06-03

2022-02-06

 ローテーブルを囲んで母とたくさん話をする。最近あった実家のご近所事情や、どうでも良いテレビや芸能人の話。母は一人暮らしで外に出るわけでもないので、都が帰ってくると人と喋っていなかったのを取り返すようにたくさん喋る。都はだいたい聞き役に徹することが多い。母がよく喋っている時は体調が良いということでもあるので、良く喋ってくれると都も安心する。
 母と話す時はあまり兄の話はしないようにしていた。少なくとも都は意識的にそうしていた。母もそうかもしれない。兄の話をするとどうしても兄嫁の話が出てくる。都にとっての姪は母にとっては初孫できっと目に入れても痛くないくらい可愛いに違いないのだから、姪がどうしているとか、こんな写真が兄から送られて来たよとかいう話はある。兄も気を遣っているのだろう、兄が母に送ってくる姪の写真には兄嫁は写っていないことが多かった。都はそういう兄嫁の写っていない一連の写真を母と一緒に見ていると、兄嫁は元気なんだろうかとひねた薄笑いを浮かべそうになってしまう。
 母にとっては唯一の息子、都にとっては誰よりも大好きな兄。姑、小姑問題はどこの家庭でもあるだろう。兄嫁は上手くやってくれていると言えた。しかし兄嫁はあまり義実家に近づきたがらない。それはわかる気がした。母は兄をとても可愛がって育ててきたし、妹の都も兄にいっぱい甘えて生きてきた。そのため家族でしか通じ合わない独特の会話というか、家族語と言って良いようなものが三人にはあった。これは意識しようとしまいと勝手に出てしまうものらしい。そしてこれはその家に嫁いでくる他人には強い断絶、あるいは拒絶に似た距離感を否応なしに押し付けるものらしい。
 兄は男の子だから、甘やかす母と甘えん坊の妹がどこからか鬱陶しかったはずだが、どちらも受け入れてくれていた。兄は優しかった。都は高校を卒業すると一人暮らしをしていた兄の部屋に転がり込み、兄が今の兄嫁と交際を始めるまで五年間二人で暮らした。兄と二人で過ごしたその五年間は都にとってはとても大事な思い出だ。しかしあんなに優しい兄を五年間も縛り付けてしまったことに後ろめたさを感じてもいる。だから兄嫁に兄を奪われてしまったのは当然の罰なのだと都は思っていた。兄が結婚を決めた当時はそう思っていなければ嫉妬でどうにかなってしまいそうだった。女の嫉妬はどんなに上っ面を良くしたところで女がわからないわけはないのだ。都と兄嫁は表面上はうまく付き合っていたが、兄嫁はおそらくは都のそれをわかっていて近づこうとしない。そして都もどこかで兄嫁を好きになれていない。兄嫁はとてもいい子なのだ、客観的に判断すれば。しかし都はすぐに粗を探そうとしてしまう。そんな自分が嫌で仕方がなかった。
 今はそんなに兄が好きだったことが、重度のブラコンだったことが可笑しくさえある。兄と離れてから自分を変えようと数人付き合ってみたが長続きせず、あまり恋愛にも向かない人間なのだと自覚もした。都は童顔で体が小さいのでそういうのが好きな向きには需要があったようで、彼らは可愛い可愛いと最初は都が恥ずかしくなってしまうくらい褒める。しかししばらく付き合ってみると人付き合いも好きではない都に面白味を感じなくなってくる。あまり喋るのも得意ではないので、デートで黙っていることが多い。おそらく可愛らしい仕草でたくさん喋ってくれることを期待されていただろうに。都も付き合い始めてしばらくはあの恋愛が始まったばかりの頃独特の興奮や悦楽に夢中になるのだが、すぐにお互いの価値観の違いに冷めていき、会うことすら苦痛になってしまう。一人でいることが好きなのだということも、デートから自分の部屋に帰った時、解放された気持ちになることで自覚するようになった。
 結局ブラコンを卒業できるわけはないのだし、そのつもりもないのだ。都はこの先も誰とも結婚はしないだろう。都にとっては決して満たされることのない思いを抱いていることこそが、どこかうつむきがちの都の頭を逆説的に上げさせている。本当にひねくれた人間なのだ。都は自分が可笑しかった。
昼下がりになると朝早く起きて掃除だ洗濯だを済ませて一時間ちょっと車を走らせた疲れが出るのか都は眠くなってしまう。母親なら当たり前なのかもしれないが、子供が眠くなっているのはすぐわかるらしい。
 「お昼寝するの?」
 「うん。」
 都がそう甘えた声で返事をすると、母はあちこち痛いはずなのに都のために居間のラグの上に薄い敷きタオルと枕を準備してくれる。都は眠気に耐えきれずそのまま寝転がってしまうと、母は薄いケットをかけてくれた。都の意識が消えて行く中でも母は家事を忙しくしている。母は何かしていないと落ち着かないというか、何かしていたい性質だった。七十の一人暮らしと言っても二階建ての家の維持にはそれなりにやることが一杯あったし母は綺麗好きだった。都は少し手伝えば良いのにと自分に言ってみたくなる。でも仕事で疲れているから眠らないと。そういう言い訳が先に立って目を閉じてしまう。
 姪はもう小学校二年か三年だ。姪は都の小さい頃にそっくりだと母も兄も言う。本当にたまにしか会わないが都に懐いてくれていて可愛らしい。そのことを兄嫁はとても喜んでいると聞いた。都もそうだが、向こうもどこかで二人の距離を縮めたいと思っているのだ。姪っ子は都のことをおばさんとは呼ばず、都お姉ちゃんと呼んでくれる。そんな可愛らしい子にきちんと兄嫁は育てている。兄嫁の歳は都と変わらない。都はまだ母親に甘えていて、これじゃあ兄もあっちへ行くよなと自虐的な思いが過りながら眠りに落ちた。

 「都ー。そろそろ夕飯の支度するから手伝って。」
 夕方になって目を覚まし、ぼんやりとスマートフォンで英語のネットワーク関連のニュースサイトを読んでいたら母に呼ばれた。
 「はーい。」
 都は返事をしてスマートフォンをローテーブルに置いて座椅子を立った。台所へ行くとすでにじゃがいも、人参、玉ねぎなどが置かれていた。最寄りのスーパーまで歩いて二十分以上かかるので歩いての買い物は母にはもう無理だった。なので母は生鮮食品の宅配サービスを利用していた。今日は肉じゃがだと言っていた。母があまり得意ではない料理だ。母は何でも料理できる人だったが、家族四人で暮らしていた頃は味にばらつきがあり、父からはお前時々不思議な味のものを出すな。と笑われていた。気難しい父だったが母の料理の味で怒ったことは一度もなかった。男は二十歳までに家を出ないと母親の味が忘れられなくて結婚してから苦労すると良く言われるが、母の味がばらつき気味なたため兄はこの苦労は全くなかったようだ。
 生前父に母のどういうところを好きになったのかと何度も聞いたが、父ははぐらかしてばっかりでちゃんとは教えてくれなかった。母のこういうちょっと抜けたところが可愛らしいと思っていたのかもしれない。今も母は可愛らしい人だった。年を重ねてもこんな可愛らしい母の娘なのだから、都は自分も当然可愛いのだと変な自信を得ることがあった。
 台所に母と並んで食事の用意をする。子供の頃は良くやっていた。当時は母に色々教わりながら母の指示を受けてやっていた。今は雑談をしながら都から何を自分がするなどと自分から仕事を引き取ってやるようになった。一人暮らしになってからは凝った自炊を進んでやる方でもなくなったが、兄と住んでいた頃は兄にきちんとした食事を食べさせるのは自分の仕事だという強い思いがあったので、兄との同棲中に料理は何でも出来るようになった。母は毎日四人分も作ってくれていたんだと母のありがたみと凄さを感じたものだった。
 母と並んで雑談しながらじゃがいもの皮を剥いたり、玉ねぎを刻んだりしていると無心になれる。それは子供の頃そうだったように。母の手伝いをすると言う行為が子供の頃に心を戻させるのだろうか。それは都のどこかに子供の頃に戻りたいと言う思いがあるからなのか。
 都は子供の頃に戻りたいと意識的に思ったことが一度もない。むしろ戻りたくない。子供の頃に戻りたいとか、学生の頃に戻りたいとか良く巷で言われているのを見聞きしても全く同意できるところがなかった。大人になってからの方が人生味わい深いだろうに。自分で稼いだお金で、自分の力で食べて行くことが出来るようになると、子供の頃には狭かった世界が一気に広がる。常にその狭い世界に縛られてなければいけなかった軛からも放たれ自由を手に入れられる。そういう発想の方がおかしいのだろうか。都は大人になってからの方が自由を感じられた。劇的なことが起こったのも大人になってからの方がはるかに多い。
 世間の少年少女信仰は都には理解できないところがあったが、こうして母の手伝いをしていると子供の頃のような無心に戻る気がする。結局自分も子供の頃に戻りたいのだろうか。都は自分を訝しがった。
 実家から帰るのはいつも夜遅くだ。道路の混雑を避けるのが一番の理由だが、母の側に出来るだけ長く居ようという思いもあった。今日は昼間暑かったのだが夜遅くなると結構涼しくなってきた。ショートパンツとビーチサンダルはそろそろおかしい季節になってきた。都はちょっとつまらなかった。