07-02

2022-01-20

07-02

 都は岸谷がそもそもそんなことを聞きに来た理由を尋ねた。岸谷が数回線の増速や移転プロジェクトのPMを担当したお客で、別部署が全体のプロジェクトマネージメントのために挟まっている案件がある。そのお客ネットワークのある拠点で近々設定変更があるのだが、事前にその別部署から客宅ルーターのルーティングテーブルのログを共有してほしいと依頼があった。そこでそのログを取得して共有すると、問い合わせが来た。LAN側からもらっているルートが想定と違うので、都たちの部署の設定が間違っているのではというクレームっぽいものだと言う。その客宅ルーターにはLANインターフェイスが二つあって、その別部署が確認したかったルートが想定しているインターフェイスとは違うインターフェイスを出口にしているらしい。都はその部署はわざとこっちのせいだと言っているのか、それとも向こうの担当者も良くわかっていなくて、こっちのせいだと言っているのかは判断しかねたが、ほぼほぼこっちのせいではなさそうだとこの時点で思った。
 OSPFと言っても正直何だがまだよくわかっていないので、本当に間違っているのかどうかも岸谷には全くわからない。それで聞きに来たと言う。
 「その客宅ルーターのCE番号ってわかる?」
 「あ、はい、ちょっと待っててください。メモして来ます。」
 岸谷はそう言うと小走りに自席へと戻って行った。CE番号とはMPLSに接続している全ての客宅ルーターに管理上一意に振られている番号だ。これさえわかれば、案件を全く把握してない都でも、客宅ルーターの最新のコンフィグを集積しているデータベースから対象の客宅ルーターを検索でき、そのデータベースからログイン情報を取得し、客宅ルーターにログインして実際の状況を調べることが出来る。都は専用端末のディスプレイのスクリーンロックを解除し、ブラウザからそのコンフィグ集積のデータベースを開き、認証のためのパスワード入力をしてCE番号検索の画面を開いた。
 「すみません、番号メモして来ました。」
 フリーアクセスのフロアをバタバタ言わせながら岸谷は戻って来た。
 「何番?」
 都は番号入力ボックスにマウスでカーソルを入れながら聞いた。岸谷は都の隣に立って番号を読み上げる。都は読み上げられた通りに番号を入力し、検索ボタンを押した。すぐに結果は返って来た。世界最大手になる工業系の有名日系企業で、拠点数も多く、都の部署的には東京でSEを置く案件だ。つまりこのお客を担当している専任のSEがいるはずなので、岸谷はそっちに聞けば良かったはずだ。たまたまそのSEが休みだとか、ちょうど別の工事中とかで捕まらなかったのだろうか。それともその対象拠点の設定変更がまだ正式なオーダーとしては流れて来ていないので、派遣社員である専任SEには相談しづらかったということなのか。大きいお客なので先輩正社員が誰かメインPMとして立っているはずだ。そちらに聞いてもよかっただろう。いずれにせよ都を頼って来てくれたのは都はちょっと嬉しかった。
 ターミナルソフトを起動し、ターミナルウィンドウの接続先から踏み台サーバーを選んで、そこから網内の保守ルーターへとログインする。コンフィグ集積データベースからルーターのWANIPアドレスと保守ルーター上の仮想ルーターの名称を調べ、それを使って保守ルーターから件の客宅ルーターへログインする。パスワード情報もそのデータベースにあるのでコピーペーストでターミナルウィンドウに貼り付け、特権モードまで入る。
 「で、文句言われているルートって何だかわかる?」
 都はキーボードに両手を掛けたまま、岸谷を振り返って言った。
 「あ、はい。」
 岸谷は胸に抱えていたB5サイズのリング付きノートを覗き込んでネットワークアドレスとサブネットマスクをプレフィックス表記で読み上げた。都はルーティングテーブルを表示するコマンドを打ってから、聞いたネットワークアドレスを打とうと思ったが、都は3桁以上の数字を覚えるのがものすごい苦手て、聞いたそばから忘れてしまった。
 「ごめん、もっかいお願い。」
 都は左手でシャープペンシルを持って、袖机の上に載せてあった自分の無地のノートに構えてから、覚えられなかったことが可笑しくて笑いながら言った。岸谷はすみません、矢継ぎ早に次から次へと、とまるで岸谷が勝手にどんどん言っているかのように謝った。都はそんなことないよと恐縮する岸谷に笑って言った。
 都はメモしたネットワークアドレスとサブネットマスクを、ルーティングテーブルを表示するコマンドの後ろに足してから、リターンキーを叩いた。当該のルートはOSPFの内部ルートとして学んでいることや、ネクストホップ情報、そのネクストホップが紐付くインターフェイス、そのルートをBGPへ再配送していることなどが表示された。都は続けてインターフェイスの説明文一覧を表示するコマンドを叩いた。説明文の書き方は実際に書いたSEによってある程度癖があるが、一応どのインターフェイスを何に使っていることは読み取れる。WANインターフェイスは、MPLSの拠点に使われるID体系に則った番号とプロバイダエッジのノード名が書かれているものがそれだと推測がついた。LANと書かれているインターフェイスは一つしかない。もう二つ説明文のついたインターフェイスがあるが、一つはルーター筐体自体にアサインするループバックなのでここでは気にしなくて良い。もう一つは「TO」と頭にあるので、どこか他の拠点に繋がっているように見える。「TO」の後は英字と数字の羅列だが何かの略称のようだ。LANインターフェイスが二つとは、明示的にLANと書かれているものとこれのことだろう。このインターフェイスはイーサネットではなく、シリアルインターフェイスだった。低速の回線を終端するインターフェイスだが最近は珍しくなった。その国のインフラがまだ未成熟な地域では低速の専用回線としてシリアル回線が使われることがある。しかしここ数年でそれらはどんどんなくなっている。つい最近もアジアのある国で主要キャリアが低速のシリアル回線のサービスを終了し、回線は全てイーサーネットへマイグレーションされた。こういう動きは世界的に広がっている。
 都が今ログインしているルーターも、配下にお客のローカルの別拠点があり、お客手配なのか、都が勤める会社の現地法人の手配なのかはわからないが、低速の回線で接続されていると言うことだろう。
 さっきのルートのルーティングテーブル上の詳細情報を表示するコマンドを矢印キーで呼び出しもう一度叩く。件のルートのネクストホップはシリアルインターフェイスの先にあるということになっている。
 「んー。ルートはシリアルのインターフェイスを向いているけど、これが間違っている、って言われてるの?」
 都はターミナルウィンドウの出力画面を見たままで聞いた。
 「はい。このルーターってLANが二つあって、もう一つがギガビットイーサーネットなんですけど、そっちからもらってないとおかしい、って言われていて…。」
 岸谷は言われている文句があまり理解出来ていないようだが、実際当該ルートのネクストホップがシリアルインターフェイスの方だというのはきちんと把握できている。このシリアルインターフェイスが都が考えた通り、さらに配下の小さい拠点に専用線で接続されているのだとすると、このインターフェイスを「LAN」だ、と呼ぶのは微妙な気がした。しかしそこは論点としては今はどうでも良い。MPLSの客宅ルーター、と言う視点であれば、プロバイダエッジ向け以外はLANだと乱暴に言ってしまっても良い。そしてこの二つのLANは裏で繋がっていると言うことらしかった。
 「それってSO部の人が言っているの?それともお客さんに言われてるのかな?」
 都は聞いた。SO部、とはソリューション・オーガナイゼーション部の略で、この会社のあらゆる商材をお客の要望・要件に従って組み合わせ、ソリューションとして提供することを目指している部署だ。企業のITに幅広く関わり、お客のビジネスパートナーとしてこの会社の価値を高めることを企図している。ソリューションの一部としてグローバルMPLSも含まれることがあり、そういう場合に都たちの部署が関わってくる。
 「いえ、お客さん自身が言っているのかSO部の人が言っているのかまで確認できてないんですけど、直接にはSO部の人に言われてます。」
 岸谷はそこまでは確認していないようだった。都はそれがどちらかによって答え方も変わってくるかもと思って聞いた。
 「あ、あとこのルーターのLAN配下の機器って、シリアルインターフェイスもギガビットイーサーネットの方も、SO部で見てる機器とかある?それともお客さんの機器?」
 都はもう一つ聞いた。
 「このルーターのLAN側はお客さん機器だって聞いてます。」
 岸谷の返事を聞きながら、都は客宅ルーターのコンフィグで、OSPFの部分だけに絞って表示するコマンドを叩いた。特に変わったコンフィグはない。WAN側のBGPを再配送する時に、条件式が何かついているが、それはこの問題には関係がない。OSPFが有効になっているインターフェイスを確認するコマンドを叩いたが、その二つの「LAN」インターフェイスはきちんと有効になっている。OSPFのネイバーが存在することを確認するコマンドを叩いて、ネイバーが両インターフェイスの先に存在することも確認できた。
 次に二つのLANインターフェイスのコンフィグのみ表示されるコマンドをそれぞれ叩く。シリアルインターフェイスの方は帯域表示コマンドで2メガとコンフィグされているが、それ以外にはインターフェイスでOSPFのコストと呼ばれるメトリック値を操作するようなコマンドはコンフィグされていなかった。もしSO部が主張するように、ギガビットイーサーネットから当該ルートをもらっていないといけなくて、それが都たちの部署のコンフィグ間違いでシリアルからもらっていることになっているのであれば、このコストをシリアルインターフェイスの方が軽くなるように操作するコマンドがどちらかのインターフェイスに入っていないといけない。何もしなければコストはギガビットイーサーネットの方がはるかに軽い。何の操作もしていないのに、それでもシリアルインターフェイスを出口としたルートがルーティングテーブルに乗っている。それは意図的にLAN側の機器でそうしているか、あるいはLAN配下がそうなるような構成になっているかどちらかでしかない。そうでなければそもそも当該のネットワークがシリアルインターフェイスの方の配下にしか繋がっていないと言うことだ。
 「ルーティングテーブルで見るとネクストホップがシリアルインターフェイスの方を向いているのしか見えないんで、そっちからしかもらってないんじゃないんですか、って言ったんですけど、そんなことはない、OSPFなんだからどっちからももらえるはずだ、そっちの客宅ルーターの設定でシリアルが優先されるようになってるんじゃないか、とか言ってぇー。」
 岸谷はSO部の言い分のところはちょっと怒った風に言って、最後の方は笑ってしまいながら、愚痴るように言っていた。その若い子独特の言い方が都には可笑しくて一緒になって笑ってしまった。岸谷はまだ一年目の子なので理解が足りないのは当然だったが、その文句を言って来ているSO部の方も多分よくわかってないで言っているなと都は思った。
 「多分ね、意図的にシリアルの方向いているんだと思うよー。」
 都は岸谷と一緒に笑うのが楽しいなと思いながら言った。
 「え?そうなんですか?つか、そうですよね!」
 二人で一緒に笑ったからだろうか、岸谷はノリだけで自信を持ってしまったようだ。自分が向きたい方向へ風向きが変わったと思ったら躊躇なく流れに乗ってみるのは大事かもしれない。岸谷がそうやって軽い調子で都に合わせてくれるのは都は嬉しかった。