07-03

2022-01-21

07-03

 都はLSデータベースの情報を表示するコマンドを叩いた。LSAタイプ1、LSAタイプ2、あとはLSAタイプ5しかないので、バックボーンエリアのみで構成されたシンプルな構成であることはわかった。一回の表示ではLSAタイプ5全てを表示仕切れなかったが全部見る必要はない。どうせほとんどBGPからの再配送で数が増えているだけだ。
 「そのコマンドってよく工事ログ取る時に取れ、って言われるんですけど、あたしよく意味わからないんですよね…。」
 岸谷は都の専用端末の画面を身を屈めて覗き込みながら正直に言った。
 「大丈夫、あたしも随分長い間これ意味わからなかったもん。」
 都は岸谷の方を見て笑って言った。
 「っていうか、あたし今でもこれだけだとあんまし意味わかんない。」
 キーボードから手を離しちょっと腕を伸ばしながら投げ出すような仕草で都は言った。
 「えー、そーなんですか!」
 岸谷はちょっと混乱が入った驚きで言った。
 「ただ、OSPFが回ってるルーターは6台なのはわかるから、そんなに手間かからなそうだし、とりあえずネットワーク図を描いてみよー。」
 「やだ、間宮さんちゃんとわかってるじゃないですかー。」
 都が少しゆったりとした言い方で冗談っぽく言ったが、岸谷はちゃんと内容を聞いていた。
 「でもネットワーク図を描く、ってどういう意味ですか?」
 岸谷は聞いた。文字通りの意味はわかってはいるが、この数字と文字の羅列からその動作が結びつかなかったようだ。
 「このLSデータベースをもっと細かく見ていくと、この6台のルーターがどうやって繋がっているかがわかるから、それをもとにネットワーク図に起こすって意味。」
 都はちょっと自慢げに返した。
 「え?そんなこと出来るんですか?」
 岸谷は想像がつかないらしい。
 「あたしも最初このやり方教わる時、嘘でしょ、って思った。」
 LSデータベースからネットワーク図が描けるなんて、都も最初は信じられなかった。確かにOSPFはLSAからネットワークのトポロジーを作成すると教科書的なものには書いてある。最初に図が描けた時は本当に驚いたし、これでようやくOSPFというプロトコルの理解の端緒に辿り着いたのだと思った。それまではなんとなくOSPFをコンフィグしていて、なんとなくわかった気になっていた。
 「つか間宮さん、これのどこからOSPFのルーターが6台ってわかったんですか?」
 岸谷は興味を持ったらしく聞いて来た。
 「このLSデータベースの最初に、ルーターリンクって書いてあるでしょ?この下に六つIPアドレスが並んでるよね。これが要するにこの客宅ルーターとおんなじエリアの中にいるルーターたちです、って意味なの。もちろんこの客宅ルーターもこの中に含まれてるのね。ずらっと並んでるIPは正確にはルーターのアドレスじゃなくてルーターのIDなんだけど。」
 「へー。」
 岸谷は都の説明が今ひとつ理解できていないようだった。都もルーターIDのような細いことは今はわからないくても良いだろうと思った。
 「そうだ、このLSデータベースの出力が今ひとつわかりづらい原因の一つにさあ、さっきのルート、この出力にぜんっぜん出てこないでしょ?」
 都はちょっとちょっと切り口を変えてみた。
 「そう!そうなんですよ。ないですよね、やっぱり。マッチ条件使って出力コマンドの見たいものをだけ表示させるやつあるじゃないですか。あれでこのコマンド見ても何にも出てこないんですよー。あたしの見方が悪いのかなあ、と思ってたんですけど、出てこないで良いんですよね。」
 岸谷はある程度コマンドを叩いてログをとったり、ルートを確認したりはしているようだった。そう言えば下山がプロバイダエッジルーターと客宅ルーターのルート交換などについては大丈夫と言っていた。ログからちゃんとルートを吐けているか、受け取れているかなどの確認はある程度できるようだ。なのでマッチ条件で出力を絞る、という方法ももう体得しているのだろう。
 「うん。実はこれだと全然見えないの。」
 都は岸谷がおそらく試したように、LSデータベースを出力させるコマンドに、マッチ条件で対象のルートに合致した行だけ出力させるオプションをつけてリターンキーを叩く。
 「見えないよね?」
 都は岸谷を見上げて聞いた。ターミナルウィンドウには何も表示するべきものがないので、ただホスト名が表示された行がもう一行増えただけだ。
 「はい!あたしもこうなりました。」
 岸谷は少し身を屈めて都の専用端末を覗いて、自分がやったのと同じ出力になったことに変に安心のようなものを感じたらしかった。
 「あたしも長いこと役に立たないコマンドだなーって思ってたもん。このLSデータベースを表示するコマンド。」
 都は袖机の上に置いてあった無地のノートの真っ新なページを開きながら言った。
 「あたし、あたしのやり方が悪いのかもと思って。だから間宮さんに聞いてみようかな、と。」
 岸谷は身を屈めたまま都の方を見て言った。大きくてまっすぐな瞳で見つめられると、都はどうしても目を逸らしたくなってしまう。
 「ちょっと時間かかるからどこかの丸椅子持ってきた方が良いね。」
 都は岸谷が立ったままで身を屈めているのは辛いだろうと思い、どこかの柱の陰に隠れているであろう丸椅子を探そうと席を立ち上がろうとした。
 「あ、大丈夫です、あたし自分で探してきます!」
 岸谷は慌てたように都を制して、近くの柱まで少し小走りに行った。1本目の柱で丸椅子はすぐ見つかった。このフロアにはこうやって誰かの席の側に座って相談事をしたり、一緒に電話会議に出たりなど出来るよう所々に空きの丸椅子があった。
 「ちょっと時間かかるけど、岸谷さん時間大丈夫?」
 岸谷は数件のPMをやっていると聞いていたし、まして新卒新人といっても社員なので色々忙しいだろうと思って都は聞いた。ルーター6つ分と言っても、LSAタイプ1を全て調べてネットワーク図を描こうと思っているのだから、少々時間はかかる。
 「はい、大丈夫です。間宮さんこそ大丈夫ですか?」
 元気に返事をした後、恐縮した調子で都の稼働を心配してきた。
 「大丈夫だよー。」
 都はそう返しながら、LSデータベースの、ルーターリンクの出力の部分だけをターミナルウィンドウからコピーし、空のテキストファイルを開いて貼り付けた。
 「じゃあ一つ一つ調べまーす。」
 そう都は掛け声のように小さく言って、ターミナルウィンドウへの出力行の制限を無しにするコマンドを叩いてから、LSデータベースを表示するコマンドに、LSAタイプ1の詳細情報を表示するオプションを足してリターンキーを叩く。ずらずらと情報の説明をする英文やIPアドレスが改行したりインデントしたりしながら表示されて行く。LSAタイプ1の細かい情報、つまり各OSPFルーターの基本情報と、各ルーターでOSPFを有効にしているインターフェイスの情報とを見ることができる。
 インターフェイスがイーサーネットのようなブロードキャストネットワークに接続しつつ、そのインターフェイス越しに別のOSPFのルーターがいる場合、インターフェイスのIPアドレス情報とそのブロードキャストネットワークの代表ルーターのIPアドレスが表示される。これはトランジットネットワークと呼ばれ、OSPFルーター間を接続しているリンクになる。トランジットネットワークはLSAタイプ2としてそのネットワークに接続しているOSPFルーター一覧とともに、サブネットマスク情報などがまとまっているので、そちらを確認して調べることも出来る。
 イーサーネットではないインターフェイスで、あるいはイーサーネットだがインターフェイスのOSPFネットワークタイプを意図的にポイント・トゥ・ポイントと設定していて、そのインターフェイスの向こうにOSPFルーターがいる場合は、当該ルーターのインターフェイスのIPアドレスと、その先につながっているOSPFルーターのルーターIDが表示される。これは別ルーターへのリンクと表示される。この別ルーターへのリンクのIPアドレスのサブネットマスクはLSデータベースコマンドに内部ルート一覧を表示するオプションを足せば確認できる。
 インターフェイスの向こうにOSPFルーターが存在しない場合、インターフェイスのIPアドレスとサブネットマスクが表示される。こちらはスタブネットワークと呼ばれる。これは配下にはホストがいくつもあるような、いわゆるLANの1セグメントであることが多い。どの場合もそのインターフェイスの重み、つまりそのインターフェイスからパケットを送出する際にかかるコストも表示される。
 都はこの出力の中から岸谷が言ってきたルートを探した。すると、とあるLSAタイプ1のインターフェイスにそれはあった。サブネットマスク表示もあって一致している。そのルーターのインターフェイスに接続されたスタブネットワークだ。
 「あったー。この子が持っているネットワークだね。表示されているアドレスはこのルーターのインターフェイスのアドレスだけど、サブネットマスク当てればさっき言ってたルートになるでしょ?」
都はその当該表示を指差しながら言った。
 「えーっ。こんなところに見えるんですか?ってゆーかこんなのわかんないですよー。」
 岸谷は半分驚いて半分クレーム気味にいった。クレーム気味だったのが可笑しくて都は笑ってしまった。
 「OSPFの内部ルートって要するにルーターが持ってるインターフェイスのネットワークだから、こんなところに載ってるんだよね。」
 都はノートの真ん中くらいに小さい丸を描いて、その丸から曲線を外に引き、IDとコロンを書いてそのLSAタイプ1のルーターIDとなっているIPアドレスを書いた。そのLSAにはインターフェイスが3つあることになっているので、丸から直線を別の三方向へ伸ばして、それぞれにLSAが持っているインターフェイスのIPアドレスを書いて行く。スタブであればネットワークとサブネットマスクを書き、トランジットであればサブネットマスクはLSAタイプ2を見なければならないので、線と丸の付け根から線を外へ引っ張りそこにルーターのIPを書いておく。トランジットネットワークで、自身が代表ルーターになっていなければ、代表ルーターのIPが見える。それを引いた直線の先に書いておく。各インターフェイスのコストも丸につながる線の付け根に書いていく。
 「OSPFってルーターたちが、ぼくはインターフェイスこれだけ持ってます、って言う情報をお互いに交換するルーティングプロトコルなのね、大雑把に言っちゃうと。で、OSPFで繋がったルーターたちは、ぼくの隣にはこんな子がいます、って繋がった人たちにご紹介して行く感じ。」
 「あー、SNSで友達の友達リスト見ちゃう感じですねー。」
 都の大雑把な説明は岸谷の腑に落ちたらしい。オンラインだろうとオフラインだろうと人付き合いの苦手な都はSNSをやらないので、岸谷の例えがきちんと理解できているか怪しかった。
 「そう、かな。で、そのお友達の繋がりを図に描いていくと、OSPFが回っているネットワークのネットワーク図が出来上がるの。で、このまま描いていくと多分、さっきの客宅ルーターも出てきて、LANの二つのインターフェイスがどちらからもこの子と繋がっているはず。」
 この子、と言いながら図に描いた丸を都は指した。
 「へー…。そうするとギガビットイーサネットのLANインターフェイスからもらっているかが見えるんですか?」
 岸谷はよくは理解出来ていないようで、知りたいことがわかるようになるのか再度都に聞いてきた。都は自分の説明が良くないんだろうなと、このまま自分が説明を続けても良いのか疑問が湧いて来た。
 「うん、ちょっと図を完成させてから説明したほうが良いかもだから、まずは図を描いちゃおう。」
 そう言って都はさっきLSデータベースの出力のルーターリンク部分だけペーストしたテキストファイルのウィンドウをクリックし、図に描いたルーターのIDであるIPアドレスの横にカーソルを入れてスペースを空けてから済、と日本語で入れた。それから都はターミナルウィンドウをクリックし、マウスのホイールで表示をスクロールさせ、次のLSAタイプ1の出力へ移動した。次のLSAが表すルーターもインターフェイスの数は三つだった。そのインターフェイスのIP情報を見ていくと、さっき図に落としたものと同じサブネットと思われるトランジットネットワークがあった。このLSAタイプ1では、そのトランジットネットワークを表すインターフェイスのIPと代表ルーターのIPが同じだ。そのIPはさっき図に落としたルーターのトランジットネットワーク上の代表ルーターのIPと一致している。つまりこのトランジットネットワークはこの2つのルータをつなぐリンクであることがわかる。
 「あ、ほら、このインターフェイスのIPって、さっき図に描いたこれと同じIPでしょ。」
 都はターミナルウィンドウの当該出力をシャープペンシルの先で示した後、ノートに描いた線の横に書いたIPアドレスを指した。
 「おー。ほんとだー。」
 岸谷は感心していた。
 「だから、この子はこの線に繋がっているってことになるからあ…。」
 都はノートのその当該のネットワークを表す棒線を少しだけ伸ばして、その先にさらにもう一つ丸を描いた。最初のルーターを図に落とすときに、代表ルーターのIPを書いておいたので、それがちょうど線が接続するところにくるようにした。もちろんコストも書いておく。丸の中心から余白に曲線をひっぱり、このルーターのルーターIDを入れておく。最初に描いたルーターと同じように、その丸からももう2つ線を重ならない方向へ伸ばし、IPアドレスやコストを記入していく。さっきのテキストファイルで図に描いたルーターのルーターIDの横に済を入れて、LSAの確認漏れのないようにする。この調子でLSAタイプ1を次々と図に落としていくと、複数の丸が繋がっている図が出来上がっていく。全部図に落として見ると、6つのルーターがいびつな六角形を成すようにつながった。