04-01

04-01
今日は19時からのLAN切り替え工事に対応するためシフト勤務だ。午後から出勤なので朝無理に早く起きる必要もなく、ゆっくり起きれば良い。そう言ってぐだぐだしていると、あっという間に11時くらいになってしまう。そろそろ出社しないと、とばたばたし、朝のんびり出来ると言うお得な感じは全くなくなる。かと言って早く起きて午前中何かしようと言う気にもならない。朝早く起きなくて良くても、いつもの時間には一旦目が覚めてしまう。目覚ましに起こされないのは快適だが、いつもの時間にきっちり目が醒めることは若干疎ましい。今の部屋へ引っ越した時に遮光カーテンにしたので部屋の中は十分暗い。しかしカーテンの隙間から漏れる黄色い光はそれをも掻き消す勢いがある。うとうととしながら肌に直接触れるケットやシーツの感触を楽しみながら寝返りを打ってみては、上の部屋の住人が慌ただしく準備する音や鉄筋を伝わって響く他の階の住人がバタバタと廊下を駆ける音を静かな部屋で聴く。そうやってうだうだしているといつの間にか8時半を回ってしまっていたりする。LAN切り替えとは、構築したWAN回線と客宅ルーターにお客のネットワークを接続し、離れた土地のお客同士の通信が出来るかどうかと言う最後の工程なのだから、上手く行くか行かないかは重要だ。眠れないと言うほどではないけれど、それなりに緊張する。朝早く起きて何かする気にならないのは、この工事の成否を気にする引っ掛かりが寛がせてくれないからだ。
このままごろごろしていても落ち着かないし、ごろごろしていたら支度をゆっくりできない。足でケットをまくって剥ぎ、ベッドの上にあぐらで起きる。枕の側で都を見守るように佇んでいるぬいぐるみたちにおはよう、と言ってから立ち上がり、遮光カーテンを開ける。レースのカーテン越しに青空が綺麗に見えた。
「おー。今日もいい天気ー。」
都はつい声に出した。レースのカーテンがあるとは言えこっちからは外が見える。レースのカーテンがなければ逆も然りのはずだ。何も着ていない姿でレースのカーテン越しに外を見る時、恥ずかしい思いを超える解放感がある。このままレースのカーテンを開けて窓も開けたらもっと解放されるんだろうか。都の住んでるマンションの向こうには無集配の郵便局を挟んで同じくらいの高さのマンションがベランダを向き合わせて建っている。そんな事をすれば向こうの住人に丸見えだ。そこまで社会性を捨てる勇気はない。海外なら国によっては逮捕される。都は裸足がフローリングの床にぺたぺたと音を静かに立てるのを楽しみながら、顔を洗いに洗面所へ向かった。
11時を過ぎれば駅は空くのかと思いえばそうでもない。確かに朝の通勤ラッシュ時のような混雑はなくなっている。朝のラッシュ時の混雑は、電車が定刻通りに動いてさえいれば、どこか整然とした混雑だ。たくさんの機械の動作音がやかましく交錯する中、工場でたくさんの製品がびっしり並んでいて、ベルトコンベアーで運ばれてきた梱包にどんどん綺麗に詰め込まれていく光景を想起させる。実際の目的地は違うけれど、ほとんどの人が同じ意図で駅の改札に殺到する。駅のホームから人が溢れるほどになりながらもきちんと整列する。定時は会社によって違うだろうが、概ね9時前後30分の間にきちんと自分の職場に着くよう努める。混んでいるのだから、自分の目的を達成するためにも人の邪魔にならないよう気を使う。そうすることで余計な障害を減らすのだ。
しかし11時ごろになると、出勤だという人はほとんどいなくなり、仕事としての外出、あるいは私用としての外出と目的は異なるようになり、時間を守らなければいけない人もいれば、時間を別に気にしなくても良い人もいる。人の数は出勤ラッシュの時よりは少ないけれど雑多感が濃い。バラバラな人々の動きは読むのが難しく、人が少なくなっていることを期待して駅に来ると苛つきを覚えてしまう。もう混んでいる時間ではないのだから、人々は多少勝手に動いても大丈夫と思うのだ。それが重っていくと人々の動きは一定ではなくなり、都の進路を絶えず遮ってくる。
電車もガラガラに空いているかと言えばそんなことはなく、隣の駅始発の電車に乗っても座れない。朝独特の爽やかさももうない。シフトでゆっくり出社できるのは本当に良いことなのかどうか時折疑問になることが都にはあったけれど、あの出勤ラッシュを回避できることは確かにほっとすることでもある。つくづく勝手なもんだと、都は自分を少し詰りたくなった。