06-02

2022-01-18

06-02

 都の実家は南南西を向いているので陽が良く当たる。西日が強く当たるので夏場は家の中がとても暑くなり、夜になっても二階の廊下はむせるような熱気が残っていることがある。庭にもじりじりとした刺すような陽射しが降り注いでくる。その強い南西の陽射しはまだ暑いけれど、やはり夏のものとは変わって来ていてその力は弱くなっている。庭の水道に散水用ホースを接続して、ノズルの取っ手を左手でピストルのように握りながら空を見上げた。実家がここに引っ越して来たばかりの頃は家の前の私道の向こうは小さな崖に樹木が茂り、本当に山の中の住宅という雰囲気だった。都が高校に上がるまで住んでいた団地だって別に都会じゃなかったけれど大きな団地だったので交通の便は良かったし、スーパーや商店街、病院、学校、全てが徒歩圏にあったが、ここは真逆の世界だった。
 何故こんなところを父は選んだのかは本当に今でも疑問だったけれど、実家から少し離れたところでは大雨の度に水が出てしまうが、ここはそんなことは全くない。ちょうど固い地盤の上にあるそうで震災の時も多少壁にヒビが走ってしまったが、他は何もなく済んだ。都の家から数軒離れると補修が必要になる被害が出ていた。建築士だった父がここを選んだのはそういうことなのかもしれない。そう母と話すことがあった。
その崖だったところも今は家が建ち、最初は二十世帯前後しかいなかった自治体も倍くらいの世帯数になった。それでも静かな住宅地であることに変わりはない。少し離れたところの細い谷道を高速道路が跨いでいる。防音壁で覆われているのだが走る車の音が都の実家まで聞こえてくることがある。あとは小鳥のさえずりくらいしか聞こえてこない。
 庭に立っていると何も考えずぼんやりとしてしまう。あまり何も考えていないような顔でぼんやりしていると、近所の人が見た時に間宮さんところの娘さんは大丈夫かしらと思われてしまうかもと思い直して、散水ノズルの引金を握って水を庭に撒き始める。ついでに裸足の足にも水をかけて遊ぶ。水はそれなりに冷たい。暑い陽射しを浴びながら水で足を濡らすのは気持ち良い。土の上にいるのに水場で遊んでいるような錯覚が楽しい。しかし夏のようにすぐに冷たいのが全く気にならなくなるということはなさそうだ。このままずっと水をかけていたらそのうち寒くなってくるかもという気がする。8月の週末工事の代休をまだ一日取っていなかった。来週の天気の良さそうな日を選んで海へ行ってこないといけない。夏の終わりはもうそこだ。
 水撒きが終わって玄関へ入ると、綺麗に畳まれたタオルが置いてあった。都が水浴びが好きなのは子供の頃からなので、どうせ足を濡らしてくるのだから拭いてから上がるようにという母からの伝言でもある。足を拭いてから玄関に上がり、洗面所で手を洗ってから居間へ向かった。ローテーブルには何種類かのお菓子が入ったお盆が出ていた。都が帰ってくると母はいつもお菓子を出してくれる。一番近いコンビニエンスストアでも歩いて15分から20分かかる。母は体の調子が良くて、天気が良くあまり暑すぎない日であれば散歩コースをそのコンビニエンスストアまでの行き帰りにしていた。そこで調達するのだが都が知らない新発売のお菓子が入ってたりする。涼しくなって来たから今週久しぶりに行ったと母は話していた。母は都に何が飲みたいか聞いて来たので日本茶を飲みたいと言った。普段はコーヒーしか飲まないので、実家に帰って来た時は日本茶が飲みたかった。
 都はさっさと座椅子に座って足をローテーブルの下に伸ばす。都がお茶を入れればいいのだが、つい実家へ帰ってくると甘えて母に入れてもらってしまっている。親不孝なのは今に始まったことではないが、三十半ばを回っても実家に帰ってくると子供のようになってしまう。むしろ子供の頃の方が親の手伝いをしていたように思う。
 「振込ありがとうね。」
 母は台所でお茶を準備しながら思い出したように言った。
 「あーい。」
 都はちょっと自慢げな感じで子供っぽい返事をした。そんなことない、ありがとうなんていちいち言わなくていい、育ててもらったのだから、母親なんだから当然だとか言った方が良いのかもしれないけれど、そういうのもなんか余所余所しい気がするし、上手く伝えたいことが伝わらない気もした。だから母に振込ができるくらい稼ぐことができている、ということを自慢するかのように返事をするだけにしていた。
 都の父は自営業だったので、死んだ時に遺族年金はたった一度だけ二十数万円下りて終わりだった。母の国民年金も月に支払われるのは5万ちょっとしかない。母の生活費は都が毎月振り込んでいた。兄には兄が持つと言われたのだが、父が亡くなった時兄はすでに結婚していたし子供も生まれたばかりだった。兄嫁は専業主婦だったし、お金は入り用のはずだった。都は一人暮らしをしていたが、結婚する予定も気持ちもなかったので、都が一人で持つと言って兄の申し出を跳ねた。折半するか、少しでも出すと兄は言ったのだが、もしそうするのならそのお金は貯金でもしておいてもらって、実家の修繕費用とか母が入院してしまった時なんかのためにとって置いて欲しい。そう言う時になったらそこから出してくれと説き伏せて引いてもらった。都はお兄ちゃん子だったのであまり長女という意識を持ったことがなかったが、父が亡くなってからは自分は長女なのだと言う意識を持つことが多くなった。
 「いつもすみませんねえ。」
 母がお茶を運びながら冗談ぽく言った。
 「いいのよー。」
 都も冗談ぽく言った。母からは半分本気で半分冗談で、生きていて負担ばかりかけてすまないと時々言われた。それでも都のために、都が一人きりになってしまわないように生きていたいのだとも言っている。都はそんなことを言わず、のんびりとあまり心配事なく、日々穏やかに生きていて欲しいと思っていた。都にとって父は良い父だったし、大好きな父だったが、難しいところが多く母は苦労が多かったのは物心ついた時から良く見ていた。だから都は兄に守ってもらうかのように兄にべったりとくっつくようになったのだろう。都は父の難しい性格を引き継いでしまっているところがあり、人付き合いが嫌いだったり、どこか捻くれていたり、父そっくりなところがあった。母は都が結婚には向かないだろうと思っていて、自分が死んだら一人になってしまうと心配もしていた。