02-01

2022-02-06

 公衆電話網が回線交換からIPを利用したパケット交換へマイグレーションしていくにつれ、それまで通信会社の回線交換機を収容していた局舎のスペースが空き部屋になっていった。そうやって出来た局舎の空きスペースは現在オフィススペースとして利用されている。昔通信会社の看板が掛かっていたビルが、いつのまにか他業種の看板に掛け替えられているのは時折街中で見かける光景だ。
 都が働いているオフィスも元々回線交換機が設置されていた区画をオフィススペースへとリノベーションした部屋だ。交換機用の区画だったのだから窓が殆どない。少しだけ窓がある壁があるのだが、都の席からはかなり遠いし、常にブラインドもかかっているので外はほとんど見えない。外の様子が全くわからないまま一日働いていることも多く、退社時に初めて雨が降っていることに気が付いたりすることがある。お疲れさまです、と言ってオフィスを出たのに、置き傘を取りに戻ったりするのはここでは多くの人が経験する。さっき帰ったばかりなのにもう出勤ですかと言う冗談も使われ過ぎてしまって飽きてしまう。
 ビルがとても古いので廊下の壁には配管や配電盤ケースがむき出しだったり、電灯の数が少なく廊下は明るくない。ボロだとか昭和っぽいとか揶揄されるのだが、ここはインターネットもない時代から公衆電話網を支えてきた局舎なんだ、自分の親やそれより上の世代の人がここで日本中を電話で繋ぎ、海外へも繋いでいたんだと思うと素直に感慨深い。定年退職して再雇用されている管理職の人たちは、昔は回線交換機の技術さえあれば一生食べるのには困らないと言われていたが、あっという間に回線交換機の時代が終わりIPの時代になってしまって、回線交換機のスキルが何の役にも立たなくなったことに改めて驚くと言う。IPで交換機にあたるものはスイッチやルーターで、確かに今この技術があれば食べるのには困らないが、AIが発達すればルーティング・スイッチングのエンジニアなんていらなくなる時代が来るだろう。もしかしたらIPとは全く違う通信プロトコルが開発され、あっという間に普及するかもしれない。10年、20年経ったら、ルーターとかスイッチとかあったね、と笑って振り返っているかもしれない。
 廊下以上に薄暗いエレベーターホールから、乗るだけでガタガタ言うエレベーターで喫煙室があるフロアへ昇る。喫煙室の手前にドリップコーヒーが飲める自動販売機がある。都はこのコーヒーが好きだった。コーヒーの濃さの度合い、砂糖は入れない、ミルク多め、自分が自宅で淹れるものに近い味が出て来るので気に入っていた。コーヒーの値段は100円だが、おそらく外に同じ自販機があれば150円くらいは取られるだろう。社内の福利厚生の一環として値段が下がっている。缶やペットボトルの自販機もあるが、こちらもやはり20円から30円安くなっている。
 そもそもこれは正社員の福利厚生として行われている施策で、派遣社員が利用していいものだろうかと言う疑問は少しある。実際オフィス内の給茶機やウォーターサーバーを派遣社員には利用禁止にしいてる会社もあるとウェブの記事で読んだことがある。この会社にはまるでそんな雰囲気がないので、都は最初その記事を読んだ時とても驚いた。もし社内の自販機などは正社員のためのもので派遣社員は使用禁止と言われれば従うしかない。そんなことを言いそうな社員もマネージャーもいないし、そう言う文化もここで働いていて感じたことはない。都はそう思っているのだがそれは都の勝手な思い込みに過ぎず、もしかすると自販機の前でコーヒーが入るのを待っている都を見て、あいつ派遣のくせに使いやがってと思われているのかもしれない。そう考えるととても肩身が狭く、申し訳ない気持ちになってくる。この職場に慣れてしまったことで自分の行動がこの会社にとって失礼なほど図々しいことに気付けなくなっているのだとしたら、早々に辞めないといけないなと思う。だったら派遣なんか雇うなよ、と言う論調もあるようだが、何を言ったところで都は派遣社員でしかない。正社員ではないのだ。