04-08

2022-01-18

04-08

 「岩砂さん、全拠点疎通OKでした。」
 都がそう声をかけると、岩砂は振り返った。
 「ありがとうございます。じゃあ、お客さんにお客さんのテストしてくれるよう伝えます。」
 岩砂は礼を言ってから、机の上においてあったオフィス内専用の携帯電話を取り、送信履歴を呼び出し電話を掛けた。電話は繋がったらしく、岩砂が話し始めた。こちらのテストは問題なかったのでお客さんのテストを始めて欲しい旨伝えて、どの程度かかるかと聞いていた。岩砂は30分くらいと復唱してから、終わったら連絡するよう依頼して電話を切った。
 「じゃあ、あとは待機ですね。まあ、何もないでしょう!」
 岩砂は言い切っていた。それは楽観的と言うよりは、そう口に出してしまうことで現実もそうなるよう仕向けると言う前向きな取り組みだ。
 「ですねー、何もないことを祈りまーす。」
 都は逆に楽観的なことを言い切ってしまうと何かが起こるような気がしてしまう性分なので、慎重な物言いになってしまう。かと言ってせっかく岩砂が前向きに言っているのを否定もしたくないから、冗談っぽくふざけた調子で言った。
 トラフィック情報監視分析システムの登録変更は事前に予約しているのだが、この切り替えが完了したら正式にそちらも登録を切り替えるよう依頼しないといけない。それは岩砂がやると言っていた。都は客宅ルーターの最新コンフィグを集積しているデータベースを更新しておくと岩砂に言った。旧回線のプロバイダエッジルーターのポートも閉じてしまおうかともなったが、それは流石にお客さんのOKが出てからにすることになった。万が一切り戻しとなった時に手間が増えてしまう。プロバイダエッジルーターは海外のオフショアセンターでしかコンフィグは出来ないので極力日本でコントロールできる作業だけで切り戻せるようにしておきたい。
 都は自席に戻ろうと歩き出すと、電話口で喋っているのであろう、若い女の大きな声が聞こえてきた。さっきから喋っていたのかもだが、都は今気がついた。ネイティブと言っていいくらいの英語。岸谷の声だ。自席へ戻りながらフロア内を見回すと目の前の柱の向こう、椅子の背もたれの上にに控えめなブラウンベージュに染めたルーズウェーブの後ろ髪が見えた。電話を左耳に当てている。相手は海外のオフショアセンターだろうか。都と一緒にアサインされたプロジェクトは実質未だ動いていないので別件だろう。金曜の夜に残業してまでやっているのだから進捗が思わしくなくお客から突かれているのかもしれない。岸谷の周りの席も誰ももういないようだ。岸谷だけがぽつんとこちらに背中を向けて座っている。
 ネイティブのような英語と、はっきりと会話する大きな声がそう思わせるのかもだけど、その背中は堂々としているように見えた。あんな若くて金曜の夜に一人でPMとして動いている。もし都が同じ歳くらいの時にそんなことになったら、どうにかして逃げ道を探してしまっただろう。やはり新卒でこう言う大きい会社に正社員として採用されるような人間は人としての基礎力が違うのだ。
 自席へ戻って専用端末のディスプレイを見る。新規客宅ルーターのターミナルウィンドウには何のログも出ていない。セッションが切れていないことを確認するため、ターミナルウィンドウをクリックしてリターンキーを数回叩くとホスト名だけの行が作られていく。セッションは切れていない。LANインターフェイスの状態を確認するコマンドを叩き、出入りのトラフィック量を見る。トラフィック量は30秒毎のものが取得出来るよう設定してある。入りは1メガビット毎秒程度だが、出は7メガビット毎秒程度ある。恐らくは日本拠点かどこからかデータをダウンロードしているため下りの方が多くなっているのだろう。トラフィック量的にはきちんと使えているように見える。
 あとはお客のテストが終わるのを待つだけだが、この待機時間に他の仕事をしようと思ってもあまり集中できず進まないことが多い。一定のトラフィック量があるからと言ってお客の通信が本当にうまく言っているかどうかわからない。TCP通信のセッションがぶちぶちと切れるとか、特定のアプリが動かないとか、実際には不具合が起きているかもしれない。都たちの試験がOKだったからといって安心は出来ないのだ。
 しかしアプリレベルの不具合がネットワークレベルの問題であるとも限らない。アプリがうまく動かないと言われても都たちの試験では何もわからないこともある。ネットワークレベルではクリーンであることを証明仕切るまでトラブルシューティングに付き合わされることになるが、これは結構しんどい。なので何か問題が起きているんじゃないだろうかと気になってしまう。