって、楽しんでしまっているようにすら見えた。意志の強そうな瞳の光をしているのは第一印象からだが、本当に心が強いんだなと都は思った。
 「酷いよねー。この人誰よ。」
 都はそう言って、岸谷にPCを操作させてもらうことの承諾をもらい、マウスを操作し、メールの送信者欄にカーソルを合わせた。SO部の人間で、男性の正社員だった。社員であれば岸谷が今年の新卒の新入社員だということはわかっていると思うので、このメールの返し方は彼なりの教育なのだろうか。そのメールをスクロールして元々のメールがどんなものだったのか見てみる。元々のメールも少し喧嘩腰だった。岸谷が言っていた通り、想定通りのインターフェイスを向いていないのは、都たちの部署で客宅ルーターの設定を間違えているのではという書き方だった。障害を放置していることになる可能性があるから至急調査しろともあった。念のためそこからスクロールアップして、岸谷がどう返したのかも確認した。ほぼ、都が書いたメモ通りに返していた。
最初のメールには、本文の頭にお疲れさまです、署名の前によろしくお願いします、があった。しかし岸谷の返信にさらに返したものには、それらの挨拶はなくなっていた。
 「んー。最近プライベートで何か嫌なことでもあったのかな。この人。」
 都は他人事のように感想を漏らした。
 「私生活を仕事に持ち込まないで欲しいです。」
 岸谷は都の飄々とした言い方が可笑しかったらしく笑っていた。
 「なになに、どうしたの?」
 声を掛けてきたのは下山だった。二人できゃあきゃあやっていたのでうるさかったのかもしれないし、下山は岸谷の教育係を担当しているので、都たちの発言の内容から問題が起こっているのではと気にかけ、来てくれたのかもしれない。
 「SO部の人から岸谷さんに問い合わせがありまして、それに回答したら逆ギレされました。」
 都は笑顔で下山に要約を伝えた。
 「えー。どういうこと?」
 下山は都の淡々とした言い方に笑っていた。岸谷は事情を最初から下山に説明した。都は岸谷の机から少し離れて、下山が岸谷のメールを見やすいようにした。
 「これはー。ちょっと酷いねえ。」
 下山は笑っていた。
 「どうします?ログの見方とか別資料起こして送った方が良いですか?」
 都が聞いた。
 「いやー、そこまではいいですよ。ログの見方は割愛しますが、弊部のルーターではシリアルインターフェイスの方がコストとしては重くなっておりますー、しかし当該のルートはどちらのインターフェイスから見ても数ホップ先にあるようですー、お客様のLAN内の構成の中でついてくるコストに違いがあり、最終的にシリアルインターフェイスからのルートが軽くなってしまっています、で良いんじゃない。」
 下山は、一文一文区切りながら言った。
 「あ、下山さん、すみません、もう一回お願いします。」
 岸谷はそのメールの返信ボタンを押して返信の下書き画面を出し、カーソルを入れてから下山の方を振り返って言った。下山は同じことをもう一度繰り返した。一文一文、岸谷が打ち終わるのを確認してから言っている。下山の説明の方が要点をきちんと捉えていた。都の説明はどこかわかりにくく、回りくどい。それに質問相手を突き放すようなものだったかも知れない。それが新入社員から先輩社員へ、彼女自身の言葉として送られてしまったから、先輩社員はわかったような風の岸谷の書き方に怒ったのかもしれない。岸谷には悪いことをしてしまったと思うと同時に、そんなことにまで気を使って新入社員のサポートをしないといけないのかと捻くれた思いも浮かんだ。しかし下山のようにきちんと重要な点をまとめて切れていなかった。明らかに都の説明の仕方が悪いし、説明能力が足りていない。岸谷が頼ってきてくれたのが嬉しくて、肝心なところがおそろかになったのか。都は事実から目を逸らしたかった。所詮派遣社員だから。そう誰かに詰られているような気がする。せっかく頼ってきてくれた岸谷に、嫌な思いだけをさせてしまったし、結局彼女の直属の先輩社員に出てきてもらわなくてはならなかった。